5皿目 条件。

 人生ゲーム購入のための条件が、妻から提示された。だが、それは到底納得できるものではなかった。

 赤和家にダイニングテーブルが来てから、4年が過ぎた。購入時はおしゃれだったそのテーブルも、月日が経つうちに、生活感に彩られるようになった。天板の上に透明ビニールシートを敷き、その間には、大きな世界地図が挟み込まれ、残ったスペースには、子供達がコレクションしているアニメのカードや、商品についてくる懸賞応募券の切りはぎが溜まるのを待っていた。

 この春、花子も、晴れて小学校に入学した。まだ6歳。推奨年齢には達していないが、先日の授業参観の様子をみるかぎりでは、算数も読み書きもできるようだ。そろそろルーレットをまわしてもいいだろうと思い、妻にそれとなく打診してみたところ、ある条件が提示されたのだが、それをクリアするには、奇跡が必要だと思われた。

 「え?それはいくらなんでも無理だよ!」私は語気を強めて言い返した。

「どうして?たったの一週間よ。実質5日間ね」私が小学生のころとは違って、今は土日がお休みだ。学校に通うのは週に5日間だ。

「だって、あいつは『忘れ物キング』の称号を持ってるんだぜ」

「だからじゃない。そんな不名誉な称号をなくすためよ」

 太郎は私のDNAの負の部分もしっかりと受け継ぎ、1年生の二学期には、その称号をクラスメイトから得ていた。「来週からね。一週間よ」妻は断言した。

 この日の夕食は、不穏な空気が漂っていた。普段おちゃらけた調子で話し、食事の時間を楽しく盛り上げる私が、黙っているからだ。子供達は、父の様子がいつもと違うことに気づき、機嫌が悪いのだろうかと訝った。なにか悪戯がバレたか?あれか?それとも・・・あれか?ビクビクしながら、おかずを口に放り込んでいた。私は別に怒っているわけではなかった。考え事をしていたのだ。

 数々の団欒をもたらしてきたこの食卓。家族が集い、食事をし、お茶とおやつが並べられ、多くの会話を紡いできた。それは私の狙い通りの効果をもたらしていた。あと、足りない物があるとすれば、それは人生ゲームにほかならない。事実、最近は子供達がリビングのテレビでゲームをするシーンを、食卓から眺める時間が増えた。もう一度、テーブルにみんなを呼び戻す必要がある。私は、ハンバーグを必死に頬張る子供達に向かって言った。

「おまえら、ちょっとそこに座れ」

「え?さっきから座ってるけど・・・?」太郎が答えた。

「太郎、ツッコミを入れる時は、もっと刺々しく言わなきゃダメだぞ」

「えぇ!今のは・・・ボケだったの?」

「そうだ」

「なんだ。とうさん、てっきり怒ってるのかと・・・」

 空気が和らいだ。

「重大発表をする時は、そう言うんだ。ちょっとそこに座れってな。その方が聞く耳を持つからな」

「で、なに?発表って?」

「太郎、おまえが一週間忘れ物をしないようにする計画を発表する」

「そんなのムリ!」花子が大げさな手振りを加えながら言った。

「いいかい、花子。今のは、ボケじゃない。突っ込まなくていいぞ」

 花子は、せっかくがんばったのに、という顔をしてから下を向いた。

「なんで、そんな計画を発表するの?」太郎が先を促した。

「それはな、お前が一週間忘れ物をしなければ、母さんが『人生ゲーム』を買ってくれるからだ」

「じんせーゲーム!やったぁ!」シュンとしていた花子が歓喜の声をあげた。そして続けた。「で?なにそれ?面白いの?」

「知らんのか!」私はすかさずツッコミを入れた。

 妻が、クスっと笑ったのもつかの間、眉間に眉を寄せて言った。「あなた、ちょっと、刺が足りないんじゃない」なかなか手厳しい。

 「いいか。父さんは、ちょうど、明日から夜勤が続く。がんばって仕事を終わらせて、朝、お前達が家を出るまでに帰宅する。そこで、父さんが必ず、持ち物検査をして、太郎を送り出す。こうすれば、忘れものをしないだろう?」ざっと説明した。

「あなた。甘いわよ」

「なにが?」

「持ち物は、学校に持っていくだけじゃないのよ。帰りにだって、あるのよ。プリントとか、体操着とか・・・それはどうするの?」

「では、こうしよう。来週は、事情を説明して、放課後学級を休ませる。民生委員の人には、今週は父がずっと家にいるから、帰宅させますってな。太郎は授業が終わったら、すぐに帰って来る。帰ったら、父さんを起こす。そこで忘れ物チェックをして、もしあったら、急いで学校に取りに戻る。これでどうだ?」

 共働きの赤和家は、ふだん、妻が帰宅するまでの条件で、『すくすくスクール』と呼ばれる放課後学級に子供を預けている。出欠の変更は、防犯などの意味も合って、都度、話を通さなければならない。

「それも、甘いわね。花子はどうするの?1年生の方が早く授業が終わるのよ。太郎が終わるまで、いる所がないわ。まだひとりでは帰らせられないでしょう?」

 「ならばこうしよう。花子は、授業が終わったら、すくすくスクールで太郎を待つ。太郎は授業が終わったら、すくすくスクールに寄って、花子と一緒に帰って来る。あとの流れは同じ」

「でもね・・・」妻はちょっと考え込んでから、痛い所をついてきた。「急いで取りに戻るってことは、つまり、忘れ物をしているってことよね?」

「だめ?」私は許しを請うように上目遣いで聞いた。

「アウトね」容赦はないようだ。

 意気消沈とはこういうのを言うのだろう。空気が、また重くなった。だが、花子はまだ諦めていなかった。そして、思いついたことを口にした。

「ねぇ、お父さん。取りに戻ったことを3人の秘密にすれば、お母さんにはわからないじゃん」この娘は時々おそろしいこと言う。

「・・・それは・・・どうかな・・・」

 家族の中で、隠し事をするのは、私のポリシーに反する。そもそも、団欒を構築する為に、人生ゲームを必要としているのに、それを手にする為に、隠し事をするなんて・・・本末転倒だ。

「いいわ。わかった。あたしが帰って来るまでに、太郎が戻ってきていればセーフってことにする。隠し事をされるのはまっぴらよ」言いながら花子を睨みつけた。

 良いのか悪いのか、花子の一言が、規制緩和につながった。

「よし。じゃ、来週からな。二人とも、手はずはいいな?」

「わかったぁ!」子供達の元気のいい返事が返ってきた。

 一週間は長い道のりになりそうだ。睡眠時間も減るだろう。だが、人生ゲームによってもたらされる効果を得られるならば、それは安いものだと思った。代償はつきものだ。

 食卓に和やかな雰囲気がもどり、和気あいあいとした時間が流れた。私が、最後まで取っておいたハンバーグにフォークを刺した時、花子がおもむろに口を開いた。

「ねぇ、お父さん。『てはず』ってなに?」

「しらなかったのかよ!」

 太郎のツッコミは鋭さを増していた。

 私は簡単に説明した。

「花子、『てはず』ってのは、準備とか段取りのことだよ。しっかりやれば、できるさ。そうだろう、太郎。いいか、いつも自分を疑うんだ。忘れ物がないかって。そうすれば、振り返る。それが大事なことなんだよ。母さんは、太郎にそれを覚えてもらいたいんだ。だから、こんな条件をだすんだよ。やり遂げた達成感を味わいながら、みんなでルーレットを回そう」そう言って、土曜日の夕食を締めくくった。


 日曜日、夕食もそこそこに、いつもより早く夜勤にでた。

 翌朝、月曜日、太郎が家を出る前に、なんとか帰宅した。時間割表と、持ち物を照らし合わせた。案の定、音楽の教科書を入れ忘れていた。校帽をかぶらせて、送り出した。

 妻が私の食事を用意しながら、安心させるように言った。

「月曜日が一番持ち物が多い日なのよ。ここをクリアできたら、かなり前進ね」

「そうだね。危なかったけど・・・」言いながら、早くもウトウトしていた。妻がパートにでかけるとほぼ同時に、眠りについた。


 「ただいまぁ!お父さん!」

 さっき眠りについたばかりだと思ったが、もう午後3時になっていた。

「太郎。お帰り。持ち物を全部みせろ」目を擦りながら、ランドセルを開けさせた。

「プリントは?」

「これ。縦笛を買うんだって」

「給食袋は?」

「はい」

「体操着は?」

「もう、洗濯物入れにいれた」

「よし。えらいぞ!なんとか、初日をクリアしたな!じゃぁ、宿題をやって、明日の準備をしろ」

「わかった!」

 これを、あと4回繰り返せばいい。私は安心したが、なにか頭にひっかかるものを感じた。まだ、ねぼけているからだろうと思い、目を覚ます為に、シャワーを浴びた。ドライヤーで髪を乾かしているときも、ヒゲを沿っている時も、ひっかかりの原因がなんだろうかと考えてみたが、思い当たることはなかった。

 「コーヒーでも飲もう」独り言を言って、ヤカンに火をかけた。しばらくして、湯が沸いてきたのがわかった。ヤカンが小さくゴトゴト音を立てはじめたからだ。その時、気づいた。小さな音が響くのは、家の中が静かだからだ。そこにもう一つ音が聞こえた。それは、玄関のカギが回った時に立てる音だった。そして、ドアが開かれた。

「ただいま」妻が言った。

「おかえり」私が言った。

「ただいま」もうひとつ、かわいらしい声がした。花子だった。

「あたしが迎えにいったから」苦笑いしながら妻が言った。「すくすくスクールから、ケータイに直接連絡が来たのよ」

 初日、太郎は妹をひとりで帰ってきた。

「そうか・・・じゃぁ、明日から、睡眠時間は、また元にもどるね」私は言った。

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