稲佐の浜 (1)



 石土王の船が帰還してから、数日後。雲宮の大路を、早馬の群れが通り抜けた。


「どけ、どけ!」


 馬上の御者の声に慌てて、大路を歩いていた下男たちがさっと隅へよける。


 一団の長は、石玖王。杵築の雲宮にとどまる長子、石土王に会うために、石見国の都から駆けつけたばかりだ。


 武具造りがさかんな石見国では、出雲軍の中でも、とくに剛健な鎧が好まれる。いかめしいいでたちをする一団は、まっすぐに、石土王が宿にしている西の宮へ向かっていく。


 その日、兵舎の大庭では、巫女による口寄せ神事がおこなわれることになっていた。


 支度は数日前から始められて、大庭には、神事のための東屋あずまやが建てられている。周囲にはしめ縄が張られて、戦の宮では珍しい神事を見ようと、人は大庭に集まり始めていた。


 雲宮が神事の場となるのは、久方ぶりのことだ。雲宮が司るのは戦で、まつりごとや神事を司るのは、意宇の宮だったからだ。

 

 口寄せ神事を取り仕切ることになったのも、武人ではなく、杵築の政を司る館衆と呼ばれる男たち。任せられた大役をこなそうと、館衆は、慌ただしい日々を過ごしていた。支度はつつがなく進んだが、うまくいかないことも残っていた。


 石玖王の一団を見送るのに、大路の端へ寄っていた館衆の一人は、ため息をついた。


「やれやれ、いらっしゃった。とうとう役者が揃ったか――」


 一人は、うなだれていった。


「いいや、まだだよ。肝心の巫女様がまだいらしていない。迎えにいかねば――」


「巫女様だけではないだろう。もう一人足りない方がいらっしゃる。高比古様が、まだ――」


 一人がその名を口にすると、大路を歩いていた四人の館衆は、一人、二人と足を止め、揃ってため息をついた。


「いったいあの方は、どうなさったのか。阿伊から戻られてからというもの……」


「これこれ。高比古様は、次の武王だ。主の陰口をいっては罰が当たる。――それより、巫女をお迎えにあがろう。高比古様はともかく、巫女が来なくては、神事が始まらないのだからな」


 最年長の男がそのようにいって仲間をとりなした、その時。


 館衆たちの目が、さっと大路の奥を向いた。そこには、兵舎の方角からやって来る男がいた。武王の副として兵舎の長も務める男、安曇だった。


「安曇様、いいところに!」


 安曇と目が合うなり駆け寄ると、館衆たちは、さっそく告げ口をした。


「杵築の神殿の巫女様が、まだおいでにならないのです。昼前にお出ましになるように、三日前からお伝えしていたのに――」


 安曇は歩く速さを少し遅めただけで、館衆たちのそばを通り過ぎようとした。


「神事が始まるのは夕刻だ。今から神殿へ迎えにいけば、十分間に合うだろう。支度を頼むぞ。私はほかに用がある。では」


「お、お待ちください。もうひとつ、お伝えしたいことが――! その、高比古様のことなのですが……」


 その名が出ると、安曇は呼吸の仕方を切り替えるように黙り、足を止めた。


「高比古? ああ、なんだ」


「安曇様、どうか、高比古様にお話しください。高比古様は、しばらくおかしいのです。実は――」


「館に閉じこもってばかりで、狭霧様のそばを離れようとなさらないのです。いくら婚儀を済ませたばかりとはいえ、目に余ります。策士のお役目を忘れたようにお過ごしで――」


 館衆たちは今こそとばかりに口々にいったが、安曇はそっけなく話を済ませた。


「それだけか?」


「それだけとは、安曇様……。我が宮の次の主となる方がそのようでは、我々とて――。ましてや、あなたがそれをお見逃しになれば、大国主がことさら気にかけていらっしゃる規律を守りきれません。それでは――」


 館衆たちが、さっと目の色を変える。それを見やって、安曇はふうと肩で息をした。


「そういう意味ではない。そのことなら、もう大国主の耳に入っているし、私も先日、様子を見にいった。……今は、放っておけ。阿伊で何かが起き、神野でも何かが起きた。だが、高比古は詳しく話そうとしない。――私にも、よくわからない。高比古の世話なら、狭霧に任せてある」


「し、しかし……安曇様!」


「では、頼む」






 大路の隅から、自分の背中をじっと目で追う館衆たちの視線が、安曇には痛かった。


 早足で歩きながら、ため息をつく。


(高比古の様子がおかしいのは前からわかっていたことだが、おさまるどころか、館衆や、下の兵が不安がるまでになった。おそらく、神野の神託が絡んでいるせいだ――。普段ならすぐに立ち消えになるが、船団を失った今、みな気丈にふるまってはいるが、神託にすがりたいのだ。噂は広まる一方で、その上、尾ひれまでついて――)


 今、杵築で噂されているのは、こういうことだ。


 出雲の大地に、災いという名の黒雲がかかるのは、王が代わる時期だからだ。


 新しい王を誕生させるために、出雲の土地神は、代償の贄を欲しがっている。


 かつて須佐乃男の代におこなわれたように、贄を捧げる大神事が必要なのだ、と。


(つい先月の婚儀で、高比古は穴持様の後継として認められ、奇しくも、時をほぼ同じくして我々は船を失った。新しい王の誕生という話といい、災いの話といい、状況が重なりすぎているのだ。しかし、だからといって、噂に惑わされただけで、そのように大それた神事をひらくわけにもいくまい。だいいち、穴持様はその神託を信じていないのだ――)


 噂を広めているのは、ほとんどが翁やおうなで、若き日の須佐乃男を知っている者だ。


 須佐乃男が王として広く名を広めた後に出雲にやってきた安曇には、よくわからない話だった。


 それに、安曇には、神託を信じられない理由もあった。


(新しく王が誕生する時だと? なぜ、須佐乃男様の次が高比古なのだ。その間には穴持様と彦名様がいるし、須佐乃男様の代には、もう一人杵築の王がいたはずだ)


 須佐乃男は、かつて意宇の都に住まい、出雲の政を司っていた。


 出雲には王を二人置くしきたりがあったので、須佐乃男と対になる、もう一人の王がいたはずだ。それなのに――。


(その王のことは、あまり話を聞かないな。そういえば、当時、ほとんど一人で意宇と杵築を治めていたと、須佐乃男様本人もおっしゃってもいたが――。だからといって、大神事を経てまで誕生させなければいけない王が、須佐乃男様と高比古だというのが腑に落ちない。穴持様も、須佐乃男に勝るとも劣らず、諸国に名を知らしめた王だぞ)


 昼前の大路を早足で歩きながら、ふと、背後から話し声が聞こえて、安曇は耳をそばだてた。


「出雲の土地神様に、姿形はないのさぁ。新しい王が生まれる時におこなわれる大神事の時だけ、海の上の空によぉ……」


 振り返って見れば、人がいきかう大路の隅で、宮仕えの下男と金匠の爺が立ち話をしている。


 安曇は、踵を返してその爺のそばに歩み寄った。


「ん? あなたは……安曇様!」


 安曇に気づいた下男がひざまずくと、金匠の爺も、若い下男に習って小さな身体を丸めて地面に伏せる。安曇は、二人を立たせた。


「そうかしこまるな。ただ、今の話を、私にもしてくれないか? 今おまえたちが話していたのは、須佐乃男様の御世におこなわれた大神事の時の話か?」


「は、はい。そうですとも」


「おまえは、大神事をその目で見たのか?」


 問われると、金匠の爺は、肉が削げて細くなった膝を立てていき、皺に覆われた口をひらいた。


「大神事なんて見ちゃいませんよ。あれは、高貴な皆様のものだ。我々のような里者が見られるものじゃございません。そうでしょう?」


「まあ、そうか――。では、おまえは何を見たんだ。さっき、出雲の土地神の話をしていたな。おまえは神の姿を見たのか?」


「はい。見ました」


「本当に見たのか? どんなだった」


「大神事がおこなわれた後、海の上の空が青くなったんです」


「空が青くなった? おかしいことか? 今も、この通り青いが」


「そんなんじゃありませんよぉ。こう、海の上に青い薦がさーっと降りたみたいに、空が青くなったんです」


 安曇は、眉間にしわを寄せた。


「青い、薦?」


「はい。高貴な人の館の入口に垂れている布ですよ。あれのばかでかいのが、さーっと空になびいたんです。噂では、それが出雲の土地神だと――」


「出雲の土地神が、青い薦? すまないが、よくわからないのだが」


「ですから、空に、さーっと薦がなびいたんです。それ以外には、わしもなんて説明したらいいのか。安曇様も、一度目にすればわかりますよ」


「一度目にすれば――? そうだが……」


「では、わしはもういきますんで」


「あ、私もいきます。石玖王様のお世話を頼まれているのです!」


 金匠の爺と下男は、慌ただしく安曇に背を向けて去っていった。


 二人の後姿を見送りながら、安曇は、何度目かも知れないため息をついた。


(出雲の土地神――。大神事か……)


 安曇の足は、兵舎のそばにさしかかっていた。


 兵舎は、雲宮の敷地の大半を占めるほど広い。その背後には、小さな館がある。その館は、杵築の次主と指名された高比古が、いずれ大国主の後を継いで雲宮の主となるまでの住まいとして建てられたもので、今も、そこには高比古と、その妻となった娘、狭霧がいるはずだ。


(阿伊から戻ってから、あいつは本当におかしい。せめて、神野を信じるべきだとか、そうではないとか、あいつが何かをいってくれれば、少しは動きようがあるのだが。……いや、そういう時もあるのだろう。私ができるのは、あいつのために、迷う時を与えてやることか――)






 阿伊へ旅立ってからというもの、高比古が、狭霧を放すことはひと時もなかった。


 大国主の軍と合流するための援軍に、わざわざ狭霧を混ぜたほどで、その道中も、戦会議の場でも、必ず狭霧の姿が目に入る場所に置き、誰がなんといおうとも、遠ざけなかった。


 しかし、高比古はその理由を語らない。狭霧は、それを何度も尋ねた。


「ねえ、今日は、特別な神事がひらかれるんだよ? 比良鳥さんは今、誰とも話ができないけれど、今日は巫女の力を借りて、どうしてあの人が出雲を裏切ったのかとか、大和に何が伝わっているのかとか、そういうことを話すんだって。石玖王も、引島から戻ってきた石土王も、とうさまも安曇も、みんな加わって神事を見守るんだよ? 高比古もいかなくちゃだめだよ。お願い、立って――! わたしも一緒にいくから」


 目の光を失い、耳の音を失った比良鳥と言葉を交わすために、巫女による口寄せ神事がおこなわれることは、その日、雲宮中の知ることとなっていた。


 高比古は、拒み続けた。


「いかない。必要ない」


「必要ないって――。大がかりな神事なんだよ? それを……」


「いかない。どうせ、あいつらがいうのは間違いだ」


「どうせって――。それに、あいつらって誰のこと? 比良鳥さん?」


「そいつがいうのも間違いだ。神野が関われば、さらに間違いだ」


 高比古が館に閉じこもり始めて、三日が経った。その前に、御津探しの旅をしていた頃も含めると、半月以上も本来の役目、策士の任から遠ざかっていることになる。


 狭霧は、高比古が気に食わないものを薄々感じるようになっていた。


「神野が、いやなのね?」


 でも、うまく納得がいかない。


「どうして? 御津に辿りつく前には、たしか、神野の力を借りることができれば、とうさまに並べるかもっていっていたのに。その前だって、神野のことは、少なからず認めていたじゃ……」


「気のせいだ。あいつらは大嘘つきだ。あいつらが関わることなんか、すべて間違いだ」


「とうさまみたいなことをいって――。高比古は事代でしょう? 事代は、神野とも関わるんじゃ――」


「おれは大国主を継ぐから、事代をやめて武人になる」


「でも、まだ事代でしょう? ――もう、いっても聞かないんだから!」


 こつ。館へ続くきざはしを踏む音がした。


 館は人払いがされていたので、侍女以外に、この館に近づく者はほとんどいなかった。だから、今のように物音が響くのは、珍しいことだった。


 狭霧は、ふっと音のするほうを向く。


「誰か来た……誰だろう」


 足音は、侍女たちのものよりずっと重く、品がよかった。やって来るのは男で、その上、上役の館衆か武人など、ある程度の位をもつ者のようだ。


 男は階を上り、館を閉ざした薦の向こうで、ことりと音を立てて床に膝をつき、薦越しに声をかけた。


「高比古様に、お伝え申し上げます。私は、須佐乃男様のお付きで須佐の宮から参りました側近、名を、木舞こまと申します」


 やってきたのは、須佐乃男が出向く場所のほとんどについていく武人だった。


 高比古の耳元で、狭霧が耳打ちする。


「木舞さんだ。おじいさまと一緒に宗像に来ていた……」


 木舞は、姿を見せないまま、薦越しに話した。


「主、須佐乃男様からのお言葉をお伝えいたします。――あなたが探し当てた〈御津〉という地へ、水鎮めの巫女が向かいました。御津を祀り、暴れることのないように見張るためです。神野は御津を、この上なく神聖で、また、危うい聖地といっています。しかし、神野は多くを語りません。須佐乃男様は、御津とは何かをあなたにお尋ねです。聞けば、神野の大巫女は、あなたが、千年に渡って御津を守る王になるとの神託を得たようで――」


「帰れ!」


 高比古は、大声を出した。


「おれは何も知らないし、御津が清いものか、悪しきものかもわからない。おれに聞くのは筋違いだ。帰れ!」


「しかし……」


「耳触りだ。帰れ!」


「神野の大巫女は、御津……ひいては、出雲の女神があなたに神託を告げたと申しております。あなたは、御津が何かをご存じなのでは――」


「帰れ!」


 結局、高比古は木舞を追い払った。


 薦の向こう側にあった人の気配が消え去ってしまうと、狭霧は、呆れて肩で息をした。


「高比古ってば、もう。ぴりぴりしすぎよ! ――わたし、木舞さんに謝ってくる……」


 狭霧が立ち上がろうとすると、高比古はぱっと腕を伸ばして手首を掴もうとする。


「だめだ」


 狭霧はつい、手から逃げてしまった。身体をさっと後ろにひいて、高比古の手から避けた。


「いかせないっていう気? そういうわけにはいかないわよ。――すぐに戻るから」


「でも……」


「子供みたいに引きとめるのはやめて。わたしはわたしで、高比古の持ち物じゃないのよ?」


「――」


「すぐに帰ってくるから」


 




 狭霧が高比古のそばを離れるのは、久しぶりのことだった。


 高比古の様子がいつもと違うのは誰の目にも明らかだったし、御津に辿りつくまでに起きたいろいろな苦難も、狭霧ははっきり覚えている。だから、早くいつもの高比古に戻ってほしいと願っていたし、彼の不安や焦りが薄れるなら、いうとおりにしようと思っていた。


 しかし、こう何日も続くと、苛立つものだ。


(わたし、いらいらしてる――。だって、高比古も高比古よ。前みたいに眠れないわけではないし、御津からも離れてとっくに雲宮に戻っているのに、あんなにいらいらして――。あれじゃ、みんな気を悪くするわよ。前は、とうさまに会わせる顔がないから絶対にお役目を怠けないって、いっていたのに。わたしだって、高比古と結ばれたのが一番よかったってみんなからいってもらいたいのに、高比古のそばを離れられなかったら、意宇にも戻れないわよ)


 胸に湧いた不満は、次から次へと連なった。文句を一通り並べてしまうと、狭霧は、がっくりと肩を落とした。


(わたし、酷いなあ――。高比古が、好きで今みたいになっているわけがないのに……。高比古は、怠けることが大嫌いな人よ。きっと、誰より高比古が、今の状態をいやがってるわよ……)


 気合いを入れるように顔を上げて前を向くと、館の庭を出た先にある大路で、木舞の姿を探した。しかし、その人の姿はなかった。


(いない……。神事がおこなわれる場所にいっちゃったかな。場所は、兵舎だっけ――)


 雲宮の兵舎は、高比古と狭霧の館のすぐ隣だ。


 しかし、どうも、そこへ向かう気になれなかった。口寄せ神事に参じるため、今日の雲宮には、名だたる武人が訪れている。そのせいで、大路には武人や馬番が大勢列をなしていた。兵舎の大庭もすでに人で溢れて、門の外にまで人だかりが見えるほどだった。


(入ったら、出てこられないかも。安曇も兵舎にいるかな。話をしたいんだけど、どうしよう――)


 いこうか、いくまいか。迷っていた矢先、兵舎へ向かう人波に逆らって駆けていく男たちを見つけた。雲宮で政を司る、館衆と呼ばれる者たちだ。


「巫女はまだ来ておらんのか! 昼前には、杵築の神殿に早馬を遣わしたはずだろう? このままでは、口寄せ神事が始まらんではないか!」


「王門までいってみよう。姿を見つけたら呼び寄せて、走らせねば!」


 話し声を聞きつけると、狭霧は、館衆たちの後を追うことにした。


(杵築の神殿の巫女って、日女のことかな。日女に、高比古のことを相談したいな。あの子はきっと何かを知っているもの)


 人が大勢行き来する兵舎前の大路とは違って、王門から続く路には、人影がまばらだった。


(いまから雲宮に来る人は、もういないのかな)


 しんと静かな路を、館衆の後をついて歩いていくと、尾行に気づいたのか、ある時、彼らは背後を振り向いた。


「これは、狭霧様」


 深々と頭を下げて彼らは立ち止まり、歩みを合わせると、館衆たちは狭霧に尋ねた。


「高比古様は、いかがでしょう。あの方は、出雲一の事代。そして、次なる武王となる方。ぜひとも、今日の神事に混じっていただきたいのですが――」


 ここしばらく、誰かに会うたびに、誰もが狭霧へ高比古のことを尋ねた。


 狭霧は、ため息をついた。


「もうしばらく、そっとしておいてあげてください」


「まだですか? しばらく、しばらくと、少し前から何度も聞いておりますが」


 館衆の男は、大仰に嘆いてみせた。


「まあ、なんです。出雲は力の掟に従う国。このままの状態が続けば、いずれ高比古様のご身分は剥奪されることとなりましょう。従うべき主を決めるのは、人――出雲はそういう国ですから」


「すみません。みなさんを不安にさせているのは、わかっているのですが――」


「いいえ、いいのですよ。我々が申すのは苦言ではなく、助言です。出雲は、結果次第ですべてが変わる国ですから」


 館衆の男たちは、苦笑いを浮かべてあさっての方角を向いている。


(嫌味をいわなくたっていいのになあ。わたしだってわかってるわよ。高比古だって――)


 話がひと段落つくと、狭霧は、これ以上その話題に触れないことにした。


 そして、言葉少なに、一緒に並んで王門へ向かった。


「それで、狭霧様はいったいどちらへ?」


「王門です」


「では、我々と同じです。実は我々は、神殿から来る巫女の迎えに――」


「あ、はい。わたしも、さっきその話を聞いて、巫女に会いたいと思って。今日ここに来るのは、日女という名の巫女ですか?」


 さし障りのない話をしつつ、足早に大路を進む。


 門の周りには、馬番をする馬飼や下男たちがちらほらといて、めいめいの仕事に励んでいた。その周りに、巫女の衣装を着た娘はいなかった。


 館衆は、暗い声でぶつぶつといった。


「まったく、もう――。早く来るようにと再三遣いを送ったのに。神野に、規律というものはないのか?」


 しかし、そのうち、館衆たちは門の向こう側に目を凝らした。そうかと思えば、近くにつながれていた馬の手綱を馬番からひったくるように奪って、鞍に飛び乗った。


「あれは誰だ? 巫女様か!」


「え、待って!」


 勢いにつられて、狭霧も、近くにつながれていた馬に走り寄り、借りることにした。


 ふわりと風になびく裳姿のままで鞍にまたがると、先に駆け出した館衆の後を追って、農地の間を貫く野道を駆ける。


 館衆が見つけた娘は馬に乗っていて、周囲にはその娘を守る武人や、付き従って世話を焼く侍女の姿がいくつもある。侍女にいたるまで衣服は豪奢で、高貴な娘の一行に違いなかった。


 しかし、その娘は、日女ではなかった。


 すぐに狭霧は娘の正体に気づき、口をあけた。


「あっ――」


 道にいた娘や一行は、異国風のものを数多く身につけていた。衣や裳などは出雲風だが、首からさげた御統みすまるや帯は、出雲では珍しい大陸風の造りをしている。それは、その娘が、大陸に近い地に位置する国から出雲に嫁いできたからだ。


 馬の操り方を知らないその娘は、鞍に横座りになり、馬番に手綱を引かせて道を進んでいた。少し陽にやけた肌に、濃い眉、つぶらな瞳。胸の下まである黒髪は、故郷から運ばれた織布で飾られている。その飾りも、出雲ではあまり見かけない形だ。


 その娘の名は、心依姫ここよりひめ宗像むなかたという南の国から、高比古の妃となるために出雲へ渡った宗像王の孫姫だ。


 狭霧が心依姫と会うのは、高比古の妻となった後、初めてのことだった。それまでも話をしにいこうと高比古に頼んだが、そのたびに、「まだ、話ができる状態じゃない」と断られていたからだ。


 まだ互いに離れているうちから目が合うと、狭霧の目は、凍りついたようにそこから離れなくなった。




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