9皿目 試練。
試練の時が来た。妻がパーマをかける。
どれだけ練習しても、美容院から帰ってきた妻を上手に誉めることができない。多くの男性が同じ悩みを抱えている筈だ。
私は食卓のいつもの席に座り、妻が帰ってきたことを想像し、イメージトレーニングを重ねた。
「うん。似合っているよ」「いいね!」「素敵だよ」「すごくいい!」「色っぽいよ」
ボキャブラリーが少ない自分がうらめしい。練習をすればするほど、嘘臭く聞こえてしまう。
多くの女性がそうだと思うのだが、妻自身、夫好みの髪型にしようなんて思っていない。以前、長い方が素敵だよ、と心からの感想を言ったのだが、聞き入れては貰えなかった。それなのに・・・美容院帰りの妻を待つ時、どうしてこんなプレッシャーを感じるのか? もうすぐ帰って来る。練習は充分だろうか?
ガチャ。
「ただいま〜」
とうとう帰って来た。
「おかえり〜」
これまでの経験から、ひと言めが重要だということはわかっている。まず私のすべきことは、妻の表情を読み取ることだ。
どうも不安気だ。これは、まずい。妻自身が満足なら何を言っても大丈夫だが・・・この表情は、誉め過ぎたらダメだ・・・いそげ、言葉を探せ。
「うん!いいんじゃない」
我ながらなんてチンプなセリフなんだと思った。
「そうかな〜」
「少しワイルドな感じがしていいよ」
「そう?」
浮かない様子。妻はどうも納得がいかないらしい。この後の空気が怖くなった。
「花子のお迎え行ってくるよ」私は逃げた。
すくすくスクールで花子を引き取り、自転車の後ろ乗せて帰る途中、念のため言い聞かせた。
「今日、母さんは、美容院に行ってパーマかけたからね」
「ホントにぃ!」
娘は、母の髪型がどう変わっているのか楽しみなようすだ。
花子なら、きっと上手に誉めてくれるだろう。私は娘にあとを託すことにした。
「おかあさん、ただいまぁ」
「おかえり〜」
帰るやいなや、花子はどたばたと家にあがり、食卓にあるお菓子の入った籠を物色し始めた。美容院の話は忘れてしまったようだ。
花子!さっき話したじゃないか!母さんの髪!
娘は午後のおやつを決めて、ややあってから、母を見上げてから言った。
「後ろは変わったけど、前からみたら、全然変わってないね・・・」
ん?カワッテナイネ。いま、そう言ったかい? カワッテナイネ、確かにそう言ったね。
永遠とも思える一秒が過ぎた。妻が口を開いた。
「やっぱりぃ!そう思う!?そうでしょう!ねっ。ねっ。花ちゃんもそう思うでしょう。ちょっと失敗しちゃったんだよね〜」やっと理解者が現れたと嬉しそうな顔をした。
そう言えばよかったのか・・・
ひとつボキャブラリーが増えた。『かわってないね』次回までに練習すればいい。
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