牡丹華その五 本当の美味しさ

 全員に小皿の鯛焼きが行き渡った所で、さっそく試食会の開始です。


「では味わうとするか。はぐっ!」


 いきなり鯛焼きにかぶり付く恵姫。それを見た四人も一斉に口にしました。


「少ないな。食った気がせん」


 最初に口を開いたのは毘沙姫です。一匹の六分の一という小ささだったので、まるで飲み物の如く食べてしまいました。


「あ、どうでしたか、毘沙様」


 恵姫の例に倣い、与太郎は全ての姫を様付けで呼ぶことになっています。感想を聞かれて毘沙姫は答えました。


「菓子の味だ。鯛の味はしなかった」

 これは菓子であって鯛ではないのですから当たり前です。どうやら満足に味わうことなく食べてしまったようでした。


「うむ、まあ、結構な菓子でした」

 毘沙姫の次に食べ終わった雁四郎の感想です。


「……」

 お福の感想です。お茶を飲んでいる表情からは、どう感じたのかはさっぱり分かりません。


「甘いお菓子はいいねえ」

 半分の鯛焼きを食べ終わることなく黒姫が言いました。見れば二口ほどしか齧ってはいません。表情も冴えません。明らかにお気に召していない様子です。


「これは……これは、いったい何なのじゃ」

 最後に恵姫が食べかけの鯛焼きを与太郎に突き出して言いました。その顔には怒りの色が浮かんでいます。


「何って、だから鯛焼きだけど」

「名を問うているのではない。この皮は何じゃ。うどんや饅頭と同じく小麦の粉かと思うたが全くの別物。一体何の粉を焼いたのじゃ。中に詰まっておる小豆餡も妙なえぐ味がある。なにより、このくどくなるほどの甘さはどうじゃ、胸やけがしそうじゃわい。お主の世ではこんな食い物とは言えぬ代物を、わざわざ銭を出して食っておるのか」

「そ、そんな、めぐ様、それは言い掛かりだよ。ね、他のみんなはどうなの。美味しくなかったの」


 与太郎は鯛焼きを食べた他の四人を見回しました。黒姫もお福も雁四郎もただ黙って顔を伏せています。それだけで口に合わなかったことははっきりと分かりました。


「いや、美味かったぞ。黒、食わぬのなら食ってやる」

 と言った毘沙姫だけは例外でしたが、どうやら味音痴のようなので当てにはなりません。


「どうじゃ、他の者もわらわと同じく美味いとは思ってはおらぬのじゃ。与太郎、はっきりと申せ。この菓子は何を用いて作られておるのじゃ」


 みんなに喜んでもらいたい、美味しい物を食べてもらいたい、そう考えて二日に一度鯛焼きを買い、総額千五百円のお小遣いを費やしてしまった与太郎にとって、鯛焼きが不味いと判断された事は大きな精神的衝撃でした。

 しかし考えてみれば、恵姫の言う通りなのです。花見の宴で食べたお手製の刺身、それは回転寿司のネタとは比較にならぬ旨さでした。もし、与太郎のいつも食べている寿司を恵姫たちに食べさせたとすれば、今日の鯛焼きと同じ反応を示すでしょう。与太郎の世の食べ物は恵姫たちにとっては単なる紛い物に過ぎないのです。


「そうか、皮にはペーキングパウダーが入っているんだ」

「何じゃ、それは」

「膨らし粉って言って、焼くとふっくら仕上がるような、一種の薬みたいなものかな」

「く、薬じゃと。そんな怪しい物を粉に混ぜておると言うのか」

「それに小麦も多分輸入物。日本に着くまでに何日もかかるから、虫が付かないようにやっぱり薬を使っているんだろうなあ。小豆餡は小豆を煮て作るより、餡をそのまま輸入した方が安いから、甘味料や保存料が使われているんだろうし、それに小麦も小豆も育てるのに農薬を使うから、それも味に影響しているのかも。あ、でも大丈夫だよ。人体に害はない程度の量の薬しか使っていないはずだから」


 恵姫の手から鯛焼きが落ちました。与太郎の話もまた恵姫にとっては大きな精神的衝撃だったのです。


「わらわたちの子孫はそんな情けない食い物を作っておるのか。三百年の後の世はそんな紛い物で満ち溢れておると言うのか。何と嘆かわしい事じゃ。与太郎、そなたの腑抜けぶりも納得が言ったわ。こんな物を食っておるから、好きなおなごの一人も物にできぬのじゃ」

「それとこれとは関係ないでしょ」

「そうだぞ、恵。食わないのなら食うぞ」


 黒姫の食べ残した鯛焼きを全部平らげてしまった毘沙姫は、恵姫の手から落ちた鯛焼きを拾おうとしました。が、恵姫は素早く拾うと、また食べ始めました。


「ああ、不味い、不味い。何じゃこの皮は。何じゃこの餡は。尾も鱗も立派であるのに見掛け倒しもいいところじゃわ。はぐはぐ。ふは~、おい、茶をくれ」


 何だ彼んだ言いながら全部食べてしまった恵姫です。不味いながらも全く食えない訳でもないようでした。それに恵姫の先ほどの言葉は、発想が飛躍し過ぎています。自分の生きる時代の名誉のために与太郎は弁解を試みることにしました。


「めぐ様、僕の持って来た鯛焼きだけで、僕らの時代を判断してもらっちゃ困るよ。国産の小麦や小豆を使って、添加物を入れず、自家製の餡を中に詰めて作られた鯛焼きだってあるんだよ。それならきっとめぐ様の口に合うと思う。でもそれは高くて僕にはとても買えなかったんだ。だからさ、今日食べた鯛焼きだけで僕らの時代を馬鹿にするような真似はやめてくれないかな」


 それを聞いた恵姫の表情が変わりました。当然、次に出てくる言葉は予想が付きます。


「ほう、ならば今度ここへ来る時は、その高価な鯛焼きを持って参れ」

「いや、だから無理だって言っているでしょ」

「無理を克服するから人は進歩するのじゃ。そんな事ではいつまで経っても浪人のままであるぞ」

「浪人と鯛焼きは関係ないでしょ」


 これでは堂々巡りで話が前に進みません。額に恵皺を浮かべて事の成り行きを見守っていた磯島が、やっと口を開きました。


「我儘もそれくらいになさいませ、姫様。後の世の食べ物を味わおうとする企みが、そもそも間違っておられるのです。与太郎殿の鯛焼きが私たちの世の鯛焼きより優れているのはこの外見、それだけではありませぬか。ならば、与太郎殿、このような外見をこの世でも作れる工夫、それを見出してくださいませ。そうすれば姫様も納得されましょう」

「おう、磯島、良い事を言うではないか。その通りである。うむ、聞いたな与太郎。頭を絞って良き工夫を見付けるのじゃぞ」


 どうして受験勉強で忙しい自分が、ただでさえ足りない知恵をそんな事に回さなければいけないのかと、非常に疑問に感じる与太郎ではありました。さりとて、自分の生きている時代がこのまま馬鹿にされ続けるのも癪に感じられるので、一応、考えるだけは考えてみようとも思うのでした。


「さて、これで鯛焼きの会は終わりだな。与太郎、外に出ろ。稽古をつけてやる」

「えっ、毘沙様、何を!」


 いきなり毘沙姫に腕を掴まれ、驚く与太郎です。


「何をじゃない。浪人生活を終わらせたいのだろう。稽古をつけてやる」

「おお、与太郎殿、滅多にない幸運ですぞ。毘沙姫様はお爺爺様、いえ、ここに居られるご家老様より腕が立つ日の本一の剣豪。与太郎殿のたるんだ性根も、すぐさま鍛え上げられることでございましょう」


 雁四郎は羨ましそうに与太郎を見ています。きっと自分も毘沙姫に稽古をつけてもらいたいと思っているのでしょう。

「あ、はい……あ、ありがとうございます」


 もはや逆らっても仕方ないと思っているのか、毘沙姫に腕を掴まれたまま素直に小居間を出る与太郎。廊下の明かり取りの窓から外を見れば、既に雨は止み、中庭には桃色の花が咲いています。


「ああ、牡丹が咲いている。この前の日曜日に城跡公園に行った時にはまだ蕾だったのになあ」

「阿呆あれは牡丹ではなく芍薬じゃ」


 二人の後に続いて廊下に出てきた恵姫に訂正され、恥ずかしそうに頭を掻く与太郎。ふと、恵姫はある事に気付いて与太郎に尋ねました。


「おい、与太郎、お主の世でも、今、芍薬が咲いておるのか」

「うん。そう言えば、ここはいつでも僕の時代と同じ季節だったなあ」

「今度来る時は季節だけでなく、お主の世の日付や時刻なども覚えておけ。分かったな」

「あ、はい」

「恵、話は済んだか。じゃあ、行くぞ与太郎」


 二人は表御殿の玄関に向かって廊下を歩いて行きます。恵姫は明り取りの窓から中庭の芍薬を眺めました。開いたばかりの桃色の花びらには雨の雫が光っていました。

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