雲の切れ味 (1)
高比古たちの宴が始まったのは日が暮れる前だったが、終わったのは朝だ。
酒に酔った
「ほまへの格好はへんなんだ。鳥みたいな格好しやがって」
「ほまへってなんだよ。ろれつがまわってないよ? きみだって、今どき半裸なんて野蛮だよ。人らしい服を着なよ、袖がついた服を!」
「なにをーっ? ほまへなんかこうしてやる!」
「やめてー、助けて、高比古!」
酔いが回った火悉海は真浪の背後にまわり、優雅だと自慢していた真浪の越服の深い袖を掴んで後ろで縛っていく。真浪は情けない声を出して助けを求めたが、高比古に止めに入る気は起きなかった。
「やってろよ、くだらない」
そばでくっくっと肩を震わせる高比古に、真浪は文句をいった。その頃には、火悉海に踏まれるようにして地べたに転がされていたが。
「なんだよ、笑ってるくせに! きみの真っ白な出雲服に、いつか絶対に落書きしてやるからな! だーから、痛い痛い! やめろ火悉海!」
自分の袖で身体を縛られてしまった真浪は、火悉海のすねを蹴りつけるので、小さな館には火悉海の情けない呻き声も響くことになる。
「ってぇ! ほまへ……! ここは隼人の泣き所っていうくらい、痛えとこなんだぞぉ!」
高比古は、思うしかなかった。
(いったい、これのどこが三大国の若王の集いなんだ……)
結局、人一倍暴れていた火悉海が、糸を切られた人形のように地べたに寝転がっていびきをかきはじめると、うやむやのうちに高比古と真浪も、自分たちの仮宿に戻ることになった。
時おり立ち止まりつつ、ふらふらと歩く真浪の面倒をみたのは、高比古だ。
「気持ち悪い……」
いちいち歩みを止めるのが面倒くさくて、最後には、高比古が真浪を引きずるようにして明け方の小道を進んだ。
「高比古、きみ、酒が強いねえ……。おえー」
肩を支えてやると、真浪が耳元で感服するように息を吐くが、それはかなり酒臭い。
「おまえたちがどうしようもないから、酔いたくても醒めるんだよ」
本音の愚痴だった。高比古も二人と同じように日が暮れる前から酒を飲んでいるのに、目の前で妙な喧嘩をされたり、自分より弱っている相手がすぐそばにいると、酔いも醒めるのだ。
「そうかー、ありがとう……。これ、よかったらやるよ」
そういって真浪が深い袖の中から出したのは、指先ほどのかけらになった、黒い
「いるかよ、残りかすのごみなんか。……いいよ。そのうち、ちゃんと越と取り引きするから」
まだ酒で顔を赤くしているものの、真浪は満足そうだった。
「……毎度あり~」
岩場につくられた細い道を戻り、
「おい、越の三の王。泥酔して朝帰りしてるのがばれたぞ?」
からかうように声をかけると、真浪はひらひらと手を振った。
「なんかまずい? いいじゃないかよ。若いもんが夜遊びしないで、誰がやるんだよ」
高比古も笑った。
「たしかに、そうだな」
いつか二人は、小さな小屋が並ぶ通りにたどり着いていた。
「ほら、着いたぞ。おまえの小屋はどれだ?」
「一番端~~。あ、もう大丈夫。ひとりで戻れるから」
ぐらりと揺れながら高比古から身体を離した真浪は、拝むような仕草をした。
「ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう。今後ともよろしく、出雲の高比古様」
「本当に調子がいいなあ、おまえは」
真浪は自分の宿へ向かってふらふらと小道をいくが、遠ざかりながらも、まだ調子よく高比古を褒め称えている。
「きみってなんていうか、黙っていても力があるよね。火悉海みたいなのをいつの間にか手なずけてるし、たった一晩で
「ちょっ……おい!」
はっと周りを窺った。
幸い、通りには人気がなく、誰の姿もない。だが、ここは異国の客人のための小屋が並んでいる場所だ。たった一晩で倭奴を滅ぼす話をつけて……などという話を、軽々しくしていい場所ではない。
(誰か聞きつけてなければいいが)
酔いなど一気に醒めて、周囲を見回すが、二人が喋っていたのは高比古の仮宿の真ん前で、両隣に建てられた小屋は、しばらくここで過ごすうちに誰も使っていないと知っていた。
(平気かな、どうにか――)
安堵すると、真浪に腹が立った。
倭奴の話を彼にしたのは、酒に酔った火悉海だ。だから、そもそもの責は火悉海にあるといえるが、それにしても――時と場所は選ぶべきだろうに。
「真浪! さっきの話……!」
その時、真浪の姿は少し先にいて、そのあたりでふらふらと踊るように回っていた。声をかけると、にんまりと笑って手を振ってくる。
「おやすみ~」
正直、呆れた。それでも、こみ上げるのは苦笑だったし、胸はまだ愉快がっていた。
声を張り上げるには少し遠ざかっていたので、胸で声をかけた。
(おやすみ)
真浪に背を向けて、自分の仮宿の入口にかかる薦に手をかける。
ぱさり、と音をたてて薦を開けると、高比古は目をしばたかせた。奥の寝床に、先客がいたからだ。
明け方だというのに、桐瑚は膝を抱えて座っている。それどころか、戸口に姿を現した高比古の瞳の奥を睨みつけるように凝視している。
決まりが悪くて、顔をそむけた。
今、高比古は、倭奴を滅ぼす算段をつけて宗像へ戻ってきたところで、その盟友となる異国の青年たちと機嫌良く酒を酌み交わしてきた帰りだ。それに――。高比古はため息をついた。
さっき、真浪はすぐそこで倭奴の話をしたが、ここに桐瑚がいたということは、彼女は真浪の声を聞きつけたかもしれない。――いや、きっとそうだ。
高比古の目の奥を見据える桐瑚の瞳は、動揺して見えた。
(……なんだよ、なにが悪い)
薦を避けていた手を放し、なんでもない様子をとりつくろって寝床に歩み寄る。低い位置から高比古の表情を追う桐瑚の視線を避けて、目も合わせずに寝床に寝転がった。
「昨日からここにいたのか? おれは寝る」
頭の下で腕を組んで、さっさと寝てしまおうと目を閉じるが、桐瑚はそれを阻んだ。
「
声は、震えていた。高比古は渋顔をした。
「だったらなんだ? だいいち、おまえに話すような話じゃない」
「でも……さっき、声が聞こえた。たった一晩で倭奴を滅ぼす話をつけて戻ってきたとか……」
「空耳じゃないのか」
とぼけて寝返りを打ち、背を向けた。高比古に呼びかける桐瑚の声には、涙が混じった。
「たしかに聞いた! 倭奴をどう滅ぼすんだ。どうやって……?」
理由は、わかる。桐瑚は倭奴の、月の大巫女になるべく神殿に仕えた巫女姫だったはずだ。桐瑚の故郷は倭奴なのだ。
だが、それは
桐瑚の正体がかの国の巫女姫だったとか、そんなことは知りたくなかったし、知ったところで、どうにもできなかった。
高比古の声は、桐瑚の涙声を薙ぎ払う刃のように鋭くなった。
「おまえが知る必要はない。……疲れてるんだ。寝かせろよ」
鬱陶しいものから遠ざかろうとした高比古の肩を、そうはさせまいと、桐瑚は強く揺さぶった。
「でも……!」
「でも、なんだ? おれは眠いといってるんだ」
桐瑚は、宗像の奴婢。それがすべてだ。胸は、そういい張った。
そう思っていなければ、流される。圭亥という死人の記憶や感情に――。
死霊を受け入れることができるとはいえ、全身全霊をかけた死に際の願いごとにいちいち耳を貸していたら、高比古ももたないのだ。高比古に強さがあるとすれば、幻の死に耐える力よりも、死者たちが託していく命がけの懇願を、見て見ぬふりをする力のはずだ。
軽く身を起こすと、高比古は桐瑚を冷やかに睨みつけ、拒んだ。
「偉そうにいいやがって……おまえはおれのなんだ? おまえは、ただの宗像の奴婢だ」
高比古から一言一言が発せられるたびに、桐瑚の琥珀色の瞳にあった輝きは、ざあっと吹雪に煽られたように色あせていった。
戦で、敵をいかに手際よく滅ぼすかという策士のやり方に慣れていたせいか。それでも、高比古は、桐瑚をさらに傷つける言葉を癖のように探していた。「これをいってしまって本当にいいのか?」と躊躇したが、引っ込みがつかなかった。
「鬱陶しい。もう来るな。……飽きた」
目を合わせることができず、うつむいていたので、目に映るのは寝床の端だけだったが、背後の桐瑚が愕然としたのを感じた。
小さくしゃくりあげる声も聴いた。その頬に涙がこぼれたのも、感じた。
桐瑚の気配は逃げ去るようにそばを離れて、小屋を出ていった。
高比古も、うなだれた。
――桐瑚が逃げた。いたぶるような真似をしようが、気丈に喧嘩を買ってふんぞり返っていた、あの桐瑚が。とても酷いことをいった。
これまでの癖で、自分は桐瑚に一番苦痛を与える言葉を無意識のうちに選んだのだ。
木床を爪でひっかくと、大仰な動きで寝床に転がった。
白い朝の光のまぶしさから目元を覆うように両腕を顔の上に組んで、胸をいいきかせた。
(桐瑚は奴婢だ。奴婢の娘の涙なんか見たって、べつに……)
酒宴の賑わいほど耳にうるさいものはない――。あれよりは、ずっとましだ。悲鳴や恨みごとなら、耳元で囁かれても、自分は無視できるのだから。
人から疎まれるのも慣れている。人ではないものを見るようにおののかれるのも、死霊から託される渾身の願いを、自分の想いではないと無視するのも――。
でも、今の高比古は、宴の賑わいをそれほどうるさいと感じていなかったし、目の裏にちらつく桐瑚の震える瞳は、これまで無視してきたどの恨みごととも違った。
(……もういい)
身体は騒ぎ疲れている。酒が残っていて、頭もぼんやりとしている。
眠らせてくれ、一度忘れさせて……と、疲れに頼み込むようにして、目を閉じた。
わずかには眠れたらしいが、寝覚めは悪かった。
明け方に桐瑚を追い出したのを夢だといい、と繰り返しながら記憶をたどるが、夢ではなく現実だということは、頭の疲れが覚えていた。
身を起こすなり両の手のひらで顔を覆って、長いため息をついた。
(……いくか。話しに)
桐瑚の居場所がどこなのかは、わからない。だが、放っておくわけにはいかないと、胸が焦っていた。
考えれば考えるほど、収拾がつかなくなる。胸に湧いた不気味な混乱を、一時も早く鎮めたかっただけかもしれない。
(もういい、いこう)
頭の疲れを削ぎ落とすように冷たい水で顔を洗って、明るい光に溢れた外に出た。――が、そこで足は止まる。
今朝にかぎって、高比古の仮宿の前には、数人が待ち受けていた。どの男も宗像らしい身なりをしていて、見覚えのある顔もある。前に筒乃雄のもとへと案内した男だった。
目が合うと、男はにこやかに笑った。
「高比古様、筒乃雄様がお呼びです」
「おれを? 筒乃雄様が?」
「ええ。一刻も早くお引き合わせしたいお方がいると。実は……沖ノ
(心依姫? ああ……)
それは筒乃雄の孫娘で、一人目の妻になる相手だ。
会ったこともなければ、どんな姫なのかということもろくに知らない相手が待っていると告げられても、喜びも、困惑も浮かばなかった。胸に湧いたのは感情的な想いではなくて、その姫の名につられて脳裏に蘇った、冷めた言葉ばかりだった。
たとえば、夜の浜辺で、婚姻を命じた須佐乃男のいい聞かせるような声。
『関係ない。娘を一人、出雲へ連れて帰ればそれでいい。情を交わすならなおいいが、それがあるかないかは問題ではない。いいな? 娶れ』
南国の絶景を見渡せる岩場で、真浪が羨ましそうに吐いた言葉。
『実は、その姫は、おれも狙ってた。宗像との繋がりは喉から手が出るほど欲しいよ』
阿多隼人の居城で、火悉海が落胆のため息交じりにつぶやいた言葉。
『と、いうわけだ。宗像が、出雲側に立つと明言したようなもんだ』
高比古と心依姫という娘との婚姻は、
「わかった。いくよ」
「では……」
男の仕草は、花婿を花嫁のもとへ案内するという華やかな役目に浮かれていたが、高比古の頭は冷えていく。熱を帯びた頭が洗われるようで、前の晩に眠れなくした桐瑚の泣き顔すら、遠ざかっていった。
案内された館の奥には人の輪ができていた。女ばかりで、花々しい。
高比古が姿を現すと、女たちはこぞって目を輝かせた。
「いらしたわ。心依姫の婿君が――」
心依姫と血のつながった家族、つまり、宗像の王族だった。
色とりどりの縁取りがされた衣装に身を包んだ若い娘や、その母や、祖母のような貫録のある女たちの輪の一番奥には、筒乃雄が座っている。
いまに限って古狸の印象は薄れていて、高比古を出迎えた筒乃雄は、いくらか寂しげに笑っていた。
「こっちじゃ、来い。須佐乃男も呼んだんだが、あいつめ、孫娘と海に出ておった。せっかくかわいい孫がはるばる帰ってきたのに、待たせるわけにはいかんよ。この子に会わせたいのはおまえであって、あの爺ではないしなあ」
老王の手招きに従って近づき、筒乃雄の前に空けられていた隙間に腰を下ろす前から、女たちは高比古を質問攻めにする。
「お若いのね。あなた、お年は?」
「……もうすぐ十八になります」
「あら、心依と四つ違いね。……凛々しくてすてきな若者じゃないの。見目もいいし」
「こらこら。おまえらが喋るな。心依に話させろ」
老王が温かな眼差しを向けたのは、女たちの輪に埋もれるようにして座っていた小さな娘。十八より四つ下ということは、齢は十四か。狭霧よりも一つ年下だという姫は、たしかに狭霧よりずっと幼く見えた。
いや……最近、狭霧は少し顔つきが変わった。髪を大陸風に結いあげるようになった今では、むしろ大人びて見えるようにもなった。それと比べると、そこで小さくなっている心依姫という娘は、ずいぶんあどけなく見えた。
うつむいて縮こまる幼い姫をからかうように、両隣で微笑む女たちは、口々に高比古に目配せを送ってくる。
「まあ、赤くなって。緊張しているようで、朝からずっとこうなんです」
「心をほぐしてやってくださいな。出雲への
(無理いうなよ。突然)
女たちがいうのが軽々しい大博打にしか思えなくて、閉口する。
かえって、こんな奴に嫁ぐなんていやだ、出雲へなんか行きたくないと泣き暮らすような結果になったら、どうする気なんだろうか?
正直、こんな場所に連れてこられたことをいまさら恨んで、逃げ帰りたい気分だった。
高比古を取り囲む女たちの視線は、その瞬間を待ち望んで、高比古の一挙手一投足をわくわくと目で追っている。
諦めて胸を落ちつけると、そこで縮こまっている小さな姫に向き合い、微笑みかけた。降ってわいた婚姻に戸惑っているのはお互い様だし、きっとその姫のほうが、見ず知らずの男に嫁ぐことになったと脅えているに違いない。それがわかると、自然と仕草は丁寧になった。
「……はじめまして」
心依姫は、じわじわと顎を上げていく。目と目を合わせてぼんやりするものの、たどたどしい声で懸命に応えた。
「は、はじめまして……」
どうしてだろう。高比古はそれほど取り乱さなかった。脅える少女を相手にどうすればいいのか、いつのまにか、なんとなくわかっているような気がした。
そうして、高比古は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
できるだけ心を込めて、丁寧に話そうと努めた。
「出雲は……武人の国で、おれはずっと戦に出て暮らしていた。周りにいたのは男ばかりで、おれは好きな女ができたことがないから、あなたに優しくしたいとは思うが、娘や色恋に慣れていなくて、正直自信がない。こんな男の妻になるなど……運が悪かったと、諦めてもらえると、助かる」
言葉に華はなく、素っ気なくて無骨だ。そのうえ、謝罪じみていた。
しんとなった王の広間で、心依姫のそばにいた女たちが、ふうと息をこぼした。
「……なるほど、武王の国の若者ですね。勇猛で、凛々しいお方のようです。いいではありませんか。大勢の妻を娶ったと噂にきく大国主や須佐乃男様より、よほどこの子は、大事にしてもらえそうです」
「本当に……幸せになるんですよ、心依」
小さな姫の肩を抱く別の女は、涙ぐんでいた。
思いのほか反応がよかったので、高比古のほうが戸惑った。
(これでよかったのか?)
照れくさい言葉を吐いたのが今さら恥ずかしくなって唇を結んでいるうちに、自分を見つめる視線に気づいた。心依姫だった。
心依姫の顔立ちはあどけないが、今の表情には不思議な強さがにじんでいる。
心依姫は目を伏せて、高比古の妻問いにこたえたが、十四歳という年を感じさせない厳かないい方をした。
「あなたの声には、
心依姫は、これまで沖ノ島で巫女をしていたという。
だが、おかしがたい崇高な印象は、そこで途切れた。ぽかんと唇をひらいて小さな姫を見つめる衆目の中で、心依姫はもじもじと笑った。
「でも……好きな女ができたことがないとおっしゃった、あなたの、一人目の好きな女になれるとよいのですが――」
(一人目の好きな女?)
幼い姫から、そんな返事がくるとは思わなかった。目をしばたかせていると、心依姫は、たちまち頬を真っ赤にしてうつむいた。
「す、すみません、へんなことをいって! 沖ノ島で暮らしている間、恋物語を語る娘がそばにおりましたせいか、そういうことにいつのまにか憧れていたようで……!」
こうも恥ずかしそうにされれば、見ているほうも照れてしまうというものだ。結局高比古も、耳まで赤くして、話を合わせた。
「――そうだな、そうだといい」
筒乃雄が、機嫌よく膝を打った。
「よいよい。似合いの二人だ。輿入れの支度が楽しみになったなあ、心依!」
老王が場を盛り上げるので、女たちは、口々に高比古と心依姫を祝い始める。だが、その場の賑わいは、今や、高比古の目や耳にうまく入ってこなかった。
(一人目の好きな女? それはもう、いる気がする――)
目の裏に浮かぶのは、桐瑚のしかめっ面だった。胸も痛みを思い出した。
(いかなきゃ……。おれはあいつを傷つけた)
「奴婢のねぐら? たしか、宮殿の外の川沿いにあったと思うけど。どうしたの?」
筒乃雄の館から戻る途中で真浪に出くわしたので、尋ねると、真浪はそう訊ね返した。
だが、答えを待っているというふうではない。優雅といい張っていた衣装はあちこちがよれていて、髪も寝起きのまま。真浪は、まだ気分が悪そうで、青白い顔をしていた。
「今度話すよ。まだ酒が抜けてないのか?」
「なんできみはそんなに涼しそうな顔してんだ? 出雲の奴って異常だよ」
八つ当たり気味の愚痴を吐かれても、高比古に浮かぶのは苦笑だけだった。出会ったばかりの頃だったら、すぐさま眉をしかめて、二度と近寄るなと息まいていてもおかしくないのに。
「おまえが飲み過ぎなんだ。……ありがとう。またな」
軽く手を上げて真浪に背を向け、教えられたとおりに宮殿の外を流れる川に沿って歩くと、それらしい建物は、すぐに見つかった。
奴婢の集落は大きくて、大勢が暮らしているようだ。
一言で奴婢といっても、出入りする者たちの身なりはまちまちだ。貴人の身の回りの世話を焼くような位の低い下女や、土いじりや川底浚いをさせられるような下男など、いろいろあるらしい。
昼過ぎだったせいか、奴婢たちは仕事に駆り出されていて、集落は閑散としている。集落に残っていたのは、怪我や病を患って働けない人々や、やたらと見目よい若い娘たちだけだ。
その娘たちは、桐瑚のように、貴人の
貴人の身なりをした高比古が集落の囲いをくぐると、中で休んでいた奴婢たちは、珍しいものを見るようにじろじろと目を向けてくる。
(長くいると、まずいかな)
目立って噂になると厄介だ。門の近くにいた若い娘に、みずから歩み寄ることにした。
「ここに、桐瑚という娘はいるか」
「桐……? 知りません」
「でも、ここは、奴婢のねぐらだろう? ここ以外に住みかはあるか?」
「ここだけですが……桐瑚?」
娘は首を傾げているが、訝しげに高比古を見つめている。顔や背格好や、出雲風の髪飾りのついた
「もしかして、あなたは出雲の策士様?」
「……そうだが」
「じゃあ、お探しになっているのは、きっとリコだわ」
「リコ?」
「ええ。あなたが出雲の策士様なら、あなたのもとにしばらく仕えていたのはリコです。でも、リコはここにいません」
「リコ――? ここにいないって?」
そこまで話が進むと、奴婢の娘は、顔を赤くして、じっと高比古を睨みつけた。
「あの子なら、裁きの
「裁きの、岩室?」
「朝、ここへ戻ってきて、散々暴れていたからです。あの子、
高比古は、血の気が引いていく思いだった。
(桐瑚が、岩室に……)
蘇るのは、冷たい岩場に繋がれ続けた幼い日々だった。それと同じ場所へ、娘を一人追いやってしまった。
いや、なお酷い。自分は、その娘の誇りを根こそぎ奪うような真似をしたうえに、そこへいかせたのだから。
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