天地始粛その四 次郎吉激走

 鷹之丞と亀之助が心血注いで製作した新型自動式扇風機。それを動かすべく先ほどから次郎吉と交渉を続けていた黒姫、恵姫がもち米の話を持ち出した途端、その顔が明るくなりました。いつも通りの陽気な声で鷹之丞に告げます。


「やったよ! 雀の涙ほどの興味が湧いたゆえ、試しに走ってみてもよきに候、だって」

「おお、それは有難い」

「あっ、でもそれはもち米のためとか、回し車で遊んでみたいとか、そんなのじゃなくて、夏中寝てばかりですっかり鈍ってしまった体を鍛えるために、安全な場所で走ってみたいからなんだって。その点だけは皆にしっかり伝えて欲しいって言われちゃった」

「ははは、次郎吉の奴、結構見栄っ張りだな」


 黒姫の話を聞いて毘沙姫が笑い出しました。そんな言い訳を聞かなくても、次郎吉がもち米目当てなのは分かっています。体の小さな鼠でも人と同じ虚栄心を持っているのが分かって、毘沙姫は可笑しくなってしまったのでした。


「毘沙、次郎吉の機嫌を損ねるような事を言うでない。わらわの努力が無駄になるではないか」


 とにかく次郎吉がようやくその気になってくれたのです。善は急げ、さっそく扇風機の回し車の内側に次郎吉を置きました。


「ああ、黒姫様、向きは逆にしてください。そちらに走られますと、風の向きも逆になりますゆえ」

「はいはい、これでいいんだね」


 鷹之丞の指示に従って次郎吉を置き直す黒姫。恵姫と毘沙姫は捩じり羽根の前に移動して回り出すのを待っています。


「では黒姫様、お願いします」

「次郎吉、準備はいい? じゃあ、走って!」


 黒姫の合図で次郎吉は走り出し……ませんでした。走ろうとしているのですが、動きが非常に緩慢でゆっくりゆっくりと歩いています。


「おーい、これではちっとも風が来ぬぞ」


 扇風機の前に座っている恵姫が揶揄からかうように声を掛けます。思わずむっとする黒姫。


「次郎吉だって頑張ってるんだから、そんな言い方しないでよね。ほら、次郎吉、頑張れ頑張れ」


 黒姫に応援されても次郎吉の動きは変わりません。重いのです。次郎吉の体に比べて扇風機が重すぎるのです。この仕掛けを動かすには、小さな鼠では余りに非力すぎるのでした。


「う~む、ならば……」


 鷹之丞は回し車に手を掛けると、それを回し始めました。最初はゆっくりとそしてだんだん早く。次郎吉の走りもそれにつれて早くなります。


「おお、来た来た。風が来たぞ。うむ、涼しいではないか」


 鷹之丞は回し車から手を離しました。次郎吉は走っています。その速度は落ちません。回し車の速度も変わりません。どうやら一旦回り始めてしまえば、鼠の力でもその回転を維持する事はできるようです。


「うまくいったようですね。次郎吉殿は疲れてはおりませぬか」

「そうだねえ、ちょっと訊いてみるね」


 黒姫は走っている次郎吉の体に触れるか触れないかという所まで手を伸ばして耳を澄ましました。


「うむ、これはこれで思いの外に楽しき遊具である。気持ちが良いのでしばらく走りたく候、だって。結構気に入ってくれたみたいだよ」


 鼠の気持ちなど分からない鷹之丞も、それを聞いて安心しました。黒姫の機嫌もすっかり良くなったようです。恵姫と毘沙姫も涼しい風に吹かれて満足そうです。次郎吉は野生の本能に目覚めたかのように無心で走っています。この扇風機のおかげで、座敷に居る全員が幸せになれたのでした。


「おや、風が弱まってきたようじゃのう」


 そんな幸せの時が永遠に続くほど世の中は甘くはありません。さすがの次郎吉も少し疲れてきたようです。走る力が弱くなると、回し車はすぐに止まってしまいました。


「次郎吉、お疲れさま。めぐちゃん、袋を貸して」


 約束通りもち米をあげなくては、温厚な次郎吉も何を仕出かすか分かりません。黒姫は恵姫から渡された紙袋を開けると、手の平に米粒を乗せました。


「はい、次郎吉お食べ……あっこら、お行儀が悪いぞ」


 次郎吉は回し車から飛び出して黒姫の手に乗るや、片っ端から米粒を齧り出しました。余程お腹が空いていたのでしょう。


「此度は大成功でしたな」


 動きの止まった新型自動式扇風機を点検しながら、鷹之丞は晴れやかな笑顔で言いました。納得のいく出来だったのでしょう。


「だが、これは黒が居なければ使えぬな。城に毎日黒を呼ぶわけにもいかぬ。便利とは言えぬのう」


 恵姫の厳しい意見です。そう言われるのを予め予想していたのか、鷹之丞は言い返します。


「いえ、黒姫様が居なくても、次郎吉殿が居なくても、回す獣が居ればよいのです。江戸では鼠を鳥のように籠に入れて飼っている者も多いと聞いておりますれば、間渡矢城でも鼠を飼い慣らし、回し車にて走らせれば十分使えるはず……」

「それはどうかなあ……」


 鷹之丞の話の途中で黒姫が口を挟んできました。


「どうかなあ、とは如何なる意味ですか、黒姫様」

「この扇風機、大きいし重すぎると思うんだなあ~。次郎吉って見掛けは普通の二十日鼠と変わらないけど、一応神器だから目も鼻も走る力も普通のネズミの数倍は優れているんだよ。それでも回し始めるのにあんなに苦労したでしょ。普通の鼠なら最初に勢いを付けて回してもらっても、それを維持するのは無理なんじゃないかと思うんだ」


 鷹之丞の顔が曇りました。鼠の力がどの程度のものかまでは考えに入れていなかったのです。


「なるほど。黒姫様の仰る事よく分かりました。まだまだ改良の余地があるようですね。軸を空洞にして軽くするか、軸受けに油をたっぷり染み込ませるか、いや、いっそ軸受け部分を鉄にして滑りを良くするか、だがそれでは重くなるか……」


 鷹之丞がぶつぶつ言い始めました。鳥を飼うだけでなく、仕掛けをあれこれ考えるのも大好きなようです。


「おい、鷹之丞、おまえ、からくり人形を知らぬのか」


 それまで黙って畳に寝転んでいた毘沙が、突然話し掛けてきました。驚いて答える鷹之丞。


「いえ、知っております。都の祭では山車の上に人形が乗り、糸で操作すると聞いております」

「そうだ。だが、糸で操らぬ人形もある。以前、大坂で人形芝居を見たのだが、その人形は人の手を借りずに手足を動かしていたのだ」

「そ、それはどのような仕掛けによるものなのですか」


 鷹之丞が身を乗り出して来ました。これは是非とも聞いておきたい話です。寝転んでいた毘沙姫はにやりと笑うと、鷹之丞の前に座って話し始めました。


「仕掛けを知りたくなるのは当然だろうな。おまえ同様、その時の私も知りたくなったのだ。最初は姫の力を使っているのかと思った。そこで芝居のかしらに訊いたのだが、姫の力は関係ないと言う。ならばどのように動かしているのだと訊いても教えられぬと言う。まあ、今、考えれば当然だ。それで銭を稼いで暮らしを立てているのだからな。仕掛けを教えて真似でもされてはたまったものではない。だが、その頃の私はまだ若輩者でな。本当は姫の力を使っているのにそれを隠そうと嘘を付いている、そのように思ってしまったのだ。そこで、まあ、何と言うか、背中の大剣を抜いて、少し怖い思いをしてもらったわけだ……」


 苦笑いする毘沙姫。鷹之丞も恵姫たちも詳しく訊こうとは思いませんでした。だいたい予想はつきます。


「で、からくりの秘密を教えてもらった。鯨の髭を使っているのだ」

「鯨の髭、それをどのように?」

「木でも竹でもたわめれば戻ろうとするだろう、その力を利用するのだ。長い短冊状にした鯨の髭を渦巻状に巻き撓め、それが戻ろうとする力で人形を動かしていたのだ」


 毘沙姫の話は黒姫にはよく分かりませんでした。恵姫は鯨と聞いただけでよだれを垂らしていました。しかし鷹之丞には、まるで目の前でその人形を見ているかのように、仕組みが理解できたようです。


「感謝致します、毘沙姫様。これで獣など使わぬ工夫の道が開けそうです。貴重な武勇伝をお聞かせいただき、ありがとうございます」


 頭を下げる鷹之丞に、いや、これは武勇でも何でもないと言いたげに苦笑いをする毘沙姫ではありました。

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