火の御子 (2)

 それから輝矢は、ますますぼんやりとするようになった。訪ねてきた狭霧が不安げに顔を覗き込むほどに。


「どうしたの、なにかあった?」


 輝矢は微笑むと、やんわりと拒んだ。


「ううん、なんでもないんだ」


 滑らかに磨き上げられた壁に二人並んでもたれると、狭霧はまた学んだばかりだという薬草の話をした。でも、輝矢はそれを聞き流してしまう。話が済んでも輝矢があいづちも打たないので、狭霧はまた首を逸らして輝矢の顔を覗き込む。


「……って、聞いてた?」


 輝矢ははっと我に返って、素直に謝った。


「ごめん、ぼうっとしてた」


 それから、つい腕を狭霧の背中に伸ばした。肩を抱いて引き寄せても狭霧は拒まない。むしろそっと身を寄せてきて、輝矢の肩に額を乗せた。……幼い頃と同じように。


「やっぱり、なにかあった?」


 狭霧は顎を傾けて、まっすぐに輝矢を見上げる。頬と頬が触れ合うほど近くで真剣な眼差しを向けられたのに。輝矢の唇は嘘をついた。


「かあさまの夢を見たんだ。顔も知らないのに」


 それから輝矢は、うつろな目で宙を見つめた。


「ねえ、狭霧のかあさまって、遠比古とおひこの死霊に呼ばれて死んじゃったんだよね?」


 なぜ突然そんなことを尋ねたのか。輝矢にもそれはわからなかったけれど、なぜか夢中で狭霧の答えを待っていた。


 狭霧も輝矢から視線を外すと、ぼんやりと虚空を見つめた。


「うん。わたしは声を聞いただけだけど……。呼ばれたっていうより、かあさまは自分から死の世界へいってしまったんだ。出雲のために遠比古を差し出したけれど、ずっと苦しかったって。寂しい思いをさせてごめんねって、そういって……」


 そこまで口に出すと狭霧は、ふふっと頬に温かい笑みを浮かべる。


「輝矢のかあさまも、そんなふうに輝矢を思ってるんだろうね。輝矢が出雲へいくのを、伊邪那のために涙をこらえて見送ったのよ。きっといまでも毎日あなたのことを考えているの。だから輝矢の夢に出てきたんだよ。夢のなかなら輝矢に会えるから」


 狭霧は輝矢の夢の話を疑いもしない。それは適当に吐いた嘘だったのに。


(ごめん、狭霧)


 心のなかで謝って、輝矢は狭霧を抱き寄せる腕にそっと力を込めた。


(僕はどうする? なにをしようとしてる? 亥月にしたがって出雲を出て……そんな真似をしたら、二度と狭霧に会えなくなるのに)


 そう思うと、頭のなかでなにかがぐらっと傾いた。それから。輝矢は夢中で狭霧を抱きしめていた。手のひらは狭霧の背中を力強く抱いて、狭霧の頬を頬で撫でて。


 気がついたら、腕のなかの狭霧が顔を強張らせていた。目を見開いて輝矢の表情を懸命に探して、顔を真っ赤にして。


「ご、ごめん……」


 ぱっと腕を放すと、狭霧もそそくさと離れていく。


「び、びっくりしちゃった」


 頬を桃色に染めて、狭霧は恥ずかしそうに笑っている。たちまち輝矢は後悔した。


(僕はいったい、狭霧になにをしようと……)


 無意識だったけれど、心の底から狭霧を手に入れたいと思った、その衝動だけはまだ輝矢の胸に残っていた。でも、いま輝矢にこみ上げるのはなによりも落胆だった。


「本当に、その、ごめん……」


 気まずいというよりは気落ちして輝矢が謝るので、狭霧はかえっていたわるように微笑んだ。


「いいよ。でも……」


 輝矢のそばへ戻ってきた狭霧は、輝矢の腕をとって頬を赤らめた。


「いつか輝矢の嫡姫むかひめになりたいなあ。ね、輝矢」


 でも、輝矢は胸のなかで即答していた。


(むりだ。そんな日は来ない。……来るべきじゃない)


 




 そんなことは、ことあるごとに考えた。考えるたびに脅えた。


 狭霧は、ほかの大勢の子供たちのなかでも大国主が唯一気にかける愛娘だ。


 大国主の気性なら、輝矢も知っている。牢屋で暮らす前、まだ輝矢が狭霧の許婚と呼ばれていた頃に何度も会っているのだから。


(あの人が狭霧を僕に嫁がせるわけがない。いや、狭霧がかたくなに望んで僕と添い遂げるというなら、あの人はきっと縁を切る覚悟をする。そこまで話がこじれれば狭霧だって……)






 番兵と一緒だったが、数日おきに、輝矢は外に出ることを許されていた。


 ある日の昼下がり。降り注ぐ初夏の陽光は、輝矢が汗ばむほどに温かくまぶしかった。


(もう、日差しが暑い季節なんだ)


 輝矢は額に手のひらで笠をつくって太陽を見上げる。太陽はずいぶん高い位置にいた。


 散歩はいつも無言で、毎回同じ道を行き来するだけだ。王宮の東西を貫く大路を、輝矢の館が位置する西の果てから東の果てまで歩いていって、戻ってくるだけ。


 白砂が敷かれた大路をいつもと変わらぬ歩幅でゆっくりと歩いて、兵舎に差し掛かったとき。つい輝矢は狭霧の姿を探した。


(今日も薬草を学びにきてるのかな)


 あんまり目立った動きをすると番兵の目が厳しくなるので、身動きは小さかったが、ちらちらと瞳を動かして大路の中央あたりに建つ巨大な兵舎の門あたりを探ると、ちょうど狭霧の横顔が見えた。狭霧も兵舎へ駆け込んだばかりのようで、大路へ向けた背は、すぐに兵舎の奥へと消えていく。輝矢が狭霧を探していることなど知らない彼女は振り返ることもなく駆けていき、奥で明るい声を上げていた。


「高比古は? ……あっち? わかった、ありがとう!」


 狭霧は、近くにいた兵に尋ねていたようだが。


(高比古……)


 なんとなく、輝矢は目をそむけてしまった。


 高比古といえば、偉そうでいじめっ子で……と狭霧がさんざん怒鳴り散らしていた相手だ。そのうえ出雲王、彦名が抱える腕利きの策士で、いまや出雲の要人。


(大嫌いだって怒ってたのに、そんなやつとも仲良くなったんだ。そうだよな、狭霧は出雲の姫だもの)


 なぜか涙がこみ上げるので、輝矢は懸命に目元へ力を込める。ここがいつもの牢屋であれば、すぐにでも泣き崩れたい気分だった。


 兵舎はとうに通り過ぎ、目の前にあるのは雲宮を貫く大路の果てと、そこに降り注ぐまぶしいまでの初夏の陽光。光の海に溺れそうになりながら、輝矢は必死で足を動かした。


 それから……輝矢は決意してしまった。


(いこう、伊邪那へ。……僕は出雲の人間にはなれない)






 高比古がいたのは、兵舎の真奥。


 武器庫が集まる庭よりさらに奥にある小さな館で、その壁には絵地図が描かれた布が掛かっている。それは出雲や伊邪那や巻向など、さまざまな国の位置を示していた。そこは戦会議に使われる場所なのだ。いまそこにいたのは、高比古だけだったが。


「見いつけた!」


 開けっ放しの戸口に続く階段を登りきるなり狭霧が明るい声を出すと、なかにいた高比古は仏頂面をして振り返った。ふてぶてしく開いた唇からは不満が漏れる。


「……なぜ、おれのところへくる」


 でも、狭霧には通じない。


「そんな顔して怒ったってわたしは平気よ。慣れちゃったもの」


 しゃあしゃあというと、颯爽とした足さばきで高比古のそばへ寄った。


紫蘭しらん桧扇来ひおうぎがいないのよ。いつもわたしに薬草の扱い方を教えてくれていたのに」


「ああ、知ってる。あいつらなら意宇おうへ戻った。あさってには戻るから、しばらくおとなしくしていろよ。わかったらさっさと出ていけよ。おれは忙しいんだ」


 高比古は虫を追い払うように手を振るが、吹っ切れた狭霧にはそれも通じなかった。


「ちょっとでいいから構ってよ。あなたも事代ことしろなんでしょう?」


「そんなひまはないといったつもりだったんだが、わからなかったのかよ」


「だって、紫蘭も桧扇来も、出雲で一番医術や薬に詳しいのは高比古だっていうんだもの。すごいわね、策士でそのうえ医師?」


「おれは医師じゃない。ただ医師の智恵を持っているだけだ。……っていうか、いまのはおれに答えたつもりなのか? おれは忙しいといったんだ!」


 高比古は声を大きくして狭霧を責めるが、狭霧には効かない。


「いいじゃないの。……ああ、なんかいいわね。高比古と話してると、どんどん自信がつくわ。あなたと仲良くなれれば、ほかの誰とでもうまくいきそうな気がするもの!」


「はあ?」


「だって、高比古はわたしを嫌いでしょう? わたしを嫌いな人と仲良くできれば、怖いものはなくなるわ」


「……あのなあ」


 高比古はいらいらと横顔を向けて舌打ちすると、鬱陶しそうに息を吐いた。


「女の浅知恵というべきか、大国主譲りの極論というべきか……」


 そう狭霧へ感想を吐いてから、独り言のようにつぶやいた。


「薬なんて……。いくら覚えたってどうせ、心の傷に効く薬草なんかないのに」


「はあ?」


 今度は狭霧が目を丸くする番だ。


 狭霧は首をかしげるが、高比古もいちいち応えなかった。


「……ほんの少しだけ構ってやるよ。それで気が済むんだろ?」


 渋々というと、狭霧に先立って庭へ降りていった。


 高比古が向かったのは、兵舎の片隅にひっそりと建つ小屋だった。そこは、雲宮の薬草倉になっている。


 小屋の戸を開けると、涼しげな干草の香りがぷうんと広がる。風通しは良いが、窓は小さく薄暗い。


 壁一面に順序よく竹籠が並んでいて、籠ごとに草が集められていた。


 高比古はさも面倒くさそうに手近な場所にあった籠を指すと、狭霧を振り返る。


「これは知ってるか?」


 狭霧は首を横に振った。その籠に盛られていたのはからからに乾いた樹皮だったが、狭霧の知らない薬草だった。


 すると高比古は、籠の中から干された樹皮を一枚手にとって狭霧に手渡した。


「これは、青だも。目の病に効く」


「目に?」


「そうだ。煮出した汁で目を洗う。飲めば熱をとるのにも使えるし、傷に塗っても効く」


「へえ」


 樹皮を手にして狭霧が神妙にうなずくと、高比古はすぐに外へ出ようとした。


「これでいいな? おれはいく」


「えっ、もう?」


「教えただろ?」 


「本当にあなたって、愛想が悪いんだから」


 高比古へ、狭霧はため息をついてみせた。


「つんつんしすぎよ。少しくらい人当たりがよくならないと、女の子にもてないわよ?」


「……要らん世話だな」


 高比古はますます渋面になった。忌々しげに息を吐くと、背を向けてしまう。


「あんたがどうだろうが、おれはあんたといたくないんだよ。あんたみたいに能天気なやつは苦手なんだ」


 高比古の態度は、前からさほど変わっていなかった。


 ほんの少しくらいなら、前より仲良くなれたような気がしていたのに。腹が立つより先に、狭霧はしょんぼりとうなだれてしまった。


「生まれだけが極上の馬鹿はいやだとか、能天気はいやだとか……あなたが嫌がっているのは、わたしが自分ではそうそう変えられないところばかりじゃない」


 高比古に、狭霧を気遣う様子はなかった。


「ああそうだ。だから関わるな」


 肩を落とす狭霧に舌打ちをすると、そのまま薬倉を出ていこうとするので、狭霧は慌てて手を伸ばすと、腕を掴んで引き止めた。


「逃げないでよ。高比古がわたしにいったことは間違いないって認めて、それでも仲良くしようとしてるんじゃない。あなただって少しくらい……」


 狭霧は、胸にあふれた想いを懸命に伝えようとするが……。腕を掴まれ、無理やり引き戻された高比古は、狭霧の目の前で見る見るうちに血相を変えていく。狭霧の言葉など目に入っていないように顔を引きつらせて、そのうえ大声で叫んだ。


「……おれに触るな!」


 彼は、思い切り狭霧をはねのけた。腕を振り払うどころか、勢いあまって狭霧が床へ倒れ込むほどの力だった。


 樹皮を抱えたまま木床に転がった狭霧は、目を白黒させていた。いったいなにが起こったのか、よくわからなかったのだ。


 おずおずと見上げた狭霧の視線の先には、高比古がそびえていた。彼は肩で息をしていて、目はすこし赤らんで、充血していた。いつも彼は狭霧に冷たかったが、いまは人が変わったようで、いまの彼にあるのは冷たい苛立ちではなかった。彼は荒い息を吐いて狭霧を睨み下ろしていたが、怒りをあらわにする彼の顔は、まるでその記憶以外を忘れ果てた怨霊じみていた。


「……あんたは、なにもわかっていない」


 ゆらりと身体を傾けて、彼は声を低くした。


「あんたが無邪気でいられるのは、大国主があんたを守っているからだ。いま、この世でなににも脅えずに暮らせる場所は、偉いやつの手元だけなんだ。……あんたの場所だけなんだ」


「……その、ごめん」


 剣幕に脅えて狭霧は謝るが、尻餅をついたまま後ずさる狭霧へ向かって、高比古は一歩一歩近づいてくる。ひたり、ひたり……。狭霧の膝に彼の膝が触れそうなところまで近づくと、彼は腰を落とし、脅かすようにも狭霧へ顔を近づけた。


「なあ。女が敵に捕まったら、どうなるか知ってるか? ……教えてやるよ。途方もない数の男に犯されて、最後に殺されるんだ。犯されるってわかるか? 生きたまま食われるようなことだ」


 狭霧を見つめる高比古の目には恨みのようなものがあり、表情は怨霊じみていた。


 恐ろしくて、狭霧はかたかたと歯を鳴らした。暗い熱を帯びた眼差しで高比古は狭霧を射抜き、責め続けた。


「おれは十四のときに海賊に浚われて、そういう、敵に捕まった女みたいな目にあった。ただ、海辺の里で暮らしていただけだったのに、ある日突然、家族も周りの連中もみんな殺された」


 海賊に浚われた。


 狭霧は脅えて、高比古の言葉をろくに理解できずにいたが、その言葉だけはずっしりと重く胸に響いた。


(じゃあ、高比古がむかし海賊だったって話は……)


 目をぎらつかせたままで、なにかにとり憑かれたように高比古は続けた。彼は、狭霧ではなく、彼が憎むなにかを責めているようで、淡々とした悲鳴をあげているようだった。


「担がれてやつらの船に投げ込まれて、沖へ出れば逃げ場はない。一緒に船へ浚われた娘は、目の前で殺された。嵐の夜に、死んでもいいからとおれは海に飛び込んだ。……一度は捨てた命だ。それなのに、いまでもそのときのことを夢に見るとうなされるし、誰かがそばにいると落ち着かない」


 彼と目を合わせているうちに、狭霧の目はいつのまにか潤んだ。


 それほどの凄まじい生い立ちを高比古は口にして、狭霧へ聞かせている。


 涙こそ流さなかったが、高比古は泣き喚いているようだった。


「あんたと違って……おれは自分のことで精一杯なんだ。あんたの世話をする余裕なんかない。おれに近づくな!」


 決別の証のような罵声を浴びせると、高比古は自分の大声にはっとしたふうに、頬をぴくりとさせた。我に返ったように彼は狭霧から目を逸らすが、なぜか、狭霧の目には彼の仕草が物悲しく見えて仕方ない。狭霧は、はらはらと涙をこぼした。


 それから、しばらくして。


「……高比古、高比古」


 遠くから、聞き慣れた声が近づいてくる。安曇だった。


 彼は、高比古の背中を見つけて寄ってきたようだが、彼が探していた相手、高比古の足元に、倒れこんで涙を流す狭霧を見つけると、安曇はぎょっとして頬を引きつらせる。


 いつもの安曇なら、「狭霧にいったいなにをした」と高比古を咎めただろう。安曇は真偽を問うように高比古へ顔を向けたが、そのとき、高比古の顔には悲哀と呼ぶしかないものが満ちていた。安曇は訝しがった。


「……どうした?」


 高比古は乾いた息を吐くと、まじないが解けたように姿勢を戻した。


「なにも」


 なにもないというふうには絶対に見えないのに。安曇は不審がるが、いつもどおりをとりつくろう高比古は、すぐに問いを返した。


「なにか?」


「……例の。大国主がいま一度話を、と」


 安曇はちらちらと狭霧を気にした。


 安曇の言葉は少ないが、高比古はすべてを解したようだ。


「すぐにいきます」


 そして、声の余韻が失われないうちに、彼はあっというまに安曇のそばを通り抜けて、小屋を後にしてしまった。


 何事もなかったように平静を装った高比古の背中はしだいに小さくなり、そのうち、彼の姿は初夏の強烈な日差しに溶けていく。


 狭霧は、高比古から目が逸らせずにいた。


 彼の後姿が光の海に沈むまで行方を追うが、とうとう姿が消えてしまうと、狭霧は顎を引いて、もう一度泣いた。


 高比古が去って、狭霧と安曇の二人だけになると、腰をかがめた安曇はおずおずと尋ねた。


「あの、狭霧……高比古がなにか?」


 狭霧は嗚咽を抑えつけながら、静かに告げた。


「どうも、しないわ」


 なにもないと安曇に告げてから、狭霧は唇を噛み締める。それから頬に、静かに涙を伝わせた。


(わたしは恵まれていた。高比古も輝矢も前からそういっていたのに、わたしだけが気づいていなかった)


 いつかどこかで耳にしたいろいろなことが、次から次へと意味を得て繋がっていくのが恐ろしかった。


 大国主が睨みをきかせる雲宮を一歩出れば、世の中には戦があふれている。


 倭国大乱は、王たちだけのものではないのだ。いまを生きるすべての人間に降りかかっている災難なのだ。


 ただ生きるだけで苦しい乱世で、兵や農人や海人や……出雲という国で生きるすべての人が大国主や彦名にかしずくのは、大国の陰に隠れて、この乱世を平穏無事に生き延びるためだ。


 武王として武人の頂点に立ち、そこで大勢の命を預かる父や、それを助けた母。


 年は狭霧とほとんど変わらないのに、死に物狂いでそこへ進んでいく高比古。


 高比古のことを考えると、狭霧はふと眉をひそめてしまった。


(さっきだって、前に怨霊に襲われたときだって、死にそうな顔をしていたくせに。どうしてそんなに無理をするのよ)


 鼻にまとわりつく樹皮の香りにつられて、狭霧は、脅えを紛らわすようにも指に掴んでいた薬草のことを思い出した。そこにはからからに乾いた樹皮があったが、ちらりと視線を落としてそれを覗きこんでも、いまの騒動で忘れてしまったのか、その樹皮の名前も効き目も、狭霧は覚えていなかった。さっき、高比古から教えてもらったばかりなのに――。


 やりきれなくて、狭霧は唇を引いた。


(こんなこともできないわたしが、ばかみたいじゃない……)




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