5話:死神の系譜
序、水面の光 (1)
「蜻蛉蔓、玉根草……これで、七つ目。あと三つですよね」
薬草の名をつぶやきながら、狭霧がちらりと目をあけると、
「いいえ、狭霧姫。館衆と同等の位をもつ薬師、医薬師の位を得るための見極めは、粉々にして混ぜた十種の薬草のうち、八つをいい当てれば及第です。ですから、あと一つを当てれば、狭霧姫は意宇の館衆入りということに……」
「あと一つ? でも、十のうち二つもわからないまま医薬師になって、本当にいいのかな」
「え、なにか?」
「いえ、なんでもないです。
はにかんでそういって、青年との話を終わらせた狭霧は、自分に課された土の器を鼻先に近づけて、再びまぶたを閉じた。
(混ざっている薬草があと一つわかれば、見極めに合格する。……ううん、あと三つよ。十種あるなら、十わからなくちゃ駄目だ)
土の器に盛られた十種の薬草は、干してからからにした上にすり鉢で潰されていたので、そこには、微妙に色の異なる粉粒が入っているように見えていた。
それらの粉がもとはなんだったかというのは、色や、粉の形をよく見れば、特徴のあるものならいい当てることができた。
難しいのは、この後だ。目で見てそうとわからないものは、つんと鼻に香る甘さや、苦みが頼りだった。
感覚を研ぎ澄まして香りを嗅ぎ分けているうちに、狭霧はすっと胸が落ち着いた。
「わかった。わかりました」
笑顔を浮かべて目をあけた狭霧の前には、十人の医薬師がずらりと並んでいた。医薬師たちはほとんどが初老で、耳のあたりで結った出雲風の
「わ、わかったのですか、姫様」
「さすがは須佐乃男様の血筋だ。須佐乃男様じきじきに特別に見極めをせよとおっしゃるだけの才がおありですなあ、
医薬師たちは目を白黒させていたが、一人の医薬師の顔色を絶えずうかがっていた。医薬師の長、太藻津比古だ。その男は、意宇の宮では五本の指に数えられる高位をもち、
彼は、苦虫を噛み潰したような顔で、狭霧を睨みつけていた。
「では、狭霧姫。お聞きしましょう。八つ目の薬草は……あなたが医薬師になるための、最後の一つはなんです?」
狭霧は、太藻津比古の不機嫌な物言いに臆することがなかった。
「一つではなくて、残っていた三つとも答えさせてください。赤根柿の樹皮と、茶羊歯の根、それから桧扇来の葉です」
おお、と医薬師の男たちはどよめいた。
「なんと、十種すべてお答えになられたか」
「さすがは須佐乃男様の孫姫です、なああ? 太藻津比古様!」
太藻津比古の齢は四十半ばで、五十以上がほとんどの医薬師の中では若いほうだった。
愛想笑いをすることもなく、太藻津比古は目に角を立てていた。
「なるほど、たしかに――十種すべてが正答です。これにて、見極めは終了。これであなたは医薬師、ならびに意宇の館衆の一人となられました」
「ああ、よかったぁ!」
太藻津比古の渋面の前で、狭霧は胸の前で小さな握り拳をつくって喜んだ。
大はしゃぎするのをこらえるような狭霧へ、太藻津比古は渋々というふうにいった。
「いっておきますが、姫様。このたびの見極めは特別だったのですよ? 本来なら、何年も意宇で薬師として務めた上で、見極めに値するかどうかは、医薬師の長である私が判断するのです。それに、医薬師は十人と決まっています。なんらかの事情で人が減る時にだけ、新たに人を入れるというのに――」
「それは、すみません。わたしがおじいさまにわがままをいいました」
「いいえ、いいえ。かわいい孫姫のためであれば、賢王とて、勝手を通すものなのでしょう。はるばる意宇まで足をお運びになったうえ、須佐乃男様は私にこうおっしゃいました。十人が十一人になってもかまわぬし、一人増えるなら、その分の報奨は増やすように彦名様にいっておく、とも。しかしながら、でございます。狭霧姫は、次の医薬師になろうと願っていた他の薬師たちをさしおいて、特例として見極めの機会を得られたのです。今後は切磋琢磨していただかないと、若者たちに示しが……」
「ま、まあまあ、父上! 狭霧様はこうして見極めに受かったわけですから、しかも、十種すべてを答えるなんて、すごいじゃないですか。僕も、見極めでは九つしか答えられませんでしたよ!」
ぶつぶつと文句をいう太藻津比古を遮って口を挟んだのは、十人の医薬師の中では唯一の青年、多伎。彼は、取り繕うような笑顔を浮かべていた。
「では、まあ、その、なんです。厄介なことは置いておいて、今後の話をしましょうか! 医薬師に与えられますのは、館衆としての身分の他に、意宇の薬倉の預かり人としての権限です。また、報奨として与えられますのは、王領田の米の一部になります。まあ、その……十人が十一人になってしまったので、我々の取り分を減らして姫様の分を……ということになるんです、が」
そこまで話が進むと、息子、多伎の後ろで渋面をしていた太藻津比古は、いっそう苦々しげに不服をもらした。
「まったく! 我々とて決して満足のいく報奨ではないのに、なぜ十人で済むところを一人増やさねばならんのだ。須佐乃男様は、現場の苦労をお忘れになってしまったのか……!」
「ち、父上! しーっ! 須佐乃男様の孫姫の前で須佐乃男様を悪くいって、この姫に告げ口されてしまったらどうするんです!」
ひそひそと小声で父をなだめつつ、多伎という青年は、狭霧にも救いを求めるような目配せを送った。
「あ、でも、考えてみたら、姫様は報奨の米など要らないのではないですか? 意宇での住まいは彦名様が用意なさるそうですし、侍女や従者も杵築から従えておいでとか……」
多伎の言葉に、医薬師の若爺たちはぱっと目を輝かせた。
「そ、そうなんですか? そうしていただけると、わしらも助かるんですが」
「わしも、そのぅ、四人目のひ孫が生まれて、なにかと物入りで、褒美の米が減ると、そのぅ、困るんですが……」
狭霧ははにかみつつ、きっぱりと拒んだ。
「すみません、でも、報奨のお米はわたしもいただきたいんです」
「要るんですかぁ? あなたが……?」
医薬師たちがする失望のため息は、妬みじみたものと合わさって、彼らが狭霧を見る目は、しだいに暗さを増していく。
狭霧は笑顔を保ったままで、できるだけ丁寧に多伎へ尋ねた。
「ご褒美のお米を、わたしはどれくらいいただけるんですか?」
「えーとですねえ、我々に与えられる王田は全部で十で、次の年に残す種もみと、そこで働く農夫たちに渡す米を差し引くと、一人当たり、だいたい年に大甕二十五個分の米、ということになりますかねえ」
「大甕二十五個ですか……」
「はい、我々の分はそうなります。長である僕の父、太藻津比古は大甕で五十いただきますが」
「大甕二十五個……すみませんが、教えてください。それを元手にすれば、五人くらいなら面倒を見られますか」
「五人ですか? 一人一人に渡せる分は少なくなりますが、まあ、ぎりぎりなんとかなりましょう。我々もその米を元に、一人は従者をつけています。でも、五人を養うとおっしゃっても、あなたは侍女も従者も杵築から連れておいでなのでは……ねえ?」
不機嫌な父や、細い肩を落としてうなだれる若爺たちを、多伎はちらちらと気にしている。狭霧はそれでも折れようとしなかった。
狭霧の身体は、同じ齢の娘と比べても小柄なほうだ。白の上衣を留めるのに胴できゅっと結ばれた山吹色の帯は、そよ風にも軽やかになびく絹製で、足首まで垂れた長い裳も、力仕事をする必要のない身分ある娘のする身なりだ。でも、白い袖から伸びた細腕は陽に焼けていて、爪の先には洗っても取れない土汚れがあり、深窓の姫君と呼ぶべき姿とは、いくらか違っていた。
「あの、わたしが医薬師になれたのなら、あなた方と身分は同じですよね? 相談をしてもいいですよね」
「相談? それは、もちろん」
「実は、おじいさまには先に話したのですが、薬倉の仕組みを、すこし変えられないかと思うんです」
「はあ、仕組みを?」
「いま、薬倉は意宇の宮の奥にあり、せっかくの知恵が匿われているような状態です。すこしずつ、民へ門戸を開けないかと思うんです」
「民へ――?」
「手っ取り早くいうと、薬師の数をいまより増やしたいんです。その手始めに、学び舎をつくりたいんです。そこで学ぶ童は、里を回って募れないかと――」
「薬師の数を増やす? 学び舎……?」
十人の医薬師たちは、揃ってぽかんと口をあけた。
太藻津比古が狭霧をじっと睨む目も、それまでより険しくなった。
狭霧と向かい合って話す多伎は、背後にいる若爺たちの戸惑いを代弁するように、慎重に言葉を選び始めた。
「学び舎をつくるとして、そこで学ぶ者は里から集めるのですか? お言葉ですが、薬師というのは特殊なお役目で、ふつうは薬師の親が、幼い頃から自分の子を仕込むのですよ。特に才覚のある子を見出せば、弟子をとりますが――。それにですよ? 里から募るとしても、耕民のなかには、働き手の子供を奪われるのを嫌がる者もいるでしょうし……」
「はい。だから、わたしがいただく米を使うんです。学び舎で過ごす童の食べる分を保証するといえば、親御も苦労しないでしょう?」
多伎は、もともと丸い目をさらに丸くした。
「それで五人分の米を、はあ……」
狭霧が進言したのは、学び舎についてだけではなかった。
「あと、相談したいことがもう一つあるんです。薬師に、細かな位制度をつくりませんか? 軍と旅をするまではわたしも知らなかったのですが……杵築の兵の身分は、とても細かく定められているんです。そして、それがうまく働いていると思います。杵築と同格の意宇に、こういう制度がないのは不便だと思うんです」
狭霧は笑顔を保ったまま、目を丸くする年上の男たち相手に、懸命に語りかけた。
「薬師がからむ身分は、薬師、医師、事代、それから、それらを統率する身分の医薬師、この四つですよね? これを細かく分けて、お役目も明らかにしていけば、皆さんのお務めもはかどると思うんです」
「身分、お役目、はあ……」
「医薬師の長は、太藻津比古様ですよね? 例えば、太藻津比古様をお助けする、長に準ずる位をつくったり、皆さんがやっていらっしゃるお役目を改めて割り出して、それにともなった身分を定めたり。おじいさまから皆さんのお役目の話を聞いたり、ここ数日、意宇で過ごすうちに、わたしはそう思ったので、皆さんの意見を聞きたいと思うんです。お役目が多くて、報償に満足がいかないのであれば、そのように願い出る必要があると思います。これまでこうしてきたから、ではなくて、変えるべきところは変えていくべきだと――。どうでしょうか」
狭霧の真摯な黒の瞳を、医薬師たちはじっと見つめて、息を飲むように黙った。
太藻津比古はしばらく沈黙を続けたが、とうとう彼が唇をひらいた時、彼はこめかみにしわを寄せていた。
「なるほど、よくわかりました。あなたは意宇を、あなたの父王がつかさどる杵築のようにつくり変えたいというわけですね?」
彼のいい方は狭霧を敵視するようだったが、狭霧は、それまでと同じ笑顔を保った。
「つくり変えるというわけでは――。いいところを互いに学び合えばいいと思って――」
「身分制度ですか、なるほど。で、あなたは?」
自分を守る壁のように身を呈していた息子をよけて、太藻津比古は狭霧と真っ向から対峙した。
「医薬師の長は私です。そして、長に準ずる位をつくるというなら、その位にはあなたがおつきになるおつもりか」
口調や眼差しは、狭霧を牽制するようだった。
(強い目……そういえば、この方って、以前は戦に出かけていらっしゃったんだっけ)
太藻津比古の鋭い気配に、狭霧は、ここへ来る前に祖父から聞いた話を思い出した。
祖父、須佐乃男は、このように狭霧に教えた。いま、薬師たちを束ねている太藻津比古という男は、かつては戦に随行した策士だったと。
でも、その男から敵を見るように睨まれても、狭霧が物怖じすることはなかった。こんなふうに相手を睨んで封じようとする人には、慣れっこだった。
(高比古みたい)
懐かしい人を思い出して、むしろ唇はくすりと忍び笑いを漏らす。
「いいえ。わたしは新米ですから、位など要りません。いつか、わたしが皆さんと同じように働けると認めてくださったら、お役をください。もしわたしが位を得るとしても、医薬師の中では一番下の位がいいです」
「一番下?」
「はい。その何年後か、もしくは何か特別いいことをしたときに、長の太藻津比古様の判断で少しずつ上の位へ上げてください。そのほうが、統制がとれると思います。杵築の軍ではこんなふうに、上役に力が集められていました」
呆気にとられたふうに黒眉をひそめた太藻津比古から目を逸らすことなく、狭霧は微笑を浮かべていい切った。
「おじいさまの力を借りて、特別に見極めをしてもらったわたしが、今さらいうことじゃないんですが――。今後、おじいさまやとうさまへの遠慮は無用です。ここが、力の掟の在る国、出雲だということは、わたしもよく知っていますから」
阿多から戻ってくるなり、杵築を出て、意宇へ移り住みたいといい出した狭霧に、父、大国主はいい顔をしなかった。
でもそれは、狭霧にとってもそうなるだろうと想像がついた。
だから、狭霧は先手を打った。父を説得する助けとして、祖父を頼った。大国主は、はた目には傍若無人とうつるほど意地を通す人だが、須佐乃男にだけは弱いのを知っていたのだ。
「狭霧は薬師を目指しているんだぞ? 薬師の本拠地は杵築ではなくて意宇だ。おまえのところにずっといても、狭霧は一人前になれんのだぞ。かわいい子には旅をさせろというだろう?」
陽気な笑顔を浮かべて大国主を取り成す老王のいい方は狭霧をおだてるようだったが、冗談のようないい方をするわりに、目は本気だった。
大国主は何度もため息をつきながら、渋々折れた。
「月に一度は杵築に戻り、おれか安曇と会って意宇での暮らしを知らせろ。住まいは彦名に用意させるから、必ずそこで寝泊りをすること。意宇の宮から外に出る時は、必ず警護の武人に供をさせること。それを守らないようなら、すぐさま杵築に連れ戻すからな。だいたい、なんなんだ。阿多から戻って来るなり、突然……」
不満をあらわにする大国主を、須佐乃男は笑った。
「放任主義なんだか、過保護なんだか、おまえはよくわからん奴だな。まあ、おまえ自身もよくわかっておらんのだろうが」
不機嫌な武王を一笑に付した須佐乃男は、狭霧にいくつか助言も与えた。
「いいか、狭霧。目指すものがあるのなら、わしでも穴持でも、後ろ盾があることを利用しろ。そういうものを使わないと、あと十年経とうが、おまえの志は意宇では叶うことがないぞ。幸い、おまえにはそれがあるんだ」
須佐乃男がいったのは、血筋を利用しろということだった。賢王と武王という、名を出すだけで人をかしずかせる二人の王に繋がる、出雲の縮図ともいうべき極上の血を。
わたしは、そんな娘じゃないんです――。
極上の血にふさわしい娘じゃ――。
そういって阿多でめそめそしていた時のことが、狭霧にはすでに懐かしかった。
(どれだけ違うっていい張ったって、生まれた時からわたしは、とうさまやおじいさまに甘えながら暮らしているんだもの。今さら……)
こみ上げる照れ臭さに苦笑しながら、狭霧は祖父の微笑に答えた。
「はい。甘えさせてもらいます」
(甘えた分は、いつか必ず返しますから)
胸には、固い決意を忍ばせながら――。
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