綿柎開その四 才姫の目的

 五人は山道を下っていました。間渡矢城から城下へ通じる道をゆっくりゆっくり歩いています。


「お福ちゃん、大丈夫? 無理してない?」


 先頭を歩く黒姫が振り返ってお福に尋ねます。お福はにこやかに首を横に振りました。疲れはほとんど感じていない様子です。ただしその歩みは随分と頼りなげで、毘沙姫に支えてもらいながら進んでいます。十日以上も寝ていたので足腰に力が入らないのは致し方のない事でしょう。

 毘沙姫が背負って行ってもいいのですが、お福を外に連れ出した一番の目的は体を動かす事です。ですから多少無理をしてでも自分の足で歩かせているのでした。


「わらわたちに気遣いは無用じゃぞ、お福。急いだりせず己の歩みを守って進むが良い」


 最後尾を才姫と並んで歩く恵姫が声を掛けました。結局この五人が庄屋の屋敷に向かう事になったのです。


「それにしても才が行くと言い出したのには驚かされたのう。他人事に首を突っ込むのは好かぬおなごじゃと思っておったが」


 隣を歩く才姫をしげしげと眺める恵姫。実際、数年前まで間渡矢に居た時には、才姫は御典医の屋敷から出る事は滅多になく、非常に人付き合いが悪かったのでした。


「いいじゃないかね。庄屋にももう何年も会っていないんだからね。たまには顔を見せるのも悪くないだろう」


 才姫にそう言われてもそれが本心なのか、他に目的があるのか、恵姫には分かりませんでした。それでも一緒にいる時間が長くなればなるほど、まだ心の底に沈んでいるわだかまりも小さくなっていく気がするのです。この機会に才姫との距離を少しでも縮めておきたいと思う恵姫でした。


 ゆっくりゆっくり進んでいてもさほど長くない山道はいつか終わりを迎えます。侍町を抜け、城下を東へ進むと、ほどなく庄屋の屋敷に到着しました。


「恵姫様、お久しぶりでございます」


 門を開けると田吾作が出迎えてくれました。いつもと変わらぬ朴訥な態度は恵姫にとっても懐かしく感じられました。


「おう、お主も元気そうで何よりじゃ。今日ここへ来たのはな……」

「分かっております。綿摘みの準備はできておりますれば、まずは茶でも飲んで一服なされませ」


 田吾作の言葉を聞いた恵姫は黒姫を見ました。手回し万全とでも言いたそうな得意満面の笑みが浮かんでいます。城に来る前からお福を綿摘みに誘うつもりで、全ての準備を整えていたのは間違いありません。つまりそれは、お福はとっくに治っていると黒姫自信が確信していたからに他ありません。


『黒に似合わぬ勘の良さじゃのう。それとも才が口添えでもしたのであろうか。熱が下がればどれ程で起き上がれるか、才ならば見当が付くであろうからのう』


 少々疑心暗鬼になる恵姫です。が、黒姫も才姫も知らぬ振りをしているので真偽の程は不明のままです。


「どれ、お言葉に甘えて一服するか」


 一方、毘沙姫は何の迷いもなく屋敷の玄関へ向かっています。それを聞いた恵姫も急に喉の渇きを感じ始めました。


「ふむ、そう言えば釣りから帰って何も口にしておらぬのう」


 城に戻って来た時には昼八つを過ぎていたので、お茶にありつけなかったのです。それに気付くと無性にお茶を飲みたくなるのが人というもの。恵姫も毘沙姫の後を追って、屋敷の玄関へと向かうのでした。


「お福様もすっかり元気になられたようで、何よりでございますな」


 座敷で出迎えてくれた庄屋は気前よく饅頭を出してくれました。さっそくかぶり付く恵姫。


「分かっておるではないか、庄屋。腹が減っては綿摘みはできぬからのう。ほれ、お福も食え。もぐもぐ」


 恵姫の命令で、ずっと粥ばかりを食べさせられていたお福は、実に幸せそうな表情で饅頭を頬張っています。


「あたしのも食べなよ、お福」


 才姫が自分の饅頭を差し出しました。遠慮しつつも手を付けるお福。食事の面でも相当不自由を感じていたのでしょう。さすがの恵姫も少々胸が痛みました。


『うむ、粥ばかり食べさせて可哀相な事をしてしまったわい。まあ良い。明日からは美味い物を食わせるよう磯島に言っておこう』


 あくまでも前向きに考える恵姫です。


 一服した所で恵姫、お福、黒姫の三人は屋敷の庭に出ました。毘沙姫と才姫は最初から綿摘みをするつもりはなかったようで、座敷に座ったままです。


「なんじゃ、才も毘沙もここへは饅頭を食いに来たのか」

「ああ、そうだよ。あたしたちの分もしっかり働いておくれ」


 才姫と一緒に綿摘みをして親交を深めようと思っていた恵姫は、当てが外れてがっかり顔です。しかし無理強いもできぬので、三人で庭の隅の小さな綿畑へ向かいました。


「毘沙姫様、才姫様、一杯やりながら寛いでくださいませ」


 庄屋は二人の前に酒徳利を置きました。毘沙姫の顔が綻びます。


「気が利くではないか、庄屋」

「わざわざ才姫様がいらっしゃったのです。毘沙姫様と二人で話があるのでしょう。私は席を外しますのでごゆるりと」


 頭を下げて庄屋は座敷を出て行きます。二人は茶の入っていた湯呑に酒を注ぎ合うと、顔を突き合わせて飲み始めました。


「さあ、聞かせてもらおうじゃないの、毘沙。記伊の姫衆、伊賀の忍衆、それに寛右の事を」


 数年間、青峰山に籠もっていた才姫は、間渡矢で何が起こっているかほとんど知りませんでした。定期的に伊瀬の斎主宮に召喚される為、伊瀬の姫衆に関する事柄だけはかろうじて分かっていましたが、それ以外の事は知る手立てがなく、才姫自身も知ろうとはしなかったのです。


「少し長くなるぞ。始まりは飛魚丸の死、あの時から比寿家は変わったのだ。寛右の並みはずれた忠誠心、それが完全に裏目に出てしまった」


 それから毘沙姫は間渡矢に来てからの出来事を才姫に語って聞かせました。瀬津姫の襲撃、寛右の激昂、蔵の忍具、土鳩による文の遣り取り。恵姫を巡って間渡矢城は一触即発の状態に置かれているのです。


「なるほどねえ。それで今は布がやって来るのを待っている訳かい」

「そうだ。私が間渡矢に留まる限り寛右は動けぬ。だからと言って永遠にここに留まる訳にもいかぬ。布の知恵を借りるしかないのだ」

「おかしいと思ったんだよ。長尻を嫌うあんたが、もう四カ月も間渡矢に居るってんだからね。何かあると思ったらそんな事情だったとはね」


 才姫は酒を呷ると毘沙姫に湯呑を突き出します。黙って徳利の酒を注ぐ毘沙姫。才姫も毘沙姫と同じく相当いける口のようです。


「もしいつまで待っても布が来なかったら、どうするつもりなんだい」

「このまま留まり続けるしかない。それでも何も起きないとは言えぬ。今年は恵の父が帰国する年だ。遅くとも九月末に江戸を立ち、十月の初めには戻って来るだろう。寛右としてもそれまでに始末を付けたいはず。となれば、私が居ても強硬な手段に出て来るかもしれぬ」


 向かう所敵なしの毘沙姫ですが、武力が勝っていれば決して負けないとは言えません。様々な策略や知略で劣勢をひっくり返した例は、この世にはごまんとあるのです。油断は禁物と言えましょう。


「分かったよ。あたしじゃ大して役に立たないと思うけど、もし何かあったら力になってあげるよ」

「有難い。才の命を奪う業、大いに役に立つ」

「冗談はやめとくれよ。知ってるだろ。人の命の大きさを。そこらを漂っている虫とは桁違いなんだ。どんなに頑張ってもせいぜい相手の腰を抜かす程度のもんさね。それよりも瀬津が間渡矢に来ているんなら、ちょっと会ってみたいね」


 才姫の最後の言葉を聞いて毘沙姫の顔が曇りました。無言で酒を呷り、庭に視線を移すと綿摘みをしている三人が見えます。あのまま何も知らぬ三人で居て欲しい、そう願いながら才姫に酌をしてもらう毘沙姫ではありました。

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