第15話 アルヤ王国の入り口

 その後の道程は思っていたより易しい道のりだった。


 日の位置を頼りに南下を続けていると、そのうち川沿いに出た。

 アルヤの使節団が襲われた川であろう。

 馬に水分補給をさせるついでに、念のため辺りを探索してみた。

 襲った側の誰かが証拠を隠滅したのか、襲われた側のアルヤの誰かが後片付けをしたのか、乱闘騒ぎがあった痕跡はなかった。


 川を遡っていったら、やがて湖に着いた。

 見慣れぬ景色にニルファルは喜んだが、今までであれば真っ先に飛び込んでいったヤシェトは見向きもしなかった。

 エザンは何も言わずに馬の脚を進めた。


 日が傾く前に下り坂に入った。


 それから先はあっと言う間だ。


 ひたすら下ると人の姿が見えた。

 土を鉄具で掘り返している老人だ。

 アルヤ人らしい。

 騒ぎにならぬか少し心配したが、老人はこちらを少し見やっただけで、何も言わずに作業を再開した。


 この老人だけではなかった。

 土地が平らになり、土壁でできた建物が密集している地域に入ると、幾人ものアルヤ人が目についた。

 誰も彼もが一瞥するだけで騒ぐことはなかった。


 後から気づいた。

 少数だが、アルヤ人の中にチュルカ人が交ざって往来を闊歩している。

 服装がアルヤ風だったので少し分かりにくいが、体格や顔つきが違うので区別はついた。

 アルヤ人は皆一様に背が高く、体つきはほっそりとしていて、緩やかに波打つ髪をしており、大きい目が美しく気高く映った。

 チュルカ人は平均してアルヤ人より一回り背が低く、逆に肩幅は広く、長く伸ばした黒髪をめいめいに細かく編み込んでいる。

 建物と建物の間を行く両者に、険悪な空気はない。あくまで自然だ。

 彼らにとっては日常風景なのだ。

 アルヤ人とチュルカ人が、普段から生活圏をともにしている――それが、何とも奇妙に感じられた。


 今夜の宿はどうすべきか――もっと言うと、こんなに人の多いところで夜営の支度を広げるわけにはいかないので、さらに進むべきか少し戻るべきか。

 悩んでいるうちに、屋台で串焼きの肉を売っている男に声をかけられた。

 チュルカ語だった。

 聞けば男は宿屋を斡旋してくれるという。

 一行は男を怪しんだが、最終的には彼に従う他ないと判断した。


「あんたら北チュルカから来たんやろ? この辺で見ぃひん紋様使つこてるさかい分かるで。わしら南チュルカの部族はアルヤで商いさせてもろてんねんけど、あんたら北の方々はようせぇへんやん、アルヤのことも手探りやろ。どや、同じ言葉を使てるもん同士、わしらを頼ってみぃひんか。商いは信用第一や、騙そうなんぞせぇへん。それにな、わし、アルヤで商いするに当たって改宗したんや。アルヤの神さんは旅人に親切せぇと言うてはる、親切させとくんなはれ」


 男は友人が経営しているという宿屋に一行を案内した。

 一行は初めての土壁の部屋に多少の緊張を覚えたが、夜の冷えを防いでくれる壁と大きな寝台のおかげで、そのうち体が解れて、結局深く寝入ってしまった。


 男の言ったとおり、男の友人夫妻も訛りのあるチュルカ語で丁寧に対応してくれた。チュルカ料理の朝食を用意し、州都までの道のりを簡単に説明してくれた。


 こちらの事情を聞きたがったのは少し鬱陶しかったが、世話になった礼として経緯を語った。

 夫妻は驚き、そして悲しんだ。


「あんたらの言うてはることも分からんわけやあらへん。北の方々からしたら、私ら南のもんは軟弱でっしゃろ。私らも北に憧れはあります。昔ながらの平原の暮らしを守ってはる。せやけど、私らはもう帰れまへんな。上手く言えへんけど……、アルヤ暮らしは、悪ないさかい。好き勝手させてもろてますねん。今となっては、争わへんで済むんやったらええのんと違うの、と考えてもうてんな」


 聞いていた面々はそれぞれうつむき何も言わなかった。

 夫妻もそれ以上のことは語らず、村の端まで送ってくれた。



 州都へ辿り着いたのは、出発してから八日目の昼前のことだった。


 宿屋の夫婦が教えてくれたとおり街道をまっすぐ進んだら、すぐにそれと分かるところに出た。


 そびえ立つ壁は近づくにつれて大きく高く育っていき、やがて天にも届く巨壁になった。

 しかもよくよく見ると、蒼と金と白の石片タイルが複雑に組み合わされて出来ている。

 石片タイルの組み合わせは、大きく開いた穴の周りでは流麗な文字の形に、小さく開いた穴の周りでは草花のような模様に、その他の部分は大小様々な三角形や四角形の組み合わせに変化していた。

 文字は覚えのあるものだが、アルヤ語なのか、一行には意味のある言葉として理解することができない。まるでまじないのように感じられる。

 上部では丸い紋章が形作られている。蒼い光に包まれた黄金の太陽だ。軍旗にもあったアルヤ王国の紋章である。


 どうやら都のすべてをこの壁が囲んでいるらしい。

 もっとも目立つ目の前の壁は出入口の役目を担っている門である。

 その左右にも、広げた翼のように壁が続いていた。

 左右の壁は黄や白の地に蒼や青で造られた矢型の紋様が中心で門ほど華やかではないが、どこまでもどこまでも続いているように見える。

 一定の間隔を置いて建てられた柱の先には、やはり、蒼と金の太陽が刻まれていた。


 イゼカの戦士たちは皆黙って壁を見上げていた。

 戦士としての矜持が声を上げさせないだけだ。

 気持ちはきっと皆同じだ。

 誰も彼もが初めて見るアルヤの建築物に圧倒されている。


 これでも王都ではない。


 エザンは意を決して門に近づいた。

 一行もおそるおそるといった足取りでエザンに続いた。


 それまで黙ってこちらを見ていた門番と思われる男二人が、槍を構えて一行の馬を止めた。「止マレ」と言う言葉は確かにチュルカ語だったが、どこかぎこちない。


「チュルカ兵呼ブ、オ前タチソコデ待ツ」


 たどたどしい言葉に、一行は一度顔を見合わせた。

 だがエザンはすぐに前を向き直り、頷いて「構わぬ」と答えた。

 門番たちはアルヤ人でチュルカ語が得意でないのだろう。チュルカ人と話ができればこちらとしてもありがたい。


 エザンの返答を聞いてすぐ、二人のうち一人が駆け出し、壁の中に埋め込まれていた扉を開け中に入っていった。

 そんな壁の内側をニルファルが覗き込み、「分厚い」と呟いた。


 ヤシェトは目を丸く見開いて壁の向こう遠くを見やっていた。

 ヤシェトの視線の先を辿ると、今朝までいた集落が如何いかに小さなものであったかが分かった。

 石と土壁で造られた建物が果てなく並んでいる。動かせない家々の前はきれいに掃除されていて花も咲いている。


 ややして、若い男が小走りで出てきた。

 アルヤ人の衣装を着ているが、面立ちはチュルカ人である。


「お待たせした。小生チュルカはアザリ族の出で今はアルヤ王国軍北方守護隊に籍を置く者。ここショマール州州都北の門にてチュルカ語とアルヤ語の通弁をしており申す。通行証のない者たちより州都に立ち入る訳をお聞きして、官吏につなぎ、官吏に通行証を新規発行させるのが務めにござれば」


 丁寧かつ納得のいく対応だ。アルヤ籍の者に話がまともに通じたことに対する驚きは、ひょっとしたら、豪奢な壁に相対した時のそれを超えたかもしれない。


「して、如何いかなるご用で見えられた? 軽微と言えども武装をしているように見受けられる。アルヤ王国領内に害なす異民族の立ち入りは禁止しており申す」


 互いに目配せし合ったが、結局エザンが代表して口を開いた。


「失礼つかまつる。我々チュルカはイゼカ族の者、拙者はイゼカの戦士エザンと申す」


 イゼカという部族名に聞き覚えがあったようである。

 チュルカ人兵士だけでなく、アルヤ人の門番たちもが顔を見合わせた。三人の表情がにわかに硬化する。


「そのご様子だと何やらご存じのようだが」

「ネガフバーン公のことで話が出回っており申す」


 けれど三人もさすがにたったの六人で報復に来たとは思わないのだろう、「そのイゼカの戦士が何用で?」と、抑えた声で返した。


「申し開きと今後の件について交渉に参った。ぜひとも新しい首長にお目通りしたい」


 エザンの隣からジガルも口を挟む。


「イゼカの若い戦士を一人人質として出しておる。この者がアルヤ領におる限り我々は何の手出しもできぬゆえご安心なされ。なお叶わずとも、その者の顔を一目でも見せていただければ満足致すゆえ、何とぞ上の方に取り次ぎたまえ」


 門番たちがチュルカ人兵士に声を掛けた。アルヤ語のようでエザンたちには何の話か分からなかったが、三人はしばらく三人だけで会話を続けた。

 どうしたものかとエザンが問い掛けるより前に、チュルカ人兵士が再度こちらを向き直った。


「実は、もしイゼカの戦士たちが見えられた場合は、アルヤ王国軍軍人奴隷ゴラーム部隊隊長で此度こたびの北チュルカ交渉の相談役をお務めのカズィ・ナディル将軍にお通しせよとのお達しを承っている」


 その名には聞き覚えがあった。タルハンを一刀両断の下に斬り伏せ、アリムを連れ去った、黒衣のチュルカ人騎士だ。


 チュルカ人兵士が、手で壁の向こう側を指し示した後、踵を返しながら言った。


「小生について来られよ、ご案内し申す」

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