玄鳥去その四 江戸からの文

 しばらく後、表御殿の小居間にはお馴染みの面々が集まっていました。表からは厳左と寛右、奥からは磯島とお福、そして今間渡矢に居る全ての姫五人と与太郎です。与太郎は帰る時刻が迫っているため、パジャマを入れた布袋を手に持っての参加です。


「これはまた大勢集めたものじゃのう。何か美味い物でも食わせてくれるのならよいが、ずずっ」


 出された茶をすすりながら小居間を見回す恵姫。しかし招集を掛けたのは厳左なのですから、何か食わせてくれる可能性は全くないと言ってよいでしょう。一同、茶を飲んで落ち着いたところで、厳左は懐から折り畳んだ奉書紙を取り出して言いました。


「前置きは省いて用件を述べる。今朝がた、江戸屋敷より書状が届いた。書かれていたのは二点、殿の御容態が依然として優れぬ事、そして公儀が与太郎殿を召喚した事である。この件について皆の意見を聞かせて欲しいのだ」

「えっ、ぼ、僕?」


 突然自分の名前を言われて面食らう与太郎。それはこの場に居る他の者も同様でした。恵姫の父の具合が良くないのは以前から分かっていましたが、与太郎に関しては誰もが初耳だったのです。


「公儀が与太郎を召喚……」

「江戸に連れて来いと言うのか……」


 小居間の中に起こるざわめき。それは次第に大きくなっていきます。恵姫はむっつりとした顔で黙っていましたが、やおら立ち上がると厳左に向かって吠え立てました。


「何故じゃ、何故、今頃になって公儀がそのような事を言い出すのじゃ。与太郎についてはとっくの昔に江戸表に知らせてあるはず。これまで何の沙汰もなかったではないか」


 恵姫の疑問はもっともでした。今年の一月、与太郎が二度目に姿を現して厳左の吟味を受けた時、その詳細をしたためた文を直ちに江戸屋敷に送ったのです。その時点で分かっていた事は、


 一、与太郎は三百年の後の世から来た。

 二、徳川の世は滅び、別の世がやって来ると言っている。

 三、こちらには半日ほどしか居られないらしい。

 この三点です。


 間渡矢からの書状を受け取った恵姫の父は江戸家老とも相談の上、数日のうちに公儀へ文の内容を知らせたのでした。人の口に戸は立てられません。隠していてもやがては公の知るところとなるでしょう。ならば最初から秘密になどせず全てを明らかにしておけば、余計な詮索を受ける事もないはず、このような判断からでした。


「あれからもう半年以上が過ぎておる。その間、公儀は何も言ってはこなかったではないか。何故今になって与太郎を江戸に連れて来いなどと言うのじゃ」

「うむ、それは……布姫様、如何思われますかな」


 恵姫に問われた厳左は、さして考える様子もなく布姫に話を振りました。最初から布姫の知恵を当てにしてここに呼んだのは一目瞭然です。それでも布姫は嫌な顔一つせず答えました。


「そうですね。恐らくは公儀の考えが変わったのでしょう。大口を叩くただの愚か者、最初はこのように思っていたのでしょうね。ですから何もせずに放置していたのです。しかし時が経つにつれ、与太郎様の様々な行為、言動、鯛焼き器、扇風機、それらの噂が江戸にまで届き、もはや静観できないと感じ始めたのではないでしょうか」


 既に与太郎はこの時代に十七回来ていました。城の多くの者には厳左の遠縁であると説明し、城の外に出る時には装束を替えています。それでも与太郎のこの時代らしからぬ振る舞いは、人々の空想と合わさって真実の噂となって広がっていたのです。

 しかも黒姫は与太郎にもらった鯛焼き器で、これまで何度かお菓子を作り、子供たちに与えたりしていました。また、与太郎考案の扇風機も鷹之丞と亀之助によって幾つも作られ、庄屋、網元、乾神社、河月院に置かれています。このような動きを公儀が察知し、遂に重い腰を上げたと見る事もできるでしょう。


「理由はどうあれ公儀の要請だ。従うしかないとそれがしは考える」


 能面のように無表情な声で寛右は言いました。今となっては与太郎召喚の理由をあれこれ考えても仕方ありません。与太郎の処遇をどうするか、それを考える方が先です。


「うむ、確かに公儀のめいには逆らえぬ。しかし、与太郎殿は恵姫様の命の恩人、そしてこれまで我らのために色々と力を尽くしてくれた。かような人物を公儀に差し出すような真似ができようか」

「ならば公儀の要請を断ると申されるか。下手をすれば徳川家への反逆とみなされ比寿家は潰されますぞ」

「いや、そうは言ってはおらぬ。与太郎殿はいつこちらに来るか分からぬ。そして来たとしても半日で姿を消す。よって、まだ姿を現さぬと言い続ければよいのではないか。江戸に連れて行きたくても本人が居ないのではどうしようもあるまい」

「そのような子供だまし、公儀に通用するとは思えぬ」


 厳左と寛右の言い合いです。どちらも頑固なので決着しないのは目に見えています。二人の口喧嘩を興味なさげに眺めていた恵姫は、気抜けした声で言いました。


「厳左、構わぬではないか、与太郎の一人や二人。公儀にくれてやればよいのじゃ。このようなやから、居なくなったとて痛くも痒くもないぞ」


 これには厳左も目を丸くしてしまいました。恵姫がこれほどまでに与太郎を軽く見ているとは思いもしなかったのです。


「ひ、姫様がそう仰せならば、致し方ないが……」


 口籠る厳左。ここで布姫が口を挟みました。


「恵姫様、公儀は恐らく与太郎様を江戸に留めよと命じられるはずです。間渡矢には戻られぬと思われますが、よろしいのですか」

「ああ、構わんぞ。どのみち半日すれば与太郎は元の世に戻るではないか」

「はい。しかし与太郎様が現われるのはお福様の居る場所であると公儀が知れば、間違いなくお福様も江戸に留めよと命じるはずです。与太郎様を公儀に差し出すのはお福様を公儀に差し出すのと同じです。それでもよろしいのですか」

「お福が間渡矢に帰って来ぬと言うのか」


 お福の顔が曇りました。恐れと不安が入り混じった表情、それはまるで、親が勝手に決めた見知らぬ男の元へ嫁ぐ娘のように見えました。お福を辛い目に遭わせるわけにはいかない、そう感じた恵姫はきっぱりと言い切りました。


「いいや、お福は渡せぬ。それだけは断じてできぬ」

「ならば、与太郎殿を公儀に引き渡すのはやめると仰せか、恵姫様」

「う、いや、それはじゃな……」


 寛右に問われ返答に窮する恵姫。またも問題は振り出しに戻ってしまいました。沈黙する一同、そしてその顔は布姫に向けられています。誰もが布姫の答えを期待し、それを待っているのです。


「皆様の案は出尽くしましたか。それでは私の考えを申しましょう。公儀の要請には逆らえません。与太郎様を、つまりはお福様を江戸へお連れしてください。その上で、江戸に留める事はできないと申し上げればよろしいのです」

「そのような言上を公儀が聞き入れてくれるとお思いか」


 再び寛右です。お福も与太郎も間渡矢には必要ないと言わんばかりの態度です。布姫は寛右に顔を向けると、静かな、しかし力強い声で言いました。


「私も江戸へ参ります。お福様を間渡矢へ返すよう、言葉を尽くして説得致しましょう」

「おお、よくぞ申してくれた。布が居れば百人力じゃ」


 恵姫が、そしてその場の全員が納得できる申し出です。布姫は更に言葉を続けます。


「ただ、今の私にはやり掛けの重要な用件が残っております。これを片付けた後、江戸へ向かいます。そう、恐らくは九月中頃には到着できると思います。お福様もその頃に江戸へ着けるよう取り計らって欲しいのです」

「うむ。今年はわらわの父が江戸から間渡矢に戻って来る。迎えの御座船にお福を乗せて、そうじゃな、九月の初めに間渡矢を出港させる事に致そう。半月もあれば江戸に着くはずじゃ」

「失礼、ひとつ言い忘れておりました、江戸に向かわせるのはお福様だけではなく、才姫様、そして恵姫様も同行してくださいませ」

「驚いたね、あたしに江戸へ行けって言うのかい」

「な、なんじゃと。わらわも江戸へ行けと申すか」


 思いもしなかった布姫の言葉に動揺の色を隠せない才姫と恵姫ではありました。

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