俺は科学者だった。科学者であるのに、科学に飽きを感じていた。

俺らの親世代では身近なものとして携帯やインターネットが存在していなかった。30年前にはなかったものが、やがて人間の日常生活に付随していた。しかしそれも過去の話。今となっては多大な情報に管理される時代となった。かつては情報の豊潤さに喜びを感じ、自らの利となる選択肢の多さが増えたことを享受していた。

「俺たちはあの頃から勘違いしていたのかもな…」

「え?何を」

「いや独り言だ」

今日は俺の娘の出生前診断の日であった。妻と歩いている最中でふと独り言を呟いてしまった。

「何よー勘違いって。私のことを言ってるの?」

「違う違う。くだらないことさ」

「どういうこと?一体何よ?」

「今日の診断のことさ。昔に比べて医療は進んであらゆる検査が正確性を増してやがる。」

「あなたがそういう言い方するってことは…あなたはそれが気にくわないのね?今日の診断と勘違いがどうリンクするか教えてもらいたいわ」

妻は俺に近づきながら真っすぐと俺の瞳をみた。

彼女には今も前もかなわないな、と変わっていない彼女の生き様を微笑ましく思った。

昔から彼女はいい意味で強気であった。人の話に分からないことがあったらわかるまで真摯に聞く、悩んでいる人がいるならその人と苦しみの感情を分かち合う、そんな優しくて面倒見がいい人であった。

俺はそんな彼女に魅了され、付き合い、そして結婚した。

「正確すぎるんだ。その診断情報で俺たちの孫がどう産まれるかわかっちまう。そして娘はそれを聞いて産むか産まないか決断を迫られる。選択肢なんか診断でもう定まっているに等しいのによ…」

「…そうね。でも母親としては子供が無事に生まれてくるか確認したいのは事実よ。難しい問題ね…」

彼女が言葉をかみしめたことをみて、俺は言葉を続けた。

「俺たちが学生の頃はまだ情報に不確定性・不確実性があった。みんなが情報を、知識を、技術をもらえることに喜んでいた。しかし今はどうだろうな…今はもうそいつらに人間が管理されている時代じゃねぇか?俺は思うんだ。もしかしたら俺たちが若い頃からすでにその片鱗を科学は見せていたんじゃないかって、俺たちが鈍感で気づいていなかっただけなんじゃぁねぇかってな」

「だから、勘違いなんていったのね」

「そうだ。間違っても結婚相手でお前を間違ったなんて言わないさ。俺のことを一番わかってくれる俺の一番の伴侶なんだからな」

「まぁ。お世辞がうまいことね」

彼女は赤面した。しかし徐々に沈痛な面持ちに変化していった。

「皮肉なものね。科学者であるあなたは今じゃ科学の批判ばっかり。昔のあなたはもう少し違っていたわ」

「どういう風に違っていたっていうんだ?」

彼女は意味ありげに含み笑いをした。

「それは私もわからないわ。それはあっちに行ってからみんなが教えてくれるんじゃない?」

今日は、約三十年ぶりの同窓会の日でもあった。扉を開くと序曲プレリュードが始まっていた。

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