第2章 彼らもまた馬でやって来た

第6話 アルヤ王国の使節団

 アルヤ王国の使節団がイゼカ族を訪ねてきたのは、それから数日後のことであった。


 想像とは異なり、アルヤの男たちは、たった五人ではあったが、いずれも立派な体格の馬に乗っていた。

 五人の中でもっとも年かさだと思われる男に至っては、つややかな青毛の馬に乗っている。

 イゼカ族で育てている馬はアルヤ人たちの乗ってきた馬よりも一回り小柄だ。


 五人のうち、二人が文官、三人が武官のようだ。


 文官二人は、短剣を一本ずつ腰にさげているだけで、他に武具は持っていなかった。

 二人のうち一人が、先ほどの青毛の馬に乗った男だ。五人で一番年かさで、紅色の胴衣ベストを身につけ、頭に白い頭布ターバンを巻いており、蒼い生地に金糸の刺繍を施したたすきをかけている。

 もう一人は、三十路程度の青年で、深い緑の胴衣ベストを着、裾広がりの白い袴をはいていた。


 武官三人はいずれも同じくらいの年頃の若い青年だ。揃いの衣装、文官のうちの片方の着物に似た深い緑色の胴衣ベストを着て、やはり同じような色の筒袴をはいている。

 そしてそれぞれが大きな湾曲剣と小ぶりの短剣を腰に下げ、弓を背負っている。


 馬も立派だが、騎乗している五人も立派な体格をしている。三人の若い武官だけでなく、文官の二人も背は高そうに見えた。


 最初に五人を発見したのは、天幕ユルタの一群から少し離れたところで羊の放牧をしていた子供たちだった。子供たちが慌てて戻って広報したのである。

 その時その場にいた戦士が中心に集まり、女子供に天幕ユルタの中へ入るよう指示した。エザンも息子と婿を連れてその場に駆けつけ、少し遅れてやってきた族長一家を出迎えた。

 そして、緩やかな速度で揃えて馬を歩ませてきたアルヤ人たちを待ち受けた。


 五人のうち先頭を受け持っていたのは若い方の文官だ。残る四人はほとんど固まって来ていて、真ん中に年かさの文官を配置し、左右と後ろを武官たちが守っている。もっとも位が高いのは年かさの文官に違いない。


 イゼカの戦士たちが集まっているのを見つけると、彼らはまっすぐこちらにやってきた。


 戦士たちの間に緊張が走った。

 場合によっては一触即発だ。

 相手の兵士は三人、文官を入れてもわずか五人である。すぐ戦になるとは思えなかったが、それでも警戒を緩めることはできない。


 五人は馬を降りようとしなかった。

 先頭の文官がイゼカの戦士たちを見下ろした状態のまま声を張り上げた。


「我々はアルヤ王国国王ホルシドゥス二世陛下より全権を委任されアルヤ王国北部ショマール州より参ったアルヤ王国の使節団である!」


 予想に反して、文官はイゼカ族の皆が分かるチュルカ人の言葉で話し始めた。

 イゼカの戦士たちは顔を見合わせた。


「後ろにおわすのはアルヤ王国北方軍長官モラーイェム将軍より代任をおおせつかっているショマール州代官にしてショマール州シェミラナート市領主ネガフバーン様である! 丁重な歓待を要求する!」


 どうやら蒼いたすきの男の名前はネガフバーンというようだ。代官だの領主だの、エザンにアルヤ王国のまつりごとの仕組みは分からなかったが、とにかく、アルヤ王国の北部では実権を握っているらしい。


「我輩はネガフバーン様の家臣の子、名乗るほどの名はないが、ショマール州の官吏たるアルヤ人の父をもち、チュルカ人ケルクシャ族の出の母をもつ者である! よってアルヤ語もチュルカ語も解すがゆえ、通弁の務めをたまわった! しかれば貴様らも遠慮なくチュルカ語でお話しするがよい!」

「ふむ」

「して、ここがイゼカ族の族長の一団と見たが、確かか」


 タルハンが一歩前に出、「如何いかにも、我々がイゼカ族だが」と応じた。通弁が「左様さようか」と答えた。

 のち、後ろのネガフバーンとやらを見て、アルヤ語とおぼしき言葉で短く何かを伝えた。

 ネガフバーンが頷き、やはりアルヤ語とおぼしき言葉で通弁に何事かを告げる。

 通弁が短く返事をする。


「ネガフバーン様は首長との対談をお求めである! 首長は今すぐ前にでて名乗れ!」


 誰かが小声で「偉そうに」と呟いた。

 タルハンは片手を挙げてそれを制すと、静かに「私が族長のタルハンである」と答えた。

 通弁が「まことか」と頷き、タルハンを指しながら先ほど同様ネガフバーンにアルヤ語で伝える。

 ネガフバーンは、今度は比較的長い言葉を返した。


 耳慣れぬアルヤ語の響きに耳を傾ける。

 どんなことを話しているのかはまったく分からない。

 だが、体を鍛えることと武芸の腕を磨くことにしか興味を抱いてこなかったエザンの耳にも、歌うように美しく聞こえた。

 背の高い立派な馬といい、凝った胴衣ベストと袴の着物といい、アルヤ人というものは実に洒落た連中だ。


「ネガフバーン様は首長の家での落ち着いた会談をお求めである! こちらが五人であるゆえ、そちら側にも首長を含め最大五人までの同席を許可する! 首長タルハンは残り四人を選んだのち、他の兵士たちを解散させるように!」


 タルハンはすぐに「承知した」と答えた。そして後ろを振り向き、「まずニルファル、そしてエザンとアリム、来てくれるか」と言ってきた。

 タルハンのすぐ後ろで緊張のあまりか拳を握り締めていたニルファルが、赤い頬のまま元気良く「はいっ!」と返事した。エザンもすぐさま「応」と答えた。エザンの隣でアリムも「承知」と頷く。


「して、最後の一人だが――」


 その時だ。


「承知できぬ」


 タルハンの脇から前に出てきた者があった。

 エザンは目を丸くした。

 出てきたのは、不愉快そうに顔をしかめたヤシェトだった。


「ヤシェト」


 タルハンが低い声で名を呼んだ。

 だがヤシェトは振り向かなかった。彼はまっすぐ通弁とその後ろのネガフバーンを睨んでいた。


「貴様何奴」


 通弁の問い掛けに、ヤシェトは「貴様なんぞに名乗る気はない」と答えた。

 ネガフバーンの左右に控えていた武官二人が前に出、剣の柄に手をかけた。


「ヤシェト殿!」


 エザンは慌ててヤシェトの後ろについた。

 腕をつかんだがすぐに振り払われる。

 こちらを振り向こうともしない。

 考えていた最悪の事態が脳裏をぎっていく。

 エザンの背中に冷たい汗が流れた。


「人に頼み事をする時は馬からも降りずに命令口調で言うのがアルヤの流儀か? 弱い犬ほど吠えるとはよく言ったものだな。我々とて貴様らのような無礼者どもの相手をするほど暇ではない、とくとね」


 通弁が眉をひそめた。

 ヤシェトはそんな通弁に向かって「今のをそのまま後ろの偉そうな親爺に伝えろ」と吐き捨てた。


「馬鹿者!」


 タルハンが怒鳴る。ヤシェトの肩が一瞬だけ震える。


「かたじけない、今のは息子の勝手な言い分であり我々の総意ではない」


 焦りが滲んだタルハンの言葉に、通弁が「この小僧は貴様の息子か」と応じる。


如何いかにも。されどまだ世を知らぬ若造、大目に見ていただきとう――」


 だが、タルハンの言葉を遮って、ヤシェトが「情けない!」と怒鳴った。


「親父はここまで馬鹿にされて恥ずかしくないのか? イゼカ族を虚仮こけにしているのだぞ!? 見下しやがって、こやつらイゼカの戦士たちの長を何だと思っておるのだ」


 タルハンは「父はそのようなことなど思うておらぬ」とたしなめた。


 しかし後ろの方から、「そうだそうだ」と囃し立てる声が聞こえてきた。


 驚いて振り向く。

 まだ十代半ばから二十代前半の若い戦士たちが固まって前へ出てきている。


 まずいと思った。彼らはイゼカの戦士たちの中でも血気盛んな連中だ。一部はヤシェトの取り巻きでもある。


「何ゆえ族長はかように弱腰なのだ!」

「礼を知らぬ異人どもの求めに応じる必要があるか!?」


 年かさの戦士たちが「馬鹿者ども、静まれ!」と若い衆を怒鳴った。

 だが、彼らはとどまらない。ヤシェトの「このような辱めは耐えられぬ! アルヤ人どもに屈するなっ!」という言葉に応じて、一斉に剣を抜き、勝ちどきを挙げた。


 通弁がネガフバーンに話し掛けていた。きっと場の状況を説明しているに違いない。

 タルハンが「待ちたまえ」と訴えるが通弁が言葉を止めることはない。


「イゼカ族の代表はこの私、私には貴殿らの求めに応じる構えがある」


 ネガフバーンが眉を吊り上げて怒鳴った。

 アルヤ語なので何を言ったのか分からなかったし、さほど恐ろしいとも思わなかったが、それでもこの状況ではと思うと、エザンは手が震えた。


 通弁が高らかに言った。


「我々は貴様らにそう悪くない話を持ってきたつもりでおったが、かようなやり方で歓迎されてはまともに対談する気も起こらぬ」

「しかし――」

「されどネガフバーン様は寛大なお方である! 貴様らのしつけのなっていない息子どもの無礼も大目に見てやるとおおせである! 日を改めてもう一度赴かれるとのこと、その際には早馬で先触れを出す、よって小僧どもを控えさせ宴を用意して待つように!」


 タルハンの手がヤシェトの頭をつかんで強引に頭を下げさせた。ヤシェトは「クソっ」と抵抗したがタルハンは許さない。ヤシェトの隣で同様に頭を下げ、「かしこまり申した、改めてお受けする」と言う。

 エザンはタルハンに頭を下げさせたことが悔しかった。けれどこうなってしまっては仕方がない。震える拳を抑えながらともに頭を下げた。

 後方からは案の定「なぜそのようなことを」「そんな奴らに屈するのか」という怒声が響いた。しかし構っていられない。


「なお、イゼカ族は今までに訪れたチュルカの部族でもっとも野蛮な部族であると心得た! こちらも次はそのつもりで用意してくる、覚悟しておれ!」


 若い衆が一気に押し寄せてきた。

 それを年かさの戦士たちが全身で押さえた。

 若い衆が「止めてくれるな」「あやつらを成敗してくれる」と叫ぶが、父親たちはけして応じない。


 エザンが次の対応を考えているうちに、ヤシェトがタルハンの手を振り切った。ヤシェトはエザンの手もまた外すことに成功した。


 ヤシェトの右手が腰に下げられていた剣の柄に伸びる。

 タルハンが「ヤシェト!」と怒鳴って追い掛けるが、若くて身の軽いヤシェトには届かない。


 エザンは血の気が引くのを感じた。

 アルヤ人の武官二人がとうとう剣を抜いた。


「ヤシェト殿!!」


 手を伸ばした。

 届かない。

 このままでは戦になる。


 武官二人が剣を振り上げる前に、ヤシェトを横から突き飛ばした者があった。

 アリムだった。


「離せッ!!」


 アリムは「離すか」と言うと、ヤシェトの手首を地面に叩きつけて剣を離させた。

 エザンはまだ自らの鼓動が速いままなのを感じながら二人の傍へ寄り、アリムに「よくやった」と労いの声を掛けた。そして、一緒になってヤシェトを地面へ押さえつけた。


「父君がどのようなお気持ちでおわすか少しは考えなされ!」


 ヤシェトは「うるさい臆病者」と切り返した。


「貴様らはこのような辱めを受けて何とも思わんのか!?」


 直後、タルハンが大声で怒鳴った。


「そのような次元の話ではない」


 いつにない族長の声量に驚いたらしい。一同が静まり、皆が皆タルハンに注目した。


 タルハンは、静かな足取りで前に歩み出ると、両手を合わせて地面に膝をつき、深々とこうべを垂れた。


「息子の軽挙妄動たいへん失礼し申した。何とぞお慈悲を垂れたまえ」


 アルヤ人たちはそんなタルハンを冷ややかな目で見ていた。武官二人は相変わらず剣を構えたままだ。


 そのうち、今までどこに隠れていたのか、タルハンの隣にニルファルが出てきた。父と同じように膝をつき、「お許しを」と訴えた。

 少し遅れてナズィロフも現れた。ニルファルの隣で膝を折り、「失礼致しました」と頭を下げた。

 タルハン、ニルファル、ナズィロフを見て、ヤシェトはエザンの下で「何をしている」と怒鳴った。

 だが、三人ともヤシェトを振り向くことはなかった。


 アルヤ人たちはこちらを一瞥すると、真ん中のネガフバーンが馬の鼻先を返したのを皮切りに、一人ずつ元来た方へ戻り始めた。最後に二人の武官が剣をしまってゆっくり移動を始めると、一応徐々に静寂が戻ってきた。


 平穏の方はついぞ戻ってこなかった。

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