朔風払葉その三 またも再会

 結局、お福は人見女の吟味を受けずに済みました。


「髪が光るとなると姫の力を持った女か。それならば調べても意味はないな」


 役人はそう言って船を降りて行ったのです。姫の力を持つ者は大名の正室であっても江戸在住に縛られる事はありません。出女の対象ではないのですから調べる必要もなくなるはず、それを見越してお福はわざわざ力を使い、髪を光らせたのです。


「行きはすんなり通してもらえたが、帰りはそうもいかんのう。行きはよいよい帰りは怖いとは、まさにこの事じゃな。やれやれ」


 とにかく無事に船改めが終わって一安心の恵姫。赤鯛の間で雁四郎も含めた六人全員で朝食を済ませると、一気に眠気が襲ってきました。


「今朝は無理に起こされたので寝足りぬ。宿へは夕刻入ればよいのであろう。下田の港に行っても何もする事はない。今日は一日船で寝て過ごすとするか」


 お茶を飲み終わるや畳の上にゴロリと横になる恵姫。間渡矢でも江戸でも船の上でも行儀の悪さは変わりません。


「才とお福はどうする。船を降りて下田見物にでも出掛ければどうじゃ」

「行きに寄った時に港を歩いたからねえ。あたしも昼までは船でのんびりするよ」

「……」


 才姫に続いて首を横に振るお福。まだ朝が早く寒い事もあって、二人とも外を出歩きたくないのです。


「雁四郎はどうする。旅好きのお主の事、まだまだ下田は見足りぬであろう」

「拙者のお役目は恵姫様の警護。皆様が船に残られるならば拙者も船に残りまする」


 結局全員、船で時間を潰す事になりました。ただしお浪とお弱は別です。行きと同じく帰りも、ここ下田で補給や修理の役目があります。


「この数日間、波も穏やかで船はほとんど傷んでおりません。船大工に頼むまでもなく私たち二人で補修できましょう。それではこれから港へ行き、お菜や酒を買い付けて参ります」

「ああ、そうだ。炭を大目に買ってきておくれ。もうほとんど残ってないんだよ」


 毎晩遅くまで磯火鉢を囲んでお喋りしているので炭の減りが激しいのです。雁四郎が渋い顔をします。


「才姫様、炭は値が張るので大切に使っていただかなくては困ります」

「うるさいねえ、ならその分、飯のお菜を減らしていいよ」

「お菜を減らすとは何事じゃ、才。それならば酒を減らせばよいではないか」

「酒を減らすくらいなら飛入助の餌を減らしな。雀のくせに蝗だの干しエビだの贅沢なんだよ」

「ピーピー!」


 お福の肩の上で飛入助が怒っています。二人と一羽の欲に塗れた激しい言い合いに、お浪は苦笑いです。


「分かりました。炭もお菜も酒も蝗も安く買えるよう交渉して参ります。ちょうど昨日鮑が採れましたので、これを手土産に持っていけば安く仕入れられましょう」

「何、鮑とな。売らずに食おうではないか、じゅる」


 眠気はどこへ行ったのか、よだれを垂らし始めた恵姫。勿論雁四郎によって断固として拒否されました。


「それでは行って参ります」


 備え付けの小舟を下ろし港へ向かって漕ぎ出すお浪とお弱。見送るのは雁四郎だけです。残りの三名は黒鯛の間に戻って朝寝を楽しんでいるからです。


「ふあ~、拙者も眠くなってきたでござる。予定通り下田に着き、船改めも無事済んだ事でもあるし、少し休ませてもらうとするか」


 いつもなら木刀で素振りを始めるのに、珍しく怠け心に襲われる雁四郎。江戸を出てから五日間、往路と同じくたった一人で船の航行に気を配っていたのですから無理もありません。湯湯婆にお湯を入れ直して船倉へ下りる雁四郎でありました。


 * * *


「よいしょっと。次、酒樽」


 外が賑やかになってきました。黒鯛の間で寝ていた恵姫は目を開けました。


「水樽はどこに置いてあるんだ」

「船首の船倉です。まだ三割ほど残っているかと」

「心得た」


 どうやらお浪とお弱が補給品を仕入れて戻ってきたようです。その積み下ろしをしているのでしょう。そして二人の他にもう一人、別の声が聞こえます。


「よし、終わったぞ」

「妙じゃな。この声、聞き覚えがある……」


 むくりと半身を起こし聞き耳を立てる恵姫。女である事は間違いないようですが、それにしては言葉遣いがぶっきら棒で、まるで武家の男が話しているように聞こえます。


「助かりました。まさか港にこれほどの怪力娘がいらっしゃるとは」

「んっ、娘と言われるほど若くはないぞ。怪力は否定せぬが」

「怪力……も、もしや……」


 扉を開けて黒鯛の間を飛び出す恵姫。そこに居たのは大剣を背負い炭俵を両手に抱えた大女、毘沙姫です。


「おや、恵じゃないか。なんだ、じゃあこの船が間渡矢の御座船か。どうりでどこかで見た事があるような気がしていたんだ。やっと会えて嬉しいぞ」


 嬉しいと言う割には全然嬉しそうに見えないのが毘沙姫です。


「騒がしいねえ、おや、毘沙じゃないか」

「……!」

「おお、これは毘沙姫様。ご無沙汰しております」


 才姫、お福に続き、雁四郎も甲板に現れました。予想外の場所で予想外の人物に出会ったので、皆一様に驚いています。


「どういう事じゃ、毘沙。何故そなたがここに居る」


 恵姫に問われて毘沙姫は炭俵を置くと、何か考えながらつぶやき始めました。


「まあ、話せば長くなるんだが、どこから話そうか……そうだ、忘れていた」


 毘沙姫はいきなり両膝と両手を板につけると、頭を深く垂れました。


「済まぬ、恵、才、お福、雁四郎。私のためにおまえたちを大変な危険に晒してしまった。許してくれ」


 大きな体を縮こまらせて四人に詫びる毘沙姫。公儀隠密の襲撃は毘沙姫が間渡矢を離れたために起こったもの。もし恵姫たちが江戸に発つまで留まっていてくれたなら、あのような事件は起こらなかったに違いありません。それは襲われた恵姫たちにも、そして毘沙姫本人にとっても、隠しようのない事実でした。

 全ての責任は自分にある、そう言わんばかりに四人の前にひれ伏す毘沙姫。心の底から申し訳なく思っているのが一目で分かります。四人は顔を見合わせると笑みを浮かべて頷き合いました。


「謝らずともよい、毘沙よ。偽文に騙されたのであろう。そなたは何も悪くない」

「そうさ。あの時、毘沙が居て怪力でも振るわれたら、どれだけの怪我人が出たか知れやしないよ」

「毘沙姫様。我らはこの通り無事なのです。公儀も間渡矢から手を引いてくれました。もう済んだ事なれば気になされますな」

「ピーピー!」


 一応飛入助もお福を守って活躍したので何か言っているようです。三人と一羽から暖かい言葉を貰って、ようやく毘沙姫も頭を上げました。


「うん、まあ、そう言ってくれるだろうとは思っていたのだがな」


 悪びれる事なく立ち上がった毘沙姫に一同は大笑いです。


「せっかく会えたのじゃ。今日の昼は一緒に飯を食おうではないか。お浪、お弱、荷の搬入は済んだのか」

「はい。この怪力娘様のおかげでほとんど終わりました。まさか噂に高い毘沙姫様だとは夢にも思いませんでしたよ。失礼致しました」


 毘沙姫は間渡矢に来ても城と庄屋の屋敷、そして神社くらいにしか足を運びません。網元を始めとする海の者と顔を合わせる事は滅多にないので、お浪やお弱が気付かなかったのは無理もないのでした。


「昼か。それならば船を降りて紅葉狩りでもしないか。実はキノコの狩場を見つけてな。時々行って食っているのだ。どうせ海の物ばかり食っているのだろう。たまには山の物も食え。塩と酢橘で炙り焼きにすると美味いぞ。どうだ、恵。握り飯を持って山へ行かないか」

「行く! 誰がなんと言おうと今日の昼はキノコじゃ、キノコを食うぞ! じゅる」


 まるで目の前で焼きキノコを食べているかのように話す毘沙姫に、恵姫のよだれは止まりません。二つ返事で同意します。


「いいのかい、毘沙。その様子だとこの港で荷運びの役を担っているんだろう。途中で放り出したりしたら怒られるんじゃないのかい」

「構わん。別に銭は貰っていないのだ。気の向くままに運んでいるのだから、気の向くままに休ませてもらう」


 如何にも自由人らしい毘沙姫の言葉ではありました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る