閉塞成冬その四 飛入助、江戸を発つ

『なんだか大変な事になっちゃったなあ』


 迂闊に江戸の雀と関わりを持ってしまい、これは少々早まったかなと後悔し始める飛入助。間渡矢を発つ時、島羽まで付いてきてくれたちゅん太郎にこんな事を言われていたのです。


「飛入助の旦那。あっしも江戸までお供をしたいのですが、さすがに一緒に船に乗せてくだせえとは言い出せやせん。島羽までしか付き添えねえこの不忠義者を許してやってくだせえ」

「不忠義なんて事ないよ、ちゅん太は忍との戦いで頑張ってくれたし、こうして島羽まで来てくれたんだ。それだけで十分だよ」


 飛入助に褒められて満更でもないちゅん太郎、話を続けます。


「ひとつ覚えておいてくだせえ。江戸の雀は武家の味方。ほとんど例外なく姫衆を嫌っておりやす。飛入助の旦那はお福さんの神器。それを知られれば江戸の雀は飛入助の旦那を目の敵にするはず。己の素性は知られぬよう注意なさってくだせえ」


 それがちゅん太郎の忠告でした。今、目の前にいる鈴姫も老雀も、自分が比寿家にゆかりの雀だと知らずに「婿に入ってくれ」などと言っているはずです。

 さりとてここで正直に自分の身元を明かせば、


「よくも我らをたばかったな。初めからそのつもりで鈴姫に近付いたのであろう、この汚らわしい姫衆雀め。許せぬ、者ども此奴を引っ立てい」


 と、逆切れされそうな気もします。なにしろ相手はあの柳沢吉保から白米を与えられている雀なのです。姫衆嫌いは骨の髄まで染み込んでいるはずです。


「勿論、引き受けてくだされますな。飛入助殿。我ら江戸城に住まう御城雀は公儀雀とも呼ばれ、江戸のみならず全ての領国の雀をひれ伏させる力を持っておる。そのような雀の一羽になれるのだ。断る道理などなかろう」


 老雀は頭から決めてかかっています。飛入助は迷いました。育ての親の恵姫を見習って作り話でこの場を切り抜けるか。捕縛されるのは覚悟の上で正直に話すか。


「あの、実は……」


 結局飛入助が選んだのは後者でした。これまでの経緯をありのままに説明したのです。自分は志麻国間渡矢領主比寿家の一人娘、恵姫に命を助けてもらった事、そこに奉公している女中お福の神器である事。姫衆の登城に合わせて城に来て、偶然鈴姫を見掛けた事などなど。

 話が進むうちに老雀の表情は険しくなっていきました。鈴姫に至ってはその場に崩れ落ちて涙を流しています。そして話が終わると老雀は重々しい口調で言いました。


「左様であったか。比寿家に縁の雀、しかも姫衆の神器であろうとは……それを知った以上、最早お主と関わりを持つ事はできぬ。先ほどの話はなかった事にしてくれ」


 思ったよりも怒ってはいないようです。一安心の飛入助。これでこの雀たちとは完全に縁が切れるはずです。


「じゃあ、おいらは帰るね。お爺さん、鈴さん、お元気で」

「お待ちください!」


 地に伏していた鈴姫が顔を上げると、飛び立とうとする飛入助に縋りつきました。まだ濡れている瞳には熱い情熱が燃えています。


「確かに飛入助様は私たち公儀雀とは相容れられぬ仲の雀。さりとて私の命を助け、お爺爺様の病を治してくださったのです。このまま何の褒美もせず帰したとあっては武家の面目にかかわります。お爺爺様、飛入助様に御紋の足環をお与えください」


 老雀の眉間の皺が更に深くなりました。如何に目に入れても痛くない孫娘の頼みとあっても、そう簡単に聞いてはやれぬ、その皺はそう語っているように見えました。


「お爺爺様、公儀雀は姫衆雀を目の敵にしています。されどそれは本当に正しい事なのでしょうか。同じ雀同士、翼を羽ばたかせ合う時が来ているのではないですか。最近、烏が田を荒らし多くの雀が難儀をしているという話も耳に入っております。今こそ全ての雀が一丸となって烏の横暴に立ち向かう時なのです」


 鈴姫の熱い口調に老雀の心は動いたようです。二人の会話に全く付いていけない飛入助を放っておいて、老雀はお付きの雀に命じました。


「これより鈴姫、飛入助殿と共に本丸御殿へ向かう。皆の者、付いて参れ」


 言うが早いか飛び立つ老雀。後を追う供の雀。鈴姫は満面の笑顔で飛入助を促します。


「さあ、私たちも参りましょう」

「え、あ、うん」


 訳が分からないまま飛び立つ飛入助。しばらく後に降り立ったのは、本丸御殿に面した中庭でした。先に着いていたお供の雀たちがチュンチュンと大合唱しています。


「おう、来たな雀たち」


 縁側に姿を現したのは柳沢吉保です。実に機嫌の良さそうな顔をしています。


「さあ、飛入助様、吉保様の目に留まるよう、お側に近付くのです」


 鈴姫に言われて吉保に近付く飛入助。老雀と鈴姫も一緒です。


「ややっ、これはまた何という図体のでかい雀だ。ふむ、これだけ立派な雀ならば足環を与えてもよいな」


 吉保は一旦座敷に戻ると手に何かを持って出てきました。鈴姫が耳打ちをします。


「飛入助様、いいですか。これからは何をされても抵抗せず、大人しくしているのですよ。下手をすれば命がなくなりますからね」

「えっ、あ、はい」


 と答え終わる前に、吉保が飛入助の体をむんずと掴みました。驚いて逃れようと思ったものの、先ほどの鈴姫の言葉を思い出しされるがままの飛入助。


「これでよし」


 捕まっていたのは僅かな時間でした。地に降り立った飛入助の足には輪が嵌められています。


「えっと、これは何?」

「それは御紋の足環。公儀の雀である証です。よく見てください、足環には葵の御紋が彫られておりましょう。それを見せればどのような雀であろうと飛入助様の足元にひれ伏すはずです」


 よく見ると老雀の足にも鈴姫の足にも同じ足環が嵌められています。


「そ、そんな凄い物をもらっちゃっていいの? おいらを公儀雀の一羽にしちゃっていいの?」

「良いのです。これは公儀雀と姫衆雀が手を取り合うための最初の一歩。そして私たちが飛入助様にできる精一杯のお礼。飛入助様、鈴はあなた様に会えて本当に幸せでございました。間渡矢に帰った後もこの江戸の地より飛入助様の御多幸をお祈りしております」


 突然鈴姫が翼を広げて抱きついてきました。若い娘雀にそんな事をされたのは初めての飛入助。胸がバクバク言っています。


「鈴、吉保様より米と麦をいただいた。そろそろ『雀のお宿』に戻るぞ。飛入助殿、世話になったな。志麻の国へ帰ったらその足環を存分に利用されるがよい」

「飛入助様、お元気で。もし再び江戸の地に舞い降りる事がありましたら、必ず『雀のお宿』に寄ってくださいまし。鈴はその日を心待ちに致しております」


 老雀と鈴姫はお付きの雀と共に『雀のお宿』へ帰っていきました。雀と遊んでいた吉保も座敷に戻ったようです。残された飛入助も庭を飛び立ちました。足環から身の内に沁み込んでくるような温もりを感じながら……


 こうして飛入助の江戸での日々は終わりました。最後に与太郎がやって来て殿様を診察し、飛入助と同じ見立てを述べているのを聞いて、自分の勘も満更ではないなと自惚れてしまった飛入助です。あの老雀と同じように、幾ばくも経たぬうちに殿様の病気は良くなるはず。安心して江戸を発てる飛入助でした。


 * * *


「おお~、島羽の港じゃ。遂に帰って来たわい、へっくしょん」

「恵姫様、長く風に当たっておられますと風邪をひきますよ。もう冬でございますからね」


 目前に迫って来る港の風景を間渡矢丸の甲板から眺める恵姫。それをたしなめる雁四郎。近付いてくる懐かしい風景に、お福の肩にとまっている飛入助も感無量です。と、一羽の雀がこちらに向かって飛んでくるのが見えました。


「旦那~、飛入助の旦那~!」


 ちゅん太郎です。間渡矢丸の姿を見て待ちきれなくて飛んできたのでしょう。飛入助は柵に飛び移ってちゅん太郎を迎えました。


ちゅん太、ずっと島羽で待っていてくれたの? そんなに気を使ってくれなくても良かったのに」

「一生飛入助の旦那に付いていくと決めた以上、港で待ち続けるのは当たり前でござんす。とっ……だ、旦那、そ、その足に嵌まっている輪、それはもしや御紋の足環!」

「うん、そう。江戸で色々あってこんな物を嵌められちゃった」

「す、すげえ代物ですぜ、それは。なんてこった、間渡矢雀の中から御紋の足環を拝領できる雀が現れるなんて。さすがあっしが見込んだ雀。目出度い、実に目出度い、今日は酒盛りといきやしょう」

「えっ、でもおいらまだ一才にもなってないから、酒はちょっと」

「目出てえ、目出てえ、あっ、こりゃ目出てえ」


 飛入助の言葉に耳を貸さず、ちゅん太郎はすっかり浮かれまくっています。そんなちゅん太郎を温かい眼差しで見守る飛入助ではありました。


 この後、間渡矢に帰った飛入助は、その足環の力によって以前よりも多くの雀たちから尊敬と信頼を集め、間渡矢のみならず志麻の国にその名を轟かせるのです。

 やがてお福から暇を貰った飛入助は、ちゅん太郎ともう一羽の雀を連れて、諸国漫遊世直しの旅に出かけ、御紋の足環の威光によって各地にはびこる悪党どもを懲らしめるのですが、その話はまた別の機会に。

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