鶺鴒鳴その二 出現瀬津姫

 帰り道の四人は静かでした。港で布姫と毘沙姫を見送った後、再び城下への道を歩く恵姫たち。行く時には賑やかにお喋りをしていたのに、今はすっかり無口になってしまいました。たった二人居なくなっただけで、塩をかけられた青菜かナメクジのように、元気が萎びてしまったようです。


「恵、気を抜くんじゃないよ」


 とぼとぼと歩く恵姫を見て、才姫が尻を叩きます。毘沙姫が居なくなった今、いつ瀬津姫や忍衆が襲って来ても不思議ではないのです。しかも四人はそれを待っているのですから、余計に気を張り詰めていなくてはいけません。


「才ちゃん、瀬津ちゃん一人だけなら大丈夫だよ。こちらは四人も居るんだし、念のため次郎吉と飛入助も呼び出しているんだから」


 黒姫の肩には鼠の次郎吉、お福の頭には雀の飛入助が乗っています。この二匹は勘が良いので不意打ちを食らう事はないでしょう。


「ピピッ!」


 突然、飛入助が鳴き声を上げると、お福の頭を飛び立ち西側の茂みの中へと姿を消しました。


「どうしたのじゃ、飛入助」


 立ち止まる四人。しばらくすると別の鳴き声も聞こえてきました。


「チチッ、チチッ」


 それは港へ向かう時にも聞いた白鶺鴒の声でした。茂みから飛び立つ二匹。互いにもつれるように宙を舞っています。


「飛入助め。燕、鷹の次は鶺鴒に餌の捕り方を学ぶ気か。彼奴の食い意地は底無しじゃのう。才、あんな馬鹿雀は放っておいて先を急ごうぞ」


 歩き出す恵姫たち三人、しかし才姫は動きません。険しい顔で藪を睨み付けています。


「才、どうしたのじゃ、行くぞ」

「いい加減に出ておいでよ。あたしの力は知っているんだろ」


 それは藪に向かって投げられた言葉でした。歩き出した三人の表情が変わりました。才姫の言葉の意味が分かったからです。

 宙を舞っていた飛入助がお福の頭に戻りました。次郎吉が黒姫の肩から手の上に移りました。恵姫の右手が帯の中に差し込まれました。

 そうしてしばし沈黙の時が流れた後、ガサガサと音がして木立の陰から一人の女が姿を現しました。


「勘の良さは変わらないねえ、姉さん。さっき通った時も、ここに潜んでいるあたしに気付いていたんだろう」


 瀬津姫でした。三月に厳左たちを襲った時と同じく、しのび装束を身に着けています。


「嫌に素直に出て来るじゃないか。意地っ張りのあんたにしちゃ珍しいねえ」

「わざわざ布と毘沙を間渡矢から追い出し、警護の武士を断ってまであたしに会いたかったんだろう。出て来てやらなきゃ可哀想だと思ってね」


 やはり瀬津姫にはこちらの手の内は完全に知られていたのです。しかし今回はそれが逆に上手く働いたようでした。狙い通り瀬津姫は姿を現したのです。


「瀬津、忍装束がよく似合っているじゃないか。忍衆と手を組んだのは本当だったんだねえ。でもね、もういい加減に諦めたらどうなんだい。武家の世になってどれだけの時が経ったか、泰平の世になってどれだけの時が経ったか、それをひっくり返す事にどれだけの意味があるのか、あんたも分かっているだろう」

「意味はあるさ。こんな世が正しいって言うのかい。百姓に生まれれば一生百姓のまま、米を作っても米は食えず、貧しければ子を売って、子を間引いてでも親は生きる、こんな腐った世のために、あたしも姉さんもどれだけの苦労をさせられたか、もう忘れちまったのかい。こんな世が正しいって姉さんは本気で思っているのかい」

「忘れちゃいないさ。あたしだって徳川の世が正しいなんて思っちゃいない。けどね、たとえどんな世になったところで、嘆かなくちゃならない奴は必ず居るんだよ。誰もが満足できる完璧な世なんて作れっこないのさ。だったら今の世で頑張った方がいいじゃないか」

「そうだよ、だからあたしは頑張っているんだよ。徳川の世を終わらせ、姫の力を持つ者が上に立つ世にするためにね」


 言い合う二人を眺めながら、確かに瀬津姫と才姫は姉妹なのだと恵姫は感じました。言葉も、そして容姿もよく似ていたのです。それはまるでぶつかり合う二つの玉でした。同じ硬さ、同じ大きさの玉がぶつかり合っても互いに弾き合うだけ。決して寄り添いはしないのです。


「二人とも、姉妹喧嘩はそれくらいにしておかぬか」


 帯に差し込んでいた右手を引き抜くと、恵姫は才姫の前に出ました。その肩を才姫が掴んで引き戻そうとします。


「恵、あんたが出る事はないよ。布も言っただろう、瀬津の説得はあたしに任せるって」

「そうじゃが口喧嘩をしておってはまとまる話もまとまらぬ。まずはわらわが話をする。それで瀬津が納得しなければそなたに任せよう」


 才姫は不満そうでしたが、恵姫の言葉にも一理あります。肩に置いた手を引っ込めました。


「瀬津よ、そなたはほうき星と姫の力の減衰に、わらわたち伊瀬の姫衆が関わっておると思っておるのじゃろう。それは大きな間違いじゃ。わらわたちとてその原因はまったく分からぬ。記伊の姫衆同様、戸惑っておるのじゃ。忍衆と組んでその謎をわらわたちから聞き出そうなどと企むのはやめてくれぬか。それよりも伊瀬と記伊、二つの姫衆が手を組んでこの難題に取り組んだ方がよい。そう思わぬか」

「ふっ、口が巧くなったね、恵」


 瀬津姫は見下すような瞳をこちらに向けています。恵姫の言葉を全く信用していないのです。


「知ってるんだよ、与太郎……ほうき星と共に現われる三百年の後の世の男。この男が来ればほうき星の力は弱まり、姫の力は強くなる。そして、その男は恵の居る場所にしか現れない。つまりあんたが与太郎を呼んでいるんだ、そうだろう、恵」

『ちっ、与太郎の事も知られてしまったか……』


 心の中で舌打ちをする恵姫。瀬津が間渡矢に現われて既に五カ月が経過していました。その間に与太郎がこの世にやって来たのは十回を超えているのです、知られてしまうのも当然でした。

 しかし、これでもう瀬津姫に対しては何の隠し事もなくなってしまったのです。こうなったら全てを洗いざらいぶちまけよう、恵姫はそう決心しました。


「与太郎はわらわが呼んでいるのではない。無論、彼奴が来たくて来ているのでもない。よくは分からんがほうき星が昇ると勝手にこちらにやって来て、沈むと勝手に帰るのじゃ」

「勝手にだって。そんな出鱈目な嘘が通用するとでも思っているのかい。じゃあ、どうして与太郎はあんたの近くにしか現れないんだよ」

「それも分からぬ。まあ、正確にはわらわではなく、そこに居る女中のお福の近くに現われるのじゃがな、なんでも与太郎の好いているおなごとお福が良く似ているとか、先祖だとか、そんな事を言っておった」

「ふざけるのもいい加減にしな、恵!」


 瀬津姫は怒っています。適当な事を言われて揶揄われていると思っているのです。普段の恵姫の言動を考えればそれも仕方のない事でした。


「いや、ふざけてなどおらぬぞ。わらわは大真面目じゃ」


 間違いなく恵姫は大真面目です。しかし、この真面目な態度が更に瀬津姫を怒らせました。嘘をついて謝ろうともせず、厚かましく騙し続けようとする不遜な態度に見えたのです。瀬津姫の口元に殺気を帯びた笑みが浮かびました。


「そうかい、何があっても隠し通すつもりなんだね。あたしも随分嘗められたもんだ。あんたたち、どうしてあたしがこの場所に潜んでいたか分かっているのかい。あたしの後ろには小川が流れているんだよ」


 瀬津姫の髪が持ち上がりその先端が浅葱色に光り始めました。力尽くで口を割らせるつもりなのです。恵姫の右手が再び帯に差し込まれました。


「お福、そなたは姫ではない、下がっておれ。才、黒、油断するでないぞ」


 睨み合う四人。間を詰めたり広げたりしながら、互いに相手の出方を伺います。息苦しくなるような膠着状態がどれほど続いたでしょうか、不意にお福が叫び声を上げました。


「きゃっ!」

「あ、あれ……ここ、どこ?」


 聞き覚えのある声。四人が一斉にお福を見ると、その足元に一人の男が転がっています。与太郎でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る