水泉動その四 寛右の詭弁
翌朝早く三人は島羽を発ち伊瀬へ向かいました。ほとんど口を利かずただ先を急ぐだけの道中。伊瀬に入った後は門前町に寄る事もなく斎主宮へ直行しました。
「私は謁見を許されておらぬ。同行はここまでにしよう。二人とも、武運を祈っているぞ」
中院御殿の前で毘沙姫から聞かされた戯言に頬が緩む寛右と友乗。これから臨むのは戦いの場ではなく話し合いの場なのです。武運などあっても邪魔なだけで何の役にも立ちません。
「武運は毘沙姫様が持って行ってくだされ。我らには必要無きものです」
「んっ、必要無いのか。ならば武運尽きる事を祈っているぞ」
「いや、それもどうかと……」
「ははは、冗談だ。私はここで寝ながら待っていてやろう。果報は寝ていなければやって来ないからな、わははは」
毘沙姫は笑い声と共に中院御殿へ入って行きます。あの日雁四郎が恵姫たちを待っていた
案内の女官に従って内院へ入り斎主御殿控えの間へ通される寛右と友乗。供された一杯の茶を飲み干す暇もなく呼び出しが掛かりました。斎主もまた二人同様、このような謁見は早く終わらせてしまいたいのでしょう。
「こちらでございます」
女官の指示に従い斎主御殿謁見の間に入る二人。下段の間で平伏すると、上段の間にある御帳台から柔らかいながらも威厳を感じさせる声が聞こえてきました。
「寛右、友乗、よく参られました。会えて嬉しく思いますよ」
「ははっ。伊瀬の斎主様に謁見を賜り恐悦至極に存じ奉りまする」
気合の入った寛右の挨拶が可笑しかったようです。御帳台からは静かな笑い声が聞こえました。
「それではさっそく本題に入りましょうか。恵姫、雁四郎、両名の処罰についてどのような申し入れをしたいのですか」
単刀直入に用件を切り出してきた斎主。余計な無駄話を省いてさっさとこの謁見を終わらせたいのです。寛右は一呼吸置いた後、思うところを話し始めました。
「此度の恵姫様、雁四郎、両名の振る舞いは誠に無礼千万なものであった事、弁解の余地もございません。しかしながら恵姫様は我が身を顧みぬほどに家臣を大切にされるお人柄。比寿家に多大な貢献のある与太郎殿を見捨てる事などできようはずがなかったのです。しかも既に姫にとっての命とも言うべき黒髪を断たれておりますれば、それにて罰は終わっていると見なしてもよいのではないでしょうか。速やかに間渡矢へ帰していただきたく思います」
寛右はここで一旦言葉を区切りました。斎主の反応を見たいのです。やや間を置いて御帳台から声が聞こえてきました。
「恵姫に関して、そなたたちは少々勘違いをしているようですね。留め置いているのは罰の為ではありません。現に黒姫や才姫も間渡矢には戻っておりませんでしょう」
「それでは何故に斎主宮に留め置かれているのですか」
「ほうき星です。与太郎が来ぬと決まった以上、私たちだけで解決せねばなりません。その為には神器持ちの姫の力と知恵が必要になりますからね」
毘沙姫の言葉通りでした。それならばどんなに遅くとも立春を過ぎれば間渡矢に戻って来るはずです。安堵した寛右は再び一呼吸置くと、最大の難所である雁四郎の処分について述べ始めました。
「恵姫様については了承致しました。されば雁四郎に関しても情状を酌んではいただけませぬか。斎主宮内院での抜刀が死罪に当たるのは重々承知致しております。しかしながらこれはあくまでも主を守らんとする忠義心によって為された所業。己に与えられた使命を全うせんが為の振る舞いなれば、雁四郎に警護のお役目を与えた我ら役職者にも責任の一端が存すると言えましょう。比寿家からは出来得る限りの謝罪と償いをさせていただく所存なれば、何卒雁四郎の罪一等減を御願い上げ奉りまする」
「それはできません」
寛右の言葉が終わるや、間髪入れず斎主の冷たい声が返ってきました。
「これは斎主宮が定めた掟。斎主の私といえどもこの掟を勝手に変える事はできません」
「斎主宮の掟とは如何なるものなのでしょうか。今一度お教えください」
「理由の如何を問わず内院での抜刀は死罪。武家にも同じ掟があるはずです。気の毒ですが雁四郎の件は諦めていただくより他にありません」
「恐れながら申し上げます」
斎主の言葉が途切れるや、今度は間髪入れず友乗が言葉を発しました。
「我が松平家からも雁四郎の減刑をお願い申し上げます。江戸における姫衆と公儀の和解は、老中正武様の後押しあればこそと伺っております。我が当主乗里様は正武様と懇意の間柄。正武様が姫衆に好意を示されたのは乗里様の御尽力あってこそでございます。この功績に免じて雁四郎に恩赦を賜る事はできませぬか。掟に従って死罪を言い渡し、恩赦によって罪を減じたとすれば、形の上では何の問題もないと考えまする」
友乗の話が終わっても斎主の返答はありませんでした。示された提案に心が動かされているのです。しかし、しばらく後に返って来た言葉はやはり冷たいものでした。
「残念ですが乗里の貢献は恩赦を与えるほどのものではありません。老中正武は元々姫衆には好意的な考えの持ち主。乗里が居らずとも後押しはしていただけたものと考えます。友乗、此度の件に関し松平家に不利を及ぼさぬようにと公儀には伝えてあります。安心なさい」
比寿家の為ではなく松平家安泰の為に口添えを引き受けたかのような斎主の物言いに、いつもは温厚な友乗も渋い顔になりました。けれども心の底ではひとまず安心していたのです。それは松平家を預かる身としては当然の感情でした。
「二人とも、申し入れは終わりましたか。それでは謁見はこれで終わりに致しましょう。雁四郎の処罰についてはまた後日……」
「お待ちください、斎主様」
話を遮って寛右が言葉を発しました。滅多にない寛右の無礼な振る舞いに驚く友乗。しかし斎主は気に留める様子もなく平然と問い返します。
「まだ、何か言いたい事があるのですか、寛右」
「はい。先ほど斎主様は、内院で抜刀すれば死罪、と仰せられました。ならば雁四郎は死罪ではありません。抜刀しておらぬからです」
斎主は勿論、横に座る友乗も寛右の言葉が理解できませんでした。すぐに寛右を諫めます。
「寛右殿、雁四郎は刀を抜いたのです。毘沙姫様もそう仰られていたはず。今更何を申される」
「いや、雁四郎は刀を抜いてはおらぬ。抜いたのはただの鉄の棒でござる」
「寛右殿……」
友乗は絶句しました。常に理路整然と物事を進める寛右が、遂に詭弁を弄し始めたのです。これほどまでに此度のお役目に重圧を感じていたのかと、友乗の顔に憐れみの色が浮かび始めました。
「寛右、見苦しい物言いはおやめなさい。刀を棒に言いくるめようなどと、厚顔無恥にも程がありましょう」
「いえ、間違いなく刀ではないのです。お疑いならばここに雁四郎の刀を持って来てはいただけませぬか。刀剣に詳しい者に検分させれば某の言葉が正しいとすぐに分かります」
一歩も引こうとしない寛右の態度を見て、斎主は要求を飲む事にしました。しばらくして雁四郎の本差と脇差を持った女官が謁見の間に入ってきました。
「ここは内院なれど検分の為とあらば仕方ありません。刀を抜いて改めなさい」
「はい、それでは」
武具の扱いに慣れた女官なのでしょう。物怖じすることなく雁四郎の桜色の刀を抜き、その刃を改め始めました。やがて、
「こ、これは……」
驚きの声を上げる女官。御帳台の中に居る斎主も異変を感じたのか、いつになく訝し気な声で尋ねました。
「どうしました。刀に何かありましたか」
「は、はい。刃引きされているのです。これでは刀とは言えませぬ」
「刃引き……」
困惑した斎主の声。二人の遣り取りを聞きながら、これからが正念場と気を引き締める寛右ではありました。
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