番外、木花咲夜 (3)



 阿多はいずれ、力を増していく大和に脅かされる。


 隼人の聖地であり、大巫女を輩することで阿多を隼人の中でも特別な一族にしている笠沙は、その宮の主、大巫女を邇々芸に嫁がせることで、特別である意味を失う。


 笠沙の大巫女、木花咲夜姫の輿入れは、大隅おおすみ日向ひむかの隼人たちが続々と一族の妻を大和へ贈る中、それと同じように進められるが、事実上、隼人の信仰をはく奪されるということにほかならなかった。


 と、そういうことを、先視さきみで桐瑚は理解した。


 そして、翌朝、再び岩長姫のもとを訪れた。


 笑顔で訪れた桐瑚を前にすると、岩長姫は苦笑した。


「返事を聞かせてもらえるようね」


「はい。昨日のお話ですが、承ります」


「あなた、自分の死を視たの?」


「はい。――わたしは、火に包まれていました。大和にいったのちに、わたしは火刑に処されるようです。――美しかった」


 桐瑚はふわりと笑みをこぼした。


(あそこにいったら、高比古を想って死ねるんだ。なんてすてきな生き方なんだろう。阿多の巫女としても、あの人に恋をした娘としても最高の最後だ)


 その人と別れる間際に、その人からいわれた言葉があった。


『ばかだな。死んだら、誰もおまえのことを覚えていない。悔しかったら生き延びろ』


 その人は桐瑚にそういったが、生きる理由も、その人との恋の終わり方も、親や母国を貶めた女への報復についても、すべての解決策を見つけたと思った。


(永遠に生きるために、わたしは、ここにはいないあなたと生きる。――なんて幸せなんだろう)


 胸の底から満足して、桐瑚は笑顔で岩長姫を見つめた。


「わたしはあのように最後を迎えたい。ですから、大巫女の継承を承ります」


「――苦しみがついてきますよ」


 岩長姫は心配したが、桐瑚は首を横に振る。不安はかけらもなかった。


「苦しみなら、もっと幼い娘の頃にもう味わっています。あれ以上の苦しみは、もうありません」






 桐瑚が次の大巫女になるという噂が笠沙の宮中に広まった頃、王都から王の船が着き、火悉海が山宮を訪れた。


 火悉海は若王として、次の大巫女になる娘、桐瑚に会いにきたのだ。


「おーい、桐瑚」


 笠沙の宮の中を闊歩する火悉海は桐瑚を探してやってきて、懐かしい友人に会うように明るく手を振った。


「知らせを聞いて驚いたよ。おまえが新しい大巫女になるんだってな。おまえが、岩長姫様に見染められるとはなあ」


 桐瑚という異国の娘が大巫女になることに眉をひそめる者が多いなか、火悉海にそのような様子はなかった。むしろ、昔なじみが出世するときいて祝いにやってきたふうだ。


 火悉海は桐瑚の顔を見て、それから頭の先から足元までをじろじろと見ると、照れくさそうに目を逸らした。


「しかし、なんだか――いつのまにか、とんでもなくいい女になったな」


「え?」


「もとから綺麗だとは思ってたが、今はなんていうか、見てると背中がぞくぞく来る感じだ。妖しいっていうか――うん、いい女だ」


 火悉海は惚れ惚れするといわんばかりに目を細めて、うなずいた。


「でも、まあ、安心したよ。うまくやっていそうだな」


「ええ、うまくやっています。幸せです」


「そうか」


 火悉海は微笑んだ。


 でも、桐瑚は、にこやかな笑顔の下で別のことを考えていた。


(隼人の大巫女は死を視る、か。たしかに、大事なことかもしれない。最後がわかっているから、それがよくても悪くても、それに向かって頑張ったり、気をつけたりするんだ。こんなふうに納得できるっていうことは、きっと阿多にいることが、わたしに合っているんだ)


「火悉海様、今でも宗像や、どこか出雲の船と出会う場所へお出かけになったりするのでしょうか」


「前よりは減ったが、たまにはな」


「では、もしも高比古に出会ったら、お伝えください。桐瑚が、今でもあなたが好きだと申していたと」


 にこりと笑ってそういうと、火悉海は躊躇して言葉を濁した。


「え、と。それはいろいろと複雑なんだが」


「複雑?」


「だってあいつ、妻も子供もいるんだぞ? いやいや、このさい妻がいようが子がいようがいいんだけどさ。なんていうか、俺もそういう、今でも好きだと思う女がいてさ、もやもやしてるんだよな。――おまえのそんな話をしたら、絶対に俺、嫌でも自分のことを考えてしまうっつうの。俺がそうならなくたって、あいつが俺を気にするよ。……本当に俺、次にあいつに会ったらどんな顔して、なんていえばいいんだろう?」


 火悉海は腕組みをして、力なく首を傾げる。


 素直に胸の内を打ち明ける火悉海の顔を、桐瑚は正面から見上げた。


「誰かを想っているなら、そうだとお伝えすればよろしいのです。誰かに対するその時の想いがあったから、若王は今の若王になっているのでしょう。今の自分をくれてありがとうと、その人にそう伝えればよろしいのです」


「おまえにとってのそういう奴が、高比古なのか?」


「ええ。わたしの今をつくってくれたのは、間違いなくあの人ですから。今ここにいることに、それから、別れた時に、そのまま強情でいろと背中を押してくれたことに感謝しています。――そばにはいませんが、わたしは今も、これからも、あの人と生きます」


 しばらく顔を合わせていたものの、火悉海はやがて、桐瑚から目を逸らした。


「おまえ、そんな笑い方したっけ? なんつうか、目が合うとぞくっとくるわ。――なんていうか、綺麗だよ。――こっち見るな。俺には妻も子供もいるからさ……」


 火悉海はぶつぶつと言い訳をこぼしている。


 桐瑚はかえって火悉海の顔を覗き上げた。


「面白いですね。では、見て差し上げますよ」


「やめろって。――なんかおまえ、岩長姫様に似てきたぞ? 妙ないたずらをするところとか……」


 大きな動きでのけぞって、火悉海は口元を押さえる。その後で、苦笑した。


「まあ、俺もそのうち阿多の王になるしさ。これからもよろしく頼むよ、笠沙の大巫女様」


「ええ、火悉海王」


 桐瑚はくすりと笑って、火悉海を見上げた。


 いずれ火悉海は父王を継いで阿多の主となり、阿多を守るために、自分を大和へ渡す決断をするかもしれない。それでも、不満はなかった。


(たとえ今の言葉がいつか反故にされても。最後がわかっているからこそ、今を大事に――)


 落ち着いた笑みを浮かべる桐瑚を、火悉海が不思議そうに見て笑った。


「やっぱり、笑い方が変わったよ。高比古に会ったら、数いる女の中から桐瑚を選んだなんて、おまえは見る目があると伝えておくよ」


「光栄です、若王」






「――じゃあな。また来るよ」


 爽やかに笑って背を向ける火悉海を見送ると、かかとに力を入れてくるりと回る。


 もといた場所へ戻ろうと歩いていくと、宮の奥から自分を見つけて声をかける若い巫女がいた。


「桐瑚様。衣装合わせをさせてください。大巫女様になる日にお召しになる衣装の、仮縫いが終わりましたから」


 その若い巫女は、真っ赤に染められた衣を得意げにかかげていた。


「ごらんください、美しい赤です。まるで炎の色のよう!」


 くすりと笑って、桐瑚は若い巫女のほうへ近づいていった。


「ええ、すてき。炎は好きよ。炎の色で身を飾れるなんて、嬉しいわ」



                              ..........end

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