窺見と刺客 (1)


  翌朝、笠沙かささの山宮にたどりついたばかりの一行は、同じ山道をくだって港を目指した。


 まだ身体の調子がよくないのか、狭霧の頭の疼きはその日もとれなかった。


 火悉海は狭霧を気遣ったが、昨日までの彼とはいくらか態度が変わっていた。


「本当に一人で歩けるのか。まだ本調子じゃないんだろう。無理しなくていいんだぞ」


 狭霧のそばに寄るだけで照れ臭がることはなくなり、そのぶんいっそう頼もしく狭霧の身を案じた。


「狭霧って、見かけによらず頑固で、負けず嫌いだよな。大国主譲りなのかな」


 くすりと笑った彼は、無理に狭霧をおぶって運ぼうとか、そういう提案をすることもなかった。大人びた微笑を浮かべると、狭霧のそばに鹿夜かやを歩かせた。


「狭霧を助けてやってくれ。後ろには高比古もいるし、何人かは付き添わせるから」


 鹿夜と従者に狭霧の世話を任せると、自分は肩で風を切って列の先頭へ向かう。身を翻したときに風にたなびいた腕飾りの染め紐や、堂々とした背中は、若王の名に恥じなかった。


 鹿夜は目をしばたかせた。


「あいつ、どうしちゃったの? ねえ、狭霧。昨日、火悉海となにかあった?」


「なにって……なにもありませんが……」


 ぽかんとしてそう答えるほど、なにかが起きた気は狭霧になかった。


 昨日の、火悉海の真剣な眼差しはよく覚えていた。その目で狭霧を見つめながら、彼がいった言葉も。


『いいよ。伝えたいことは話したから。……狭霧、俺とのこと、すこし考えてよ。どうして狭霧が迷っているのか、俺も考えるからさ……』


(火悉海様が伝えたいことは、本当に全部聞いたのかな――。火悉海様とのことを、わたしは考えなくちゃならないのかな――)


 なぜそんなことを考えなくてはならないのか、狭霧はまだわからなかった。


(火悉海様のことは、優しくて面白くて、立派な人だって憧れるけれど――。憧れるだけじゃ駄目なのかな。夫になるかもしれない相手として見なくちゃいけないのかな)


 狭霧は、高比古の唸るような声も思い出した。


『そうしないと、切り札にさせられるんだぞ? あんたは、あんたの大事な王子と同じ身の上になるかもしれないんだぞ。あの王子がそんなものを望むと思うか。あんたはそれでもいいのか』


 高比古は狭霧へ、彼の主、彦名と、狭霧の祖父、須佐乃男の意図をひそかに知らせた。


 そして、主の思惑を見て見ぬふりをしてまで、阿多へ逃げるようにいった。それが「狭霧は永遠に出雲におく」と明言した父、大国主に逆らうことだとも、彼はじゅうぶんに理解していた。


 高比古が突きつけた選択肢は、二つ。いや、三つあった。


 一つは、彦名と須佐乃男の思惑通りに、和睦の駒として大和に嫁ぐ日を待つこと。


 一つは、それを避けるべく阿多に嫁ぐこと。


 そしてもう一つは、出雲へ戻ったら早々に、狭霧を欲しがっている義兄、盛耶もれやのもとに嫁ぐこと。


 でも、狭霧にはどれも相容れない。だから、胸はこんなふうに強張っていた。


(わたしは、誰かのもとに嫁がなくちゃ駄目なの?)


 狭霧の願いは、隼人の聖地で泣きじゃくった時からなんら変わっていなかった。


『どの道を選んでもいいっていうなら、わたしが選ぶのはきっと、誰のものにもならない道です。わたしには……』


(だって……どれも、誰かを利用するようなものだもの。高比古は大乱の火の粉を避けるためにっていっていたけれど、そんなふうに考えて火悉海様に嫁ぐなんて――)


 それは、狭霧を見つめる純粋な眼差しを裏切るようなものだと思った。


(前に、邇々芸ににぎ様はわたしを子供だっていってた。こんなふうに思うのは、わたしが子供だからなのかな――。でも、じゃあ……どうやったら大人になれるんだろう)


 そういえば、狭霧と一緒に出雲から阿多へ渡った人は、御使といい兵といい、ほとんどすべてが男だ。


 新しい日々に慣れるので精一杯で、周りが男だらけということをそれほど気にとめなかったし、きっとそういうものだから、慣れるべきだと信じて疑わなかったけれど、いまようやく、娘としての相談ができそうな人が周りに誰ひとりいないことに気づいた。出雲にいれば、親しい侍女なり、幼馴染の姫なり、心依姫なり、こういう話ができそうな相手はいるのに。


 いや――狭霧がいま、胸の内を打ち明けたい相手は、出雲にいる誰でもなかった。


(……かあさま。わたし、どうすればいい?)


 狭霧の母、須勢理すせりは、大国主の軍について異国を行き来した武人だ。女ながらに先駆けを務め、多くの兵を導いた須勢理は、男所帯の軍のなかでは際立って華やかな存在だったろう。母は、死後なお大勢の兵から刃の女神として慕われているが、きっとそれは須勢理が、夫である武王の軍を象徴する輝かしい光、軍旗に似たものだったからだ。


 でも、須勢理はすでに亡くなっていて、この世にはいない。


 胸のなかで渦巻く問いかけをするなど、できるわけがなかった。


(誰にも、いえない――)


 目の前がふっと暗くなるような、目まいに似たものを感じた。きゅっと唇を噛むしか、狭霧は一人ぼっちの寂しさに耐えるすべを思いつかなかった。






 笠沙の浜へたどり着いたのは、昼前だった。


 阿多の港からまっすぐに船を押し運んだ風は、まだ同じ向きに吹いている。つまり、阿多へ戻るには逆風だ。


 海風を読んだ火悉海は、慣れたふうにいった。


「風は悪いけど、まあ、近いし。いま漕ぎだせば、明るいうちには着くだろう」


 そして、火悉海の護衛たちがここまで乗ってきた船の支度を始めて、しばらくした頃。


 一行が旅支度をする浜へ近づいてくる船があった。そこには、たった一人、異国の男が乗っている。齢は三十ほどで、二十歳そこそこの若者ばかりを見慣れた一行の目にはやけに目立った。そして――。その人の身なりに気づくなり、狭霧の目ははっと吸い寄せられた。その人が身にまとうのは、簡素な白の上衣に袴。髪は、両の耳のそばで角髪みづらに結っていた。


 思わず、目が佩羽矢ははやを探した。でも、すぐにぐいっと手首を引かれる。


 手を引いたのは、高比古だった。


 彼は、いつのまにか阿多の船影へ身を潜めていた。そこへ狭霧も隠してしまうと、「静かに」と人差し指を唇に立てる。


 地べたに屈むようにして船影に隠れながら、狭霧はできるだけ声をひそめた。


「高比古……! いまそこに来ている人って、もしかして大和の……」


「さあ。わからないが、そうだったら面倒だから、いちおう隠れてる」


「面倒って……?」


「佩羽矢はいずれ、大和を裏切って出雲につくかもしれないんだぞ? どちらにせよ、あいつがおれたちと一緒にここにいるのは、おかしいだろう」


 船影に隠れた高比古と狭霧の意図を、鹿夜はくんでくれたらしい。船の前にわざと立って、鹿夜はみずからの身を二人を隠すための壁にした。


 火悉海や、火悉海の部下たちも無言のままで息を合わせた。彼らは、高比古と狭霧など、はじめからここにいなかったように振る舞った。


 その甲斐あってか、やってきた異国の身なりをする男が、にこやかな笑みを崩すことはなかった。


「これはこれは。阿多の若王とお見受けします。私は大和から旅をしております男にて、名を――」


 やってきた男は目ざとく火悉海を見つけると、すかさず前へいって恭しく頭を垂れる。


 薩摩隼人族の地を旅しているなんとかと名乗ると、その男は、自分のものと似た大和風の装束を身につける佩羽矢を探して、面と向かい合った。


天若日子あめのわかひこという御使いは、きみかい?」


 佩羽矢は緊張して、がちがちに身体をかたまらせていた。


「は、はい。そうです、が……」


「ここで会えてよかった。昨日、ここできみを見かけたという話を聞いて、慌てて寄ってみたんだよ。会えるのがもうすこし遅れていたら、私はきみを探して、阿多へ向かって船出していたよ」


 大和の身なりをした男は腰低く振る舞っているが、仰々しい笑い声やふとした仕草には、妙な貫録がある。


 ははは……! と大声で笑いながら、男は細い目をさらに細めた。


「実は、きみに会いたがっている男がいるんだ」


「……あの、俺は……」


「ああ、きみは大和本国で、女王じきじきに拝命した御使いだろう? 女王にお目通りがかなっているなんて、すごいじゃないか。若いのに、立派だよ、うん。よほど女王はきみを気にいって、信頼しているんだろうね。天若日子という名も立派じゃないか。若く猛々しいきみにふさわしい好名だよ、うん」


 男は佩羽矢を褒めちぎった。


 佩羽矢はもはや、されるがまま。力ない相槌を打つだけで、ろくな返答もしなかった。


 でも、男はそれを気にかけない。そこまで話が進むと、男はぴたりと佩羽矢のそばに寄って、内緒話をするように声をひそめた。


「いま私がいったお方がね、今宵、きみとひそかに会いたいといっているんだ。できるかね」


「今宵、ですか……」


 佩羽矢は、狐につままれたように目をしばたかせた。そして、背後の火悉海をそろそろと振り返る。


 放心したふうな佩羽矢の真顔や、彼の視線が追うものをじろじろと見ると、大和の男はぎくりとして眉をひそめた。


「もしや、すでに帰途に着くのかね。昨日ここに着いたと聞いたから、てっきりあと数日は山宮でお過ごしになるのかと――」


 帰り支度を進める阿多の若者たちへちらちらと視線を送りつつ、男は不審げに声を低くした。


「なにかあったのかね。せっかく笠沙へいらっしゃったのに、たった一晩過ごしただけで去りゆくなんて――」


「俺は、その……」


 佩羽矢の返答はぎこちなかった。


 うつけた顔しかしなくなった佩羽矢に助け船を出したのは、火悉海だ。


 自分の従者のそばで腕組みをして立つ火悉海は、大和の男に合わせるふうにいった。


「彼に今宵、ここで用があるのか? なら、彼のための船を一艘残していく。俺は用があって早々に都へ戻ることになったが、彼にその用は関わりがない」


「本当ですか、阿多の若王」


 へこへこと頭を下げて、大和の男は声を弾ませる。一国の若王らしい堂々とした振る舞いを見せつけながら、火悉海は続けた。


「ああ。彼のためなら、造作もないことだ。天若日子、そこにいるおまえの仲間と話を進めてよいぞ。わざわざおまえを探しに来たんだ。きっと、重大な用にちがいない」


 船の影に座り込んで身を隠す狭霧にとって、伝わってくる彼らのやり取りは音と気配だけだ。


 佩羽矢をおだてるような大和の男の声や、佩羽矢の頼りない声や、わざわざ佩羽矢を飾り名の「天若日子」と呼び、これまで散々けなしてきたことをおくびにも出さずに、大和の使者ともちあげる火悉海の声――。狭霧は、眉をひそめた。


(おかしい。なにが起こってるの。火悉海様は、なにをしようとしてる?)


 懸命に状況を追おうと耳を澄ましながら、狭霧はそばで息をひそめる高比古のことも気になった。彼は狭霧の肩に腕を回して、身動きをするなとばかりにきつく押さえていた。でも、狭霧が目を向けると、高比古も目を合わせてくる。


(静かに。火悉海に合わせろ)


 笹の葉を思わせる涼しげな目は、そういっていた。


 狭霧は、こくりとうなずいた。






「では今宵、日が落ちてあたりが闇になった頃に、この浜でお会いしましょう。あなたの快諾を、先様に伝えておきます。そういえば、天若日子様、一つ大切なお願いが。どうか、ここにはお一人でいらっしゃってくださいね。その方は、あなたに内々の話があるようです。その、異国の方が近くにいると――おわかりですね?」


 大和から来たという男は最後に、そのように念を押して浜を去った。


 美しい白砂の浜に着けていた船に乗り、真昼の陽光を浴びながら去っていく男の背中を見送った後で、火悉海はむっと太い眉をひそめた。


「なんだ、あの男。うさんくさい……」


 それから彼は部下に命じた。


「周りを見張れ。さっきの男が戻ってこないか、たしかめておけ」


 いらいらと肩で風を切る火悉海を、高比古は自分が身を潜める船のそばまで呼び寄せた。


「火悉海、こっち」


「ああ、いまいく」


 火悉海は、すぐに足先を高比古が隠れる船へと向ける。それから、はためからは船に寄りかかって一休みしているふうな姿勢をとった。出雲から来ている二人などここにはいないという芝居を続けるように、彼は船影を覗きこもうとしなかった。


「なあ、火悉海。いまの奴はなんだった」


「知るかよ。俺より、そいつに聞けよ」


 火悉海が「そいつ」と呼んだのは、砂浜にぽつんと取り残された佩羽矢だ。獲物を見据えるような目でぎろりと睨まれると、そこに立ちつくす彼は取り乱した。


「お、俺は、なにも……!」


「まだなにも訊いてない。いいからこっちへ来いよ。話を聞かせろ」


 火悉海は鼻で笑う。そして、佩羽矢をそばに呼び寄せると、質問攻めにした。


「いまの男は知り合いか?」


「いえ! はじめて会いました。本当です」


「さっきの奴、薩摩を訪れているとかいっていたが……。なら訊くが、おまえは薩摩や、いま大隅を訪れている大和の御使いを知っているか。どんな奴で、どれくらい長く留まっているとか……」


「俺は本当になにも知らないんです。信じてください……!」


「……とことん使えねえな、おまえって奴は」


 情けなく喚く佩羽矢に、火悉海は舌打ちをした。


 でも、そのまま佩羽矢を許してやる気はないらしい。野獣が牙をちらつかせるようにして、彼は佩羽矢を脅した。


「ところで、今夜、わかってるだろうな」


「こ、今夜とは……」


「俺が知るか。さっきの狸男がへらへら笑いながらいってただろ? あいつはおまえに用があるんだと」


 笑ってごまかすような作り笑いを浮かべた佩羽矢は、がくがくと膝を鳴らした。


「そ、それ、いかなくちゃ駄目なんですか。俺、その……」


「いくんだよ。もしかしたら、おまえがされる話ってのは、いずれ起きるかもしれない乱に関わることかもしれないんだから」


「ら、乱……ええぇ?」


「しーっ! 声がでかいよ。それに、いちいち挙動不審なんだよ……」


 大仰にのけぞった佩羽矢に、火悉海はぶつぶつといった。


 船を挟んだ反対側から、狭霧は、首を締めあげるように佩羽矢に詰め寄る火悉海の横顔を見あげていた。


(火悉海様は、山宮で大巫女様から先視さきみをされたっていってた。このあたりで、近々乱が起きるって――。もしかして、火悉海様は――)


 火悉海は、なんとしても佩羽矢にその役目を命じたいようだった。


「いいか、佩羽矢。おまえは今夜、ここに残れ。そして、さっきの男がいったとおりにここで待ってやれ」


「い、いやです。俺は……!」


「四の五のいうのを聞く気はないんだよ。おまえにしかできない役だ。大和に残してきた家族の行方をたしかめたあかつきには、大和を裏切るっていっただろ? その手始めに、まず今夜だ。もしかしたらあいつは、おまえを乱を起こす手駒にしようとしているのかもしれない。そうじゃなくても、俺たちが知らない話をするかもしれない。ここで一人待って、さっきの男と会って――」


 佩羽矢は頑としてうなずこうとしなかった。


「い、いやです! いくら若王のご命令だとしたって、俺はいやです。無理ですよぉ!」


「なんだと、この野郎。いま働かずに、いったいいつ働くつもりなんだよ」


「そんなこといったって……! ただでさえ大和を裏切るんだってびくびくしてるのに、そんな大舞台に出て、平静を保つ自信がないです。若王だって、気が気でないはずですよ! その場で俺が混乱して、あなたから乱の兆しを探るようにいわれたとか、あることないこと告げたらどうする気です? こんな状態で偉い人に会ったら、俺は頭に血がのぼってなにをするかわかりませんよ。それでもいいんですか!」


 結局、引いたのは火悉海だ。


「この野郎、俺を脅す気か……」


 自分を無理強いしようとした若王が渋顔を浮かべていくにつれて、佩羽矢は「助かった……」とばかりにほっと笑った。佩羽矢は時間切れを……火悉海が諦める瞬間を待っていた。


 それに気づくと、火悉海は罵るような舌打ちをした。


「なんなんだよ、その顔は。なっさけねえ男だなぁ。笠沙まで俺に案内させたくせに、恩を返そうとかいう気はないわけか?」


「案内をさせたっていうか、俺のことはついでだったでしょう? 若王は大国主の御子姫を連れ歩きたかっただけで、俺のことを口実にしたっていうか……」


「なんだとぉ?」


「す、すみません! でも、でもぉ……!」


 鼻息荒く怒鳴る火悉海に、佩羽矢は土下座して平謝りをする。


 でも、腰低くぺこぺこと頭を下げつつも、佩羽矢に折れる気配はなかった。


 火悉海は、醜いものに憤るような歯ぎしりをした。


「この野郎……。こういう時ばっかり屈しねえんだから」


「そんなこといったって、俺はいやな予感しかしないんです。さっきから鳥肌が立って……。そんな大役は、若王の命令だろうが絶対に務められません。あ、そうだ……!」


 ある時、佩羽矢はぱっと目を輝かせた。そして、船の影にうずくまったままの青年の名を話に持ち出した。


「高比古に、俺の代わりをしてもらうっていうのはどうです?」


「高比古にぃ?」


 火悉海は、太い眉をしかめてみせる。対して佩羽矢の声は、名案にふるえるようだった。


「だって俺たち、けっこう顔が似てるんです。背格好も、髪の長さもだいたい同じですよ。着ているものを取り換えたら、たぶん高比古は俺に化けられます」


「おまえに、高比古がぁ?」


 その時、狭霧は高比古に肩をおさえられたままでしゃがみ込んでいた。裳に砂粒がつくほど低い場所で身を隠しながら、火悉海と佩羽矢のやり取りにじっと耳を澄ませていたが、高比古の名が出ると、狭霧も目をしばたかせた。


(高比古が、佩羽矢さんに化ける?)


 思わず、隣で砂浜に片膝をつく青年を見上げる。


 彼はどこでもない虚空をじっと見つめていたが、すっと横に伸びた黒眉は仰々しく歪んでいた。


 もちろん彼も、火悉海たちのやり取りに耳を傾けていたにちがいないが、高比古の目は奇妙な雲行きを馬鹿にするようだった。


「なにを馬鹿なことを。いったい……」


 高比古は不機嫌に断ろうとするが、その時彼は、船縁に手をついた火悉海からまじまじと覗きこまれていた。


「ほんとだ。いわれてみれば似てるな」


「……似てない」


 高比古は拒んだが。狭霧はおずおずと賛同を口にした。


「似てるよ。わたしも前に思ったことがあるもの」


「あんたまで、よけいなことをいうな」


 高比古は不愉快そうに顔をそむけるが。それを覗きこむ火悉海の表情は、しだいに明るいものへとかわっていった。


「なるほど、それがいい。佩羽矢だと、真っ最中になにをしでかすかっていうのも心配の種だが、正直、会いに出かける前に逃げ出しそうだしなあ。その点、高比古なら安心だ。なあ?」


「なあって……あのなあ」


 高比古は文句をいうが、火悉海はそれをさらりとかわす。


「いいじゃないかよ。なあ、これってすごいぞ? 出雲の策士が、大和の使者のふりをして大和の上役と会うんだぜ。敵同士なのに!」


「……火悉海、おまえ、面白がってるだろう」


 ますます暗い目線で高比古は頭上の火悉海を責めるが、火悉海は相変わらず。


「いいじゃないかよ。なにか問題あるか? おまえも出雲の若王なら、そいつらに聞きたいことくらいあるだろう? じっくり聞きだしてくればいいよ」


 そこまで話が進むと、慌て始めたのは佩羽矢だ。


「うん、待てよ? 俺のふりをした、出雲の策士を送り出す? それってもしかして、とんでもなくまずいんじゃ……。そ、そんなことをしたら俺、とんでもない大罪をおかすことにならないか。それってつまり、敵国の窺見うかみの手引きをするってことじゃ……」


 青ざめた佩羽矢に、火悉海はあっさりと吐き捨てる。


「なら、おまえがいけよ。そうすればすべてが丸くおさまる」


「い、いえ! それは勘弁です。そんな大役は、絶対に俺には務まりません。きっと怖くなって、なにもかも洗いざらい白状しちまいます。そうしたら、どっちにしろ俺は裏切り者です。どっちにしても罰されるんです。あぁ、やっぱり駄目だ。震えが……鳥肌が……」


「大丈夫だ。高比古に任せて引っ込んでろ。どうせそのほうがうまくいく」


 火悉海は話がまとまったかのようにいうので、高比古のしかめっ面はますます不満げな色を帯びた。


「せめて、おれの意思を問えよ……」


 彼は愚痴を吐いたが。


 その時、火悉海の顔はすっかり晴れ晴れとしていた。


「そうと決まれば話は早い。支度をしよう。まずは、ここにいる全員を二手にわける。一組は、早々に船に乗って阿多に戻ってくれ。俺は阿多に戻るってさっき話しちまったし、俺が船出したことにしなくちゃならない。誰か、王の船に乗ってくれ。そして、今夜のことと、笠沙の大巫女の先視の話を、王宮にいる親父に伝えてくれ」




 

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