将暉は手紙を読み終えると笑いながら言った。

「…長ったらしいくだらねぇ手紙よこしてんじゃねぇよ馬鹿野郎が…。くそなんで昔の俺に諭されてやがるんだ俺は」

彼はぶっきらぼうに妻にくしゃくしゃになった手紙を渡した。

「なんだ…そういうことだったのかよ。俺は今の科学をかつての宗教のようだと偏狭的に見ていたのか。科学に依存し、縛られている生活に、『人としての本質がおかされている』なんて考えてやがっていたんだ。さながら宗教はいらないと語る友人のごとく、科学を悪と考えていやがったんだ。けどその考えは科学が母体であるって考えない限りは生まれない考えだ。俺は何を勘違いしてやがったんだ…科学は土壌じゃぁねぇか。科学が世の中を支配しているんじゃねぇ。科学があって人はそこに立ってるだけじゃねぇか。科学は人が作ったものだ。人として間違っているものを含んで当たり前だ。科学は人類の安定性を生み出している概念上の存在なんだ。なにも人類一人一人が全員科学にかかりっきりになる必要はねぇんだ!!」将暉はまるで神の意志に動かされたように、言葉を、そして自らの過去と今を、綴り続けた。

瑠奈は夫が興奮して難解な言葉を、長い独白を、紡ぎ続ける様子を見て、自分に「かもめ」のアルカージナを、夫にニーナの姿を重ねてみた。

『まるでデカダン調ね』そう言ってニーナを揶揄していた。この時、瑠奈は自分がアルカージナであることを恥じていた。彼の瞳を瑠奈は見ていたからだ。彼の瞳に見えたものは「戦う意志」であった。彼の顔に映る表情には、憐憫も、悲痛もなかった。そこにあるのは、砂場でトンネルを作り喜んでいる子供のような、無邪気な笑顔であった。

瑠奈には分らなかった。彼の言葉とその表情のつながりが。

彼の言葉を理解するために、彼女は受け取った手紙を開き、一文字一文字余すことなく読んだ。

「なんだよ、将暉。また例の病気か?相変わらずお前は哲学的に言葉を並べるのが好きだな。奥さん引いてんぜ」

湊の言葉にはっと気づいた将暉は、自らの感情を吐露するあまりにその場に瑠奈の存在がいることを忘れていた。

将暉は瑠奈に振り返った。瑠奈は手紙をじっと見ていた。

「いいえ、湊。私はただ夫の言葉がすぐにわからなかっただけよ。ちょっと待ってて。今手紙を読み終えるから」

湊は二人の様子に何かを感じた。

「将暉、何かあったのか」

「あぁ娘のことでちょっとな…でもお前が渡してくれた手紙のおかげで答えは見つかった」

「?それってどういうこ…」

「相変わらずわかりにくいことをくどくど語っているわね昔のあなたも。私を置いてきぼりにして勝手に自分だけで結論付けないで頂戴」

湊の言葉を遮るように、瑠奈は強い口調で将暉を詰った。

「瑠奈。悪かった。明日、愛梨のもとにいくのはやめだ。今から…」

「電話するんでしょ?」

将暉は妻の言葉に胸を衝かれた。

「あなたは娘にかけるべき言葉を見つけた。そうでしょ?」

「瑠奈…」

「あなたは手紙を読んで過去の自分を取り戻したんでしょ?何事にも諦めることなく、簡単に結論付けることに戸惑いを感じていたあの頃を思い出したんでしょ?だったらそれを娘に伝えなさいよ。」

「あ、ああ…」

「?何よ私があなたの手紙を理解したことがそんなに驚くこと?なんたって30年来の付き合いなんだから。真面目に馬鹿正直に行動するあなたに私が惚れたのよ。あなたのことは私が一番分かっているんだからね」

いつの間にか将暉と瑠奈は同じ律動の中にいた。

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