梅子黄その四 怠け姫
お福も雁四郎も驚きました、如何に人の骨ではないと言っても髑髏に変わりはありません。それを恵姫は素手で掴んで持ち上げたのです。とてもうら若い姫様の取る行動とは思えません。
「め、恵姫様、何をなされるおつもりです」
さすがの雁四郎も声が震えています。
「まさか、食べるおつもりですか」
「馬鹿を抜かすでない。こんな物はこうしてやるのじゃ」
恵姫は髑髏を右手で鷲掴みにすると、大きく振りかぶって思いっ切り投げました。髑髏は回転しながら凄い勢いで飛んでいきます。さすが投げ釣り一町半の強肩の持ち主、そして羽根突き勝負では今年の正月に連敗した以外では負け知らずの達人。恵姫から放たれた髑髏は梅林を飛び越え、二の丸を横切り、小さな点となって曇り空の向こうへ消えていきました。
「ほおお~、これはまた何という豪腕であられましょうや」
雁四郎の驚嘆とも賞嘆とも分からぬ褒め言葉を聞いて恵姫は鼻高々です。
「どうじゃ、お福。これで恐れるモノはなくなったぞ。心置きなく梅の実を集めるが良い」
と恵姫が言い終わる前に、城の方から微かに時太鼓が聞こえてきました。
「おや、もう四つ時か。丁度良い。少し休むとしようぞ。わらわたち三人、よく働いたからのう」
恵姫はほとんど働いていません。わらわ以外二人と言い直して欲しいと雁四郎は思いました。さりとて髑髏騒ぎで雁四郎自身も集める気力が萎え、お福もずっと梅の実を集め続けていたので喉が渇いているはずです。ここは恵姫の言葉通りに一息入れる事にしました。
「あの木陰が休むには最適なのじゃ」
毎年そこで一服しているのでしょう。大木の根元には何かの礎石が多く残っていて、そこだけはあまり雑草が生えていないのです。三人は石に腰掛けて、磯島から渡された風呂敷包みを広げました。
「ほう、吸筒の他に蕎麦餅が入っておる。気が利くではないか。ほれ、受け取れ」
恵姫から手渡された蕎麦餅を見て、雁四郎が言いました。
「伊瀬への旅を思い出しますな。あの時も茶屋に寄って、焼いた蕎麦餅をいただきました」
「そうじゃな。あれからもう三月か。早いものじゃ。はぐはぐ」
蕎麦餅を食べる事に夢中な恵姫はそのままにしておいて、雁四郎は旅の思い出に耽っていました。限りなく広い空の下で、吹く風を頬に感じ、揺らぐ草や木の葉を見ながら食事をする、ただそれだけで不思議な旅情が胸の中に広がるのです。やはりいつか毘沙姫のように旅の中にこの身を置いてみたい、そんな切ない願望が雁四郎の中にふつふつと湧き上がってくるのでした。
「おい、雁四郎、口を半開きにして何を間抜け面しておるのじゃ。その蕎麦餅、食わぬのならわらわが食ってやるぞ」
「……いえ、今いただきます」
切ない願望は恵姫の食欲によってあっという間に粉砕され、世知辛い現実に引き戻された雁四郎は大人しく蕎麦餅を食うのでありました。
「さて、それでは始めると致しましょうか」
吸筒の水を飲み蕎麦餅も食べ終わった雁四郎は立ち上がりました。尻の砂を払っているお福も随分落ち着いてきた様子です。髑髏への恐れはもうほとんど残ってはいないのでしょう。一人、恵姫だけはまだ石に腰掛けて梅の実をもぐもぐしています。
「恵姫様、そろそろ始めねばすぐに昼になってしまいますよ」
「うむ、分かっておる。雁四郎たちは先に始めておれ。わらわはちょっと、その、何じゃ……そうじゃ、はばかりさまじゃ。分かるな。では行って参る。わらわの事は気にせず梅の実集めに励むが良いぞ」
はばかりと言われては雁四郎も口を閉ざすしかありません。恵姫はそそくさと梅林を出て、草むらの中を歩いて行きます。どんどん歩いて行きます。二の丸の外れまで来ると東に向きを変え、更に歩きます。用を足す素振りは全く見られません。やがて浜へ出る小道が見えてきたところで立ち止まると、周囲をキョロキョロと見回しました。
「ふっふっふっ、今年も上手く抜け出る事ができたようじゃな」
悪い顔でほくそ笑む恵姫。そう、はばかりとは真っ赤な嘘。梅集めを怠けるための口実だったのです。
実は恵姫は毎年梅の実集めの仕事を放り出して、途中で姿を消していたのです。それは磯島も知らない所業でした。なぜなら一緒に来ている女中たちは見て見ぬ振りをして、磯島には報告していなかったからです。
「今年付いて来たのは女中ではなく雁四郎とお福じゃが、わらわが磯島には秘密にしておけと命じれば口を割るようなことはするまい。さて、浜に下りて釣りでもするか」
意気揚々と山道を下り始める恵姫。毎年の事なので慣れたものです。油断しています。完全に気が緩んでいます。一番気を付けなくてはいけないのはそういう時なのです。
「ピピピピ!」
突然甲高い鳴き声が聞こえてきました。何事かと思う間もなく、頭に何かが乗ったと思うと、突かれるような痛みを感じました。
「な、何奴!」
驚いて両手で頭上を振り払う恵姫。何かが舞い上がりました。雀、いや雀にしては大きすぎます。でもどう見ても雀です。こんな大きな雀はこの世に一羽しか居ません。
「お主、飛入助ではないか。何故このような所に……ま、まさか」
高鳴る鼓動を抑えつつ元来た道を振り向けば、そこには人影がひとつ、お福です。
「ど、どうしてお福がここに」
咄嗟に言い訳を考えようとした恵姫。その考えがまとまらない内に、今度は小道の下の方から声が聞こえました。
「恵姫様。こんな所で何をしておいでなのです。まさか梅の実集めを放り出して、浜へ行こうとしているのではないでしょうね」
振り向かなくても分かります。雁四郎です。二人に挟み撃ちにされ進退窮まった恵姫。しどろもどろの弁解です。
「あ、いや、そのはばかりに行くには行ったのじゃ。するとチラリと海が見えてのう。なにやら飛入助らしい雀が浜辺で溺れておるようなので、これは助けに行かねばと……」
「ピピピピ!」
嘘を付くなとばかりに恵姫の頭を突く飛入助。かなり怒っています。このままでは特大の糞でも捻り出されそうな勢いです。
「痛いぞ、やめぬか飛入助。ああ、分かった、わらわの負けじゃ。済まぬ。ちょっと浜に行きたくなってのう。じゃが、すぐ戻るつもりだったのじゃぞ。ところで雁四郎とお福はどうしてこんな所におるのじゃ。もしや、二人とも梅の実集めを怠けたくてここに来たのではなかろうな」
「恵姫様と一緒にしないでください。磯島様から言い付かっていたのです。『どうやら姫様は毎年梅の実集めを怠けている節がある。女中たちと恵姫様が集める梅の量はいつも同じ、これは不自然に過ぎる。恐らくは最後に女中の梅の実を分けてもらって、自分の籠に入れているに違いない。どのように怠けているか突き止めていただきたい。予想では浜遊びの可能性が大。はばかりに行くなどと言い出したら、即座に浜への道を塞ぐように』と。そこで拙者は先回りしてここで待ち伏せしていたのです」
『磯島め、そこまで読んでおったのか。探りを入れるために最初から雁四郎を呼び寄せる魂胆であったのじゃな。如何にもわらわの注文を受け入れた風を装って雁四郎を加えたのは、実はわらわを油断させる罠であったのか。つくづく悪知恵の働く奴じゃ』
自分の悪知恵は棚に上げて磯島を悪し様に言う恵姫。しかしその罠に嵌ったのは自業自得。悪いのは梅の実集めを怠けようとした恵姫なのですから、文句を言うのはお門違いです。
「さあ、観念して梅林に戻りましょう、恵姫様。これからきちんと働けば、今年は真面目に働いていましたと磯島様には報告致しますよ」
どこまでも気の優しい雁四郎です。仕方なく諦め顔で小道を戻る恵姫。しかしその胸中で、今年きちんと働けば磯島も油断するであろうから、来年からは梅集めを怠けて思う存分浜で遊べるに違いないと、良からぬ事を企み始めている恵姫ではありました。
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