死の匂い (2)


 軍議は、兵舎で最も大きな舘でおこなわれた。


 真奥の壁を背にして、大国主、彦名、安曇、高比古、狭霧が一列に座し、その前には、石玖王や名椎王なづちおうなど、出雲の小国の主を務める男たちとその部下が並ぶ。その後ろには杵築きつき意宇おうの館衆や高位の武人が座した。大勢の男がつめかけたせいで舘の床は足の踏み場がなくなり、戸はあけ放たれて、外の大庭にも大勢が並んだ。その日、兵舎には出雲のまつりごとと軍事に関わるほとんどの男が集まっていた。


 軍議を進めたのは大国主のそえ、安曇だった。


「策士、高比古と、神野くまのとでひそかに行方を追っていた男が、動き出した。この男は、大和の軍と行動を共にしていると思っていい。つまり、大和軍が動き出したということだ」


 その男が比良鳥ひらとりという名の大国主のかつての従者だとまでは伝えなかったが、安曇は、その男の行方から読んだ敵国の動きや出雲を取り巻く状況を集まった男たちへ伝えた。


遠賀おんがから日向ひむか、瀬戸――。その男が立ち寄った場所とはつまり、大和の拠点だ。瀬戸のとある場所で男の気配は一度途絶えたが、雪が消えた頃にまたわかるようになった。気配が途絶えた理由と、再び居場所が明らかになった理由は定かではないが、何事かが起きた場所は明らかになった。瀬戸の、海に近い陸――浜里だ。海の上に都をもち、攻めるべき都を探しあてる前に襲撃にあうと恐れられた瀬戸の民の、動かぬ都の在りかがわかったのだ。魔の海に攻め入る時が来た。引島を守る石玖王の御子、石土王のもとへ向かう軍使が、三日前に神戸かんどの港を発った。長門を経由して、今頃は砦に着いているだろう。送ったのは『瀬戸との戦に備えよ』という知らせだ」


 安曇の次に口をひらいたのは、出雲王、彦名だった。


 彦名は、薬師あがりの男だ。齢は大国主より少し上だが、もともと細身の身体をしており、並んで座ると小柄な身体は大国主の半分に見えた。しかし、彦名には大国主と並んでも引けをとらない奇妙な陰があった。それは大国主にある、たちどころに人を動かす奇妙な華のようなものと対極をなしていた。


 舘に集った男たちに顔を向け、彦名は、暗い笑みを浮かべた。


「いよいよ、大和との戦に備えるべき時が来た。――皆に、命を伝える。引島の守りを厚くせよ。裏切り者が、瀬戸から戻って来る――。そこで迎え討ち、瀬戸へ侵攻せよ」


 彦名の隣であぐらをかく大国主も、低い声で命じた。


「いいか、戦が始まる――いや、戦を始めるのだ。戦の行方を司るのは、つねに出雲。はじめに発つ船団の出立は、今日から数えて二十日後だ。急ぎ、船と武具の出来をたしかめろ。その船団は、おれがじきじきに指揮を執る。よいか、出立の支度をせよ。薄汚い手を使う薄汚い奴らや、出雲を侵せると思っている怠け者どもに、力の差を思い知らせろ!」


 二人の王から命令が伝えられると、舘に集った男たちは「は!」と応えて、床に手をつけ、額が床につくほど頭を下げた。大庭で控える者たちも、ひざまずいて頭を垂れた。


 出雲風の角髪みづらに結われた黒い頭がずらりと垂れていくのを、狭霧は上座から見ていた。


 狭霧が軍議に呼ばれたのは初めてのことだった。初めて参じる軍議で、狭霧は、花嫁の正装のまま、父や夫となった高比古と並んで座っていた。


 そこからじっと様子を見ていると、安曇や彦名、そして大国主が、集った男たちの心をたった一本の糸を縒るようにまとめていくのをはっきりと感じた。いまや舘は男たちの士気で膨れ上がり、凄まじいまでのそれは殺意と呼ぶべきものだと感じた。でも――。


(今日は、婚儀なんだけどな――。この婚儀は、戦で敵を倒すためのものなんだな)


 寂しく感じる想いは、まだあった。それに、もう一つ気がかりなこともあった。


 狭霧の隣には、狭霧と同じく花婿の衣装を身につけたまま軍議に加わった高比古がいた。


 高比古は、策士。策士というのは、出雲王、彦名に代わって戦に出向き、王の全権を預かって行使する人だ。高比古が身を置く場所は、父と同じく戦場なのだ。


(二十日後、高比古は、とうさまと一緒に戦にいっちゃうのか――)


 覚悟していたことであれ、戦のはじまりをその身で思い知ると、狭霧は、表情を変えないように気をつけて唇をきゅっと結んだ。 


 昼間、大路を進みながら祝いの歓声を浴びて味わった幸せな気持ちはつかの間のものだった――それが胸に染みると、切なくて苦しかった。






 婚儀の大祭を彩った華やかな飾り布は、祝宴が済むとすぐに片づけられた。代わりに、雲宮にはありったけの軍旗が掲げられて、ばさばさと音をたてて春風にたなびく。杵築の都に、のどかな時は訪れなかった。


 ある日。戦の支度に追われる雲宮の大門を、戦の気配に似つかわしくないおっとりした雰囲気をもつ青年と、その一行がくぐった。青年の名は、真浪まなみ。越の国の三の王という位を持つ人だ。


 真浪が乗る馬につけられた鞍は、金細工と綾織の布で飾られた極上のもの。貴人のくつを支えるあぶみも、なめし革だけでなく玉飾りが縁を彩っている。


 異国では着崩すことが許されない優美な正装姿で馬にまたがり、杵築の雲宮を訪れた真浪は、大路を歩く下男に高比古の居場所を尋ねると、まっさきに兵舎を目指した。


「おおい、見つけた」


 高比古は、兵舎の大庭を横切っているところだった。


「……真浪? なんで、おまえがここにいるんだ?」


 高比古は突然の来訪に目をしばたかせるが、真浪はそれを無視する。


「どう、どう」


 手綱を操ってそばまで馬を寄せ、地面に飛び降りて目の高さを合わせるなり、早口でいった。


「きみの婚儀が開かれるって風の噂で聞いたから、宗像むなかたにいく途中に杵築に寄ってみたんだよ」


「もう知ってるのか? さすが、早耳だ……」


「ていうかさ、なんだよ、婚儀のお相手が狭霧ちゃんなんだって? ずっりー! おれたちにはあれだけ狭霧ちゃんに寄るなとか、手を出すなとかいっておいてさ、その本人が奪ったわけか? やってくれるよねえ!」


 それは婚儀の祝福というより、文句だった。


「それは……その時は、というか、つまり――」


 しどろもどろになって、結局、高比古はそっぽを向く。


 真浪はにやりと笑って、越服特有の深い袖をさらりと鳴らせて腹の前で腕を組んだ。


「あ、だんまり? おれ、最近わかってきたんだよね。きみってさ、文句が多いくせに、都合が悪いことがあるとだんまりなんだよね。てことは、悪いことをしたって自覚してるってわけだよね? ずっりー!」


「――」


「そういえばさ、宗像帰りの使いから阿多の噂を聞いたんだけどさ、火悉海ほつみの奴が狭霧ちゃんにはまって、熱烈に求婚したんだって? あいつは最近、出雲の姫を后に迎えたって話だけど――きみが狭霧ちゃんと結ばれたって聞いたら、火悉海、なんていうかなあ?」


「――――」


「ほーら、無言!」


 結局、高比古は居心地悪そうに目を逸らすだけで、まともに答えなかった。


 その仕草に、真浪はけらけらと笑った。


「と、まあ、ねちっこい仕返しはこれくらいにして――。ひとまず、成婚おめでとう! いっとくけど、きみと狭霧ちゃんの子さ、おれの子がもらうからな? で、きみの子とうちの子が大きくなったら政略結婚させようぜ。うちは後継ぎの男が欲しいから、そっちは女の子をつくってくれよ。よろしく!」


「――あのなあ」


「冗談だって、冗談」


 高比古と真浪が会うのは、久しぶりのことだった。


 宗像で別れて以来で、一年以上は顔を合わせていない。それなのに、真浪の朗らかな冗談はしばらく離れていたことを高比古に感じさせなかった。


「今、忙しい? まあ、聞いただけで、きみが忙しくても暇でもどっちでもいいんだけどさ。久々に会ったんだし、相手してよ。あ、そのへんの木陰とかいいね」


 しゃあしゃあと我を通す真浪は、あっさりと高比古を兵舎の庭の隅まで歩かせてみせる。


 腰かけに都合のいい樹の根を見つけると、さっそく腰をおろした。


 あまりにも真浪の態度が堂々としているので、高比古は尋ねておいた。


「おまえ、雲宮に慣れてるのか?」


「いいや、全然。来るのは二度目。二年ぶりくらいだよ。それが何か?」


「おまえがあんまりにもここで我がもの顔をしてるから、慣れてるのかと思ったんだよ。なんだ、遠慮がないだけだったんだな」


 高比古は毒舌で返したが、真浪はかえってにこりと笑って、「まあねー」という。


「遠慮? そんなものしないよ。それが何か? 互いに遠慮してるほうが、お近づきになれなくない? 必要以上の礼儀なんて邪魔なだけだろ?」


「たしかに――」


 真浪らしい言い分に、高比古は苦笑した。


 それから、真浪の性格に感謝した。彼がこんなふうだから、人付き合いが苦手な自分でも、たやすく打ち解けることができたんだろうな――と。






 戦を控えた兵舎の庭は慌ただしく、隅から眺めていると、広々とした大庭には兵や下男がひっきりなしに往来する。


 木陰で幹にもたれて、人ごとのように慌ただしい光景を見ながら、高比古と真浪は時間を忘れて話に興じた。


 まず尋ねたのは、互いの近況だ。


「真浪、おまえさ、宗像にいく途中っていってたよな。最近商いはどうだ?」


「商い? ぼちぼちかなあ」


 真浪はにこりと笑ったが、話がそのことに移ると歯切れが悪くなった。


「まあ、悪くないよ。最近国に戻ってきた連中の船もさ、越の宝は錦も玉も完売御礼だし、いい取り引きができた。――けど、なんかへんなんだよね。勘だけど、この先なにか起きそうな……うまくいえないけど、へんな感じだ。実をいうと、そのせいで、おれがじきじきに宗像まで様子をたいかめにいくことになったんだよね」


「へんな感じ? ――つまり?」


 高比古は反芻して尋ねた。すると――。


「あ、興味出た? 続きが聞きたい? なら――」


 真浪はにやりと笑い、さっと手を差し出した。


「なら、なんだ? その手はなんだ」


「いや、何をくれるのかなあと思って?」


「は?」


窺見うかみとしての取り分だよ。今の話の続きをする代わりに、何をくれる?」


「はあ? ……見返りを取るのか!?」


 呆れる高比古に見せつけるように、真浪は胸をそびやかす。


「当っ然。商国を甘く見るなよ? きみは知らないかもしれないけど、うちと出雲じゃ、こういうことで宝がやり取りされることもあるんだぜ? ――と、いきたいとこだけど、今回は太っ腹にいくよ。新婚祝いにね」


 真浪は笑って、すぐに話を続けた。


「へんな感じっていうか――まあ、おれの勘なんだけどね。ほんの少しだけどやり取りをする売り物が変わったんだよね。というか、もっと具体的にいうと――鉄が減ったね」


「鉄が?」


「ああ、宗像に渡ってくる鉄のほとんどは、韓国からくににある山でとれるらしいんだけど、なんか、ちょっと回りが悪いというか、質が落ちたというか――」


「質?」


「韓国の鉄山かなやまは、大陸の皇帝の支配下にあるんだ」


「そうなのか?」


「ああ。だから、大陸で戦が起きるとそっちに鉄が回されるから、こういうことはこれまでにもなかったわけじゃない。だから、大陸で何かが起きていて、そっちの影響かなーとも思うんだけど――でも、そういう話はとくに聞かないんだよね」


 いつも陽気に冗談ばかりをいう真浪には、ともすれば軽薄な印象がある。だが、彼がそれだけではないことを高比古はよく知っていた。


 真浪は高比古より年上だが、童顔のせいか、にこりと笑うとやけに幼い雰囲気を帯びる。しかし今、真浪の目には、裏事情に長けた人らしい陰鬱な翳りがあった。


「噂だけど――。大和の人と韓国の人が一緒にいるところを見かけたっていう話を、何箇所かで聞いた。どれも同じ奴のことをいっているかもしれないから、どれだけそいつらが見られてるかってことは別にいいんだが――一つ気になることがあるんだ」


「気になること?」


「韓国から倭国にやってくる使者がまずたどり着く場所は、宗像だ」


「ああ、知ってる。大海の中に飛び飛びに島があって、それが韓国と倭国を繋ぐ海の道になっていると――」


「ああ、そうだ。船乗りたちも、その航路に慣れてる。その海の道に沿って韓国や大陸……ええと、大陸を出た船には阿多の海に向かうのもいるから、宗像を通るのは主に韓国の使者なんだが――とにかく、海を越えて、使者は宗像にたどりつくわけだ。使者はたいてい宗像だけで取り引きを終えるから、そこで引き返して、そのまま本国へ戻る。宗像から海を渡って筑紫へいく奴はまれで、いたとしても珍しいから、そういう奴がいれば噂になるんだ。でも、おれが知る限り、最近筑紫に渡った韓国の人はいない。――結論をいうとね、大和の奴と一緒にいる韓国の人は、どうやって倭国にたどり着いたのかが説明できないと思うんだ。おれの勘だと、そいつらは宗像を通っていない。――と、いうことは?」


「――それは、つまり……」


「ああ、つまり――。考えられるのは、宗像を目指したものの漂流して、たまたま別の場所に流れ着いたか。それとも、別の航路を見つけたか、だ」


「別の航路――?」


「ああ。あるかどうかは知らないが、あってもおかしくはないよ」


 自分の顔を真剣に見入る高比古にくすりと笑って、真浪は一度目を逸らした。二人に影を落とす樫の樹の幹にごろりと背を預けると、頭の後ろで腕組みをした。


「例えば――うちの国にさ、たまに、粛真しゅくしんって国の使者が着くことがあるんだよね」


「粛真?」


「耳慣れない名だろ? 大陸の北にある、いわゆる大陸の大国とも韓国とも違う国の名だ。大陸ほど贅沢なものはないけど、上等の馬具や珍しい毛皮が売り物だ。で、その粛真からの使者がうちの国を目指す時は、宗像を介せずに一度も島に寄らないで荒海を突っ切ってくる」


「宗像を介さない? 大陸へ向かう船乗りは宗像にしかいないんじゃなかったのか? 向こうの国だって――」


「それは、楽に海を渡るなら宗像を通ったほうがいいっていう意味だよ。もともと粛真は、方角と距離だけを見ると宗像より越のほうが近いからさ、まっすぐに海を渡りさえすれば、宗像を経由するよりずっと早く越にたどり着くことができるんだ。まあ、荒海を渡るのは運任せで、一か八かの航海だし、うまく海を渡れたとしても潮の流れによってたどり着ける浦はばらばららしいけどね。粛真の連中に話を聞くと、うちの国にある山と岬の形が珍しいから、沖からでも位置をつかみやすいんだってさ。だから、迷わず来れるんだって、そういってたよ。と、いうわけで――。さて、おれの考えている懸念がわかる?」


 真浪は、試すような目でじっと高比古を見つめた。


 高比古は目を伏せて、じわりと唇をひらいた。


「つまり――韓国の誰かが、宗像に頼らない航路を見つけたかもしれないってことか? しかもそいつは、大和と手を組んでいるかもしれない――と」


 真浪は、にこりと笑った。


「さっすが。大正解」


「おまえ、いつ出雲に着いたんだ? 彦名様や、須佐乃男様にその話をしたか?」


「いや、まだだ。着いたのは昨日の晩だし、この話をするのはきみが初めてだ。――ところで、矢雲は? 出雲に戻ったか?」


「いや、おととしから阿多にいったままだ。もうじき戻ると思うが――」


「そういう話を聞きつけるなら、出雲じゃあいつだと思ったんだけど、阿多かよ。遠いな……。真相はまだわからないが――今の話は、早々に彦名にしたほうがいいよ。そうだろう?」


「――ありがとう」


「どういたしまして」


 大和という国に関わる話がひと段落すると、真浪は人懐っこい笑顔を取り戻す。それから、大樹の木陰から身を乗り出すと、芝居がかったふうに周りをきょろきょろと見回した。


「やれやれ、やっと面倒くさい話が済んだ。ところで、狭霧ちゃんは? きみの新妻はどこにいったんだよ」


 真浪のいい方は、今すぐにその娘をここへ呼べというようだった。高比古は苦笑した。


「狭霧なら、出かけた」


「出かけた? どこへ?」


「聞きたい? なら、何をくれる?」


「はあ?」


 高比古がおもむろに手のひらを差し出すので、真浪はきょとんと目を丸くする。


 それが、さっきの自分の真似だと気づくと、真浪は肩を揺らして笑った。


「いうじゃないかよ。面白い話なんだろうな?」


「冗談だよ」


 高比古は、差し出した手のひらを引っ込めて笑った。


 だが、目は真剣なやり取りを続けていた。


「狭霧が出かけたのは、須佐乃男の離宮だ。――昨日、倒れたんだ。急に動けなくなって、寝床で伏せっているらしい」


「須佐乃男が倒れた? ――病か?」


 真浪は、はっと周りの様子を窺って声をひそめる。


 高比古はぼんやりと笑って話を続けた。


「さあな、まだわからない。ふてぶてしい爺様のことだからたいしたことはないと思うが、いつまでも若くはないからな。――このことは、他の国には絶対に漏らすなよ? さっきおまえがした韓国の話くらいは、高値がつくと思うから」


 真浪は眉をひそめて、ごくりと息を飲んだ。


「たしかに――。須佐乃男の病かよ――そんなことが近隣の国にばれたら、少々雲行きが変わるかもしれないな。――それにしても、まさかきみがそんなに大きなネタを仕入れてるとは思わなかった。これじゃ、あいこだな。あいこじゃ、成婚祝いを贈ったことにならないな。――じゃあ、何か贈らなくちゃ。何がほしい?」


 尋ねた真浪へ、高比古は笑った。


「おまえとこうやって話せれば、何もいらないよ。いつか、頼みたい時に頼ませてくれ」


「そういうのって一番面倒なんだけどな?」


 真浪は、息を詰まらせるようにして笑った。


「まあいいや、わかった。いつでも頼まれてやるよ。おめでとう、高比古」






 賢王、須佐乃男の離宮は、杵築から少し内陸に入った須佐すさという里にある。


 須佐から杵築へ戻る途中、最後に寄った駅屋うまやには、急ぎの知らせをしようと狭霧を待つ武人が着いていた。その武人が伝えたのは、雲宮を訪れた客人のことだ。


 駅屋と呼ばれる敷地の中には、宿と馬屋がある。それは長旅をする者のための中継地で、駅屋のおかげで、道を急ぐ者は日没や馬の疲れを気にせずに進むことができた。


 狭霧の一行が走らせてきた馬は、その駅屋で次の馬と交代させることになった。馬番の手によって鞍が外され、次の馬の背にすげ替えられていく。そのそばで、杵築からやってきた武人は狭霧の前にひざまずき、伝令役を果たした。


「えっ、真浪様が? まだ雲宮にいらっしゃるの?」


「はい。あなたをお待ちです。高比古様の新妻がいったいどんな娘か、顔が見たいとおっしゃっています」


 武人が冗談交じりに報せを告げると、狭霧は真浪の顔を思い出して、くすくす笑った。記憶の中のその若王は、冗談ばかりいう明るい青年だった。


「――もう。わたしのことは、ご存じのくせに」


「あなたのお戻りを首を長くしてお待ちですよ。では、急ぎましょう。この先は私もお供をいたします」


「はい、お願いします」


 須佐乃男の見舞に出かけた狭霧には、警護の武人が三人ついていた。そこにもう一人が加わると、一人の娘を四人の武人が囲むことになる。立派な鎧を身に着けた武人が、たった一人の娘を囲んで進む姿は、高貴な姫君を守る一団にしか見えなかった。


 街道で早駆けをしながら、後から加わった武人は眉をひそめて一度尋ねた。


「狭霧様、賢王様の具合はいかがでしたか」


「平気ですよ。倒れたとの知らせを聞いた時はびっくりしましたが、わたしがいった時には元気に動いていらっしゃいました」


「さすがは須佐乃男様。剛健な方だ」


 尋ねた武人は、ほっと胸をなでおろした。


 でも、狭霧はひそかにため息をついた。


 祖父の身は無事だったが、安堵することばかりではなかったからだ。


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