第3章 山の向こう側にあった異世界

第13話 山越え 1

 たおれた者たちを見送った。


 彼らの亡骸なきがらを天へと運んでくれるのは、その身をついばむ禿げ鷹たちである。

 禿げ鷹は天の遣いだ。

 今回は運ばねばならぬ人間の数が多く大変そうではあったが、残った皆が見守る中、忠実に務めを果たして、大空を悠々と舞った。


 タルハンは無事に辿り着いたのだろうか。ビビハニムには再会できたのだろうか。今頃下界が気懸かりでそれどころではないかもしれない。早く片付けて彼に安心してもらわなければならない。


 急がなければならない。一刻も早く立て直さなければならない。




 翌々日の夜明け前、エザンは、タルハンの息子たち三人とその他に戦士二人を伴って、イゼカ族をった。


 最初は五人で向かうつもりでいた。大人数で押し掛けることでアルヤを刺激しないよう、また、長旅に必要な食糧を極力少なく抑えられるよう、必要最小限の人数を考えたのだ。

 五人としたのはアルヤの使節団が訪問してきた際の人数を念頭に置いたためである。


 それが六人に増えたのは、三兄弟のうちの一人がニルファルだからだ。

 たとえ次期族長と言えども、十二歳はまだ成年として認められない。イゼカ族の将来を左右する重大な会合の場において、決定権はなかった。

 アルヤ側もこどもの参加を認めてくれるとは限らない。

 そこで、急遽おとなの戦士を追加したのである。


 戦士二人の内訳は、二十代の青年が一人と、五十代の壮年が一人である。


 若者の方はオルティという名で、アリムの友人だ。彼も弱冠二十歳だが、アリムが信頼を寄せている者であればエザンも信頼できると判断した。


 五十代の最年長者はジガルといい、長老会でもっとも若いおきなだ――そしてそれはそれだけで頼りになるものだ。


 本音を言えば、心配事がまったくなくなったわけではなかった。


 主にヤシェトのことである。


 アルヤの混血の文官がヤシェトの顔を覚えているはずだ。

 もしあの通弁が同席することになったら、ヤシェトが追い出されかねない。

 そうなった時ヤシェトを一人にして大丈夫だろうか。


 だが、時が経つにつれエザンは考えを改めた。

 ヤシェトも反省しているはずだ。

 現にこの二日は見ていて痛々しいほど大人しくしている。エザンやナズィロフに反発することもなかったし、アルヤ行きについて自ら口にすることさえなかった。もはや自分から揉め事を起こそうとはしないでいてくれるだろう。


 ヤシェトはけして傲慢で無能な子供ではない。

 ただ、自らの激情の制御が難しいだけだ。

 今回の旅でも、きっともっと成長してくれるに違いない。



 六人は生き残った動ける者たち全員に見送られ出発した。


 アルヤ王国領に行くには、山越えをしなければならない。

 だが、アルヤの連中も半月程度で越えられるほどだ、馬に慣れた自分たちなら半分くらいで越えられると読んでいる。

 むろん平原育ちに高山は厳しいだろうから、その分余裕をもった見積もりはしている。馬の背には十日分の食糧を積んでいた。


 はやる気持ちを抑え、また互いに抑えさせながら、あえて馬を走らせず、太陽へ向かってゆっくり南下していく。



 途中何度も休憩を挟んだが、山が見えてくるまでにはそう時間はかからなかった。


 三兄弟は初めて見る雪山に不安を覚えたようだ。

 しかし、ジガルとエザンは山での戦も経験している。

 それでも気を緩めさせぬよう脅しはかけ続けたものの、一行はためらわずに山へ分け入った。



 山中での初日の晩は、あまり深くない中腹で夜営をすることにした。

 獣の襲来に備えて交替で眠ることになったが、初めての山に緊張していた三兄弟はすぐに寝入ってしまった。

 おとなたちは彼らを起こさないことにして三人で番をした。


 エザンは、久方ぶりに見る三人並んだ寝顔に、深く安堵した。


 日中の三兄弟はぎこちない。ナズィロフとヤシェトの大喧嘩が尾を引いているようだった。ナズィロフがまた頑固で、弟が折れるまで謝罪する気がないらしい。


 ニルファルの密告によると、実は実家ではいつもこうだったそうだ。長兄と次兄が喧嘩をした場合は、だいたいニルファルが双方の機嫌を取るはめになるらしい。

 今回、ニルファルは二人がいつも以上にこじれたと感じている。それで兄たちに内緒でエザンに助けを求めたわけだ。


 エザンもどこまで口を挟んでいいのか分からない。

 ネガフバーンを殺害した犯人を捕まえることができればやわらぐのかもしれないが、ナズィロフはいずれにしてもきっかけを作ったのはネガフバーンに対する最初のヤシェトの振る舞いにあったと信じている。


 ここで、オルティがイゼカ族指折りのお調子者であったことが幸いした。

 ニルファルはオルティにすぐ懐いた。

 気づいたらナズィロフも何かにつけて彼の様子を窺うようになっていた。

 今や放っておいてもナズィロフとニルファルはオルティが面倒を見ている。

 おかげで二人の緊張は解れてきたように見えた。

 エザンはオルティに感謝した。


 ヤシェトは一人離れたところにいる。

 いつもであれば普段爪弾きにされている分我先にと飛びつくヤシェトが、今は一人黙々と馬を歩ませている。

 険しい横顔はまるで数日でいくつも年をとってしまったかのようだ。




 山に入ってから二日目の晩のことだった。


 何かの鳴き声とこずえを揺らす風の音が、深い夜の闇を支配していた。月があるのに薄暗く、気味が悪いとはこういう状況のことだと深く感じ入る。

 森の中で過ごすことに慣れていない一行は、肌を裂くような平原の寒さとは異なり身にみるような森の寒さを感じて、体に幾重いくえにも着物を巻き付けて休んでいた。


 エザンは、眠れる気はしていなかったが、昼間の疲れを癒すために仮眠をとろうと目を閉じた。


 浅く眠るつもりでいたのに、いつの間にか意識を飛ばしていた。何もないうちにただ時間だけが消えたように感じた。


 肩を叩かれた。

 エザンは弾かれたように顔を起こした。


「エザン殿、そろそろ交替の時間だが、お疲れか? もう少し休まれるか?」


 小声で訊ねてくるオルティが苦笑していることに、月明かりで気づいた。

 エザンは慌てて首を振り、「面目ない」と答えた。


「む……薪が減っておるな」

「実は、エザン殿に少しでも長く休んでいただきたく、予定より遅く声をおかけした。その分俺が薪を多めにくべたわけだが」

左様さようか、かたじけない……自分が情けないな」

「仕方がない、俺とてできることならばエザン殿には遠慮なく休んでいただいて俺がずっと起きていると言いたいところだ。けれど、俺も山越えは初めてで、やはり少々心許ないのが本音だ」


 言われてから、オルティがアリムと同い年だということを思い出した。

 イゼカの戦士が最後に山越えを経験したのはいつのことだろう。その時、彼やアリムはいくつだったか。

 感覚的にオルティを自分たち側の人間であると思い込んでいたが、自分と彼より彼とナズィロフの方がずっと年が近い。

 思わず、「道理で俺も老けたわけだ」と呟いた。

 オルティは悪戯そうに笑って「今回の一件が片付いたら引退をお考えになったら如何いかがか」と言ってきた。

 エザンはオルティの軽口を叱れなかった。


「俺たちからすればエザン殿がいつまでも戦い続けてくださる方が安心だが、それではどうしても甘えてしまう奴がいる」

「自覚はあるのだな」

「我々がここまで大きくなり申したのも、頼りになる親父殿たちの汗と血の結晶にございますれば」


 それでも何となく老いを認めたくない気持ちが、エザンに「だが、タルハン殿に託された者たちを育て上げねば」と言わせた。

 けれどオルティは何のこともない顔で「今までも充分尽くしてこられたのでは」と言う。


「お前たちの目にもそう見えるか」

「エザン殿は毎日毎日族長族長族長だ」


 息子の友人にまで言われると、胸に来るものがあった。はたして息子自身はどう思っていたのか考え込んでしまう。


「早めに休みをとられたら良かろう。それに、長老会に入ってもまだまだ現役同様ご活躍なさるおきなもいる、そこのじじいのようにな」


 オルティがジガルを顎で示した。エザンは眠るおきなを一瞥した。


「エザン殿もそうなさればいい」

「黙って聞いておれば人を年寄り扱いしよって」

「何をおおせだ、俺の親父より年上のくせに。俺の親父に何人孫がいるかご存知か?」


 「と言いながら結局いい若い者が先に休むのはご了承願いたい」と言ってから、彼は横になった。


 オルティが間違ったことを言っているわけではない。かく言うオルティにもすでに子供が一人いる。立派なおとなの戦士だ。自分もいい加減アリムに家督を譲って隠居すべきかもしれない。


「あ、そう、エザン殿」


 横になったはずのオルティが、一度上半身を起こした。


「説教ならば聞き飽きた、寝ていいぞ」

「いやいや、伝えそびれたことがひとつ。先ほどヤシェトが小便と言ってここを離れた」


 言われてから、ヤシェトがいないことに気づいた。

 辺りを見回して立ち上がる。

 オルティは「そんなに心配せずとも小便だ」と言って頭から毛布をかぶってしまったが、今のヤシェトは普通の精神状態ではないのだ。

 もしこのままどこかへ行ってしまったら――


「エザン?」


 斜め後ろから声をかけられた。

 振り向くと、ヤシェトの方が驚いた目でこちらを見ている。

 杞憂だったらしい。


「何をしているんだ」

「それはこちらが聞きたい」

「ただ用を足しに行っただけだが……オルティに聞かなかったか?」

「あ、いや」


 真面目な顔で言われてしまうと、今度は心配していた自分が恥ずかしくなってきた。それこそ過保護をして彼を傷つけてしまいやしないかと思えてくるほどだ。

 そんなエザンの心情を、ヤシェトは汲んだようだった。


「別に、何もしない。皆でアルヤに行って、話をまとめて、アリムを取り返すまでは。おれは何もしないで、ただ黙ってついていくだけだぞ」


 そう言って苦笑するヤシェトの表情はやはり、突然大人になってしまったと思わせられるほど穏やかなものだ。


「だから、心配しないでくれ」

「ヤシェト殿……」

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