朔風払葉その四 紅葉狩り茸狩り

 お浪とお弱に握り飯を作ってもらい、小舟で下田港まで送ってもらった恵姫たち四人と毘沙姫。十一月になったとはいえ、風もない晴天の日はまだまだ心地よい暖かさがあります。


「山道を歩くが大丈夫か。船旅で体も鈍っているだろう」

「そうさね。のんびりとお喋りでもしながら行こうじゃないか。毘沙が間渡矢を去ってから何をしていたのかも知りたいしね」

「おい、雁四郎。相変わらず陸酔いが治らぬようじゃのう。体が揺れておるぞ」

「面目ござらぬ。しばらく歩いていれば良くなると思われまする」

「ピーピー!」


 毘沙姫を先頭に歩き出す五人。向かうのは了辿寺の南にある岬のようです。海に突き出した小山の木々たちは、遠目にもはっきりと色付いて見えます。


「さあ、話しておくれよ、毘沙。どうしてあんたがこの下田に居るのか」

「ああ、手短に話すとだな……」


 そうして毘沙姫が話し出したのは次のような内容でした。


 文を受け取った翌朝、夜通し街道を駆け続けて桑名に着いた毘沙姫は、すぐにかつての師匠の屋敷へ向かったのです。


「おう、毘沙ではないか。何をそんなに急いでおる」


 そこで目にしたのは、危篤どころか諸肌を脱いで薪割りをしている師匠の姿でした。


「しまった、偽文であったか」


 騙されたと知った毘沙姫、取り敢えず師匠の屋敷で飯と茶を腹に収めた後、直ちに間渡矢へ引き返しました。しかし伊瀬まで来た時にその足は止まってしまいました。立ち寄った茶店で間渡矢襲撃の一件と、島羽の松平家により一応の解決を見たとの話を聞いたからです。


「今更、戻ったところでどうにもなるまい」


 恵姫たちは松平家の島羽城へ身を寄せ、間渡矢城は混乱の真っ只中にあるはずです。そこへ力を振るうしか能のない自分がのこのこ姿を現したところで、何の役にも立たないのは明らかでした。


「せっかく伊瀬に来たのだ。斎主様に会っていくとするか」


 すぐに頭を切り替えて斎主宮へ向かった毘沙姫。そこで聞かされたのは斎主自らが江戸へ乗り込み、公儀と対決するという大胆な策でした。


「恵姫たちが島羽を発つのに合わせて私も江戸へ参ります。そなたも直ちに江戸へ向かいなさい」


 斎主にそう言われた毘沙姫は、その日のうちに伊瀬を発ったのです。


「おい、待て毘沙よ。ならばそなたは間渡矢襲撃の翌日には江戸へ向かったのであろう。街道を徒歩で行ったにしても、そなたの足ならば九月中には着けたはず。しかし姫屋敷にそなたの姿はなかったではないか。どういう事じゃ」

「ああ、それがだな、姫屋敷には寄らずに直接比寿家の下屋敷へ行ったのだ。しかし船蔵に御座船はない。恵たちはまだ来ていないとすぐに分かった」


 恵姫の疑念を受けて話を続ける毘沙姫。本人はのんびり歩いているつもりでも、その移動速度は常人の倍はあります。しかも恵姫たちが島羽を出たのは間渡矢襲撃から十日以上経ってから。先に着いてしまうのは当然でした。


「どうしようか迷ったのだ。江戸はあまり好きではないのでな、姫屋敷に厄介になるにしても長くは居たくない。そこで一旦、下田へ戻る事にしたのだ。船で江戸へ来るなら必ず寄る港だからな。ところがそこに居たのは間渡矢の者たちではなく布姫。私が下田に着いたのは恵たちが発った翌日だったのだ」


 嘆かわしくなるほどの神懸かり的擦れ違い、弱り目にたたり目、泣きっ面に蜂。常人ならばうんざりしてしまうほどの運の無さですが、毘沙姫にとっては日常茶飯事的些末事に過ぎません。


「おい、待て毘沙よ。わらわたちが発った翌日に下田へ来たのなら、布と一緒に江戸へ来られたはずであろう。しかし姫屋敷にそなたの姿はなかったではないか」

「ああ、それがだな、布に行くなと言われたのだ」


 恵姫の疑念を受けて話を続ける毘沙姫。此度の公儀との戦いは力ではなく言葉で遣り合うもの。武人の毘沙姫様に来られてはまとまるものもまとまらない。斎主様には私から話しておくので、毘沙姫様はここに留まっていただきたい、このように布姫から言い渡されたのです。


「そりゃ布が正しいね。毘沙を吉保に会わせでもしたら、怒りのあまり、本丸御殿どころか御城全てが吹っ飛ばされちまってただろうよ」


 才姫の言葉に恵姫も納得です。吉保の高圧的な態度と口振りは、恵姫でさえ苛立ちを感じたほどでした。あの場に毘沙姫が居たらどうなっていたか、想像するだけで恐ろしくなります。


「それで結局江戸には行かず、港で荷運びの手伝いをしながら恵たちが来るのを待っていたのだ。何はともあれ会えてよかった」


 毘沙姫の話を聞いているうちに五人は岬の山道に入っていました。足元には色づいた葉が沢山散らばっています。


「結局、間渡矢でも江戸でも何の働きもできなかったな。ここに散らばっている枯葉同様役立たずだったわけだ」

「あんただけじゃないよ、毘沙。あたしも恵も座っていただけで居ても居なくてもいいような役回りだったんだ。気にするんじゃないよ」


 才姫に慰められて少し明るい顔になる毘沙姫。道はいよいよ本格的な登り道となり、昼前の日差しを浴びた額には汗が滲んできました。


「紅葉が美しいのはいいが、さすがに疲れてきたのう。毘沙よ、キノコまではまだ遠いのか」

「この辺りのキノコは昨日食っちまったからな。もう少し先に行けば……お、あったあった」


 山道から少し外れた場所に毒々しい色のキノコが一本生えています。さっそく近付いて折り取ると傘を齧る毘沙姫。


「おい、毘沙よ。そなた食えるキノコと食えぬキノコの見分け、確実にできるのであろうな」

「んっ、何を言っているのだ。キノコは全て食えるに決まっているだろう」


 毘沙姫は平然とキノコを齧っています。何だか嫌な予感がしてきた恵姫。他の三人の顔もこれまでの陽気な表情から一転して、陰鬱な影が漂い始めています。


「おっ、また見付けたぞ」


 今度は真っ白なキノコが数本生えています。それを見た才姫が叫びました。


「おやめ毘沙。それならあたしにも分かる、ドクツルタケだ。一本口にしただけで間違いなく死ぬよ」

「大袈裟だな、才は。確かに何本も食うと腹が痛くなるが、一本だけなら何ともない。結構旨いしな」


 才姫の忠告を無視してキノコに手を伸ばす毘沙姫。その手を才姫が叩きました。


「医者として毒を食うのを見逃すわけにはいかないね。毘沙、このキノコは今後二度と食わないと約束しな」

「わ、分かった。そうまで言うのなら食わぬ」


 病人を診る時にしか見せないような真剣な表情で命令されては、毘沙姫も従わないわけにはいきません。素直に手を引っ込めるとまた山道を歩き始めます。

 今の遣り取りで四人は完全に昼食の焼きキノコを諦めました。毘沙姫にはキノコの知識が全く無く、その代わりにどんなキノコを食べても平気な五臓六腑だけは持っている事が分かったからです。


「やれやれ、これではキノコを食うのは無理のようじゃのう。才よ、そなたはキノコの見分けはできぬのか」

「御典医から少しだけ手解きしてもらったくらいさ。だけどキノコの素人判断は大怪我の元だからね。あたしを当てにしないでおくれ」


 ここに至ってどうして公儀隠密が厳左のように毒を盛らず、毘沙姫には偽文という手間の掛かる事をしたのか、その理由がようやく判明したのでした。猛毒のキノコを口にしても腹が痛くなる程度の毘沙姫に、痺れ薬が効くはずがないからです。


「これも旨いんだ」


 毘沙姫は目につくキノコを何の躊躇もなく口に放り込みつつ、手持ちの籠にも入れています。勿論、そんなキノコを食べる気にはなれません。恵姫も才姫もお福もキノコの事は完全に諦めて、山の紅葉を楽しみながら歩いています。しかし雁四郎だけは違っていました。毘沙姫のキノコの採り方をじっと観察していたのです。


『毘沙姫様は毒々しいキノコは籠に入れるが、食べられそうなキノコは採ろうとしない。何か理由があるのだろうか』


 気になった雁四郎は尋ねてみる事にしました。


「毘沙姫様、全てのキノコを採られているわけではないようですね。どのようなキノコを籠に入れているのですか」

「食うと体がホカホカしたり、舌がヒリヒリしたり、頭がクラクラするキノコを採っているのだ。腹が膨れるだけのキノコなど食っても詰まらぬだろう」


 もはや常人の悪食あくじきの程度を超えています。旅の中で様々な毒を含んだ物を食べているうちに、体が毒に慣れてしまったのでしょう。ここで雁四郎は更に考え、そして尋ねます。


「では、毘沙姫様が詰まらないと感じ、少しも採る気になれず、敢えて食べたくもない、そんなキノコが沢山生えている場所へ案内していただけませぬか」

「何だ、そんなキノコが食いたいのか。仕方ない、付いて来い」


 恵姫たちを待って下田に滞在している間、毎日この小山を歩き回ってどこに何があるか熟知しているのでしょう。毘沙姫は山道を逸れ、下草が生い茂る林の中を進んでいきます。


「ちょいと、毘沙、どこへ行く気だい」


 文句を言いながらも後を付いて行く才姫たち。どうせ先に行ったところで食べられるキノコは無いのですから。骨折り損の草臥れ儲けになる事は目に見えています。が、


「この辺りのキノコなんかどうだ」

「おお!」


 歓声を上げる雁四郎。五人が来たのは周囲の紅葉の中で、そこだけは赤松の緑が美しい一帯でした。そしてその辺り一面に生えているキノコは……これだけは誰でも判別可能で、そして毘沙姫以外の誰もが好むキノコ、松茸でした。

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