梅子黄その三 梅の実集め

 恵姫が胸の中をもやもやさせて歩いている内に、三人は二の丸の梅林に到着しました。予想以上の荒れっぷりです。


「枝も葉も下草も全てが伸び放題じゃ。毎年来るたびに酷くなっていくのう。人が手を入れねばここまで荒れ果てるものなのじゃな。これではもう梅林とは言えぬのう」


 梅の木には黄色くなった梅の実がポツリポツリと実っています。数は少なく実も小さく、全ての実を枝からもぎ取っても、一人分の籠が一杯になるかどうか心配になるくらいの量です。


「これは落ちている実も拾わねば、なかなか集まりませんな。拙者は高い枝に付いている実を集めましょう。恵姫様とお福殿は低い枝の実や、落ちている実を集めてくだされ」


 律義者の雁四郎はすぐさま梅の実を集め始めました。お福も草の間に落ちている実を拾い始めています。一方、嫌な仕事を怠ける為ならどんな苦労も惜しまない恵姫は、なかなか働こうとしません。


「ああ、雁四郎、取るのは黄色い実だけじゃぞ。青いのも取ってはよいが別にしておけ。磯島が『青と黄が混ざっていては仕分けるのが大変でございます』などと文句を垂れるからのう。ああ、お福、落ちている実を拾う時はカビなど生えておらぬかよく確かめてな。腐っておったり潰れておるのも駄目じゃぞ。磯島が『このような役に立たぬ実を取って来られてどうされるおつもりです』などと文句を垂れるからのう」


 磯島に文句を言われる前に恵姫に文句を言われているのですから、二人にとっては気分の良い話ではありません。そして今言ったことは、これまで恵姫が磯島から何度も聞かされている文句なのです。

 しかも耳にタコができるくらい言われているにもかかわらず、集める段になると面倒臭くなって青いのもカビ付きも腐れも潰れも、全部一緒に籠に放り込んで持って帰るので、毎年同じ小言を聞かされ続けているのです。そのおかげで磯島の文句をすっかり覚えてしまっているのでした。


「恵姫様、有難い御忠告感謝致します。されど姫様もそろそろ集められてはいかがですか」


 集める様子もなくふらふらしているだけの恵姫が気になるのか、雁四郎はこんな言葉を吐いてしまいました。臣下の分際で主に意見とは何事ぞ、と普段の恵姫なら逆上するのでしょうが、籠の中にはまだ一つの梅の実も入っていないのですから強い態度も取れません。


「ん、いや、わらわは吟味をしておったのじゃ。良質の梅の実だけを集めようと思ってな」


 などと口答えをしつつ手近にあった梅の実をもぎり取る恵姫。籠に入れるでもなくしばらくその実を眺めていたかと思えば、やにわに口の中に放り込みました。


「な、何をなさっているのです、恵姫様。実を食べにきたのではありませぬぞ」

「もぐもぐ、落ち着け雁四郎、吟味じゃ吟味。う~む、今年の実も不味い。実に不味い。昨年よりも遥かに不味い。年毎に不味くなっていきよる。見よ、雁四郎、この実を」


 種を口の中に含んだまま、もう一つ実をもいで半分齧り、雁四郎に見せる恵姫。


「どうじゃ、この貧相な梅の実。小粒であるのに種が大きいし皮が厚い。食える実の部分が少なすぎる。酸っぱくなく甘くもなく味気ないことこの上ない。こんな実ですら集めて梅干しなどに利用せねばならぬとは、比寿家も落ちぶれたものじゃのう」

「それは仕方ありませぬ。全く手入れをしていないのですから。さりとてこれでも立派な梅の実。梅干しにすればそこそこ食べられるようになります。城の者も喜んで食べておりますぞ」


 恵姫は口の中の種を吐き出し、齧り掛けの梅の実を口に放り込むと、荒れ果てた梅林を見回しました。この城が建てられた当初はこの梅園もきちんと手入れされ、毎年美しい花を咲かせ、多くの梅を実らせていたのでしょう。それが今ではこの有様。出来る事なら昔のような立派な梅林にしたいのです。しかし今の比寿家の財力を考えれば、それは叶わない望みでした。


「梅林の手入れに銭を掛けるよりも、美味い梅の実を買うた方が安くあがるからのう」

「記州の梅でございますね。あれは実も大きく皮も薄く美味しゅうございますな。庄屋殿が毎年作る梅干しにも、記州産を使っていると聞いております」

「この梅とは種類が違うのじゃろうな。手入れをした所で実の大きさも皮の厚さも今とさほど変わるまい。それでは手入れに銭を掛ける意味がますますなくなってしまう。この梅林には申し訳ないが、このまま荒れるに任せるしかないようじゃ。それでも梅干しにできる程度の実が生る内は、有難く取らせてもらうとしようぞ。ぺっ」


 食べていた梅の種を吐き出すと、ようやく恵姫は梅の実を集め始めました。それを見て再び枝の実をもぎり始める雁四郎。お福は二人から離れた所で黙々と集めていたので、籠の中には既にかなりの量の実が入っています。三人の梅の実集めもやっと軌道に乗って来たようです。


「きゃ!」


 突然お福が叫び声を上げました。気付いた雁四郎がすぐに走り出します。


「お福殿!」


 これがもし恵姫ならば「なんです? 腹でも減りましたか」とその場で尋ねるだけですが、声を上げたのがお福ならば話は別。一目散に駆けつけて、

「如何致した、お福殿。大丈夫でござるか」

 と、優しく問い掛ける雁四郎です。


「ふ、何が『大丈夫でござるか』じゃ。どうせ狸のため糞でも踏んづけたのであろう。お福もあれで少々抜けたところがあるからのう」


 雁四郎の慌てぶりを冷めた目で眺めながら、また梅の実を齧り始める恵姫。作業を中断されて集中が切れてしまったようです。


「お福殿、何を怯えておられるのです」


 雁四郎が問い掛けてもお福は体を強張らせたまま、小刻みに震えるだけです。そしてその手は怖々と草むらを指しています。


「あちらに、何かあるのですか」


 お福は小さく頷きました。しかし指し示す場所を見詰めても特に何かが潜んでいる気配はありません。度胸のある雁四郎も正体が分からない以上、ここは慎重にいくことにしました。そろりそろりと草をかき分けて進んで行きます。


「雁四郎、マムシが居るかもしれぬぞ。気を付けてな」


 雁四郎のへっぴり腰を見て茶々を入れる恵姫。怖がっている者を更に怖がらせようとする恵姫の悪い癖です。やがて雁四郎の足が止まりました。


「これは……髑髏どくろでござるな」

「なんとじゃと! こんな場所で野垂れ死んだ者が居ると言うのか」


 齧っていた梅の実を放り出して雁四郎の元へ走る恵姫。生きている者は何を仕出かすか分からないので用心せねばなりませんが、死んでいる者は悪さをしないので安心して近付くことができます。


「どれどれ、どんな間抜けが野ざらしになっておるのじゃ」


 興味津々で覗き込む恵姫。そこには白く小さな頭蓋骨がポツンとひとつだけ転がっていました。その大きさから人の骨でないことは明らかです。期待を外されがっかり顔の恵姫です。


「ふっ、詰まらぬ。獣のこうべではないか。狐か狸か山犬か、大方そんな所であろう。お福、これくらいで怖がってどうする。このような物、人の通わぬ場所へ行けば飽きるくらい転がっておるわ。毘沙など人骨が散らばる野で一晩過ごした事もあると言っておったぞ。少しは見習え」

「いや、幾ら何でもそれは無理でございましょう、恵姫様」


 人の骨ではないにしても髑髏は気味が悪いものです。お福が怖がるのも無理はありません。恵姫に叱咤されても体はまだ小刻みに震えています。


「仕方ないのう」


 そう言っていきなり身を屈めると、転がっている頭蓋骨をむんずと掴んで持ち上げる恵姫ではありました。

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