閉塞成冬その三 飛入助、御城へ登る

 今日は恵姫たちが江戸城へ登る日です。

 姫屋敷から来た四人と比寿家上屋敷の三人、それに左右衛門を始めとする供の者たちの行列は、殿様が登城する時よりも長く大層なものでした。

 飛入助は飛びながら行列に付いていきます。供の者たちとは大手門で別れ、その後はお福の肩に乗って城の中を進んでいましたが、本丸御殿の入り口でお福と別れる事になりました。さすがに御殿の中へまで雀を連れて行く事はできなかったのです。


「ここが江戸城かあ。間渡矢のお城とは比べ物にならないなあ」


 空を飛びながら飛入助はため息が出そうになりました。その広さ、御殿や門の数、立派な庭の佇まい、全てが並外れています。

 のんびりと江戸城の上を低空飛行して景色を楽しむ飛入助。と、庭の隅の木陰で数羽の雀と一羽のからすを見付けました。なにやら言い争っているようです。


「可愛がってもらっているからって威張るんじゃねえや、雀のくせに」

「無礼な。わらわは公方くぼう様の寵愛を受けている雀、その名もすず姫なるぞ。山烏よ、即刻立ち去るがよい」

「ああ、立ち去ってやるよ、おまえを食ってからな」

「姫様!」


 お付きの雀たちが騒ぎ出しました。烏が鈴姫に襲い掛かったのです。


「大変だ、助けなきゃ!」


 飛入助は翼をすぼめると、鷹に教わった急降下姿勢を取りました。嘴を下に向け、烏目掛けて一気に接近します。


「痛てて!」


 飛入助の嘴が烏の頭を直撃しました。地に伏したままの鈴姫を庇うように立った飛入助は、烏に向かって叫びます。


「どんな理由があるのか知らないけど、雀をいじめる鳥をおいらは許さねえ。とっとと消えな」

「なんだ、おまえは生意気な。雀のくせに烏に勝てると思っているのか」


 今度は飛入助に襲い掛かる烏。しかし間渡矢で鷹と戦って打ち負かした飛入助に勝てるはずがありません。散々頭をつつかれ、顔に糞を浴びせられ、羽を引き抜かれ、砂を掛けられた烏は、小悪党のお馴染みの捨て台詞、


「畜生、覚えてろよ!」


 を言い残して飛び去ってしまいました。


「ふん、口ほどにもない。さあて一旦戻ろうかな」


 烏の姿が見えなくなったので、飛入助はお福の居る本丸御殿に戻ろうとしました。しかし鈴姫がそれを引き留めます。


「もし、そこの若雀様、名を教えていただけませぬか」

「あ、おいらは飛入助と言います」

「飛入助様、助けていただきありがとうございます。あなたが来てくれなければ、私は今頃食べられていたでしょう。命の恩人をこのまま帰すわけにいきません。私たち御城おしろ雀の住む『雀のお宿』まで来ていただけませんか。そこでお礼をしたいのです」

「えっ、礼なんていいよ、おいら、そんな大層な事をしたわけじゃないから……」


 と飛入助は固辞したのですが、鈴姫とお付きの雀たちに説得されて、江戸城大奥の更に奥にある『雀のお宿』まで行く事になりました。


「お爺爺じじ様、こちらは飛入助様と申します。烏に襲われていた私を救ってくれたのです」


 鈴姫の祖父は『雀のお宿』で一番偉い雀です。間渡矢の大親分に似て頭を白髪で覆われた年寄り雀は、随分具合が悪そうに見えました。それは年のせいだけではなく、何かの病気に罹っているように見えました。


「飛入助殿、話は供の雀より聞かせてもらった。孫娘の命を救っていただき礼を申す。我らは時の将軍綱吉公とその御側御用人柳沢吉保様の寵愛を受け、この江戸城に巣くう悪い虫を退治する御城雀。江戸で、いやこの日の本で我らより位の高い雀はらぬ。ゆっくり寛がれるがよい。さあ、食べられよ」


 女中雀がご馳走を運んできました。目にも鮮やかな大粒の白米です。これほどに白く大きな米は見た事がありません。飛入助は目を丸くしました。


「驚かれたか。我らは吉保様よりこのような米をもらっておるのだ。遠慮せずに食べられよ」

「えっと、ごめんなさい。おいら、米は食べないんだ。母ちゃんの言い付けで、虫とか小魚とかそんな物しか口にしない事にしてるんで」


 今度は老雀が目を丸くしました。そんな雀がこの世に存在するとは思わなかったのです。


「ほう、珍しい雀じゃな。ならばわしがいただくとするか」


 老雀は米を啄み始めました。その姿に飛入助は比寿家の殿様の姿が重なりました。老雀も殿様も血色の悪い生気のない顔、そしてどちらも白米を食べているのです。飛入助の頭にある考えが浮かびました。


「あの、お爺さん、もしかしたら体の具合が悪いんじゃないかな」

「むっ、分かるか。実は江戸煩いという病に罹っておる。雀だけでなく人も罹る難病じゃ。この命、最早無きものと諦めておる」


 思った通りです。自分の考えを言おうか言うまいか迷う飛入助。しかしすぐに考え直しました。間違いを恐れて何もしないより、正しさを信じて何かした方がいい、と。


「確かな証拠はないんだけど、白い米を食べないようにすれば、病は治るような気がするんだ」

「なんと、白米を食うなと申すか。これは吉保様より賜った特別の褒美。鈴姫すら口にできぬ御馳走。それを食うなとは如何なる理由あっての事か」

「理由はないよ。でも多分それが病の原因。だって考えてもみて。お爺さんだけが白米を食べて、お爺さんだけが病になっている。だったら白米が病の原因だって考えてもおかしくはない、そうでしょ」

「むむ……」


 辻褄は合っています。言い返せず唸る老雀に鈴姫が言います。


「お爺爺様、試しにしばらく白米をやめて、私たちと同じ玄米や麦を食べてみては如何ですか。それで病が好転すれば良し。変化がなければ白米を食べれば良いのです。試して損はありますまい」


 可愛い孫娘にこう言われては老雀も従わざるを得ません。ここは飛入助の言葉を受け入れる事にしました。


「飛入助殿、しばらく日が経ったらまた来てくれぬか。もしお主の言葉通りわしの具合が良くなっていたら、素晴らしい褒美を取らせよう」

「うん、分かったよ」

「飛入助様、必ずもう一度来てくださいませ。約束ですよ。鈴は心待ちにしておりまする」


 潤んだ瞳で飛入助を見上げる鈴姫。そんな目で若い娘雀に見詰められた経験のない飛入助は、少しばかり恥ずかしくなってしまいました。


「だ、大丈夫だよ。きっと来るから。じゃあね」

「飛入助様、お元気でー!」


 鈴姫の見送りの声を受けて、空高く舞い上がる飛入助。次に来た時、迷わないように『雀のお宿』の場所をしっかりと目に焼き付けます。


「鈴さんって綺麗な娘雀だったなあ。やっぱり江戸の雀は間渡矢とは違うなあ」


 鈴姫のキラキラ輝く瞳を思い出しながら、お福の居る本丸御殿へ向かう飛入助ではありました。


 それから数日後、飛入助は再び江戸城にやってきました。神器である自分は主のお福から遠く離れる事はできません。主が呼んでいるのを察知できる距離――呼んでいる声を耳で捉えるのではなく心で捉えるのです――その程度の距離しか離れてはいけないのです。


 巣立って間もない頃、この距離は間渡矢城内程度の範囲しかありませんでした。しかし時が経つに連れてその範囲は広がっていき、今では間渡矢城下の田んぼに居ても、城で呼ぶお福の呼び声を察知できるまでになっています。比寿家上屋敷と江戸城の距離も、ギリギリで呼び声が届く距離だったのです。


 江戸城に入った飛入助は大奥の更に奥にある『雀のお宿』を目指します。近頃は江戸に着いた時よりも随分寒くなってきました。風を切る翼にも冷たさを感じます。


「これからは空を飛ぶのも寒くなるなあ。沢山虫を食べて体に肉をつけなくちゃ」


 やがて『雀のお宿』が見えてきました。きちんと覚えていたので迷わずにたどり着けたようです。


「こんにちは、どうですか、お爺さんの具合は」

「おお、飛入助殿。ようやく来てくださったか。あるじ様も鈴姫様も待ちかねておられます。早くお目通りを」


 番方の雀に温かく迎えられた飛入助。中に入ると老雀と鈴姫が笑顔で迎えてくれました。


「飛入助殿、お主は大した雀じゃ。見よ、わしのこの姿。白米を絶って数日しか経っておらぬのに、跳ね歩く事すらできるようになった」

「本当に。お爺爺様がこれほど元気になられたのは飛入助様のおかげです」


 二人の話を聞いて、嬉しさではなく安堵の気持ちで一杯になる飛入助。自分の考えが本当に正しいのかどうか、確たる自信がなかったからです。


「良かった。これでお爺さんも長生きできるね。じゃあ、おいらはこれで帰るよ」

「お待ちなされ。まだ褒美を渡してはおらぬ。帰るのは褒美を受け取ってからにしてくだされ」

「褒美、何をくれるの?」


 老雀がにやりと笑みを浮かべました。鈴姫は恥ずかしそうに顔を伏せています。


「わしの孫娘、鈴姫をお主にやろう。この『雀のお宿』へ婿に入ってくだされ」

「ええっ!」


 余りにも予想外の展開に、息が詰まって倒れそうになる飛入助ではありました。

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