鷹乃学習その二 鳩飛脚

 真夏の青空の下、燦々と降り注ぐ陽の光を浴びて、恵姫はせっせと梅の実を並べていました。中庭の片隅に広げられた莚には、既にかなりの数の梅の実が並んでいます。所々、実ではなく種が落ちていますが、これは恵姫が摘まみ食いをして吐き出した種です。


「もぐもぐ、くは~、酸っぱいのう。漬ける前は甘くも酸っぱくもない無能な実であったが、こうして曲りなりにも梅干しらしい酸っぱさを身に着けおったか。うむ、褒めてつかわすぞ、二の丸梅林の梅の実よ!」


 恵姫にしては珍しく真面目に働いています。きちんと仕事を終えれば蔵から持ち出した料理書が貰えるのですから、頑張らない訳にはいきません。一緒に漬けた紫蘇の香りと梅本来の香りが混然一体となって、周囲は爽やかな芳香に満ちています。


「この調子で頑張れば昼までには終われそうじゃな」


 何もかも順調に進んでいる今日の恵姫、しかし邪魔者はいついかなる時でもやって来るものです。一心不乱に梅の実を並べる恵姫の耳に話し声が聞こえてきました。


「何じゃ、誰か中庭に居るのか」


 手を止めて声の聞こえた方を見ると、表御殿玄関に人影があります。厳左、お福、そして番方の役に就いて三年目の鷹之丞たかのじょうのようです。


「お福、あんな所で何を……」


 一旦気になると梅の実並べなどやってはいられません。恵姫は莚を離れると三人の元へ向かいました。すぐに厳左が気付いたようです。


「これは恵姫様。清々しい香りがすると思ったら梅の天日干しであったか。精が出るな」

「お主がお福を連れ出したりするから、わらわが代わりに働いておるのじゃ。ここで何をしておる」

「これでございます」


 厳左の横に立っていた鷹之丞が右手にぶら下げた鳥籠を掲げました。中には鳥が三羽入っています。


「それは土鳩であろう。神社や寺に住み着いて糞だらけにする困った鳥、それがどうかしたのか」


 恵姫に尋ねられた鷹之丞は少し誇らしげに説明を始めました。


「この三羽の土鳩は拙者が飼っております。恵姫様は御存じないかもしれませぬが、土鳩はどれだけ遠くに離されようと、必ず己の住処へ帰ろうとする習性がございます。そこでこの習性を利用して文の遣り取りに使えぬかと、ご家老様より相談を受けたのでございます」


 文の遣り取りは人力、もしくは馬などに頼るしかありません。それが鳥を使ってできるようになれば、今よりも遥かに便利になるはずです。


「ほう、鳥を使うとは面白い。じゃが、この城にはお福がおる。そんな土鳩など使わずとも、お福の力を頼ればよいではないか。島羽の一件でも雁四郎は雀に、厳左は鴎に、わらわたちの居所を教えられたのじゃろう」

「いつでもどこでもお福を使えるとは限るまい。それにお福の力は鳥を呼びよせるか、あるいはその場に待機させるだけだ。島羽での雀も鴎もお福の通り過ぎた場所に居続けただけで、我らの元へやって来たわけではない。試しに今朝方、野生の鳥や飛入助を呼んで試してみたが、操れるのは目の届く範囲。それ以上の遠方に向かわせる事は叶わなかった」


 厳左がお福を呼んだのはそれを確かめるためだったようです。そして結果としてお福の力では、鳥を使った文の遣り取りは難しいという結論に達したようでした。


「そうか。お福はわらわたちのような一人前の姫ではないからな。力が及ばぬのも致し方なかろう。では、お福の役目はこれで済んだのじゃな」


 梅の天日干しは元々お福の仕事です。厳左の用が終わったのならばすぐにでも取り掛かってもらい、自分は座敷でゆっくりしたいところです。しかし厳左は首を横に振りました。


「いや、もうひとつ手を貸して欲しい事がある。この土鳩が本当に文の遣り取りに使えるか確かめたいのだ」

「どのように確かめるのじゃ」


 ここで鷹之丞が再び誇らしげに説明を始めました。


「ご家老様は緊急の知らせを受け取るために、この土鳩を使いたいと仰っておられます。先ずはこの城で何かあった時、次は伊瀬へ向かう磯辺街道で何かあった時、三つめは海の要衝である間渡矢港で何かあった時、です。そこでこの土鳩の一羽目をこの城から放ち、二羽目を磯辺街道に近い乾神社から放し、三羽目を間渡矢港の網元の屋敷から放ちます。三羽とも無事に拙者の屋敷に帰り着けば、土鳩による文の遣り取りは成功したと言えましょう」

「それでは文が届くのは鷹之丞の屋敷ではないか。お主が文を受け取っても仕方がなかろう」

「鷹之丞の屋敷は我が屋敷のすぐ近く。大声を出せば届くほどの距離だ。すぐにわしの元に届く」

「ほう、ならば役には立ちそうじゃな」


 感心する恵姫。確かにこれはお福の力では不可能な鳥の使い方です。そしてこれが首尾よく行けば、今よりも城や街道の状況がすぐに屋敷の厳左の元に届くでしょう。が、恵姫にはどうしても腑に落ちない点がありました。


「お主たちのやろうとしている事は分かった。しかしその理由が分からぬ。戦国の世ならばいざ知らず、この泰平の世に間渡矢城や街道の様子をいち早く知った所で何になる。誰か攻めて来るとでも申すのか」

「むっ、それは……」


 言い淀む厳左。こんな事を考え出したのは、記伊の姫衆、それと手を組んだらしい伊賀の忍衆、そして次席家老の寛右の動きを逐一見張りたいがためなのです。厳左とて四六時中城に居るわけにもいきません。仮に屋敷に居る時に事が起これば、すぐに城へ駆けつける必要があります。そのための方策として毘沙姫とも相談の上、土鳩を使う遣り方を試そうとしているのです。

 ただ、これを恵姫に言っていいものかどうか、厳左は迷っていました。恵姫は寛右の企みを知ってはいないらしい、それどころか優秀な家臣として非常に信頼していると、毘沙姫から聞いていたからです。


『余計な事を教えて要らぬ心配をさせる事もあるまい』


 そう考えた厳左は別の理由を述べ始めました。


「毘沙姫様から聞いたのだが、何でも与太郎殿はあちらの世の文字や絵を、こちらの世には一切運べぬらしいではないか。それらは非常に重要で大きな物である、ゆえに運べぬとな。この世でもそれは同じではないか。たった一文字でもそれを知る事には大きな意味がある。早く知る事の意義はもっと大きい。知る事が遅れたために大変な損害を被った例は戦国の世から数えても枚挙がなかろう。ならば我らも早く知らせを受け取るよう尽力すべきである。それに土鳩は見掛けによらず速く強い。訓練次第では江戸まで半日で飛ぶ事もできると聞いておる。江戸に居られる殿との遣り取りにも十分使えよう」

「な、なんと、江戸まで半日とな」


 これには恵姫も驚かずにはいられませんでした。早飛脚でも三日はかかる距離です。それを半日で、しかも餌代だけで運んでくれるのですから、これを使わない手はありません。


「うむ、よく分かったぞ、厳左。土鳩による文の遣り取り、必ずや成功させるようにな。して、お福には今から何をさせるのじゃ」

「拙者が説明致します。お福様には乾神社へ鳩を運んでいただき、拙者の屋敷に向けて土鳩を放して欲しいのです。拙者は間渡矢港の網元の屋敷へ向かい、そこで土鳩を放します。そしてご家老様にはこの城から放していただくのです」

「乾神社か。遠いのう。今から向かえば着くのは昼じゃ。しかもお福一人だけで向かわせるのは物騒ではないか」

「その点は抜かりない。我が屋敷にて毘沙姫様が待機しておる。城を下って合流し二人で乾神社へ向かう手はずだ。無論、毘沙姫様には宮司殿への礼も兼ねて手弁当を持たせておる。庄屋殿特製の弁当をな」

「な、なんじゃと、庄屋の弁当じゃと!」


 恵姫の目の色が変わりました。これは余計な事を口にしてしまったとすぐさま後悔する厳左でありました。

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