涼風至その四 二人の助っ人

 恵姫からいきなり扇風機製作を命じられた与太郎。三百年後の自分の時代でも容易には成し遂げられない注文です。それをこの時代で行うなど、無茶振りにもほどがあります。


「急に言われたって無理だよ。材料も道具もないんだもの。せめて手伝ってくれる人でも居なきゃ」

「手伝いか。今日は式日で人が居らぬからのう。よっこいしょっと」


 恵姫はのろのろと起き上がると縁側に出ました。葦簀の間から中庭を見回すと表御殿の玄関から誰かが出てきます。


「こりゃ、そのような場所で何をしておる!」


 恵姫の声に驚いてこちらを向いたのは鷹之丞でした。慌てて奥御殿へと走り寄り、縁側の下で片膝をつきます。


「これは恵姫様。拙者、土鳩の世話と交換をしておりました。一日も欠かすことのできぬお役目なれば、式日である本日も参上した次第でございます」


 文の遣り取りに土鳩を利用する事になった日から、城には鳥小屋が設けられ土鳩が飼われています。そのまま飼い続けるとそこを住処と勘違いし、空に放っても鷹之丞の屋敷に飛んで行かないため、定期的に別の土鳩と交換しているのでした。


「それはご苦労。丁度よい。お与太、鷹之丞に手伝ってもらえ」


 恵姫に言われて縁側に出て来た与太郎を見て、鷹之丞は目を見張りました。髪も顔も男の姿、それなのに身にまとっているのは女中の着物、誰がどう見ても奇妙です。


「お、お初にお目に掛かり恐悦至極に存じます。拙者、鷹之丞と申す者。与太郎殿、いや、お与太様の名はかねてより聞き及んでおりました。なにやら女中道を究めるために、身も心も女になる修行に励んでおられるとか。その立派な志に感服致しておりまする」


 感服すると言いながら鷹之丞の口元は笑っています。与太郎は恵姫に顔を近付け小声で尋ねました。


「ちょっと、また僕の事で変な噂を広めているんじゃないでしょうね。なんだかこの人、とんでもない勘違いをしているみたいなんだけど」

「ん、いや、別に。ありのままを伝えておるだけじゃ」


 とシラを切る恵姫ですが。本当は有る事無い事面白おかしく言い触らしていたのです。鷹之丞が変な勘違いをしているのも無理からぬ話でした。


「そんな事よりも、鷹之丞、これを見よ」


 恵姫は与太郎に書かせた和紙を鷹之丞に見せました。興味深げに描かれている絵を見詰める鷹之丞。


「これは何でございましょう。棒の先に団扇が三本くっ付いておりますが」

「これは扇風機と言うてな、与太郎の世では涼しくなる道具として使われておるものなのじゃ。二人で協力してこれを作ってくれぬか」


 鷹之丞は和紙を受け取るとじっくりと眺め始めました。何の説明文もない落書きのような絵ですが、単純な構造なのですぐに理解できたようです。


「どうやらこの取っ手を回して団扇を回転させ、風を吹かせる仕組みとお見受け致しました。これならば大八車の車軸などを利用して、容易に組み立てられましょう。城下の馬屋の敷地にある修理場ならば木工道具も揃っております。不要になった木切れなどを利用すれば、修理方への報告も無用と思われます」

「聞いたか、お与太。すぐに作れると申しておるぞ。直ちに城下へ行き作って参れ」

「あ、は、はい」


 慌てて玄関へ向かう与太郎。その間も鷹之丞はじっと和紙を見詰めています。


「恵姫様、もしよろしければ昨日馬番見習いに降格となった亀之助の手も借りたいのですが」

「亀之助、何故じゃ。お与太と二人だけでは無理か」

「無理ではございませぬが、亀之助はあれで手先が大変器用なのです。門番になる前は馬屋横の修理場で武具や建具などの修理ばかりをしておりました。手伝わせれば仕上がりも早く、美しい物が出来上がると思われます」

「相分かった。ならば手を借りるがよい」


 女中の覗きしか取り柄がないと思っていた亀之助の意外な面を聞かされて、少々驚く恵姫です。やがて玄関から与太郎がやって来ました。


「あの、もうすぐお昼なんですけど、太鼓の音が聞こえたら、ここに戻って来ればいいですか」

「阿呆、行き帰りの時間が勿体無いであろう。飲まず食わずで作り続けよ」

「そ、そんなあ~」


 情けない声を出す与太郎に鷹之丞が言いました。


「それならば拙者の屋敷で昼を召しあがってくだされ。馬屋からはさほど遠くないので手間も掛かりませぬ」

「あ、ありがとう~、鷹さん」


 恵姫の仕打ちが酷いだけに、鷹之丞の申し出が身に沁みて嬉しい与太郎です。


「お与太、急ぐ必要はないぞ。じっくり腰を据えて良い扇風機を作るのじゃ。夜まで掛かっても構わぬからな」

「はい、頑張ります。じゃあ行ってきます」


 こうして二人は扇風機を作るべく奥御殿を後にして城門へと歩き始めました。


「ふっふっふ。夕食が終わるまで帰って来ずともよいぞ、お与太」


 腕組みをして後姿を見送る恵姫はまた悪人面になっていました。


 * * *


「へえ~、それで三人は今も作っている最中なんだねえ~、ずずっ」


 黒姫がお茶を飲みながら感心しています。その横で毘沙姫はいつも通りの仏頂面です。


「団扇三本くらい同時に扇げる。わざわざ道具を作る必要もない」

「そう言うな毘沙よ。そなたにとっては団扇の一本も十本も同じ事であろうが、わらわたちにとっては骨が折れる。絵を見た限りではなかなか使い勝手がよさそうな道具じゃ」


 涼しくなった日暮れ時に間渡矢城にやって来た黒姫と毘沙姫。目的は与太郎持参の素麺を食べる事ですが、一緒に七夕を祝うためでもあります。七夕の最後を飾る笹竹の海流し、それを城の東の浜で行おうと、庄屋の屋敷からわざわざ笹竹を持ってやって来たのです。


「しかし我が城の笹竹にまで短冊をぶら下げるとはのう。昨日見付けた時は驚いたぞ。一体いつ吊るしたのじゃ」

「昨日の朝、登城する雁ちゃんに頼んで持って行ってもらったんだ。これまでお与太ちゃん、節供の時には必ずこちらに来ていたでしょう。だから七夕も絶対こちらに来るはずだから、一緒にお城で楽しもうと思ってね」

「城と庄屋の両方の笹竹に願をかけるとは、黒も毘沙も欲深じゃのう」

「そんな事はない。書いた言葉はどちらも同じだ。それより素麺はまだか。早く食わせろ」


 毘沙姫の興味は完全に素麺に向けられています。朝方、庄屋の屋敷で見せられた与太郎の素麺が見事なまでに美味そうだったので、その時からずっと毘沙姫の頭の中は素麺に占領され続けているのでした。


「おい、毘沙。念のためにいっておくがお代わりはないからな。己の分を食べればそれでお仕舞いじゃぞ。いつものように早食いせず、じっくり味わって食うようにな」

「ああ、分かっている。与太郎、じゃなく今はお与太か。お与太が帰って来る前に食いたいものだな」


 それは恵姫も同感でした。与太郎が来なければ自分の食い分が増えるからです。わざわざ城下へ扇風機を作りに行かせたのも、それを期待しての事でした。


『お与太の奴、どうやら手間取っておるようじゃな。わらわの思惑通りじゃ。ふっふっふ』


 二人は顔を見合わせてにんまりと笑いました。食い意地の張った者同士、何も言わずとも気心は通じ合うのです。


「お待たせ致しました」


 声と同時に葭戸が開き磯島が入って来ました。続いてお福、小柄女中。二人が持つ膳の器には糸の如き極細の素麺が綺麗に盛り付けられています。


「おお、待ちかねたぞ!」


 さっそく居住まいを正す恵姫、毘沙姫、黒姫。その前に素麺を乗せた膳がひとつずつ置かれていきます。


「おや、お与太様はまだお帰りではないのですか」

「うむ、残念ながら間に合わなんだようじゃ。ああ、心配無用じゃ。昼飯同様、夕飯も鷹之丞の屋敷で済ませてくるはずじゃからな。よってお与太の分の素麺はわらわと毘沙が……」


 そこまで恵姫が言った時、中庭から元気な声が聞こえてきました。


「めぐ様~、できましたよ~!」

「ちっ、帰ってきおったか。運の良い奴め」


 ギリギリで夕食の素麺に間に合った与太郎の陽気な声が、途方もなく憎らしく感じられる恵姫ではありました。

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