第16話 アリムとの再会

 通弁役のチュルカ人兵士が言うには、案内された場所は官吏とアルヤ王国軍の北方守護隊の詰所として使われている神殿付属の施設らしい。地方貴族は小高い丘の上に屋敷を築いて自衛すると言う。

 しかし、蒼と金の石片で覆われた神殿はやはりあまりにも煌びやか過ぎた。こここそアルヤの王が住まう宮殿かと思ったほどだ。


 一歩後ろで、とうとうこらえ切れなくなったらしいニルファルが、「綺麗ですね」「すごいですね」を繰り返し始めた。

 ナズィロフも、今回ばかりは弟をたしなめなかった。むしろ一緒に「豪華だね」「お洒落なんだね」と肯定していた。


 最初はどんな扱いを受けるのか懸念していたが、聞けば兵士はこれから宴を用意すると答えた。

 アルヤ人というものはどうも見栄っ張りな性分で、外からやってきた者に豪勢な振る舞いをしたがるのだそうだ。

 遊びに来たのではないと言ってやりたいところだが、敵とみなされ続けるよりは良い。

 前を行く兵士の目を盗んで密かに、歓待は素直に受けつつ油断して隙を突かれないようにと伝えた。一同すぐに頷いた。


 宴のための大広間に案内される途中、長い回廊を歩いていく最中のことであった。


 初め、エザンは我が目を疑った。

 いくら向こうに地の利も数の利もあるとは言え、かつて戦となりいまだ和平のちぎりを結び終えていない部族の連中にそこまで甘い顔はするまいと思っていたのだ。


 だが、見間違えるはずがない。

 まっすぐ伸びた背丈、前を向いた歩き方、次第に近づいてきて見えた短く切った黒髪や穏やかな黒い瞳もすべて、


「アリム……!」


 血を分けた唯一の息子のものだ。


「親父」


 アリムが片手を挙げると同時に、ニルファルが駆け出した。ジガルは叱ろうとしたのか「これっ」と声を上げたが、エザンには止められなかった。


「アリムっ!」


 半べそをかきながら跳びついてきたニルファルを、アリムは「ニルファル」と呼びつつ笑って抱き締めた。


 直後、ナズィロフも走り出していた。

 彼はさすがにすぐ抱きつこうとはしなかったが、今度はアリムの方がニルファルを自らの右腕に移して、左腕をナズィロフの方へ差し出した。

 ナズィロフは「すみません、すみません」と断りながらそこにしがみついた。


「アリム、アリム、会いたかったです」

「良かった無事で……!」

「なんだなんだ、二人とも大袈裟だな」


 今まで溜め込んでいた分がせきを切って溢れ出したのだろう、気がついたら、ニルファルは半べそどころか嗚咽を漏らしてアリムの胸に顔を埋めていた。


 しかし、そんなアリムの胸を覆っている服はアルヤの衣装だ。


 道理で違和感があると思ったら、着替えとしてアルヤ人のものを与えられているらしい。

 色黒のアリムにはどうしても似合わない。

 エザンは思わず鼻を鳴らして笑った。やはり、アルヤにいようがチュルカにいようがアリムは自分の子なのだ。


 アリムの方は、一行の様子からイゼカ族に異変が起こっていることに気づいたらしい。

 声がまったく言葉にならないニルファルと、やはり鼻声でアリムに謝罪の言葉を繰り返すナズィロフをそれぞれの腕に抱えたまま、彼はこちらを向いた。


「ヤシェト、お前は来ないのか?」


 言われてから、エザンもヤシェトを捜した。


 ヤシェトはエザンの右隣で黙りこくっていた。静かな目でアリムを見つめていた。その表情は穏やか過ぎて何を考えているのかすぐには察しがつかない。


 ややして、お前も来ていいのだとでも言いたいのか、アリムが小さく二度ほど頷いた。

 それを見てから、ヤシェトがゆっくり歩き出した。


 アリムの目の前、一歩分ほど間を開けて、ヤシェトが立ち止まる。

 エザンからはヤシェトの背中しか見えなくなってしまった。


「アリム」

「おう、どうした」

「申し訳なかった」


 それを聞いたアリムが、眉根を寄せ、わずかに表情を強張らせた。


「アリムが無事で良かった」


 けれどアリムは、そこを深く追及しようとはしなかった。


「……お前が謝る必要は、ないと思うけれど」


 エザンはなおのことアリムに対して申し訳なく思った。


 オルティが早足で出てきて、「よォ、かみさんを恋しがって泣いているのではないかと思ったら、意外と元気そうだな」と軽口を叩いた。

 その瞬間、ヤシェトのせいで凍りついていた空気が弛緩した。ナズィロフやニルファルの肩からも力が抜けたのが見えた。

 アリムが笑って「馬鹿野郎、俺は貴様と違ってお袋の子守唄でないと眠れないわけではないぞ」と答えた。


「俺に要るのはお袋が縫った枕であってお袋のだみ声に用はない。しかしあのばば本当に殺しても死なないな、此度こたびの戦火も生き延びよったぞ」

「それはそれは何よりだ、貴様は母親に似たのだな。見たところ傷の一つもないようだが、今回は誰の後ろに隠れたと?」

「我が親友殿は酷いなぁ、はいはいご覧のとおり拙者は五体満足にござるぞ、親友殿の勇猛果敢な戦いぶりのおかげでな」


 ニルファルが「もうっ、緊張感がないんだから」と怒り出したところで、オルティがようやく真面目な顔で「で、かく言う貴様はどうなんだ、怪我の方は」と問うた。人質に行く直前、夜の闇の中戦火に照らされていた部分にいくつか浅い切り傷があったのは見えていた。

 そう言えばと思って息を呑んだエザンの親心も知らず、アリムは平然とした顔で「それが怪我の功名というやつでな」と答える。


「ありがたいことにアルヤ娘が丁寧に手当てしてくれたぞ」

「なんと」

「評判にたがわずアルヤ娘は美人ばかりだ。普段は屋敷の奥深くから出てこぬというが、怪我をしたかいがあって――」

「わあ、アリムの助平、デニズに言い付けてやろう」

「何だと!? 貴様俺はデニズに言えぬようなことは何もしていないぞ!? だから言うなよ!?」


 ナズィロフに冷静な声で「義兄上、矛盾していますよ」とたしなめられてから自分が何を言っているのか気がついたようだ。

 「違う、誤解だ」と弁明を始めたアリムを見て、「馬鹿息子が」と頭を抱える。


 ジガルが咳払いをし、「して」と声をかけた。若人わこうどたちがようやくこちらを向いた。


「アリムよ、傷はアルヤで手当てされて間に合っておるのか」


 アリムが「応」と頷く。真面目な空気になってきたことを察したらしい、ナズィロフとニルファルが黙ってアリムから離れる。


「もともと大した怪我ではない。動けぬこともなかったし、飯も三食アルヤ料理を食っている。しかもこれが実に美味」


 隣で「敵地でもたらふく食うのか、貴様本当に図太いな」と言ったオルティに肘打ちを喰らわせ、「特に不自由はしておらん」と続ける。


「それはまことか」

「移動だけは神殿の中のみと制限されているが、手足が縛られているわけでも、苦役を強いられているわけでも、拷問を受けているわけでもない。見張り番代わりの官吏の小姓が常の世話を焼いてくれているから、ともすれば衣食住が保証されていると錯覚するほどだ。最初は言葉が通じぬ不便もあったが、辺りにチュルカ出身の兵士が多くて、通弁を頼んだり簡単なアルヤ語を教わったりなどするうちに慣れてきた」


 ジガルが「ふむ」と頷いた。

 エザンもなんだかんだ言ってつい胸を撫で下ろしてしまった。


「これで満足か?」


 突然、まったくの第三者の声が響いた。


 声が聞こえてきた方角、すなわちアリムがやってきた後ろの方へ目をやる。


 男が一人、柱にもたれかかって立っていた。

 腕組みをしながら、悪戯そうな笑みを浮かべてこちらを見ている。


 アルヤ風の黒い袴をはいているものの、まっすぐの黒髪や浅黒い肌はチュルカ人のものだ。年は若く、もしかしたらまだ少年と言っていいかもしれないほどと見た。背もさほど高くない。


 一見しただけでは、彼が誰か判別できなかった。

 彼が上体を持ち上げ、こちらに近づいてきてから、声や話し方でようやく気づいた。


 それまでずっと黙って一同のやり取りを見守っていたチュルカ人兵士が、急に姿勢を正して敬礼した。


「人質は殺したら意味がない。それに以前も言ったが、アルヤのお偉方えらがたは貴様らイゼカ族を優秀な戦闘民族と認めぜひとも傘下に加わえたいと考えておるのだ、考えなしに若い戦士を傷つけるわけがなかろう。そもそもこの俺がわざわざモラーイェムに掛け合ってチュルカの戦士の扱いとやらを教授してやったのだ、感謝していただきたいくらいだな」


 あの時は馬上にいたことに加え甲冑を纏っていたので、それこそ巨人のように大きく見えていた。

 まさかナズィロフより背の低い若者だとは夢にも思っていなかった。


 彼の方もまた、こちら側の人間が彼の素性の見当がついていないことに気がついたようだ。鼻で笑ってから、彼はこう言った。


「どうやら俺を忘れたらしい。ま、覚えたくもないか。貴様らにとっては族長のかたきだからな」

「貴様、あの時の――」


 タルハンを一太刀で斬り伏せた、黒い甲冑の将軍だ。

 全員が身構えた。


 けれど、アリムだけは何ともない顔で振り向いた。

 そして、「貴様はまたそういう皮肉った物言いを」と、ヤシェトや他の悪童たちを叱る口調でたしなめた。


「みんなに紹介する。カズィ・ナディル――アザリ族現族長の第四子にして、アルヤ王国軍チュルカ人部隊隊長で、この幾日か俺の話し相手になってくれた奴だ」


 黒い甲冑の将軍――カズィ・ナディルは肩をすくめると、また、小馬鹿にしたように笑った。


「俺は百聞は一見にかずと思って連れて歩いただけだ」


 言いながら踵を返して、「ついてこい」と言う。

 我先にとばかりにチュルカ人兵士が歩き出す。


「歓迎するぞ。その、実に美味なアルヤ料理が貴様らを待っている」

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