2皿目 あの。

  

 私の名前は、赤和 院。 あかわ いん、と読む。ふざけた名前をつけた両親に不満はないが、この名前のせいで、小学5年生の時と、中学2年生の時にいじめられた。それは、本当に辛い時期であったが、その時期に人間とはなにか?よく考えるきっかけとなった。当時、自分のおかれたみじめな状況を説明するために、物事を哲学的にとらえ、理屈をこねた。どんなにこねても、それを正当化できるような答えは、結局見いだせなかった。ただ、人間の醜さを理解できるようになったおかげで、その反対の素晴らしさも知ることができた。

 いじめの原因は名前だけではなかった。私はなぜか、目立ったのだ。

 特に運動神経が優れているわけでもなく、勉強ができるわけでもなく、美少年でもなく、家が金持ちでもなかったが、なぜか目立った。強いていえば、小さかったことだ。だから、女子からよくかわいがられた。そのせいで、多くの男子から嫉妬されたことはあったろうが、目立つ理由にはならない。私には少しの『華』が備わっていたようだ。

 「赤和君!こんにちわ」

 塾に行く時、駅前で声をかけられた。

「こんにちわ。だれやったっけ?」

「こないだのバレーボールの大会で、市民体育館にきとったやろ?おれ、稲小5年。おまえは小4やろ?」

 市の大会で10校以上のバレーボール部が集まっていた。児童は優に100人は超えていただろう。

「おったけど、桜台小と稲小って対戦しよった?」

 トーナメント戦の大会。桜台小は3回戦に進めなかった。

「おれらも2回戦で負けたからな〜。なかったよ。じゃあ!またな!」

「うん。また」

 大きな体育館で、たくさんの人が試合をこなす中で、桜台小のひとりの少年のプレーが視線を集めていたという。

 私の名前を知っている人が、たくさんいるんだということに気がつきはじめたのは、このころだった。

 スーパーで、ゲームセンターで、釣具屋さんで、いろんなところで、名前を呼ばれ、挨拶を交わすが、相手の素性を知らないまま。なんだか、理不尽だなと感じていた。

 小5になると、市内で、『桜台小の赤和』はかなり有名になっていた。知名度と比例していじめも増えた。

 中学になると、隣の市まで名前が知れ渡っていた。

 各校の不良がたむろするようなショッピングセンターには、もう、出入りしづらくなった。ただ、かれらは、喧嘩をふっかけてきたりはしない。ちょっとからかう程度のちょっかいなのだが、時折、仲良くしたがる者もいた。『あの赤和と知り合い』それが、ちょっとしたステイタスになっているようだった。それは面倒くさいことだった。

 ある日、自転車屋の前でパンクの修理を待っている間に、丈の長い学ラン、幅広のボンタンを履いた中学生の男子と目が合った。漫画にでてくる『カッコいい不良』を彷彿とさせる容姿だ。こいつに口説かれたら、不良好きの女子はひとたまりもないだろう。

「おまえ、赤和やろ?桜中の・・・」男前は尋ねた。

「そうやけど・・・」

「やっぱりな」

「なんで、おれのこと知ってるん?」

「なんでって?おまえ有名やん。まぁオレほどじゃないけどな」

「なんで有名なんやろ?」

「なんでやろな〜。みんなお前のこと知ってるし、話題にもようでてくるからなぁ」そう言いながら、学ランのポケットからセブンスターを取り出し、手慣れた仕草で火をつけた。

「どんな?」

 私の質問攻めから間をとりたかったのか、タバコの火種を落ち着かせてから、ゆっくり、深く吸い込んだ。

「ちっこくて、名前も性格もおもろい、かわった奴やって」煙を吐き出しながら、言った。

 この時、自分のアイデンティティを知った。私を呼ぶ時につく『あの』は『かわった奴』を指すらしい。

「そんなかわってるかなぁ?」

「おまえ、自分ではきづいてへんけど、かわってるで」

「そうかなぁ?」

「そうや。この街で、このおれに、タメ口きける中坊はおまえぐらいやで」

 あとで知ることになったが、この男前は、警察にまで名前を轟かせる街で一番のワルだった。

「ほな、普通やないから、いじめに合うんか?」

「そうや、おれの手下がこの会話聞いたら激怒すんで。おれと、こんなに馴れ馴れしく話してるん見たら、嫌うはずや」

「え〜!自分、手下がおるんや?すごっ!」

「ほらな。そこや。今は、感心するとこちゃうで。びびるところや」

 この不良は、ものおじしない私を気に入ったようだ。女子がみとれるような微笑を浮かべたかと思うと、次の瞬間、凄味のあるまなざしで私を睨みつけながら言った。

「うわさどおり、おまえおもろいやつやな。なぁ、赤和、おれの相方になれよ」

「なんでやねん!不良漫才か!」

「あはは!ほんま気に入った!おれにツッコミいれるなんて、ふつう、できへん!」

 数日後、不良グループの間で噂が立った。

「稲中の坂本が、桜中の赤和を気に入ったらしいで・・・」

赤和?」

「あ〜、赤和や」

「なんでや?あんなケンカもできん奴、よわっちぃ奴を・・・」

「さぁな。坂本は赤和のことをめっちゃ気に入ったらしいで」

 これを気に入らない奴がいた。坂本に取り入りたいと思っている中途半端な連中だ。彼らからのいじめが増えた。坂本に知られると、あとが恐いから、陰湿にやられた。だが、気にしないことにした。坂本の手下になりたがるその理屈が、私にはわからなかったし、さわぎになって、それを坂本が知ることになったとしたら、いじめっ子が制裁を受けるだろう。そうなると、次に待っているのは、逆恨みだ。

 それからしばらく経ったある日、コンビニの前を自転車で通りかかったところを、大声で呼び止められた。聞き覚えのある声だった。

「お〜い!赤和ぁ〜。ちょっとまてやぁ〜」坂本だった。私はブレーキレバーを強く握った。

 コンビニ内で立ち読みでもしていたのだろう、前を通り過ぎようとしている私をみつけ、慌てて外へ飛び出してきて叫んだ。坂本の後ろからゾロゾロと取り巻きたちも出てきた。不良たちのたまり場にされたコンビニは、さぞ迷惑だったろう。ガラスの向こう、レジカウンターに立つ店員は全員が店外に出たのを確認すると、安堵の表情をみせた。

 「やぁ。ひさしぶり。あれが、手下?」ハンドルを握った両手は離さず、アゴでコンビニの入り口に付近にいる不良たちを指した。その中に、例のいじめっ子の姿を確認した。彼らはうまく坂本に取り入ったようだ。

「あいつら?そうや。おまえ、どこいくねん?いっしょにつるめや」

「これから、天神池に釣りにいくねん」

「つり?」坂本は顔をしかめた。

「そう。釣り」

 手下共がわたしたちふたりの所に寄って来て取り囲んだ。はたから見れば、不良グループが、少年にからんでいるように見えたろう。コンビニ店員の顔が安堵から心配へと変わっていく様子が伺えた。

「おれらと一緒に遊ぼうや」坂本は続けた。

 彼らの遊びといえば、ゲームセンターなどにたむろして、タバコをふかし、突っ張った奴らを見つけてはケンカをふっかける。負かした相手を仲間に引き入れ、勢力を拡大していく。そんな遊びはごめんだった。

 手下の前で断れば、坂本のメンツを潰すかなと、しばし悩んだが、彼の器量はそんなに小さくないだろうと踏んだ。

「いや。釣りいくわ」

「なんやと!おれの誘いを断るんは、おまえぐらいやで!」声を荒げたが、その顔は、一目で女子を虜にするような魅力的な笑顔だった。

「それは、釣りの方が絶対おもろいからや」

「だれと行くねん?」拗ねた口調だ。

「ひとりで」

「ひとりで? ブラックバスか?」

「いいや。コイ」

 人気のブラックバスフィッシングではなく、地味な鯉釣りと聞いて、坂本はちょっと考え込んだ。そして言った。

「コイ?コイって・・・あの・・・胸がキュンてするやつ?」

 突然のフリボケにたじろいだ。私は頭をフル回転させた。

「そう。そう。好きな娘を釣りにいくねん!ってそれはや!釣れるか!」

 取り巻きの間に笑いが起きた。坂本が後ろを振り返り、手下達に私を紹介した。

「こいつがおれの相方。赤和や。これから、オンナを軟派しにいくねんて!天神池に」

「あはは・・・」手下の間に愛想笑いが起きた。

 一瞬だが、坂本がさみしそうな表情を浮かべたのを、私は見逃さなかった。彼は、ツッコミが欲しかったのだ。『釣りや!』とか『天神池で軟派できるか!』とか。しかし、返ってきたのは愛想笑いだった。なるほど、私が坂本に気に入られるわけだ。彼は、どんなに多くの手下に囲まれても、ツッコミを貰えないのだ。それもこれも、カリスマが強すぎるからだろう。ケンカで伸し上がり、暴力でまわりを支配してきたのだ。それは、孤独だろうなと思った。

「ひとりで鯉釣りって、おまえ、おっさんみたいやのう。ホンマに変わった奴や。なぁ、正式におれの相方になれよ」

「おれは、ツッコミより、どっちか言うたら、ボケのほうが好きやねん。だから、むりやわ」なんとか理由をこじつけて断ろうとした。

「じゃぁ、おれがツッコミやるから、赤和がボケ担当でどうや」彼は引き下がらなかった。

「坂本君に突っ込まれたら、びびってしょんべん漏らしてまうわ!」

「あはは!ホンマやな・・・」

「ほな、いくわ」先にある信号が青に変わるのを見計らって、言った。

「じゃぁな」

 坂本は、左手で私の背中に軽いパンチを繰り出して、発進の後押しをしてくれた。

 この後、いじめはなくなった。

 私は自分のアイデンティティ『おもろい、かわった奴』を目一杯に活用し、いじめを克服した。だが、事態は良くもなれば悪くもなった。私の名前はさらに有名になった。バスに乗っても、コンビニでも、あらゆるところで後ろ指をさされるようになった。

「あれが、赤和やで。坂本の相方」

「え?断ったってきいたで・・・」

「みかけによらず、度胸があるんやなぁ・・・」

 街にでるのがおっくうになり、ひきこもりがちになった。

 中3の時、兵庫県から大阪府へと引っ越したのを機に、心に誓った。今度は、控えめに過ごそう。なるべく普通に振る舞おう。

 これが、ひっこみ思案になるきっかけとなった。

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