朔風払葉その五 城跡の冬

 枯れ木と枯れ葉を燃やす煙が初冬の青空へ立ち上っていきます。松茸昼食会を終えた恵姫たちは満足顔で草の上に座っていました。ほとんどの松茸は傘が開き切っていましたが、それでも松茸に変わりはありません。

 握り飯と網焼き松茸、温め酒と味噌照り焼き松茸、松茸そのまま丸齧りなどなど、五人が好みの食べ方で松茸を堪能した昼下がりのひと時。松茸嫌いの毘沙姫が余り食べなかったおかげで、まだ籠には山盛りの松茸が残っています。


「お浪やお弱にも食わせてやらねばのう。残りは土産に持って帰ろう」

「お待ちくだされ。これを売ればかなりの銭になるはず。路銀の足しに致しましょう」

「今晩泊まる宿屋に持って行って料理してもらったらどうだい。あたしゃ松茸の土瓶蒸しが好物なんだ」


 食後の幸福感に浸りながら開かれる三人の松茸評定。その結果、残った松茸の一割はお浪とお弱への土産。その残りの半分を銭に換え、後は宿屋に持って行き、泊り客と共に楽しむ事となりました。


「下田で採れた松茸だからねえ。よそ者のあたしらが食べちまったら、この土地の人が気の毒だ」


 そう言いながらも才姫の目には、今晩の夕餉の膳に並ぶ松茸料理が見えているようです。


「こんな香りだけのキノコが好きなのか。恵たちの味覚は分からぬ」

「分からぬのはこっちじゃ。毘沙とて松茸くらい食った事があろう。美味いと思わなかったのか」

「いや別に」


 毘沙姫の味音痴は今に始まった事ではありませんが、それにしても酷過ぎます。これまで毘沙姫を松茸料理で持て成してきた人々が、どれほどの虚しさを味わったのかと思うと、哀れ過ぎて涙を禁じえなくなる恵姫です。


「だけどよくこれだけ残っていたもんだね。分かりやすい場所に生えているのに誰も気付かないなんてさ」

「ああ、才たちは知らなかったな。周りを見ろ。崩れた土壁、礎石、瓦の破片、どう思う」


 草の上に寝転んでいた恵姫が立ち上がりました。この雰囲気……間渡矢城二之丸の梅林によく似ています。


「ここは……廃城跡か」

「そうだ。戦国の世に小田原北条氏によって築かれた水軍の城。北条滅亡の後は徳川家臣、戸田家の居城となったが、関ケ原合戦の後、戸田家は三河へ転封。下田に領主は居なくなり廃城となった。天領の住人がかつての領主の城跡に足を踏み入れるのは、徳川家への忠誠を疑われかねないからな。土地の者は誰もここにはやって来ぬのだ」


 恵姫は歩きながら松林を見回しました。きっとここも昔は城の庭園の一部で、秋には多くの家臣や下働きの者が松茸を採っていたのでしょう。耳を澄ませばその頃のざわめきが聞こえてくるような気がします。


「間渡矢に似ているじゃないか。三方を海に囲まれて、東には釣りができそうな浜もある。懐かしくなったんじゃないのかい、恵」

「そうじゃな。本当によく似ておる。そしてやがては間渡矢の城の全てがこうなるのじゃ」

「恵……」


 才姫はすぐに自分の言葉を後悔しました。恵姫がこの城跡に何を見て何を感じていたのか、そこまで考えを巡らす事のできなかった自分を歯がゆく思ったのです。


「それも武家の世の定めだ、恵」


 先ほどから恵姫は遠い南の海を見詰めています。毘沙姫は恵姫に近付くと、その肩に手を置きました


「布から聞いた。比寿家断絶を受け入れたそうだな。今の当主が亡くなれば間渡矢の城も直ちに廃されよう。この下田の城と同じようにな」

「済まぬ、毘沙よ。これまで比寿家存続のために力を尽くしてくれたそなたを裏切るような事になってしまったのう」

「構わんさ。私は恵や厳左たち家臣の決定に口を挟める立場ではない。比寿家が存続できぬのなら黙ってそれを受け入れるまでだ。所詮世は移り変わっていくもの、変わらぬものなど何もない。かつてあれだけ権勢を誇った豊臣家でさえ今は絶え、秀吉公を祀った京の豊国神社は廃絶されて今では廃墟も同然だ。それを思えば比寿家は幸せだぞ。嫁の貰い手があったのだからな」


 褒めているのか貶している分からぬ毘沙姫の物言い。その言葉に耳を傾けていると、あたかも垂れ込めていた灰色の雲が風に吹き千切られるように、閉ざされていた恵姫の胸の内は少しずつ晴れていくのでした。けれどもそれは暖かい春風などではなく、まだ木に残っている枯葉を吹き千切る冷たい北風に似た冷酷さも伴っていました。


「うう、寒い。晴れていても風が吹くとやっぱり寒いね」


 体を震わせる才姫。折しも松の木を揺らしながら霜月の風が吹き抜けていきました。いつの間にか松茸を焼いていた焚火は消え、日も西に傾こうとしています。


「さあ、そろそろ山を下りると致しましょう。土産の松茸を御座船に届け、半分を銭に換え、半分を宿屋の主人に渡さねばならないのです。ぐずぐずしているとすぐに日が暮れてしまいましょう」


 雁四郎が焚火の跡に土を掛けながら言いました。燃え残りがあって山火事でも起こしたら一大事です。念入りに火を消してから、五人は下田城跡を後にしたのでした。


 港に戻った五人は小舟を貸してもらい、沖に停泊している御座船へ松茸を届けました。お浪とお弱は大喜び。昼から海に潜って偶然捕れた伊瀬エビを持たせてくれました。

 港に戻って松茸を銭に換えると、これまた予想以上の値が付いて雁四郎はホクホク顔。更に宿屋の主人に残りの松茸と伊瀬エビを献上すると、「こんな物をただではいただけませぬ」などと言い出し、今日の宿賃を無料にしてくれたばかりか、飛び入りの毘沙姫までお代は無用となりました。


 勿論その日の夕食は松茸尽くし。待望の土瓶蒸しが食べられて才姫はご満悦。伊瀬エビのお造りを独り占めして恵姫は上機嫌。特別に干しエビを出してもらって欣喜雀躍の飛入助。それを見て笑顔満開のお福。一文も銭を使わずに済んで懐が火傷しそうに温かい雁四郎。黙々と食べて飲むだけの毘沙姫。ただし毘沙姫に関しては放っておくと底無しなので、料理は一膳、お銚子は五つまでに制限されました。


「わははは、こんな愉快な宴は久しぶりじゃわい」


 伊瀬エビのお造りを食べ終わった後は、金目鯛と松茸の酒蒸しを突つきながらお祭り騒ぎの恵姫です。その晩は思いも掛けぬ松茸料理を振舞われてすっかり陽気になった他の泊り客と共に、夜が更けるのも忘れて大いに盛り上がったのでした。


 翌朝、日がだいぶ高く昇ってから港にやって来た恵姫たち五人。既に岸壁には迎えのお浪が小舟を着けています。


「毘沙も我らと共に来れば良いのにのう。歩くより楽じゃぞ」

「船にじっと乗って何日も過ごすなど真っ平御免だ。歩いた方が余程楽しい」


 さすがは地に愛されている姫。海よりも陸の方が居心地がいいのです。


「毘沙はこれからどうするのさ。間渡矢へは戻らないのかい」

「しばらくは各地を回るつもりだ。布もこの下田で斎主様と別れ、また一人旅に出たからな。ただし師走になれば伊瀬へ来るように言われている。恵たちは言われていないのか」

「間渡矢へ帰る前に伊瀬へ寄るよう言われただけじゃ。まあ間渡矢と伊瀬は歩いても半日かからぬゆえ、伊瀬に滞在させる必要もないのじゃろう」

「そうか。立春まであとふた月。早くほうき星から解放されたいものだな」


 江戸から帰ってくる時には斎主も布姫も下田へ寄り、全てを毘沙姫に教えたのでしょう。あるいは恵姫たちが知っているよりも多くの事を、二人から聞いているのかもしれません。


「今年ほど春の来るのが待ち遠しく感じられる年はないのう」


 朝の港に冷たい北風が吹いてきました。昨日登った西の小山に目を遣れば、吹き散らされた木の葉が舞っています。あとふた月でやって来る春。待望と不安が入り混じった気持ちを抱えながら、青空に散っていく紅葉を眺め続ける恵姫ではありました。

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