大地を描く指先 (2)


 それからというもの、高比古はほとんど休みもとらずに彼の豊富な知識を狭霧に教え続けた。


 つきっきりで彼から物事を教わっていると、狭霧はなにより高比古の強靭さを思い知ることになる。


 ひとたび集中すればどれだけでも長く続けることができるのか、それとも体力も精神力もずば抜けて剛直なのか。彼が疲れを見せることはなかった。


 その日の航海を終えるたびに船は岸に繋がれ、狭霧と高比古はほかの兵たちと同じく浜に上がる。そこで炊かれた夕餉ゆうげをいただき、それから急場しのぎの天幕の中で眠りにつく。


 でも、二人で使う少し大きめの天幕の中で並んで横たわり、「おやすみ」と夜の挨拶が済んでも、狭霧がすぐに眠りに落ちることはほとんどなかった。次から次へと新しいことを教わったせいで、頭がうまく休んでくれなかったのだ。


 うってかわって、高比古が寝入るのは早かった。毎晩狭霧は、背を向け合った背後から安らかな寝息を聴いた。


 実のところ、狭霧は眠るのが怖くもなっていった。


(眠ってしまって、せっかく高比古が教えてくれたことを忘れてしまったらどうしよう。朝起きた時に、覚えていられなかったらどうしよう……)


 でも、どうにかして眠りに落ち、翌朝目が覚めると、胸はすっと喜んだ。


 夜に寝るのは高比古のほうが早いが、朝は狭霧が早く起きることもあれば、高比古が早く目覚めていることもあった。


 その日の朝は、狭霧のほうが早く目が覚めた。


 うつらうつらとまぶたをあけていった視界の隅に、隣で眠る青年の色白のまぶたが閉じているのを見つけると、狭霧はじわじわと笑顔になっていく。高比古より先に目が覚めた朝の起きぬけの爽快さは、そうでない朝よりなぜか格段と上だった。


 むくりと起き上がって、ふわあ……とあくびをしてから、眠るのに邪魔で解いていた髪を結い直す。


 物音を立てないように気をつけたのに、高比古は誰かがそばにいる気配に敏いようで、狭霧が身づくろいをしているうちにたいてい目を覚ましてしまう。


「ん……もう朝か」


 数日一緒に暮らしてみて狭霧は思ったが、高比古は寝相が悪くないほうだった。


 たいてい彼は、前の晩とほとんど変わらない姿勢で掛け布にくるまっていて、いびきや寝言が聴こえてくることもほとんどない。


 眠そうに二度寝をしたり、寝ぼけて妙なことを口走ることも彼にはなかった。


 目を覚ますなり起き上がって、眠気覚ましのような伸びをする。それだけだ。


 それからぼんやりと虚空を見つめて、なにかを考えるような仕草をする。そういう時の彼は、その日に為すべきことを一つ一つ思い出しているらしい。


 その時も、高比古は神妙な横顔を狭霧に向けたままでつぶやいた。


「今日は、五日目だな」


 起きぬけの彼がまっさきに手にするものは、小さな木の板だった。それは彼が毎晩眠る前に少しずつ小刀で削っているもので、それまでかかった日数や寄港地を記しているらしい。


「今日のうちに倭奴の海を抜けられるかな――」


「今日から少し南へ進むみたい。もうすぐ筑紫の大島の西の果てに着くのかな」


 そうやってその日の航行をたしかめ合うのは、もはや狭霧と高比古の朝の挨拶代わりになっていた。


 そのたびに狭霧にはわくわくとした気持ちが胸の奥からこみ上げて、髪を結う手がもどかしくなっていく。


(また、新しい一日が始まるんだ)


 足は一刻も早く天幕の外に出たがってむずむずとして、次に起きることに向かっていきたい気分で胸が逸った。


(すぐに、朝餉あさげ。それから、船出。それから――。今日は高比古にどんなことを教えてもらえるんだろう?)


 はじめていく海を通っているのだから、行く手に広がる景色はそれまでに見たことのないもので、毎日新しい。昼間、船に乗っているあいだに高比古から教わるのも、どれもが新しいことだった。


 それほど、狭霧には新しいことが溢れていた。夜になると眠るのが怖くなって、朝には目覚めが嬉しくなるほど――。


 毎日があっという間で、二十日近く要した阿多への船旅も狭霧にとってはほんの短い時間だった。だから。


「見えました。阿多あたです!」


 水先案内をした阿多の使者がそんなふうに声を上げた時も、狭霧はぽかんと口をあけてしまった。


「え、もう?」


 でも、長旅に疲れた船はあちこちが汚れて、乗り込む兵もくたびれている。到着を待ち望んだ兵たちはわっと声をあげて喜び、狭霧が乗り込んだ大船には騒々しい足音が満ちた。


「どこだ、見えるか」


 船縁ふなべりにしがみつく兵たちに取り囲まれた阿多の使者は、彼方の水際を指さしていた。


「あの岬の向こうに島があるのが見えますか? あの島の先が阿多の地です。あの島を回ってしばらくいけば、明日には吹上浜ふきあげはまに着きます。都はもうすぐです!」


「……なんだ、あと一日かかるのか」


 落胆混じりの声とともに、兵たちは前のめりになっていた姿勢をもとに戻していく。


 武人たちが一喜一憂する姿を見やって、狭霧は腰かけに座ったままでくすくす笑った。


 狭霧のそばに座った高比古は、その日も彼が知る国々の話を聞かせていたが、ふと首を上げると、遠くで緑の稜線をつくる山々を眺めた。


「……土の色が変わった」


「――え?」


「ほら、白くなった」


 飾り気のない白の袖に包まれた彼の腕が指したのは、彼方に見える陸地の山々だ。


 遠賀おんがを出てからというもの、船団は陸から離れることなくつかず離れずの海道を通って進んでいた。だから、船に乗って移動しているとはいえ、陸影が見えなくなる日はこれまでに一度もない。


 高比古が指した場所も、青波の向こうでなだらかな尾根をつくる丘の一つだ。そこは春の若草色に覆われていたが、高比古が示す場所はいつの時代かに崩落したのか、緑の木々がなく地の色が見えている。その土の色は、高比古がいうとおり驚くほど白かった。


 そこではじめて高比古は身を乗り出して、船縁にいる漕ぎ手を避けさせた。


「少しだけ見せてくれ」


 阿多の港の景色が拝めるのは明日以降だろう。そう宣言された今、船縁から景色を眺めようという人は高比古と、彼に倣った狭霧のほかにいなかった。


 船縁で隙間を奪い合うように身を寄せる高比古と狭霧に、漕ぎ手は怪訝そうに首を傾げた。


「なにか面白いものが見えますか? あぁ、風を浴びていらっしゃるんですね。いい風ですよね」


 彼らは、高比古たちが陸を気にし始めたのは気晴らしのためと疑わなかった。


 そのあいだも、高比古は波向こうの異国の風景にじっと目を凝らした。


「見ろよ、狭霧。砂浜の色も出雲とはちがう」


 高比古の隣で、狭霧も景色に見入った。


「本当だ、真っ白……綺麗。あ、木もすこしちがうね。うまくいえないけど、なんていうか、山の斜面をおおってる葉の重なり方が、出雲とはちがうみたい。なんだろう?」


「葉の重なり方? あぁ。葉の付き方が違うんじゃないかな。この森じゃ、葉の一枚一枚が大きいのかな。おれもうまくいえないけど、この国に生えている木々や草花には、おれたちが見たことのないものが多いんだろうな」


「葉の付き方……。そっか、そうかもしれないね」


 狭霧は、彼方の陸影を見つめる目を輝かせた。


 出雲の武人たちが見向きしないものであっても、狭霧の前にあったものは間違いなく新しい光景だったのだから。







 阿多の使者にすすめられた浜辺で最後の夜を過ごした翌朝、出雲の船団は再び出航を迎える。そしてほどなく、阿多の使者は到着を知らせた。


「見えました、阿多の港です!」


「……今度は本当だろうな」


 武人たちの目が陸を向き、先頭の船に乗った阿多の使者が大仰な動きで指し示す場所へといっせいに視線を送った。それは、どよめきになった。


「白い浜の向こうに、船の群れが見える……あそこか!」


「着いた! 南の都に着いたぞ!」


 いまや、青波の向こうに横たわる陸には砂浜がえんえんと続いていた。砂浜は、昨日高比古が見つけた地の色と同じく純白をしている。純白の砂に青が際立って、海の色までが心なしか鮮やかに見えた。


 近づいてくる異国の白浜には、賑やかなものが多くあった。まずは、数えきれないほどの船だ。


 狭霧が乗った大船ほど大きなものは一つとして見当たらないが、美しい小船がずらりと並んださまは圧巻だ。なめらかな曲線を描く船首は、蛇や、大陸に棲まうという幻の竜蛇を思わせるし、赤、黄、黒など、色とりどりに塗られた船体は、虹を見ているようで目に眩しい。


 狭霧の隣で浜を見つめる高比古は、ある時はっとしてつぶやいた。


火悉海ほつみ……」


「火悉海?」


 聞き覚えのある名のような、そうでもないような。


 狭霧にはそうでも、高比古にとっては親しい相手の名らしい。


 行く手の浜では、異国の船団の入港に気づいた人々が浜に繰り出して、大きく手を振って出迎えていた。


 高比古は、その中の誰かへ向かって合図を送るように片腕をあげる。


 すると、高比古が手を振った先で返事を送るように腕をあげた青年がいた。


(あの人が、火悉海さん?)


 親しい友人に挨拶をするような高比古の仕草が気になって、狭霧は彼が見つめる先をじっと見つめた。鉄面をかぶったような真顔ばかりする高比古が……人付き合いが苦手そうな彼が、打ち解けた相手にするように手を振るのは、いったい誰なんだろう?


 火悉海という人は、出雲の船団を迎えるように波打ち際へ向かって歩んでいた。背格好は高比古に似ていて、おそらく十八、九だろう。でも、華々しい姿は高比古とはまるでちがった。


 火悉海という青年は、蛇文様でいろどられた布を片方の肩から膝のあたりまで垂らして身に巻きつけている。遠目からでも目立つ蛇文様は、黄色地に赤や紫など明るい色で染められていて、白っぽく見える部分が彼の衣装にはなかった。


 そのうえ、髪型も少々狭霧には見慣れないふうだ。その青年は、肩や胸もとを晒してなお誇らしげな勇ましい身体つきをしていたが、髪は、出雲であれば娘がするようなかたちに結われている。むき出しの二の腕や手首には鮮やかな色の飾りがはめられ、そうかと思えば髪の隙間には、太陽の光を跳ね返してきらりと輝くなにかが覗いている。おそらく耳飾りだ。


 出雲の船団が浜に近づいていくと、火悉海という名の青年は片腕を何度か動かして、浜で船の到着を待つ大勢へ大声で命じた。


「船を岸にあげるのを手伝ってやれ。英雄と名高い出雲の大国主の船団だ。みっともない真似はするな!」


 きっと彼は、浜にいる阿多の人たちの中でも相当の位をもっているのだろう。火悉海というらしいその青年は人を従え慣れているようで、狭霧の目から見ても、異国の王子かなにかにみえた。

 






 

 大船が浜へ上げられ、大国主とその従者が船を降りると、次は狭霧たちの番だ。


 狭霧が砂浜へ下りるのに立てかけられた戸板をつたう頃、さきほど高比古と手を振り合った火悉海という名の青年は大船のそばで待っていた。


 高比古が戸板を下りると、胸の前で腕を組んで立っていた火悉海はにやりと笑った。


「よう、久しぶり」 


 火悉海は、太い眉や日に焼けた肌が印象的な野性味あふれる顔立ちをしている。でも彼には不思議と品があり、粗野な印象があるくせに笑顔は透んでいた。


「久しぶり」


 高比古が挨拶に応えると、火悉海は右腕を高比古のもとへ差し出す。握手をするのかと思いきや、拳はひらかれることがなく握られたままだ。


 高比古も片腕を指し出すが、火悉海と同じく拳は結ばれたまま。それから二人は、伸ばし合った拳を何度か軽くぶつけ合った。


 それも済むと、火悉海はふっと口元をほころばせた。


「あぁ、うちの挨拶を覚えてたか」


「そこまで物忘れはひどくない」


「まあ、そうだろう。出雲の策士だもんな」


 微笑み合いながら同じ仕草を繰り返す二人は、軽い冗談を続けた。


 その様子を、狭霧は背後から見ていたのだが、なんだかとても珍しい光景を見た気になった。


(高比古、楽しそう……。火悉海さんって、高比古の友達?)


 高比古に、友人らしい友人はいないと思っていた。彼が誰かと話しているのを見た時、たいていその相手は安曇などの高位の武人や、大国主や彦名だった。人付き合いが苦手なことよりなにより、似たような齢の若者で、彼と話が合いそうな人はほとんどいなかったのだから。


 でもいま、高比古は十八という齢らしい軽やかな笑みを浮かべて、火悉海と談笑している。


(高比古って、こういう顔をするんだ――)


 ふだん見ることのない貴重な表情を覗いた気がして、狭霧は二人をぽかんと見つめてしまった。


 高比古と火悉海は、これまでの船旅や、真浪まなみという異国の若王のことなどをしばらく話した。ひととおり話し終えると、火悉海の目は高比古の顔を逸れて、周りへ向かう。


 船を浜にあげたり荷降ろしをしたりと、浜は人々の掛け声や往来で騒がしくなっていた。珍しいものを見るように火悉海はあたりを見回したが、彼の目が止まったのは高比古の背後だった。彼が、この浜にあるなかでもっとも珍しいものを見つけたとばかりに見入ったのは、狭霧だった。


「そ、その、その子、もしかして。おい、おいー!」


 高比古の影でじっと会話が終わるのを待っていた狭霧は、ぱちくりと目をしばたかせた。


 火悉海があまりに狼狽しているので、こんなふうに思うくらいだった。


(この人、わたしを誰かと勘違いしてるんじゃ……)


 でも、そうではなさそうだ。


「なあ高比古、この子、もしかして、大国主の……?」


 狭霧を凝視したまま、火悉海は高比古の白い袖を何度も引っ張る。いや、ついには殴った。


「てっ」


 突然腕を殴られて、高比古はもちろん不機嫌になる。でも、火悉海を睨みつけた高比古はぎょっと白い頬を引きつらせた。


「お、おまえ、まさか……そっちのほうか!」


 高比古の言葉の意味も火悉海の動揺の理由も、狭霧はわからなかった。


(そっち?)


 狭霧はじっと自分を見下ろす長身の青年の顔を見上げて、目を逸らさないように気をつけた。相応の位をもっているだろう品のいい青年に、失礼な真似をしてはいけないと――。そして、照れ臭いのをこらえながらはにかんで、名乗った。


「は、はじめまして。出雲の大国主の娘で、狭霧といいます。あなたは火悉海様、ですね」


 火悉海はぱっと顔を輝かせて、そのうえぽっと頬を赤らめた。


「あんた、俺のこと知ってるのか!」


「い、いえ、すみません! さっきからあなたのお名前が聞こえていたので、あなたは火悉海様という方なのかと――!」


 誤解を解こうと慌てるが、火悉海はまだ嬉しそうにしていた。


「そっか、なるほど。ああ、そうだ。俺は火悉海。この都を仕切ってる王、火照ほでりの長子だよ。あんたは、さ……?」


 聞き間違いを気にするように、火悉海はもう一度狭霧の名を尋ねる。


 にこりと笑ってから、狭霧はぺこりと頭を下げた。


「狭霧です。阿多にいるあいだ、お世話になります」









 気分よさそうに笑って、火悉海は一度狭霧たちのもとを離れた。


「ちょっと向こうを見てくるよ。そこにいろ。王宮までは、俺が案内するから」


 そういって、そばで控えていた彼の部下らしい青年たちを連れて火悉海の背中が遠ざかっていくと、狭霧は隣で仏頂面をする高比古を見上げてひそひそといった。


「火悉海様って、どこかで聞いた名だと思ったら、もしかして宗像むなかたに来ていた阿多の若王?」


「ん、ああ」


「やっぱり……。姿を見かけたことがあったかもしれない。意外に人懐っこい人なのね。わたしが見かけた時はいつも、なんていうかとても勇ましくて、そばにいっちゃいけないような雰囲気があったから、てっきり、もっと怖い人なのかなって――」


 素直に感想を告げると、高比古はばつが悪そうな呆れ顔をしてみせた。


「いや、そっちのほうが正しいっていうか、いまのあいつは鼻の下を伸ばしてるだけっていうか……」


「え、鼻の下?」


「なんていうか……説明しづらい」


 結局高比古は、それ以上いわなかった。








 同じ命令を繰り返す武人の声が、白砂の浜に響いている。


「積み荷を運べ。いくぞ!」


 荷降ろしと船の片づけがひと段落つくと、出雲の軍船に乗ってやってきた兵たちは浜の果てに集まって列を為した。列が伸びる先には、川に沿って続く道がある。それは、阿多の王宮に続く道だという。


 狭霧と高比古がいたのは列の後ろのほうだった。最後尾よりまだうしろで、出雲の軍列が勇ましく動き始めるのを、二人はのんびりと待っている。そのあたりには隼人族特有の衣装に身を包んだ青年たちが武具をもって集っていて、彼らの主――火悉海の身を守っていた。


 ふたたび狭霧たちのもとに戻ってきてからというもの、火悉海はずっと喋り続けた。


 彼の興味が向いているのは久方ぶりに再会した友人、高比古ではなく狭霧のようで、火悉海が気にしたのは狭霧のことばかりだった。


 とはいえ、火悉海が狭霧へ直接話しかけることはなかった。


「なあ、長旅は疲れたか? って、狭霧に訊いてくれよ、高比古」


 火悉海はそんなふうに高比古を介したのだ。


 何度目かののちに、高比古はいらいらと拒んだ。


「直接訊いたらどうだ」


 すると火悉海は、逞しい肩をびくりとのけぞらせた。


「ちょ、直接? それはまだ早いっていうか、恥ずかしいっていうか……」


「……よく考えてみろ。いちいちおれをあいだに挟むほうが、よっぽど馬鹿馬鹿しくて恥ずかしくないか」


「え、なんで?」


「なんでって……おまえ……」


 高比古は、そっぽを向いて存分に呆れた。


 三人が進む道には浜の白砂が撒かれていて、王宮へ続く道にふさわしく高貴な砂化粧をほどこされていた。


 狭霧たちは大国主の一行がすべて出発したあとに歩き始めたので、大勢の男たちに踏まれた道の白砂にはさまざまな足跡がついている。それでも道に敷かれた白砂は純白に輝き、道果てにどこか素晴らしい場所があると狭霧の胸を高鳴らせる。


 火悉海の従者たちに前後を囲まれながら白砂の道をいく狭霧たちは、火悉海、高比古、狭霧の順に並んでいたが、中央にいて、ちくいち狭霧と火悉海の仲立ちをさせられた高比古は、とうとう二人を前列に残して一歩退いた。


「いいから。話があるならすればいいだろ。おれは後ろに下がるから」


「え、ええ! いきなり二人っきりにさせる気かよ!」


「二人きりって……この状況のどこがそうなんだ? おれは後ろで、おまえの従者と並んで歩くから」


「どうしてだよ。隣にいてくれないのかよ」


「話くらい二人ですればいいだろ? そもそも、そこまで照れ臭がるような話をおまえはこれまでしたかよ」


 高比古と火悉海の妙なやり取りを、狭霧はぽかんと見つめていた。でも、すこしずつ状況がわかっていった。


 どうやら火悉海は狭霧に興味があって、話がしたいらしい。でも、なぜだか彼は狭霧とじかに話すことに戸惑っている。


 話くらい二人ですればいいというのには同感だった。狭霧はそこまで、誰か知らない人と話すのが苦手ではなかったのだから。


 だから狭霧は、高比古がいなくなったぶんの隙間を詰めてみずから火悉海へ近寄ると、居心地悪そうにそわそわとする長身の青年へ笑いかけた。


「あの、もしもわたしに遠慮しているなら、気にしないでください。わたしもあなたのことが知りたいので、できれば直接お話したいです」


 丁寧にいうと、火悉海はぴくりと身動きを止めてじっと狭霧を見つめた。


「あんたも、俺ことが知りたい?」


「あ、はい。だってあなたは……」


 狭霧と火悉海は、かたや出雲の武王の娘、かたやその武王が訪れている異国の若王という身の上だ。共に身分のある初対面の者同士ということで、狭霧は懸命に言葉を選んだつもりだった。


 だってあなたは、わたしたちがお世話になる都の若王なのですから――。


 でも、それをいい切らないうちに火悉海はころっと態度を変えてしまった。


 肩布からすっと伸びた逞しい腕を曲げて首のあたりを小さく掻くと、彼は陽気な声をあげて笑う。


「なぁんだ、あんたも俺に興味があったのか。それならそうと早くいってくれよ」


「いえ、その――」


 さっきの言葉には、初めて会った異国の者同士、仲良くなりましょうという気持ちを込めたつもりだった。でも――。


(こんなに楽しそうに笑ってもらえるようなことを、わたしはいったっけ?)


 狭霧は、急に元気になった火悉海の顔に目を白黒させる。でも、上機嫌になった火悉海が狭霧の動揺に気づくことはなかった。


 代わりに狭霧は、背後に下がった高比古がうなだれて、額を手のひらでおさえたのを見つけた。彼はこんなふうにつぶやいて、なぜだか嘆いていた。


「この、色馬鹿――」




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