草木萌動その四 神海水

 

 見下すような目で恵姫を見ながら、与太郎は言いました。


「僕の立場を考えろだって。ふっ、何を言っているのやら。立場を考えなきゃいけないのはそっちでしょう。勝手に人を拉致しておいて何を偉そうなことを言っているんです。それにね、ずっと言おうと思っていたんですけど、なんですか、その姫とかいう小娘。よくそんな顔と未発達な体で女優なんてやってますね。鏡を見たことあるんですか。僕なら恥ずかしくて、とてもテレビカメラの前に面を晒せませんよ」

「き、貴様、恵姫様を愚弄する気か」

「与太郎、調子に乗るのもいい加減にせよ。わらわほど美しく聡明な姫がどこに居ると言うのじゃ」


 与太郎を諌めるつもりで口を挟んだ恵姫でしたが、完全に裏目に出てしまったようです。


「これだから自信過剰な娘は困るんですよね。この番組のプロデューサーだってそうですよ。視聴者のニーズを読み間違えているんじゃないですか。何が悲しくて江戸時代設定なんですよ。戦国時代ならまだしも、こんな天下泰平の世の中なんて何の面白味もありゃしない」

「そ、それは徳川家に対する冒とくではないか」


 厳左の拳がぶるぶると震え出しました。怒りは一段と激しさを増しているようです。大書院に居並ぶ家臣も磯島たちも、厳左に恐れをなして顔が青ざめています。が、まったく空気の読めない与太郎は尚も軽口を叩き続けます。


「徳川家、ですか。ふん、くだらない。偉そうにしたって元は三河出身の田舎侍。そんな奴によくもまあ忠誠なんか尽くせたもんだと思いますよ。まあ、徳川の世が十五代で終わると知っていれば、こうも糞真面目に将軍に対してへこへこしたりはしなかったんでしょうけどね」


 大書院に水を打ったような静けさが広がりました。徳川の世にあって、決して口にしてはいけない、言葉にしてはいけないことを与太郎は喋ったのです。厳左ですら余りの衝撃に我を忘れたほどでした。しかし、すぐに己を取り戻すと、目の前に平然と座る与太郎を睨み付けました。


「なるほど、これでようやく合点がいったわ。こやつはやはり異国の者。その狙いは徳川家の転覆。我らの城に忍び込み、徳川家から離反するように我らをたぶらかし、そそのかし、我らを逆賊に仕立て上げる。日本のあちこちで同じ騒ぎを起こし、天下泰平の世を混乱に陥れる。それがこやつの目論見ぞ。そうであろう、与太郎」

「いや、そそのかすも何も、本当にそうなってるし」

「黙れ。そんな夢物語、誰が信じるか。姫様、騙されてはなりませんぞ」


 恵姫は考えていました。与太郎の語る内容は余りにも突拍子過ぎます。どうしてそんな作り話をするのか、その理由を知りたいと思ったのです。


「与太郎、ひとつ尋ねたい。元号も元禄となり徳川家はすでに五代目。もはや戦国の世は遠い昔じゃ。じゃが、お主は徳川家の世が十五代で終わると申しておる。ならば徳川家の次は誰が将軍となるのじゃ。まさか我ら比寿家の世になるとでも言いたいのか」

「ご冗談を。もう武士の世は終わるに決まっているじゃないですか。将軍が世を治めるなんてナンセンス。そんなちょんまげも着物も、テレビの中でしか見られないですしね」


 この言葉を聞いて、遂に厳左の怒りが頂点に達したようでした。


「おのれ、我ら武士まで愚弄するとは、許せぬぞ与太郎。姫様、これ以上の話し合いは無用。このようなやからを生かして帰したとあっては、我らまで謀反の疑いを掛けられましょう。下手をすれば比寿家の存続さえも危うくなる。与太郎、もはや貴様に釈明の余地はないぞ」

「落ち着け、厳左」


 そう諌める恵姫でしたが、厳左の怒りももっともだと思いました。恵姫自身も、与太郎がこんな危険な考えを持っているとは思いもしなかったのです。これはもうこの城だけで解決できる問題ではありませんでした。少なくとも江戸の殿様に報告し、場合によっては与太郎を公儀に引き渡す、そうでもせねば事態は収拾できそうにありません。


「こうなっては与太郎の放免は叶わぬな。江戸の父上にふみを書き指示を仰ごう。それまで与太郎は牢にでも入っていてもらうか」

「いや、一思いに命を絶ってしまえばよい。それで全ては解決する。このような輩、生かしておいても比寿家の害になるばかり」


 厳左が居住まいを変えました。胡坐をしていた足を解き、立膝座りになったのです。そしてその右手は刀の柄を握りました。大書院にいる誰もが息を飲みました。厳左ならやりかねない、そう思ったのです。


『まずいのう』


 恵姫も厳左の豪胆な性格はよく分かっていました。だからこそ大書院を吟味の場にしたのです。ここならば厳左も少しは自重するはず……しかし、その恵姫の考えはいとも簡単に裏切られてしまったようでした。恵姫は大書院を見回しました。


『厳左の間合いはどれほどじゃ。いや、この広さでは逃れられる場所はないか。二足ならまだしも、一足で踏みだされた厳左の神速の居合抜きをかわすことなど誰一人として出来ようはずがない。もはや大書院全体が厳左の間合い。刀を手にした時点で、ここに居る者は皆、斬られたも同然じゃ』


 雁四郎の額に汗が滲んでいます。毎日厳左に稽古をつけてもらっているので、既に自分が死地に居ることが分かっているのでしょう。それは居並ぶ家臣たちも同じでした。分かっていないのは与太郎ただ一人だけでした。


「な、何ですか、そんな恐い顔して。どうせその刀だって竹光に銀紙でも貼った模造刀なんでしょう」

「貴様、武士の魂である刀までも愚弄するのか!」


 厳左の全身から殺気がほとばしり出ました。恵姫は右手を帯の間に差し入れると、与太郎に呼び掛けました。


「与太郎、言葉を慎め。死にたいのか」

「死ぬ? そんな切れない刀で僕が死ぬはずないでしょう」

「よう言った、小童こわっぱ! 斬れぬかどうか、貴様で試してやる」

「厳左、やめよ!」


 恵姫は何かを掴んだ右手を帯から引き抜くと、すっくと立ち上がりました。背中に垂らした黒髪は扇形に持ち上がり、その一本一本の髪の先は、濃い青色の光を放ち始めています。

 厳左の放つ気迫に怖気付きながらも、与太郎はとどめの一言を厳左に与えました。


「ふ、ふん、斬りたいんなら、斬ってみるがいいさ。出来もしない癖によくもそんな……」

「望み通り、刀のサビにしてくれよう!」


 厳左は叫びながら、与太郎が言い終わる前に畳を蹴りました。蹴鞠のように弾んだ厳左の体は一気に与太郎の眼前に迫ります。鯉口を抜けた刀の刃がキラリと光りました。厳左の右足が畳についた瞬間、与太郎の首は落ちるはず、誰もがそう思った時、


重吹しぶけ!」


 恵姫の言葉が大書院に響きました。黒髪を束ねていた紐は切れ、頭上に扇形に広がった髪は、まるで後光のように青い光を放っています。そして恵姫の右手からは水が、まるで生き物のように青白い光をまとった海水が、厳左目掛けて放たれていました。


「うぬっ」


 海水は厳左の右手に波飛沫しぶきのように襲い掛かると、指の一本一本に絡みつき厳左の握力を奪います。


「くっ!」


 振るった刀の遠心力に持ちこたえられず、遂に厳左の手を離れる刀。そのまま与太郎の頬をかすめ、刀は大書院の壁に突き刺さりました。全てが一瞬の出来事でした。


「大書院で刀を抜くとは何事ぞ、厳左。この場を血で汚すつもりか!」


 上座で仁王立ちになった恵姫が大声で厳左を叱責しました。厳左は立膝座りのまま微動だにしません。


「刀を鞘に収めてわらわに渡せ、厳左よ。今のそなたに吟味は無理じゃ。部屋の外に出てしばらく頭を冷やすが良い」


 厳左は立ち上がり、壁に突き刺さっている刀を抜くと鞘に収め恵姫に渡しました。そして小さな声で「ご無礼致した」と言って目礼をした後、大書院から出て行きました。


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