第3話 ティズカ族から届いた文

 族長の天幕ユルタに入ると、嫌な熱気がエザンを包んだ。

 顔をしかめてから中を見渡す。

 厚い革で密閉されている空間に男たちが所狭しと座っている。


 集っている面々はいずれも濃緋や朱に染めた布に金糸や銀糸で刺繍された服を着ていた。

 この色の取り合わせを着ているということは、全員イゼカ族の支流に当たる氏族の代表たちだということだ。

 それぞれの長や名のある戦士が各二、三人ずつ、およそ四十余りが、緋毛の絨毯に座している。

 物品や情報を交換するため定期的に会う者もある。先日のナズィロフとザリファの婚儀で久しぶりに会った者もある。うち何人かは、十年前の大旱魃かんばつのおりに山越えの略奪行をして以来だ。


 エザンには、彼らが突然老けたように思えた。

 知らない顔もある。誰かの跡取りに違いない、ひげの生えぬ若者が数人交じっている。


 エザンが驚きを隠さぬ顔のまま面々を眺めていると、眺められている側もエザンに気づいたようだ。「エザン殿か」「久方ぶりだな」と素っ頓狂な声を上げた。

「驚いた。額が広うなったな」

 エザンは苦いものを感じた。老けたのは彼らだけではないのだ。

 加えて、一歩後ろを、十年前には留守番させていたアリムが、当たり前のような顔でついてきている。エザンも跡取りを連れて集った老戦士たちと何にも変わらない。


 族長のタルハンは一番奥に座していた。

 薄暗い天幕ユルタの中、その険しい表情が脂を燃やす明かりで浮かび上がって見える。

 タルハンの隣に座っているのは、ティズカ族の旗と同じ紋様の刺繍が施された服の青年だった。彼が族長の文を持って来た使者に違いない。


 タルハンが顔を上げ、こちらを見た。

 ただならぬ空気に圧倒されたのだろうか、タルハンの息子たちは黙って父親を見つめ返した。

 エザンはそんな三人の背中をそれぞれに押してから、「お父上の傍に控えなされい」と囁いた。イゼカの将来を担う三人だ。イゼカ族全体に関わる重大な話があるというのなら、彼らはタルハンの傍で話を聞かねばならないだろう。


 ナズィロフが振り向き、頷く。そして率先して父のもとへと歩き出す。

 ニルファルも長兄に続いて、男たちの邪魔にならぬよう幕に沿って迂回しながら進んだ。

 最後にヤシェトが落ち着かない足取りでついていった。


 エザン自らは出入り口のすぐ傍に腰を下ろそうとした。

 周辺に座っていた青年たちに「エザン殿は上座へ」と言われてたじろいだ。自分はまだ上座に行くような長老級の人間ではない。すぐに「俺はここで充分だ」と答えた。


 間髪入れずにタルハンの声が聞こえた。


「エザン、こちらに来てくれぬか」


 タルハンに言われては逃げられない。結局三兄弟に連なって座ることになりそうだ。

 いささか心もとない。戦士であり戦士でしかないエザンは、部族の会合で意見を求められるのが苦手だ。


「では、話を始める」


 タルハンが告げると、一同がタルハンの方を向き、かしこまって沈黙した。


「まずは皆の者が急な報せに関わらず参集してくれたことに感謝を申し上げる。中には先日我が息子ナズィロフの婚儀に参列し自らの部隊に戻ったばかりの者もあろう。我が同胞の結束の固さをたいへん心強く思う」


 タルハンが両手を合わせて深く頭を下げた。

 隣に座っているナズィロフも同じようにしたのを見て、ニルファルも同様に首を垂れた。ヤシェトも最後に慌てて礼をした。

 一同が黙って礼を返す中、エザンはひとり、ヤシェトの振る舞いに溜息をついた。


「遣いに話を聞いているかと思うが、此度こたびの招集はこちら、ティズカの戦士ハバシュ殿の求めに応じたものだ」


 タルハンに紹介された青年が、タルハンとその息子たち、向き合っているイゼカの戦士たちにそれぞれ頭を下げた。


「ただ今イゼカの戦士の偉大なる長タルハン様のご紹介にあずかったが、改めて名乗り申す。それがしは、ティズカが戦士の一人、名をハバシュと申す。ティズカの族長の第一子、タルハン様の甥であり次期族長イマンの兄でござる。よろしくお頼みし申す」


 彼はその後、「ナズィロフ殿におかれては、このたびご成婚とのこと、まことにおよろこび申し上げる」と言った。

 ナズィロフは「それは自分の私的なこと、お構いなく本題を話されよ」と返した。

 ハバシュは「ありがたきお言葉、祝辞はいずれ事が収まり次第させていただき申す」と頷いた。


「先ほど某が持参した族長の手の文をタルハン様にお渡しし申した。中身は弟も読み了承しておるもの、ティズカ族の総意であるとしてお聞き願いたい」


 重々しい口調で述べたのち、タルハンの方を向き、「では」と声をかけた。

 タルハンが「うむ」と頷き、脇に置かれている文を手に取った。

 広げながら「皆の者、今から読むので、よくよく聞いていてほしい」と言う。


「前置きは割愛させていただく。本文から入るぞ」

「応」

「先日奇妙な客人が訪ねて参り申した。言葉の通じぬ奇妙な客人は通弁を連れており、その通弁を介して話を頂戴したところ、アルヤ王国の使者であるとのおおせにござった」


 小さなざわめきが起こった。エザンも眉をひそめた。


「アルヤの使者は驚いたことに我がティズカ族にアルヤへ下ることを求めている模様」

「何だと!?」


 ヤシェトが立ち上がり怒鳴った。

 エザンがヤシェトの手首をつかんで引き、「静まりなされ」と言ってどうにか座らせた。

 だが、それを皮切りに他の戦士たちも「どういうことだ」と騒ぎ出してしまった。

 タルハンが「まだ続きがある」と言うと一応皆座り直したが、場の緊張は高まってしまってすぐには落ち着けそうにない。


 タルハンが文の続きを読み始めた。


「客人曰く、ケルクシャ族はすでにアルヤに下ったとのこと。同じくテュルキア族とキズィファ族も時の問題であろうとのこと」


 今度はその場にいた戦士の半分ほどが立ち上がった。それぞれが口々に「まさか」「信じられぬ」と叫んだ。


 エザンは黙っていたが、彼らの気持ちは分からないでもない。

 ケルクシャ族、テュルキア族、キズィファ族のいずれもイゼカ族やティズカ族に劣らぬ勢力だ。簡単に攻略される連中ではない。特にキズィファ族は幾度も戦火を交えてきた相手だ。イゼカ族が祖父のさらに祖父のそのまた祖父の代から戦い続けている相手がどこぞにやすやすと下るのなど想像もできない。


「むろんそれがしはそう簡単に膝を折れぬと申して、丁重に断りを入れ使者にお帰りいただき申した。使者はいずれふたたび訪ねてくること、それまでよくよく考えておくことを言い残し去っていった」


 男たちが「そうだそうだ」「当たり前だ」と怒号を飛ばして騒ぐ。

 タルハンは涼しい顔で淡々と続きを読み上げる。


「使者が帰ったあと、ケルクシャ族、テュルキア族、キズィファ族にそれぞれ使者を出し申した。しかし戻ってきた使者の様子をかんがみ、我が義弟にこの状況をお伝えすべく筆をり申した。我が身は病床にあり思うように動けぬ。息子イマンも年若いがゆえ初めてのことにタルハン殿の助言を賜りたいと申しておる。何とぞ良きお言葉をくださるようよろしくお願い申し上げる」


 そこまで読み終えると、タルハンは文をたたんで「以上」と言った。


 戦士のうち一人が、「ケルクシャやテュルキア、キズィファにやった使者は何と言っていたのか」と大きな声で訊ねた。

 それまで黙っていたハバシュが、「そのことについて今から説明し申す」と答えた。


「某がこの文を持ってった時点での話だが、ケルクシャ族とテュルキア族にやった者は戻って参り申した」

左様さようか。如何いかなる様子で?」


 ハバシュが言いにくそうに顔を背ける。


「やはりケルクシャ族はアルヤに下ったとのこと」

「なに!?」

「冗談は言うなッ!」


 とうとう全員が立ち上がってしまった。中にはハバシュにつかみかからんとした者まで出た。


「静まれ!」


 タルハンの一喝が響いた。

 それまで穏やかだった、普段は温厚な彼から出たものとは思えぬ声の様子に、一同が静まり返った。

 それぞれが納得のいかない顔をしながらもふたたび座り込んだ。


 圧倒されたのかハバシュもしばし沈黙していた。

 タルハンがそのうち何事もなかった顔で「して、ケルクシャ族の状況は如何様だったと?」と訊ねたので、「あ、ああ」と我を取り戻し続きを話し始めた。


「ケルクシャ族はもとよりアルヤに近いところで生活していた部族、彼らはアルヤとの付き合い方を知っており申す。また同時にアルヤ王国軍の急激な増強に怯えており申す。早く膝を折ったがゆえ、戦士たちに当番制の労役が課された他は何事もなく暮らしているとの報せでござった」


 戦士のうちの一人が「腰抜けめ」と吐き捨てた。ヤシェトもそれに乗じて「そうだ、戦わずして負けを認めるとは」と言った。

 だがタルハンが「黙れ」と言ったのでそれまでだ。


「テュルキア族に向かった者が申すには、テュルキア族はアルヤへ下ることを拒み、アルヤ軍と交戦した模様」


 戦士たちがざわめいた。しかし戦の話となれば別なのか特別怒声を上げる者はない。


 ハバシュが話を続ける。


「それが驚いたことに、壊滅状態でござったと」

「テュルキア族がか」

「多くの怪我人を抱えて困窮していたと聞き申した。ただし、テュルキア族の族長は、アルヤに敗北しアルヤのものとなったがゆえ、以後の支援はアルヤより受ける、ティズカ族まで巻き込まれることはない、とおおせだそうだ」

「それはまことか」

如何いかにも」

「では、キズィファ族は……?」


 その問い掛けには、ハバシュは首を横に振った。


「使者がいまだ戻らぬゆえ、如何いかなる状況であるかは……」


 天幕ユルタの中が沈黙に支配された。唯一ハバシュだけが「我々も如何いかにすべきか対応に苦慮しており申す」と苦々しげな声で続けた。


「ケルクシャ族とテュルキア族がアルヤ王国に下ったとなれば、次にアルヤの餌食となるのは我らがティズカに他ならぬ。されど戦士たちはイゼカの皆々様のご支援で得た長きにわたる平穏に慣れ、父は病にし、弟はまだ数え二十の若輩、それがし自身もろくな戦を経験しておらぬ有様。当然ティズカの誰もアルヤの奴隷になりとうござらぬ。しかしそのためには、イゼカの戦士たちの御知恵とご経験にすがるよりない。何とぞ良きお言葉を賜りたい」


 そこまで述べると、ハバシュは、床に手をつき、深々と頭を下げてみせた。

 エザンは眉根の皺を深くした。

 息子と年の変わらぬ青年にこうもされては一つ返事で応と言ってやりたいものだが、さて、どうしたものか。

 ケルクシャ族を吸収し、テュルキア族をわずかな間で壊滅させた新しいアルヤ王国軍を、エザンは知らない。アルヤ人と刃を交えたことは一度もない。アルヤ人の知り合いも一人としていない。知っていそうな友好関係にある部族のケルクシャ族はアルヤに下ってしまった。

 ティズカ族に加勢してやりたくても、自分たちの暮らしもある。


 タルハンが口を開いた。


「ハバシュ殿、おもてを上げられよ」


 その言葉に応じて、ハバシュが顔を上げ、タルハンの方を見た。

 タルハンはやはり、いつになく険しい顔をしていた。


「これからここにつどった戦士たちと協議をしてイゼカは如何いかに動くか決めようと思うが、姉も今なお世話になっており、自分も若い頃はハバシュ殿の父君に薫陶を受けて育ったものだ。けして悪い返事はせぬつもりでおる、あまり案じなさるな」

「タルハン様」

「それに、ティズカだけの問題ではない」


 エザンは拳を握り締めた。


「ティズカに万が一のことが起きた場合、次に狙われるのは我らであろう」


 まったく他人事ではないのだ。


「自分はこのアルヤ王国からの使者とやらが近いうちにここも訪ねてくるのではないかと思うた。その時にイゼカは如何いかなる返事をすべきか、今のうちに考えておかねばならぬ」


 ハバシュが「確かに」とかしこまった様子でうつむく。

 タルハンが文を握ったまま息を吐いた。

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