稲佐の浜 (3)




 たとえ軍使とはいえ、軍港の中に敵を招き入れるわけにはいかない。


 急ぎ、敵と話す場所として選ばれたのは、雲宮から西、稲佐いなさという地にある浜。


 大和の船団は十艘程度だったが、浜まで寄った船は、わずか二艘。残りの船は、沖寄りにある聖なる小島のそばの海上にとどまった。


 さざ波を越えて砂地へたどりついた二艘の船には、着飾った細身の男と、小山のような巨体をもつ武人が、それぞれの船の長として乗っていた。


 浜に押し寄せた出雲の兵たちは、異国の船を見ようと目をこらした。出雲の浜にあがった大和の船の縁に、不思議なものがいたからだ。


「あれは……白鷺しらさぎか?」


「白鳥だろうか? 美しい――。あのような純白の羽をした大鳥は、これまで見たことがないが――」


 中には、ため息をもらす者もいる。


 群れをなす軍勢の先頭には、安曇や箕淡みたみなど、上等な衣服に身を包んだ武人の列がある。その中央に立った大国主は、大和の船の端におとなしく留まっている純白の鳥を見て、冷笑した。


「あれは、あの時のまやかしの鳥だな? 高比古が暴いたやつだ。そうだろう、安曇」


 その隣で腕組みをする安曇は、うなずいた。


「おそらく。脚と脚の間に書筒がありましたので、遠く離れた味方と報せをし合うのに使うのでしょう。我らが、事代や巫女に報せ役を頼むのと同じです」


 大国主の一団が軍勢の前列に並び終えると、いよいよ交渉が始まった。


 浜に上陸した大和者の中から、細身の男が、三歩、四歩と進み出た。男は異国の服を身にまとっていて、顔の輪郭が細く、目鼻立ちも、すぐに見て異国の顔だとわかるふうに、出雲の顔つきとは一風違っていた。


 吹き寄せる海風が、異国風に結いあげられた男の黒髪をなびかせている。


 湿った砂を踏んで近づいた男は、広めに間合いを取って、立ち止まった。そこから大国主に向きあうと、呼びかけた。


「初めてお目にかかる。あなたさまは、出雲の武王、大国主とお見受けするが、いかがか!」


 大国主は、答えなかった。鼻で笑うと、隣にいた安曇に目配せを送る。男に答えたのは、安曇だった。


「まず、おまえが名乗れ。おまえは何者だ!」


「我は、大和の女王、天照様の側近にして、女王の若御子、邇々芸様の世話役、あめ杼甫子ひぼこと申す者なり!」


「では、天の杼甫子。おまえがここに訪れたわけを話せ。長門で起きたことの釈明と、謝罪か?」


 安曇は横柄な態度をとったが、杼甫子も退かなかった。


「その問いに答える前に、そなたの名をお聞かせ願おう。いったい、出雲のどなたと話したのかがわからねば、私は故郷に戻っても、出雲のなんとかと出会い、話したと主に告げるほかがないのでな」


 杼甫子の背後に控える大和の武人たちの間で、失笑が起きる。対して、安曇の背後に並ぶ出雲勢に、舌打ちが広がった。


「出雲のなんとかだと――? 無礼な……」


 安曇は腕組みを崩すことなく、杼甫子を向いて唇の端に小さな笑みを浮かべた。


「私の名は、安曇。武王のそえだ」


「なるほど、あなたが安曇か。お噂はかねがね耳にしている。お目通りがかなって満足だ」


 杼甫子は大仰にうなずいてみせたが、芝居がかっていて、驚いた様子はなかった。


 安曇のそばにいた弓引きの武人、箕淡みたみが、安曇にだけ聞こえるような小声でぼやいた。


「あの、大和のやさ男――おまえを大国主の副の安曇と知った上で名乗らせて、その上、自分を同等と扱ったぞ。へりくだる気で来たようではないな。ひょろい身体をしているくせに、肝が据わっているじゃないか」


 安曇も、海風にかき消されるような小声でぼそりと返した。


「自分は私と同等、つまり、大和と出雲は同等だと、そういいたいようだな。――まだわからんが、向こうの出方を見よう」


 安曇は穏やかな態度を保ったまま、杼甫子にさし向かった。


「それで、杼甫子。ここまで来た用はなんだ」


「用か――それなら、そなたではなく、私から武王へじかにお頼みしたい」


 杼甫子は安曇から顔をそむけ、武王、大国主を向いた。


 箕淡が、舌打ちをした。


「大国主へじかにだと? おまえは眼中にないと、そういいたいのか。あの野郎――」


「――ひとまず、聞こう。穴持様……」



 安曇から目配せを受けると、大国主はけだるげに目を細めて、杼甫子を向き、凝視した。


 大国主と目が合うと、杼甫子は、両膝を折って姿勢を下げていく。砂地に膝をつけると、両手と頭を深く下げた。


 出雲では見慣れない仕草だが、杼甫子の態度は恭しく見える。大和流の最敬礼に違いなかった。


「出雲の武王であらせられる、大国主。我が主、邇々芸様から、あなたさまへお尋ねです。あなたさまの御子姫、狭霧様とお会いしたく、ぜひとも場を設けていただきたい。狭霧様と邇々芸様は、昨年ひそかに出会われ、その折、邇々芸様は、狭霧様に求婚なさいました。その際のお返事をお聞かせいただきたいと、ご所望です」


 杼甫子の口から「求婚」という言葉が出ると、出雲勢はさっと顔色を変えて、ざわついた。


 安曇は、杼甫子の口を止めようとした。


「天の杼甫子、それは順序がおかしい。求婚などという前に、遠賀で狭霧様を浚ったことを先に謝罪すべきだ。それに、その狭霧様は、この春すでに婚儀をあげておいでだ。いまさら求婚など――」


「はあ――婚儀……。我々は、大和の婚儀を済ませているかどうかでしか、その姫君が誰かに嫁いだ娘かどうかを決めません。たとえ、出雲で婚儀は済ませておられても――」


「――出雲での婚儀が、無意味といいたいのか?」


「なんのことでしょう? それに、狭霧様を浚ったとは、失礼極まりないことをおっしゃる方だ。遠賀の森で邇々芸様と出会った狭霧様は、邇々芸様の聖なる気配に惹かれて、従いなさったのです。姫君が賢明な判断をされたにも関わらず、出雲軍はそれを武力でおさえ、邇々芸様のもとから姫君を浚い返したのではありませんか。こうなったら、はっきり申し上げましょう。邇々芸様のもとにおられた狭霧姫を、我々のもとに返していただきたいのです」


「返せだと? 貴様……なんということを――」


「やれやれ。あなたとは話が通じそうにない。大国主、その者はさておき、出雲王であらせられる彦名様に、ぜひとも私をお取次ください。私は、我が主、邇々芸様が、惹かれ合ったお相手、狭霧様とお会いしたがっていると、ぜひともお伝えしたいのです」


「愚弄しているのか?」


 安曇の声が、怒りで低くなった。


 安曇の肩を、隣に立つ大国主の肩が軽く小突いた。大国主は冷笑を崩すことなく、小声で安曇に耳打ちした。


「あいつは、はじめから出雲を愚弄しにきたのだ。狭霧のことを持ち出して、出雲は大和に従うべきだといいたいのだろう。――いちいち乗ってやるなど、おまえらしくもない。さっさと追い返せ」


「……そうですね。申し訳ありません」


 小声で応えたのち、安曇は深く呼吸し、杼甫子を睨んだ。


「なんとかの杼甫子とやら。用はそれだけか? ならば、即刻立ち去れ。おまえのような不届き者の願いを聞き届けるほど、出雲の武王は愚かではないぞ。――構えよ」


 安曇が、右手を上げる。


 大国主のそばに並ぶ武人が背に担いでいた大弓を眼前に構え、弓を手挟む。後ろにいた兵たちも揃って弓を構えるので、がしゃ、がしゃん、がしゃ――と、鉄の矢じりや、持ち手に巻かれたなめし革や木の蔦が、重々しい音を立てた。


 ざざ……という潮騒の音に武具の重々しい響きが混じり、軍勢の目と、それぞれがつがえる矢の切っ先が自分たちのほうを向くと、杼甫子は、やれやれと肩を落とすふりをした。


 杼甫子は、背後に並ぶ部下を振り返り、帰り仕度をはじめるように合図をした。


「わかりました。早々に退散しましょう。しかし、その前に探し人を――」


 大国主を囲む武人の一団の中には、若い青年が一人混じっていた。その青年の顔に目をとめると、杼甫子は、朗々と呼びかけた。


「やあ、佩羽矢、我が友」


 その瞬間。ざわり、と稲佐の浜がざわついた。武具を構える武人たちの目がいっせいに佩羽矢に集まり、そうかと思えば、せわしなく互いの顔を見合った。


 杼甫子は懐かしい者との再会を喜ぶふうに、微笑んだ。


「そなたの働きは見事だった。ぜひ、ゆるりと話そう。私と話すのに、大国主の許しは要るか? ならば、私から願い出よう。そなたとは積もる話がある。そなたの故郷、大和の船がそこにいる。そなたも懐かしかろう。さあ――」


 ざわり――。出雲の兵たちの佩羽矢を見る目が、訝しがるように変わった。ひそかなざわめきも、浜に満ちた。


 いったい何が起きているんだ――?


 大和の使者と馴れ馴れしくしているなど――、佩羽矢というあの大和生まれの若者は、いったいなぜ出雲にいるのだ。


 もしや、大和の窺見か――? 大国主のそばに潜んでいたというのか――。


 しかし、浜を覆ったざわつきは、すぐさま一掃されることになる。


 佩羽矢は、砂が舞い上がるほど足に力を込めて、大国主の列から一歩を踏み出した。そして、浜にある何もかもを吹き飛ばすほどの大声を上げた。


「大国主! この使者を討つのに、許しはいりますか!」


 佩羽矢は、大弓を構えて、矢をつがえている。


 杼甫子は、苦笑した。


「そのような芝居をせずとも――。入り込んだ地で、そのように馴染むすべをもつとは、さすがは大和の女王じきじきに任じられた大和の御使いである――」


「俺は、おまえなんか知らない!」


 迷いのない大声は、浜中に轟いた。佩羽矢の気迫は浜に広がり、出雲兵の口をつぐませた。


「俺はもともと大和の民じゃないし、おまえらの仲間でもない。今後、なる気もない。俺は、出雲の民になる誓いをした。一生ここで生き、ここで死ぬ! わかったら、二度と気安く話しかけるんじゃねえ!」


 ひゅん! 佩羽矢の構えた大弓から、矢が放たれる。


 杼甫子のはるか頭上を越えた矢は、波打ち際で波を浴びていた船の帆柱に突き刺さる。ドッと、木が鉄のやじりにえぐられる重い音が鳴り、大和の兵たちが血相を変えて、弓を構えた。


 間髪をいれずに佩羽矢の手は次の矢を手挟み、杼甫子の額に狙いを定めた。


「てめえが都合のいい嘘をいってるってことが、俺にはよくわかる。それ以上、つまらねえ芝居をしてみろ。あとでどんな罰を食らっても、おまえをぶっ殺してやる。とうさんとかあさん、妹をおまえたちに殺された恨みを、この場で果たしてやる!」


「とうさんとかあさんと、妹――? いったいなんの話だ? そなたは、いったいなんのことをいっているのか……」


「はあっ!?」


 佩羽矢の声が、悲鳴に近いものに変わった。


「そんなことも知らねえくせに、のうのうと俺の目の前に居やがるのか? おまえらにとって、俺の一家はいったいなんだったんだよ! くず扱いしやがって! いますぐ失せろ! じゃねえと、ぶっ殺すぞ!」


 こわばった佩羽矢の肩を、安曇の手ががっしりと抱いた。


「佩羽矢、もういい」


 安曇に支えられると、佩羽矢は糸が切れたように崩れて、安曇の肩にしがみつくようにしてうつむいた。それから、安曇の肩の上で悲鳴を上げ続ける。


「あいつ……あの野郎、あぁ、ああー!」


 佩羽矢を見る出雲兵の目に、疑念はもうなかった。むしろそこには、同情や、傷つけられた仲間の仇討をするような強い敵意が宿る。


 慟哭して震える佩羽矢の肩を支えた安曇から、その役を代わろうと腕を差し伸べる者も大勢いた。


 周りにいた武人に佩羽矢を託すと、安曇は列から一歩を踏み出して杼甫子に向かい、佩羽矢を横目に見つつ、出雲軍に満ちた戦意を見せつけた。


「彼は、おまえを信じるなと、我々に教えてくれたようだ」


「そ、そのようなことは――」


「見苦しいぞ、杼甫子とやら」


 安曇は、杼甫子を挑発した。


「武の国、出雲は、戦の礼儀を重んじている。ゆえに、危険を冒して敵地を訪れる使者には礼をもって接するべきと、わきまえている。しかし、非礼には非礼で報いるべきことも、わきまえている。だから、そなたに選ばせよう。その足ですぐさま出雲を去るか、屍となって戻るか。さあ、選ばれよ」






 多勢に無勢。弓矢や剣を構えて大和の小勢を取り囲んだ出雲軍は、彼らが船に積んできた土産の数々を引っ張り出してずたずたに引き裂き、船に戻した。そして、水壺だけを残して、すべての糧を海に捨てた。


「飢えて最期を迎えたくなければ、さっさと出ていくがいい」


 剣で囲まれて船に乗せられた大和の小勢は、出雲兵の嘲笑に見送られて船出することになった。


 船団の姿が青波の向こうに小さくなっていくのを、出雲の兵は歓声を上げて見送った。


 佩羽矢を慰める声も、あちこちから飛び交った。


「大丈夫だ、俺たちはおまえを信じてる」


「長門でのおまえの猛者ぶりを忘れはしねえよ。さっきの男は、胡散臭い野郎だったな? おまえはもう出雲の民だ」


 佩羽矢を称えたのは、兵たちだけではなかった。


 力なく立ちつくす佩羽矢のそばにいた大国主も、みずから佩羽矢に言葉をかけた。


「長門の時といい、今といい、若者ならではの傲慢さは、おれは好きだぞ。いい奴が増えて、出雲は、おまえ一人分強くなった」


 大国主の目が佩羽矢を向いた時から、主に遠慮した出雲兵たちの唇は閉じていた。じっと主の言葉に耳を傾ける厳かな静けさの中、たちどころに数千人の部下を魅了する男の目は、佩羽矢の目も、瞬時に奪ってみせた。佩羽矢の目は、恍惚と蕩けていく。


 佩羽矢は、大国主を見上げて、興奮気味に答えた。


「は、はい! 大国主! 俺、出雲にきてよかったなあって……ここが、俺の居場所なんだなって――今は、心からそう思っています!」


「それはいい。これからも、よろしく頼む。――安曇、帰るぞ」


 佩羽矢に声をかけたのを最後に、大国主は、浜を去ろうと足を浮かせた。


 従順にそばについた安曇は、佩羽矢に微笑みつつ、主と共に海に背を向けた。


 くろかねくつで湿った砂を踏みつつ、大国主と安曇は二人で松林へ向かった。そこでは、武人たちを乗せてここまでやってきた馬たちが、ぶるっ、ぶる――と鼻を鳴らしながらくつろいでいた。


 馬番の手で手綱が準備されるのを待つ間、大国主は、不機嫌に尋ねた。


「高比古はどうした。あいつは、結局、終わりまでここに来なかったな」


「まだ、何かあるのでしょう……。狭霧がついているはずです」


 大国主は浜を振り返って、松の幹越しに出雲兵の人だかりを見やった。そこには、大勢の兵にもみくちゃにされて、口々に励まされている佩羽矢がいる。


「早々に、あいつをもとに戻す手を考えろ。そうせねば、今に――影と本物が入れ替わるぞ」


「影と本物――佩羽矢と高比古が、入れ替わる……そういうことでしょうか」


「ない話ではなかろうが。佩羽矢が、今から高比古の地位に追いつくのはかなり先だろうし、追いついたとしても、あの二人の毛色は違う――。だが、とにかく、高比古の様子を見てやれ。出雲の大事に騒動の中に身を置けなければ、仮に今のままおれを継いだとしても、いずれ、あいつの足跡に、消えない染みが残ることになる」


 安曇はうつむき、力なく返事をした。


「はい……」






 大和の領域へ戻る途中の海上で、杼甫子は三雷みかづちと口論になった。


「杼甫子どの、あのざまはなんだ? 話が違うではないか。邇々芸様が命じたのは、もっとこう、強い大和を示せということだった。結果はいらぬから、ただ、出雲に不和の種をまけと――。だが、終わってみればどうだ? 不和の種をまくどころか、出雲は、我々が上陸する前よりさらに一丸となって、我々を敵視してみせた。そのうえ、あんな無様な姿をさらして――。あれなら、はじめから我々武人が剣で脅したほうがよかったのではないのか!」


「佩羽矢とかいう唐古からこの民が、いつのまにか出雲らしく染まって、野蛮になっていたのだ! 私はあの者のことを、扱いやすい簡単な若者だと聞いていたのだ!」


 杼甫子は悔しがった。そして、筆と薄木布を用意させると、主、邇々芸への文をしたため、幻の鳥――八咫烏やたがらすの脚と脚の間に下がった金の筒に忍ばせた。


 薄木布に書かれたのは、こんな意味の言葉だった。


『出雲の意思はかたく、びくとも動かじ。佩羽矢も同じなり。戦が必要なり』



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