3話:あかつきに閉じる花
形代の契り (1)
「狭霧は、僕のことなんて放っておいてもいいんだよ? 僕は気にしないよ。狭霧は出雲の姫で、僕は……」
もう、遠い昔に思えるその頃――。そんなことをいわれるたびに、狭霧は涙目になって抱きつき、
「どうしてよ、輝矢はわたしに会いたくなくなった……!?」
「まさか。そんなことないよ、ただ……ううん、いいんだ。狭霧がそれでいいなら」
狭霧の耳元に落ちる輝矢の声は、泣き笑いをしているようだった。
「でも、忘れないでね。狭霧がいつか僕を見なくなっても、僕は絶対に恨んだりしないから。僕に遠慮だけはしちゃいけない。だって、僕は
「またそれ? 絶対に会いに来てっていってよ、番兵の目を盗んでここまで駆けこむのって結構やる気がいるのに、力が出なくなるわよ……」
「ごめん……でも」
「ごめんじゃなくて絶対に来てって……!」
「いいから聞いてよ」
大人しそうに見えて、輝矢はとても頑固だった。
隙間もないほどぎゅっと触れていた頬を、狭霧の耳元からゆっくりと遠ざけると、輝矢は大人びた真顔をしてまっすぐに狭霧を向いた。
「狭霧が会いに来てくれるのは、本当に嬉しいんだ。でも、お願い……無理はしないで」
でも、それが彼の本音だろうが、狭霧にもいい分はあった。ぷうっと頬をふくらませてふくれっ面をつくると、狭霧は、輝矢を見つめ返して文句をいった。
「無理なんか……! 輝矢に会いたいのに、会えないほうが無理よ!」
きっぱりというと、輝矢の口元はほうっとほころぶ。まるで迷子が、いつもの帰り道を見つけたようだった。
「わかった……」
輝矢がじわじわと幸せそうな笑顔を浮かべていくと、狭霧も幸せな気分になった。それで、それまでよりもっと腕に力を込めて輝矢の細い身体に抱きつくと、約束をした。
「ずっと一緒だよ? 死ぬまで、ううん、死んでも」
いま思えば、その恋は、童の遊びじみたものだったかもしれない。
恋に勝るものは何一つなく、交わした約束は永遠に守られると信じていたし、恋の先にあるものも、恋と暮らしの関わりかたも、幼い狭霧は知らなかった。
でも一つだけ、そこらの童の遊びとは違うことがあった。
それは、狭霧の恋の相手が同い年の
愛らしい二重の目、細い顎、
輝矢の住まいは雲宮の端に建てられた小さな館で、貴人の牢屋と呼ばれる場所だった。
輝矢は敵国の人質として、囚われていた。
春を歓ぶ小鳥の声、目の前を飛び交う、小さな羽虫。なかでも春の木漏れ日は優しくて、山道は輝きで満ちていたので、入りきれなくなった光の粒が今にもどこかへこぼれ出してしまいそうだった。
あまりに山道が美しく輝くので、ふと、狭霧は思った。ここはもしかして、この世のどこかにあるという、黄泉の国の入り口かもしれない、と。
ここを抜ければ、もしかしたら、輝矢のもとにいけるかもしれない。
追いかけてもたどり着けなかった、あの美しい場所へ――。
輝矢……
かつ、か……。のどかに時を刻む、蹄の音。馬が脚を前へ動かすたびに、鞍にまたがる狭霧の身体は、ゆりかごに揺られるようにふわふわと揺れる。
すべてが夢見心地の旅路。頭は朦朧としてくる。
……今はいつだっけ。いったいどこへ向かっているんだっけ……。
ぼんやりと、そう思ったその時、狭霧を呼び覚ます声があった。
「狭霧様、狭霧様……」
齢若い少女の声だ。とても高くて澄んだ――。
「狭霧様……?」
「え?」
はっと我に返った。
その時、狭霧の隣には、一つ年下の姫の姿があった。
名は、
少し陽にやけた肌に、濃い眉、つぶらな瞳。胸の下まである黒髪は、故郷から運ばれた織布で飾られ、胸元には大きな宝玉のついた
「ご、ごめん。ぼうっとしてて――!」
「いいえ。私こそ、無理なお願いをしたから。一人でいくのは心細いから、一緒についてきてください、だなんて」
馬の背に揺られながら、心依姫の細い肩はしょんぼりと落ちている。あどけない印象のある小さな唇も歪んでいた。
「私ったら……狭霧様が断らないのをいいことに、頼り過ぎていますよね。あの……面倒なら断ってくださってもいいんですよ? 狭霧様は出雲の方で、私はそうではありません。
心依姫の寂しげな声は、狭霧の胸の奥にあった少年の声を呼び覚ました。
『狭霧は、僕のことなんて放っておいてもいいんだよ? 僕は気にしないよ。狭霧は出雲の姫で、僕は……』
その声が大切にしまってあった場所は、とても遠いはずだった。でも今、やたらと近く感じる。その理由に、狭霧はすぐに気づいた。
きっと、さきほどの
遠い日の幻が蘇ったせいで、懐かしいことなのに、最近のことに感じるのだ――。
「さっきわたし、
「え、先視? 先に起こることを予知なさったと……?」
「ううん、なんでもない」
夢うつつの気分から抜け出すと、狭霧はじわじわと笑顔を浮かべた。それから、そばで申し訳なさそうにしている心依姫の顔を、まっすぐに見つめた。
「面倒なんて、まさか。わたしはやりたくてやってるのよ。異国で暮らすって大変でしょう? 少しでもお手伝いできればと思って……」
「狭霧様……」
心依姫の目は、眩しいものを見るようだった。笑顔は帰り道を見つけた迷子のようで……今の狭霧には、それもやけに懐かしい。
「そういえば、人づてに聞いたのですが、弟君が、伊邪那へ渡られたとか……」
「うん……?」
心依姫が話すのは、二つ違いの狭霧の弟、
弟とはいえ、狭霧はもう顔も覚えていない。なにしろ遠比古と別れたのは、遠比古が三つの齢の頃。出雲と伊邪那、戦の絶えない二つの国が仲良くなるために、遠比古と輝矢という王子をお互いに交換することになり、その時に別れて以来なのだ。
……ひどい姉だ。血の繋がった弟だというのに、狭霧は遠比古を気にかけた覚えがほとんどなかった。それどころか、母を死にいざなった元凶と恨んでいた。一人ぼっちで異国で暮らして、最後には命すら奪われた弟を――。
輝矢のほうが、遠比古を想って泣いていた。
『狭霧がいうと、人質って言葉も明るく聞こえるね。きっと遠比古は殺されたんだ。かわいそうに。異国の地で、頼る人も守ってくれる人もいないまま……』
本当に、ひどい姉だ。
いや、気にかけていたところで……。結局、狭霧は守ってあげることができなかっただろう。輝矢すら、守れなかったのに――。
……駄目だ。泣きたくなる。
目が潤みそうになるのを懸命にこらえて、狭霧はまばゆい陽光の中で微笑んだ。
「弟もそうなんだけど……異国から来ていた子がそばにいたの。だから、異国で暮らす寂しさみたいなものは、きっとわかると思うの。……ううん、異国の出だとか、そんなことは関係ないわね。わたしは心依姫といたいからいるの。気にしないで」
にこりと笑うと、心依姫の頬がふんわりと桜色に染まる。それから頬になだらかな丘をつくると、えへへ……と、心依姫は幼顔に似合うふうに笑った。
冬のあいだ出雲の野山を純白に染めあげた雪が溶けて、季節は春。
朝晩はまだ冷えるものの、昼間の日差しは温かく、山の木々は枝に萌黄色の小さなつぼみをつけている。
ふと狭霧は、懐かしい香りを感じた。澄んだ香りに誘われるように山道の奥、木々の向こう側へ目を凝らすと、そこには濃い紫色の花が群れていた。
「
「菖蒲? 珍しいお花ですか?」
心依姫と目が合うなり、狭霧は手綱を引いて馬の歩みを止めていた。
「待ってて。……ごめん、少しだけ寄り道をさせて!」
心依姫の馬を引く青年や、一行を囲んで歩く侍女や警護の武人など、周りの人々へ告げると、狭霧はそそくさと野山に分け入って、見つけたばかりの早咲きの菖蒲を、一輪手折って戻った。
「はいどうぞ、心依姫。とっても香りがいいのよ。ちょっと小ぶりだけど」
「私に? うわぁ、ありがとうございます!」
高貴な姫君がまとう裳を思わせる、ふんわりとした紫色の花びら。手渡された菖蒲の花びらの奥を覗くように小さな鼻を近づけるなり、心依姫はうっとりとため息を吐いた。
「なんてすてきな香りなんでしょう。宗像にはありませんでした……」
心依姫の笑顔を見届けると、狭霧は周りへ目配せを送った。
「もう進んでいいです、待たせてごめんなさい」
山道をいく一行は再び動き始めるが、その間ずっと心依姫は菖蒲を胸元に抱いて、時おり鼻を近づけていた。
狭霧も、じんわりと漂う花の香りに浸るように何度も目を閉じてしまった。菖蒲は、狭霧にとって、特別な花だったのだ。
『輝矢―、お土産だよ!』
輝矢のもとへ忍び込むたびに、狭霧は彼に花を届けた。桜、椿、梅、桃、つゆ草など、春に咲く花はたくさんあったけれど、輝矢が一番好んだのは菖蒲だった。
だから狭霧にとって、その花の香りは、輝矢の香りなのだ。
『いい匂いだね。おかげで館が明るくなったよ。香りに清められて、暗い気配も消えたみたいだ』
『じゃあ、ここを花の香りでいっぱいにしてあげる! また摘んでくるからね!』
目を閉じるたびに、狭霧の目の裏には輝矢の愛らしい笑顔が浮かび上がる。狭霧を安堵させる優しい声も。
『狭霧、大好きだよ。狭霧がいてくれれば、僕はなんにも怖くない』
……やっぱり駄目だ。
誰かのそばで輝矢を想っちゃいけない……。
輝矢のことを想うたびに、涙がこみ上げてしまうから。
慌ててまぶたを開けると、狭霧は隣を確かめた。心依姫は菖蒲の花を覗きこんで、芳しい香りにうっとりと目を閉じている。
(……よかった、涙は見られていない)
何事もなかったように前を向き、視線を先に戻すと、そこには山道の果てが見えていた。
春の木々が覆う行く手には、苔むした大屋根が見え始めていた。出雲で一番古い社で、建てられてから時を経ているせいか、館も、その四方を囲む森も黒々としていて、あたり一帯に重厚な雰囲気が立ち込めている。
(あれが、
神野。それは、
そして、神野こそが一行の行く先で、心依姫を呼び出した相手の住まう場所だった。
神野の宮は、さらさらと水音を立てる清流のそばに建っていた。
山奥にあるとはいえ、閑散としているわけでもない。巫女や事代の身なりをした人々が大勢行き来していたし、
馬を下りてしばらく進むと、雲宮や意宇の宮の奥と同じく、許された者にしか通れない門がある。そこから先に入ることができるのは、一緒にやってきた一行の中でも、狭霧と心依姫だけという話だった。
「……なんだか、ものものしいね」
「はい……狭霧様」
長年、雨や風に洗われたせいか。小さな門の奥に見えている館や渡殿(わたどの)の木目は、黒々と鈍く輝いている。柱を埋め込まれた底石の周りは苔に覆われて、鮮やかな緑色になっていた。
厳かな気配に足をすくわれそうになりながら二人で歩いていくと、ある時心依姫は、はっと身構えた。そうかと思えば、あっという間に狭霧の背中の後ろに隠れてしまう。
「あっ、に、兄様!」
「兄様?」
宗像からやってきた心依姫の兄弟が、出雲にいるはずがないのに。
狭霧は首を傾げたが、 その答えを見つけるなり笑ってしまった。
心依姫がこわごわと見つめている先、そこには、狭霧も見知っている少年の姿があった。冬のあいだに十八になったはずなので、青年と呼ぶべきか。
出雲風に、耳のそばで
「なんだ、兄様って高比古のこと? そんなふうに呼んでいるの?」
「だ、だって、その……」
「そんなに隠れてどうしたの? あなたの旦那様じゃないの」
「だって、だって……お邪魔になってはいけないと」
狭霧の背中に隠れる心依姫は、もじもじとうつむいている。どうやら、夫になった青年に会うのを照れ臭がっているらしい。
「邪魔だなんて、顔を合わせて挨拶をするくらい……」
それで狭霧は、心依姫の代わりに声をかけることにした。
「高比古!」
手を上げて、軽く振る。高比古は狭霧に気づいたようで、ゆっくりと近づいてきた。
久しぶりに顔を合わせようが、彼の表情が乏しいのは変わらない。高比古は真顔をしたままぴくりとも笑わなかったが、それは狭霧の背後に隠れる彼の妻、心依姫を見つけた後も同じだった。
「何を隠れてるんだ?」
不思議そうに眉をひそめて声をかけるが、それだけ。それ以上妻を気遣う素振りは、高比古にない。
(……相変わらずねえ。不器用というか、なんというか)
高比古にも呆れつつ。狭霧はとにかく話を進めることにした。
「いつ神野に来たの? しばらくは雲宮で寝泊まりしていたみたいだったのに」
「昨日だ。事代だからな。たまに来るが、今日は用があって……」
いいながら高比古は、面倒なものを睨むような横顔を見せる。そうかと思えば、鬱陶しいものを避けるように腕を振り回した。
「どうしたの?」
彼の不機嫌な視線の先を追うと、そこには――狭霧の知らない娘がいた。
齢は、十六か十七。狭霧と同じくらいだ。娘が身にまとうのは、手間をかけて何度も洗われた純白の上衣に、真紅の裳。大陸の女官がする化粧のように麗しい弧を描く眉は濃く、目尻にかけてすっと上がった目は鋭い。目尻にある朱色の化粧、色の強い朱で彩られた小さな唇。娘の姿は、巫女のものだった。
娘の顔立ちは美しかったが、恐ろしいほど目が強い。巫女の娘は、唇の端を吊り上げて笑っていた。
「高比古様、先へ。婆様がお待ちですよ」
「……いちいち触るな」
高比古が振り払っていたのは、娘の指先だった。
巫女の娘は、高比古のそばにいるというよりは、まとわりついているという雰囲気で、隙あらばと高比古へ指先を伸ばしていた。
いくら高比古が不機嫌に突っぱねていようが、年頃の青年と少女がそんなふうにぴったり寄り添っているのを見れば、なんらかの関係を疑いたくなるというものだ。
……その人、いったい誰?
狭霧ですらきょとんと目を丸くしているのに、彼の妻である心依姫が心穏やかでいられるはずがなかった。
日女の指先が高比古の腕に触れそうになるたびに心依姫はびくりと震えたが、狭霧の背中からおずおずと目元を出した心依姫は、ついに細い声を出した。
「あ、あの、兄様……そのお方は?」
「こいつ? ここの巫女だよ、名は
高比古が答える合間にも、日女と呼ばれた娘は懲りずに高比古の腕へ指先を伸ばしている。そばで目を見張る心依姫への気遣いなど皆無だ。気遣うどころか日女は、勝ち誇ったように笑っていた。そのうえ日女は、わざわざというふうに高比古へ尋ねた。
「高比古様、この二人は?」
眉をひそめたものの、高比古は淡々と答えた。
「狭霧と、心依。大国主の娘と、宗像から来た……おれの妻だ」
ほっ。狭霧は、背後で安堵の息が吐かれたのを聴いた。高比古の口から自分の妻だと紹介されたことで、心依姫の胸騒ぎは、いくらか落ち着いたに違いない。
でも、日女は心依姫の安堵を許さない。
冷笑を浮かべた彼女は、威嚇するようにも心依姫を睨みつけた。
「妻? ふん。なんとも意味のない立場だな。出雲の王たる男は、決して一人の女のものにはならないよ? 残念だったな。宗像からはるばる海を越えて来たのに」
いい方は冷やかで、相手を苛めてやろうという悪意に満ちていた。
一度緩んでいた心依姫の指は、再びかたく強張ってしまった。
……仕方ない。彼の妻であることに意味などないと、きっぱりいい切られてしまったのだから。高比古に嫁ぐために、心依姫は決意して故郷を離れたはずなのに。
(この人、なんなの? 初めて会う相手……しかも、見るからに純情そうな幼い姫君へ向かって、こんなに意地悪ないい方をするなんて……)
いい争いは得意ではないから、できれば関わりたくないほうだ。とはいえ――。
「そ、その……いくらなんでも、いいすぎじゃ……」
さすがに不審に思って、狭霧は心依姫を背に庇う。――が。日女は、それをせせら笑うように目を細めた。
「真実を語って、何が悪い?」
……そ、そこまでいう?
巫女の勝気な物言いに、狭霧は目を白黒させてしまった。
結局、日女の口を閉ざしたのは高比古だ。
「いい加減にしろ、日女」
日女を咎めた彼は、狭霧の背後で青ざめる心依姫へ目配せを送ることも忘れなかった。
「……気にするな」
「は、はい」
心依姫は、ほっと口元にはにかみの笑みを浮かべた。でも。高比古と日女が連れだって目の前を去ろうとすると、またもや心依姫の表情は強張っていくことになる。
「もういい、いこう、日女。潔斎の間とやらにさっさと案内しろよ」
「ええ、高比古様。私とあなたの、
日女のいい方は仲睦まじいところを見せつけるようで、やたらとねっとりとしている。
高比古は何もいわなかったが、日女を見下ろす横顔は鬱陶しいものを毛嫌いするふうだ。
「……」
なんなんだこいつ、面倒くさいなあ――。
無言だったが、心の声が聴こえた気がして。狭霧はたまらずぷっと吹き出した。
狭霧と心依姫の前から去りゆきながらも、まだ日女は高比古の腕に指を絡ませようとしていて、そのたびに高比古から手荒く振り払われていた。そのうえ日女は、背後に遠ざかった狭霧や心依姫をちらちらと何度も振り返る。そして、目が合うたびに意味ありげににやりと笑んだ。
彼女の意図はわかった。
日女は、高比古との仲を知らしめたいのだ。
高比古と日女のあいだにどういう関わりがあるのかはわからないが、自分のほうがずっと高比古と親密だと、名実ともに彼の妻である心依姫に見せつけたいのだ。
(……やっぱり、変な人)
狭霧は日女という巫女のことを、そんなふうに思うしかなかった。
「高比古って、意外にもてるのね。びっくりしちゃった。でも、高比古はあの子を全然相手にしてないみたいだよ。そんなに落ち込まないで、心依姫は高比古のお妃なんだから、どーんと構えて……」
狭霧は心依姫を勇気づけようとするが、心依姫の目は狭霧を向こうとしなかった。血の気が引いたような青白い顔をして、心依姫は虚空を見つめ続けた。
「あの人、巫女です。その中でもかなりの力を持つ……」
「うん?」
「形代の契りって、もしかして――」
形代の契り。それは、先ほど日女がいった言葉だ。
「知ってるの? 形代って?」
狭霧は首を傾げるが、青ざめた心依姫がそれに答えることはなかった。
そして、そのうち二人は、行く手にあるひときわ古めかしい宮から呼ばれることになる。
「心依様と狭霧様ですね? 大巫女の
なかなかやって来ない二人を心配したのか、探しに出てきてくれたらしい。
「あ、すみません。今いきます……!」
「どうぞお入りください、お二方。大巫女がお待ちですよ」
大巫女とは、この宮の主。神野に居を構えて、出雲のすべての巫女を束ねる地位にある女人だ。そして、心依姫を神野へ呼び寄せた人物だった。
「いこうか。……平気?」
すう、はあ……。心依姫は小さな唇をすぼめて、息を吸っていた。
「大丈夫です。ごめんなさい、緊張しちゃって」
取り乱してしまったのは、神野という聖地のせい。この森に吹き込む神聖なそよ風のせい。
そんなふうに、心依姫は日女という意地悪な巫女のことを忘れたがっているように見えた。
くす。狭霧は苦笑した。
……それならそれでいい。わたしも。
心依姫に合わせて、さっきの困惑など忘れたという顔をつくると、狭霧はそっと心依姫のたおやかな手を取った。
「じゃあ、いこう」
そして、手招きをしている巫女のもとへ進むことにした。
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