二人の武王 (2)
事が決まれば、後は動くのみ。
安曇は、いつも通りに声を張り上げた。
「全員聞け! これから、我々は船を捨てる! 野営の焚き火から火を移し、船を燃やして火の壁とせよ! そして、いま海上にいる船団のことは忘れよ! ここにいる全員で当たれば、松林に潜む敵など、すぐさま片づけられる。――我々を陥れようとした裏切り者を、一人たりとも許すな。仕留めろ!」
誰かに命令を下す時、命令をするほうの胸に少しでも迷いがあれば、言葉から力が薄れてしまうことを、安曇はよく知っていた。だから、もしも半信半疑の策を決行する時は、あたかも焦りなどないように振る舞わねばならないことも、経験のうちに覚えていた。
そして、その逆もありうることも、よく知っていた。
その策が潰えることなどないと、一分の迷いもなく信じていれば、事代たちが使う呪いの文句、言霊に似た力が宿る。そうすれば、甕の水を隣の甕にそっくり移しかえるように、まったく同じ思いが伝わるのだと――。
安曇には、わずかたりとも迷いがなかった。
(穴持様は正しい。そうするべきだ。――絶対に、そうだ)
想いは声に乗って、浜で応戦する出雲の兵たちへと広がっていく。
声が届くにつれて、満ちていた混乱は薄れゆき、兵たちの目に生きのびようとする力が生まれる。
まずは、武人たちが動き始めた。
「わかりました。では、私の一団が船を燃やします。各五名ずつ連れて、私に続け!」
配下の農兵を引き連れて、一人は、浜の方々に配された焚き火のもとへ駆けていく。
安曇のそばにいた
「まずは弓と盾だ。前衛は私が指揮を執る」
いくべき道が決まれば、あとはたやすい。
大国主が示した道の通りに、それぞれの手の中で方法は定まっていき、人は懸命に与えられた役目を果たした。それぞれがうろこの一枚、髭の一本に徹して、大勢で、たった一匹の凶暴な大蛇を演じるようだった。
矢の雨の逆風が長門の軍に降りかかり、出雲軍に降り注いでいた矢の雨が弱まりゆく。松林の中で後退をはじめた長門の軍からは、脅えの気配が漂い始めた。
「ま、まずいぞ……。出雲軍は、やはり手ごわい。海と陸から囲んでも、まだ倒せないのか」
「やはり、出雲の死神、大国主の軍を相手に戦を挑むなど、馬鹿げていたのだ……」
「こんな連中を倒すなんて無理だ!」
策や、兵の数、武具の優劣など、戦に必要なものは多くあったが、兵の士気は、とくに大事なものの一つだ。
安曇は、味方や敵の感情に敏かった。
背後の水際で、自らの船がぼうぼうと燃え盛るのを振り返ることもなく、出雲軍は「いけ、いけ」と、松林ににじり寄る。かたや、長門の軍は、松の幹に身を隠しながら、逃げ場所を探し始めている。軍の後方から光景を眺めていた安曇は、ある時、思った。
(勝った)
安曇は、主の顔をちらりと振り返った。
大国主は、戦いに混じることなく浜の端に立ち、腕組みをして、波打ち際で燃え盛る火の壁と、その向こうで距離をとる大和の船団、そして、松林に分け入り始めた出雲軍を、じっと視界に納めていた。
戦況を見つめる大国主の目は、冷酷だった。
それをたしかめると、安曇の心は決まった。
出雲の兵が松林を取り囲んだ、その時を見計らって、安曇は声を張り上げた。
「裏切り者を一人たりとも許すな。我々に刃先を向けながら、逃げようとする軟弱者は、ここまで引き回して、大和軍の目の前で縛り上げろ!」
命令はすぐさま尾を引くように伝わり、兵たちの唇から繰り返される。
「進め、裏切り者を許すな!」
船を失った出雲の兵たちは、報復に飢えていた。怒涛の勢いで駆けると、逃げまどう長門の兵の命乞いを無視して斬りつけた。
配下の兵たちが一丸となって動くのを見届けると、安曇は主のそばへ歩み寄った。
「長門の軍の相手は、済んだも同然です。残るは、大和の軍ですが――」
海上には、浜を囲むように異国の船団が広がっている。しかし、様子を窺っているのか、船団は、姿を現した時よりも沖へと遠ざかっている。
大国主は、燃え盛る火の壁越しに波の上を見つめていた。
「何もせんのか。あいつらはいったい、何をしに来たのだ?」
鼻で笑うと、たった一人で船団を挑発するように、まっすぐに海に向かう。腕組みをして、船の上にいるはずの敵の将を睨みつけると、大国主は暗い笑みを浮かべた。
「奴らは、これ以上近づいてこないだろう。寝返った長門を、おれがどうするのか、高見の見物をしたいだけだ。――くずどもが。安曇、捕らえた長門の者を、浜に並べよ」
その笑みは、雲ひとつない夜の澄みきった闇の色のように澄んでいた。
やがて、神岬の浜が静かになる頃。
浜を取り囲んでいた異国の船団は、青波の上から姿を消していた。
そこかしこに血の匂いが漂い、船を為す木材がぱちぱち、ちし……と焦げる音が、潮騒に混じって戦の後の浜辺に響いている。
戦の後のこういう寂しい静けさは、戦った者の興奮をたちどころに冷まして、そればかりか、真逆の方向へ向かわせてしまう。
(ここに長くいてはいけない)
安曇は、兵たちを移動させることにした。
「高比古と話はできるようになったか?」
「いえ、まだです」
「何やら妙なことになっていると言っていたが、まだ手間取っているのか――。まったくあいつは、肝心なところで――困ったものだな。では、
「いえ――。高比古様や、神野の巫女ならできるのでしょうが、ここにいる事代では、今は無理です。もう少し太陽が昇って、東へ向かう風が一瞬でも吹けば……」
「――わかった。では、見張りの兵を数人選んで、事代とともにここに残らせよ」
「はっ。――しかし、ここに残るということは、その、本軍はどちらへ……?」
「船もなき今、ここで待っても仕方あるまい。陸路をとって出雲へ帰ろう」
「陸路?」
安曇と話していた薬師の男は、目を丸くした。
安曇たちのそばには、大国主をはじめ、薬師の男が率いる事代たちや、
安曇の口から陸路、という言葉が出ると、武人たちは揃って顔を上げる。まず口をひらいたのは、箕淡。
「ということは――船はどうする気だ? 燃えたのは一部だ。半分は無傷で残っているが」
潮騒を響かせながら波を寄せる水際には、まだ多くの船が燃え残っている。
箕淡が見やったのと同じ浜景を眺めて、安曇は肩を落とした。
「まるごと無傷の敵の船団が、まだそのあたりにいるのだ。いくら船が残っているからといって、今ここで軍を、海路をとる者と陸路をとる者に分けるのは、危ういだろう?」
「たしかにそうだが……。――いい船なのに」
箕淡は残念がった。異を唱えるように顔を上げていたほかの武人たちも、ため息をついて再び目を伏せる。安曇たちの集い場となった天幕の前には、失望が漂った。
しかし――。大国主は、それを許さなかった。
輪の奥で砂の上にあぐらをかき、大国主は、冷笑した。
「陸路をとるのはよいが、このままは帰らない。――出陣の支度をさせろ」
男たちの目が、さっと主の顔に集まる。大国主は、いまだ牙をおさめきっていない獣のようににやりと笑っていた。
「穴持様、出陣と申しますと……」
「船まで捨ててこのまま帰るには、土産が少なかろう。支度が済み次第、浜を出て長門の王宮を目指す」
「――王宮を?」
「裏切りを指図したのは長門の王だ。出雲の船団が昨夕ここに寄ると知っているのは、おれたちのほかには、長門の王とその近くにいる奴だけだ。おれたちはそれを前もって知らせて、鉄玉を贈っていたんだからな」
「それは、そうですが――」
安曇は、主の目をじっと見つめた。他の者たちの手前、言葉での口論は避けたが、視線で主を抑えようとした。
(あなたのおっしゃることはわかります。しかし……それは、ことが大きすぎる。一旦、彦名様にお伺いすべきです)
安曇の無言の牽制を、大国主は拒んだ。
有無を言わせぬ風に安曇に冷笑を向けると、周囲にいる男たちをぞっと凍りつかせるような残忍な目をした。
「長門の王宮を焼き払え。動いている者はすべて息の根を止めるか、虜囚とせよ」
(いけません、穴持様、ことが大きすぎます)
安曇は、懸命に主を宥めようとした。しかし、大国主は相手にしなかった。
「王の妻たちも、同じに扱え。出雲に逆らったことを悔やんで、滅びればよい」
(穴持様……。それでは、長門が滅びます。滅びずとも、かつての
安曇は、主の黒目を見つめ続けた。いま気づいたという風に、大国主は安曇を向き、ふっと微笑んだ。
「なんだ、安曇。
「しかし……」
安曇は渋った。しかし――。
浜で喋る者は、いなくなった。
輪の外にいた武人たちも、大国主が話し始めるとじっと耳を澄ませていたが、いまや、陶酔する真顔をしている。目配せが目配せを呼び、農兵にいたるまでの数千の男が、大国主の幻術にはまったように、主の一挙手一投足に夢中になっていた。
浜にいるすべての部下の目が自分を向くと、大国主はゆっくりと立ち上がり、鎧をまとった男で溢れんばかりの砂浜を見回す。そして、声を大きくした。
「おまえたちに命じる。裏切り者に制裁をくだせ。裏切りは、最たる罪。制裁は大きければ大きいほどよい。出雲に逆らってはならないと、出雲の軍神の
大国主の声の余韻に浸るように、数千の男の声が揃った。
「おお!」
王都への道をいく出雲軍は、行く手に人里を見つけると押し入り、馬を奪った。
大国主が馬に乗ると、大国主が駆る馬の速さに合わせて、軍が走り始める。一行の歩みは早くなった。
二つ目の里を越えると、馬は、安曇や箕淡、事代たちや、高比古のふりをする
大国主の隣で農馬を走らせながら、安曇は最後の問いをした。
「穴持様――このまま進んで、もしも長門が滅びたら、どうなさるおつもりですか」
大国主は、表情を変えなかった。
「どうもしない。連中が出雲を裏切ったから、制裁を下すまでだ」
「しかし――」
「出雲の掟は簡単だ。力ある者が上に立つ。その程度だ。だから、力のない者が、汚い真似をして力のある者を裏切るのは、恥ずべき行為。制裁をまっとうせねば、掟とは呼べまい?」
「わかっていますが――。本気なんですね?」
「おれが冗談で戦をする男に見えるか?」
「いいえ――」
安曇は、馬上で揺られつつため息をついた。
「わかりました。私も、覚悟を決めます」
「今さらか? 遅いぞ」
「遅いのは仕方ありません。暴れ馬の手綱を握り、動きを見極めるのが、私の役目ですから」
安曇がちくりというと、大国主はからかい文句で返す。
「で? 結局、暴れ馬に振り切られては、御者の名が泣くな?」
「振り切られたのではありません。あなたが導く先の灯かりを信じるべきだと覚悟がついたので、最後まで乗ってみるまでです」
「うまいこというな」
安曇と肩を並べているあいだ、大国主はおどけるように笑っていた。しかし、行く手に長門の王宮の姿が見え隠れし始めると、大国主の笑顔は、死神の笑みと呼ぶべき暗いものに変わる。
蛇が赤い舌をちらつかせるように、大国主は舌先で唇を舐めた。
「来たぞ。臆するな。この先に罪があれば、すべておれがかぶってやる」
誰よりも臆することのない男がいうその言葉は、周りの男たちを、「臆さなくてもよい」と信じ込ませる。
大国主は、道をいくのに長く伸びた部下たちを馬上から見渡して、大声を上げた。
「古くからの友好をむげにした裏切り者を、滅せよ。大屋根に火をかけ、馬と兵糧を根こそぎ奪い、ことごとく壊し尽くして、王宮を蹂躙せよ。――いいか、我々が守ろうとしているのは、古くから続き、そして、今後とこしえに続いていく正義と、守護だ。誇りと共に、それを守り切れ。そして、出雲に帰るぞ!」
「おおお!」
どよめきが起きる。熱に押されるように、軍勢の進みはさらに早くなった。
剣や矛の武具を抱えた兵たちは、士気を昂ぶらせて、ますます一丸となった。どろどろどろどろ……。足音が重なって轟き、一匹の巨大な大蛇が地を這うように、出雲軍は道を進み続けた。
安曇は大国主とともに先頭にいたが、まじないにかかったように軍勢が統率されていくのを感じると、苦笑して、隣で馬を駆る大国主をちらりと見た。
(この人は、さすがだな)
たった一人で軍勢に新たな命令を与え、まとめ上げたくせに、熱気に酔うこともなく、興奮することもなく、大国主はいつも通りに前を向いている。
(戦でのこの人は、まるで邪術師だ。命令には言霊が宿り、瞬時に男たちを支配していく。――私も、この人に支配されるうちの一人だ)
カン、カン、カン……!
武装した出雲軍が進むにつれて、王宮のふもとの野には、危機を知らせる鐘の音が響く。
野道を駆けつつ近づいた、長門の王宮は慌ただしかった。ひときわ高い場所に突き出た高見台には、番兵がひっきりなしに上り下りしている。
長門の王宮は、越の国由来の堅固な木組みを誇る出雲の王宮より質素で、素朴だった。王宮を囲むのは壁ではなく、大きな杭のように並ぶ木の柱。そのせいで、囲いの奥にある建物や庭に、兵たちが慌ただしく呼び集められていく様子が、外からもありありとわかった。
それを見て、王宮まで辿りつき、取り囲む陣形をなしていくのを待つ間、大国主は隣で馬にまたがる安曇に話しかけた。
「内側で何を企んでいるのかが明らかなのは、間抜けだな。出雲に戻ったら、高見台に壁を付けさせろ」
これから敵地に乗り込むというのに、大国主は、帰還後のことを当たり前のこととして話した。
安曇は、苦笑した。
(この人についていけば、負けはない。いや、たとえどんなに苦しい戦になろうが、勝てないと感じることはないのだな)
「はい、穴持様。杵築に戻ったら、木の匠に申しつけましょう」
それから、手綱を引いて、馬の向きを変えた。
「先駆けは、お任せしてもよろしいでしょうか。おそらく、そのほうがよいかと」
大国主と安曇がいたのは、軍団の先頭。安曇が、先陣を切って戦いを挑む役を主に頼むと、大国主は王宮の門を見据えて笑った。
「そう思うか?」
「はい。いま必要なのは細かな戦法ではなく、勢いと士気。そして、かねてからの策も道具も使いようのない今、素早い判断が必要になるでしょう。私より、あなた向きです」
「おれも同意だ。――わかった。後方を頼む。精鋭団を組んで、援護しろ」
「御意」
安曇は、さらに手綱を引いて、馬の向きを後方へと変えた。
進みゆく歩兵たちの流れに逆らって、末尾方向へと進み始めるが、途中である青年の顔を見つけると、馬の足をとめた。
その青年は、大国主を囲む武人の一団に混じっていた。これまでに幾度も手柄を立てた戦上手らしい豪奢な戦装束を身に着けているが、青年は、それに似合わない風に緊張していた。それは、青年に戦の経験がなく、初陣だからだ。青年が身につけた衣装は、上位の武人のふりをするためのものだった。
すれ違いざまに、安曇は青年を呼びとめた。
「佩羽矢、平気か?」
安曇と目を合わせると、青年、佩羽矢はゆっくりと顔を上げていく。
慎重な目配せの仕方に、安曇は苦笑した。
「初めての戦が、こういう策も企ても役に立たないものとは、なかなかの荒修行になったな? おまえは今日、高比古としてここにいる。あいつと狭霧の婚儀の噂はここにも届いているだろうし、あいつが大国主の跡取りに決まった話も、すでに伝わっただろう。おまえにびくつかれては、あとで高比古が困る。ふりだけでいいから、取り乱すなよ? 私と一緒に後ろに回るか? 今回、先陣は、かなり動きが早くなるだろうし――」
佩羽矢を気遣って、安曇は、彼を先陣から外そうとした。
安曇が話している間、佩羽矢はちらちらと前方を気にしていた。彼が属していた大国主の一団はゆっくりと移動を始めていて、後姿が遠ざかりつつあった。
「いいえ。脅えているわけじゃないんです。ただ……」
「脅えていないなら、たいしたものだ。はじめは、その足で最後まで立っていられればそれでいい。戦場の有り様を覚えて帰れ。高比古は、一日で覚えたぞ?」
「本当に、緊張しているわけじゃないんです。もっと別なものなんです。なんだか、頭がもやもやするというか、腹がむかむかするというか」
「腹がむかむか? ――腹でも下したか?」
「下してません! 緊張でもなくて、なんといえばいいのか、その……。あーっ、もう! いらいらする!」
突然、佩羽矢は、髪をかきむしった。
「安曇様、俺、今、すごく困ってるんです」
「――そのようだな。わかるよ?」
「今、俺とあいつは離れているわけじゃないですか?」
「うん? ちょっと待て、あいつって誰だ?」
「あいつといったら、高比古に決まってるじゃないですか! 何をいってるんですか、もう!」
佩羽矢はいらいらとして、安曇を相手にまくしたてた。
「今、俺とあいつは、前のように繋がって、自在に話したりすることはできません。でも、あいつの考え方が、今でも少し頭に残っているんです。俺の前にあいつがいて、結局、あいつがつくった道がそこにあるんです。でも、今は、あいつの真似をしなくちゃと思うと、いらいらしてたまらないんです。――だって、あいつの助けがなければ、俺があいつの真似をしたって中途半端になるじゃないですか。結局、役立たずになるのは目に見えているじゃないですか!」
高比古と同じ髪の結い方をして、同じ鎧と兜を身にまとい――。高比古にそっくりな顔をする青年、佩羽矢は、高比古とは似ても似つかぬ風に熱心に安曇を見つめて、嘆願した。
「お願いです、安曇様。俺を、先陣に残してください」
「先陣? しかし、さっきもいったが、今回の戦は……」
「やばそうだなっていうのはわかります。でも――なんとなくわかるんですが、今は、怒涛の勢いってやつがあればいいんでしょう? 今回が初陣の俺なら、戦の恐怖も知りません。盛り上げるだけなら、盛り上げられると思うんです」
「はあ、盛り上げる?」
足を止めた二人の脇を、大勢の兵たちがすり抜けていく。次から次へと人に追い抜かされていくのを、佩羽矢は悔しそうに何度も横目で見やっていた。
「だが……初陣の時は、興奮するものだ。興奮は、いい結果を生まない。時に冷静な判断を欠いて――」
「馬鹿いわないでください! 俺はもう呪い持ちです。倒れる覚悟ならいつでもしてます! それに――あぁ、わかった。どうして、こんなにいらいらしてんのか!」
馬上で、佩羽矢は、吐き捨てるようにいった。
「出雲の役に立てるのは、ここで先頭に立つことだって、たぶん俺は思ってるんです。それなのに、今先頭を離れるっていうことは、出雲を裏切ることになりませんか? 俺は、出雲を絶対に裏切らないと、命を賭けて神事を済ませてるんです。やるべきことなのにやらないと思うと、なんだかこう、むずむずするんです。いいから、いかせてください。脅すわけじゃありませんが、俺には怠け癖がありますから、ここでどうにかなると思ったら、これからどんどん手を抜くようになります。ここでさぼっちゃいけないんです。お願いします!」
言い分は勢い任せで、筋が通っているようでいてめちゃくちゃだった。
「怠け癖? はあ」
呆気にとられるものの、ついに安曇は吹き出して、肩をすくめた。
「わかったよ、佩羽矢」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。だが、無理はするな。まずいと思ったらすぐに誰かを頼れ。いいな?」
「はい! 馬鹿は馬鹿なりに、どうにかなるんですよ。任せてください!」
承諾を得ると、佩羽矢はすぐさま馬の腹を蹴り、小気味よく蹄の音を響かせていく。追い抜かれた分を追い抜かすとばかりにぐいぐいと前へ進むと、佩羽矢は、安曇が見つめる先で大国主の隣に並んだ。そこで彼は、大国主に何かを話しかけた。
安曇は、目を見開いた。
(もしやとは思うが――穴持様に、自分に先陣を任せろと直訴しているのか? さして顔を合わせた覚えもないくせに、怖いもの知らずというか、無謀というか――。まあ、純粋な、あまりいなかった類いの若者だな。――面白い)
安曇は苦笑して、再び手綱を操ると、二人の姿に背を向けた。
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