第14話 山越え 2

 ヤシェトがエザンの向かい、倒木の上に腰を下ろした。

 倒木はわずかに軋んだが、静かにしなっただけだ。他の誰かを起こすことはなかった。


「エザンに番が回ってきたのか?」


 エザンは戸惑いを隠せないまま「応」と答えた。

 ヤシェトは少し目を伏せて、「そうか」と頷いた。


 焚き火に照らされたヤシェトの様子は、不思議にも、タルハンにもビビハニムにも似ているように見えた。今までずっとどちらにも似ていないと思っていたのに、今になって急にどうしたのか。


「では、まだ、しばらく眠れないんだな」

如何いかにも。だがヤシェト殿は――」

「おれもしばらく起きていていいか」


 「昨日は熟睡してしまったし」と、自嘲的に笑む。


「せっかく他の連中が寝ているんだ。少し……、エザンと、話したい。いいだろうか」


 すぐに「もちろん」と答えた。

 むしろいつかはこちらから話を振ろうと思っていたのだ。ヤシェトの方から来てくれるとなると願ったり叶ったりだ。


 自分から話を振っておきながらも、ヤシェトはすぐには話し出そうとしなかった。

 兄弟たちのあどけない寝顔を見、不安そうな顔をしたかと思えば、揺らめく炎を見つめて、物思いにふけるかのような、ませた顔もする。

 エザンは彼を急かさなかった。


 彼の手は何度も筒袴を握っては離しを繰り返していた。


 どれくらい時が過ぎた頃だろう。


「率直に聞かせてほしい」


 うつむいて言った。


「お前もおれを疑っているのか」


 エザンは一瞬反射的に否と言おうとした。

 一呼吸を置いてから、「何について」と訊ね返した。

 ヤシェトが息を呑んだのが傍目から見ても分かった。


「おれが、あの、アルヤの、ネガフバーンとかいう殿様を殺した、と」


 細く、しかし深く、エザンは息を吐いた。


「ヤシェト殿が手にかけなさったのか」


 問い掛けると、ヤシェトは弾かれたように顔を上げた。

 首を大きく横に振ってみせる。震える声で「やっていない」と訴える。


 エザンは大きく頷いた。


「では、エザンはそれを信ずるのみ」

「エザン?」

「ヤシェト殿がやっていないとおおせなら、ヤシェト殿はやっていないのだ。ただ、それだけにござる。エザンはそれを信じ申す」


 月明かりで、ヤシェトの眉尻が垂れ、瞳が潤んだのを見た。


「だが、エザンは何とも思わないのか?」

「何を」

「おれがあのアルヤの連中に対して啖呵を切ったのは事実だ。どういう流れがあってそういうことになったのかは知らんが、おれがきっかけだったことには違いない」


 ヤシェトが両手で顔を覆った。

 対するエザンは、一人腕組みをし、空を見上げた。


 空には月が浮かんでいる。こずえこずえ狭間はざまから、月が顔を出している。

 森で見る月も、平原で見る月も、エザンには同じに見えた。

 どこにいても月だけは我々を見つめ続けている。


「おれがあんなことをしなかったら……、おれさえいなかったら、親父は死ななかったのではないかと」


 「いや親父だけではない」と言うヤシェト自身の声こそが、ヤシェトを切り裂くように聞こえる。


「おれは何十人もの戦士たちやそれと同じくらいの女子供まであやめてしまった……!」


 吐き出された「追放された方がいいのかもしれない」という言葉が、聞いているエザンまで苦しめる。


「おれがイゼカ族を壊しているのかもしれない。おれのせいで」


 エザンは立ち上がった。

 エザンが何も言わずに動いたので、ヤシェトは驚いたようだった。顔を上げて腫れた目元でエザンを見上げていた。

 エザンはその目に対しては何も言わなかった。

 ただ、まっすぐ移動した。


 ヤシェトの隣に向かってから、ヤシェトと同じ方を向いた。

 そのまま腰を下ろす。

 体重が一回りも二回りも違うので、倒木は軋んで深く沈んでしまった。


「何やら大人しくなさっておいでだと思ったら、そのようなことをお考えだったのか」


 エザンの顔を覗き込んでいたヤシェトが、うつむいた。

 エザンは前を向いたまま、つむじを見せたヤシェトの頭を視界の隅で捉えた。


「否定はせぬ」


 ヤシェトの細い肩が一度大きく震えた。


「だが、戦士とはかようなものにござる」


 華奢な肩だ。


「戦いの中で死んでいった者たちを――守れなかった者たちを、すべて背負って生きる者。それこそが、まことの戦士にござる」


 まだ、十五歳の少年だ。


「戦士はただ戦う務めにある者のことを言うわけではござらぬ。すべての生きている命と、失わせてしまった命を、その背に負って生きていく。その罪を負ってなお戦い続ける者のことを、戦士と呼ぶのでござる」


 「此度こたびは必要以上に大きゅうなってしもうたが」と付け足して、エザンは語り続けた。


此度こたびのことは、ヤシェト殿にはまだ重かろう。しかしいずれは通る道。少し早すぎた――それだけのことであろうとエザンは考えており申す」


 ヤシェトが顔を上げ、エザンの方を見て「だが」と反論しかけた。

 エザンはそれを制して次の言葉を口にした。


「エザンがおり申す」


 ヤシェトが黙った。


「ヤシェト殿が一人で背負えるようになられるまで、エザンがともに背負い申す。必要であるならばヤシェト殿とともに償いも致し申す。けしてヤシェト殿を独りにさせぬと誓い申す」


 服の袖をつかまれた。次に腕へ何かを押しつけられる感触を覚えた。


「ヤシェト殿は此度こたびの過ちを如何いかなる形でこれからに活かすかだけを考えられよ」


 温かい何かで袖が湿っていく。けれどエザンはけして横を向かない。


「こんな……、こんな、こと、で。親父も、お袋も。おれを、恥じてはいないだろうか」


 しゃくり上げながらの問い掛けを、エザンは否定した。


「心配はなさっておいでかもしれぬ。しかしそれはヤシェト殿が気にかけずともよろしい」

「そう、だろうか。おれは自分だけが兄貴やニルファルのように振る舞えず己れが恥ずかしくなってきた」

「そのような意識はお持ちになるな。兄弟皆違えばこそその良さが分かるもの、ヤシェト殿がご自分を殺して合わせても何にもなるまいぞ」

「兄貴やニルファルは親父を困らせるようなことはしなかった。おれだけがこんなで、親父は今頃お袋に何を伝えているのかと思うと、おれは不安で」


 やっとヤシェトの本音を聞けたような気がして、エザンは笑ってヤシェトの肩を抱いた。


「きっと三人が三人とも立派にお育ちだとおおせに違いはあるまいて。それに、タルハン殿が何もおおせにならずとも、ビビハニム殿はヤシェト殿も正しいことをすでにご存じであろう」

「そうであれば良いのだが」

「エザンが保証致す。中でもヤシェト殿はこのエザンが目をかけてお育てしたのだ、悩まれることなどない」


 ヤシェトが「そのようなことを」と笑った。

 やっとヤシェトの緊張が解れてきたのを感じて、エザンも安堵を覚えた。


「そう言えば、ずっと気になっていたのだが。エザンはなぜここまでしてくれるのだ?」

「と、言うと?」

「いや……、おれのような悪童、いつでも放り出せたであろうに。何ゆえエザンはおれのことをここまで世話してくれるのかと、実はずっと気になっていたのだ」


 鼻を鳴らして「そうお思いなら少しは態度を改めていただきたいものだが」と言ったら、ヤシェトは肩を縮ませて、「すまん……」と呟いた。

 ヤシェトが悪戯をしなくなったらそれはそれで寂しく思うのだろう、と思ってしまうから、それ以上は強く言わなかった。


「最初のきっかけは、ビビハニム殿でござった」


 すっとんきょうな声で「お袋?」と訊ねてくる。


「お袋がお前に何か言ったのか? おれにはお袋の記憶がまったくないのだ」

「仕方があるまい、ビビハニム殿が身まかられた時ヤシェト殿はほんの三つでござったからな」


 ヤシェトを抱いて産屋に入った日のことを思い出す。

 あの時のビビハニムの蒼ざめた顔は壮絶な美をたたえていた。


「実は……、今だから申し上げるが」


 一度唾を呑み、「内緒にしてくだされ」と念を押してから、エザンは軽くまぶたを下ろした。

 ヤシェトは「あ、ああ」と少し戸惑った声を出しつつ頷いた。


「当時、エザンは、ビビハニム殿に、その……、懸想をしておったのだ」


 直後「はあ!?」と叫ばれた。慌てて「しっ、他の皆が起きてしまう」と言ったが、ヤシェトは承知してくれない。


「ケソウとは何だ、横恋慕か」

如何いかにも」

「偉そうな顔で言うことではないぞ」

おおせのとおり」


 咳払いをして「覚えておいででないのが残念」と呟いた。


「ビビハニム殿は、それはそれはたいへんな美女でござった。キズィファ族で一番の美姫とうたわれておったが、まあ、まことに一番でいらしたであろうと思うほどであった」

「へえー……」

「イゼカ族とキズィファ族は長らく対立の続いていた部族。次期族長であるタルハン殿とキズィファ族の族長のご息女であったビビハニム殿の婚姻は、和平のため、長老たちに定められたものでござった。しかしお二方は次第に絆を深められた。想いを打ち明けることすら叶わなんだ」


 だが、彼女はすべて見通していたのかもしれない。だからこそ、あの時自分を呼んだのかもしれない。今となっては誰にも分からないけれど、エザンは時々そんなことを思う。


「とは言え、それはあくまで最初のきっかけの話にござる。何もそれだけのことで今でもヤシェト殿のお傍にいるわけではござらぬ」


 手の平の真ん中でヤシェトの頭を撫でた。祖父である先代の族長に似た、タルハンにもビビハニムにもなかった太くて癖の強い剛毛は、触れていて心地良かった。


「ヤシェト殿のお傍にいて、ヤシェト殿をお世話しているうちに、ヤシェト殿の心根のまっすぐさ、負けん気の強さ、誰よりイゼカの戦士としての生き方を考えておいでのところ――そういうところをお見受けして、やはりこの先もずっとお伴しようと思ったのでござる」


 ヤシェトが「そうか」と頷いた。

 そしてよりいっそう強くしがみついてきた。


 エザンはそこで語るのをやめた。

 もうしばらくしてヤシェトが寝ると言い出すまで、ヤシェトの頭を撫で続けていた。

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