腐草為蛍その四 神器蛍丸

 あくる日も空はどんよりと灰色でした。寝床の片付けも朝食の支度にも磯島は姿を見せません。昨日と同じく小柄女中が取り仕切っています。


「磯島の具合はどうじゃ」

「はい、昨日と同じく床に臥したままでございます。お食事もほとんど取ってはおられない御様子です」


 女中の沈んだ声と暗い表情から、磯島の容態は良くなるどころか、むしろ悪化していることが容易に見てとれました。


「そうか、引き続き世話を頼むぞ」


 恵姫は朝食を済ませると縁側に出ました。雲は垂れ込めていますが雨の心配はなさそうです。今日は城外に出ても問題はないでしょう。けれどもこんな重い心のままで浜遊びなど楽しめるはずがありません。


「やはり今日も磯島を見舞いながら奥御殿で過ごすとするか……おや」


 中庭の池の端に人影が二つあります。厳左と雁四郎です。恵姫は庭に下りると声を掛けました。


「厳左、また鯉の餌やりか。ご苦労じゃな。雁四郎はえらく早いではないか。まだ登城の時ではなかろう」

「昨日は寝ずの番にて一晩中城の警護をしておりました。これより屋敷に帰るところなのですが」

 ここで言葉を切った雁四郎は厳左に顔を向けました。

「ご家老様、先程の件、恵姫様にもお聞かせした方がよろしいのではないでしょうか」


 頷く厳左。再び恵姫に向き直った雁四郎は緊張した面持ちで言いました。


「実は昨晩、怪しき人影を見付けたのです。灯りも持たず遠目だったゆえ最初は見間違いかと思っておりました。が、雲が切れ、ほんの僅かながら月明かりがその姿を照らしたのです。紛れもなく磯島様でございました」

「磯島が! それは誠か、雁四郎」


 それから雁四郎は恵姫に詳しく語って聞かせました。人影はすぐに奥御殿に消えてしまった事。昨晩だけでなく一昨晩も寝ずの番の亀之助が、中庭を歩く怪しい人影を見ていた事。手には箱のような物を持っていた事。磯島に背格好が似ていた事などなど。


「二晩続けて曲者の侵入を許したのが事実なら忌忌ゆゆしき事態だが、それが磯島殿ならば致し方あるまい。時に姫様、今、磯島殿はどうされておる」


 厳左に問われた恵姫にも話したい事はあります。


「磯島は床に臥せておる。昨日よりも容態は悪いようじゃ、それよりもな、厳左、雁四郎、聞いてくれ」


 そうして恵姫は虫籠とその中の小刀の話をしました。磯島の異常なまでの執着と小刀の様子の変化。腑に落ちない事ばかりです。話を聞いていた厳左は次第に険しい顔付きになっていきました。


「小刀か。この目で確かめた方が良いな。持ち出せぬとあらば、こちらから出向くまで。付いて来い、雁四郎」


 厳左は奥御殿目指して歩き始めました。慌てる雁四郎。


「いや、しかしご家老様、奥御殿は男子禁制。拙者如きが足を踏み入れるのは……」

「火急の用ある時は許されておる。お主も小刀の最初の姿を見た一人。その目で確かめよ」


 玄関に着くと何の遠慮もなく上がり込む厳左。控え目に付いて行く雁四郎。いつも通りの恵姫。廊下を進む三人は磯島の部屋へ着くと、躊躇なく襖を開けました。看病の女中が驚いた顔をしています。


「御免。止ん事無き事情により改めさせてもらう……これか」

 厳左は床の間の虫籠を手に取りました。中には小刀が一本入っているだけです。

「これは小柄こづかだな。しかし古びてはおらぬ。すぐにでも使えそうな程に手入れされておる」

「そんな馬鹿な」


 厳左の言葉を聞いて虫籠を覗き込んだ雁四郎は我が目を疑いました。錆も刃こぼれもありません。三日前に川辺で見た小刀とは全く別の姿になっています。


「何故このような事が起きておると思う、厳左よ」


 恵姫の問いに考え込む厳左。虫籠の中の小刀、これが原因であるにしても何故磯島なのか、どうすればこの呪縛を解き放つことができるのか、厳左には分かりませんでした。


「この小柄には怪しい気配を感じる。恐らく妖刀の一種なのだ。されば毘沙姫様の知恵を借りるのが良かろう」

「毘沙の? 何故そう思う」

「毘沙姫様は諸国を遍歴され様々な刀を見知っておられると聞いておる。それに磯島殿の虫を操る力、これは姫の力と関わりが深いもの。刀と力のどちらにも造詣が深い毘沙姫様ならば、解決の糸口を見付けられるかもしれぬ」


 恵姫にも雁四郎にも他に良い手立てはありません。ここは厳左の意見に従う事にしました。

 厳左は表御殿に戻るとさっそく庄屋の屋敷に使いを出しました。雁四郎は寝ずの番だったので一旦城下の屋敷に戻って仮眠し、恵姫は自分の座敷に戻って毘沙姫が来るのを待つことになりました。


 そうして半刻も経った頃、廊下から声が掛かりました。


「恵姫様、毘沙姫様が参りました」


 と女中が告げるのと同時に座敷に入って来る毘沙姫。


「急ぎの用とは穏やかじゃないな。黒が怒っていたぞ、一番忙しい時に居なくなるのは困ると。美味い物が食えるんじゃなければ来なかったぞ」


 どうやら毘沙姫の食い意地に付け込んで連れて来たようです。恵姫は苦笑いしつつ毘沙姫に事の成り行きを話しました。興味無さそうな顔で聞いていた毘沙姫も次第に真顔になっていきます。


「なるほど面白そうだな。見てみるか、その小刀」


 話が終わった時には既に厳左が奥御殿に来ていました。三人揃って磯島の部屋に入ると、毘沙姫は床の間の虫籠に気付いたようです。すぐに掴んで中の小刀を取り出しました。


「なるほど確かにただの小刀ではない。が、……この気配、どこかで感じた、どこだ……」


 まじまじと小刀を見詰める毘沙姫。妖しい光を放つ小刀。まるで互いに言葉を交わしているかのようです。


「虫籠、蛍……そうか、蛍か。思い出した。蛍丸ほたるまるだ。ははは、そういう事か」


 毘沙姫が笑い出しました。恵姫と厳左は期待の眼差しで詰め寄ります。


「何を思い出したのじゃ、早く話せ毘沙よ」

「厳左の見立て通り、これは小柄だ。そして恵の印籠や黒の小槌と同じく神器のひとつ。かつて剣技随一と言われた姫、蛍姫ほたるひめの神器だ」


 それから毘沙姫は蛍姫にまつわる話を語り始めました。諸国を巡る旅の中で肥後の国を訪れた時、一日の宿を求めた阿蘇の神宮にその宝刀はあったのです。大太刀蛍丸……足利の世に生きた蛍姫の神器。その剣技は古今無双の技量であり、加えて蛍を操る業をも持っていた蛍姫は、蛍丸の刃が欠けたりこぼれたり鈍ったりする毎に蛍を集め、その光で神器を修復していた、そんな伝説が残る宝刀でした。


「蛍の光で刀を修復とは……そんな姫がおったとはのう」


 恵姫も厳左も初めて聞く毘沙姫の話に、ただただ驚くばかりです。


「蛍姫が寿命を終えると終焉地である肥後の国の神宮に蛍丸は奉納された。しかし蛍姫の神器は蛍丸だけではなかったのだ。普通、太刀鍔たちつばにはひつがない、ゆえに小柄もこうがいも装着できない。だが蛍丸には櫃があった。装着すべき小柄も笄も存在したのだ。そしてその二つの神器は蛍姫の死後、行方知れずになった」


「では、この小刀が蛍丸の小柄であると……」


「そうだ。しかもこの小柄からはもうひとつ別の力を感じる。一つは蛍丸本来の物、そしてもうひとつは、恐らく蛍姫に仕えていた蛍だ。黒の次郎吉やお福の飛入助のように生き物の神器。それが蛍姫の死後、この小柄と一体となったのだろう。そして長い年月をさ迷いながら再び蛍の光によって修復される時を待っていたのだ。磯島の力は虫を操る業。蛍姫と同じ力だ。それ故にこの小柄と共鳴しその力を利用されたのだ。普通の姫ならば蛍を集めるくらいは容易い。しかし磯島は姫ではない、ほんの僅かな姫の力の行使も、体と心に大きな負担となる。こうして寝込むほどに」


 毘沙姫の話を聞いていた恵姫と厳左は、その知識と経験の豊富さにただ驚くばかりでした。単なる大食いの怪力娘ではないことがようやく分かったのです。


「ならば今すぐこの小柄を壊せばよいではないか。さすれば磯島も神器の執念から解放されよう」

「いや、それは意味がない。壊せば蛍の光で修復しようとするだけだ。磯島と神器の繋がりを断つには、神器が顕現する時――蛍を集めて修復を開始するその時に破壊するしかない」


 毘沙姫は小刀を虫籠に戻すと床の間に置きました。


「今晩も磯島は蛍を集めに城外へ出るだろう。その時を待って破壊する」


 恵姫も厳左も無言で頷きました。毘沙姫さえ居れば恐いものなしです。


「そうと決まれば腹ごしらえだ。おい恵、厨房はどこだ、案内しろ」


 二人に構わず磯島の部屋を出て行く毘沙姫。緊張が一気に解れて知らぬうちに頬が緩んでしまう厳左と恵姫ではありました。

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