REFECTIVE

夜になると肌に当たる風は冷たさを増し、

暗闇という状況下で人は否が上でも五感が研ぎ澄まされる。

辺りは光源と呼ばれるものはなく、文字通り暗闇に包まれていた。

私は自転車前輪に装着されたライトの光源だけを頼りに

暗闇の中を突き進んでいると灰色のコンクリート道に

一筋の黒い物体が目に映り込んできた。

普段、通る道にあるはずのない背景が映り込み、不審に思った私は自転車を止めた。

ポケットに入れていたスマホをライト代わりに取り出し、

黒い物体を発見したと思しき場所を探っていると思っていた場所とは

少し離れた場所で黒い物体を発見した。

私はしゃがみこんで黒い物体を凝視すると赤黒い液体だった。

普段は見る機会がないが私はすぐにこの赤黒い液体の正体が血であることが分かった。

しかし、周りに変わった様子はなかったものの唯一、

血でできた一筋の道はだけは道外れの少し盛り上がった茂みから続いていた。

自然にできた緑の壁をかき分けていくと目の前には人の死体があった。

私は一瞬驚いたがすぐに辺りを見渡し、人の気配がないかを探った。

辺りは葉と葉が擦れ合う他に別段、変わった様子はなかった。

死体に近づくと歳は三十代後半だろうか?スーツ姿からサラリーマンだと推定できた。

うつ伏せの状態で倒れこみ、背中には家庭でよく見られる三徳包丁が

垂直に突き刺さっていた。

肌の色はまだ赤みをおびていて専門的な知識はないものの

死後数時間しか経っていないことが推測できた。

私は一通りの状況確認を終えると今までライト代わりに使っていた携帯で警察に連絡した。

現在地と現状を伝えると数十分後、暗闇の中から赤い光が点滅を繰り返しながら

こちらへと徐々に近づいてきた。そして後を追うようにして三台のパトカーが

到着すると、現場を封鎖し、検証を行いっていた。

私はというと最初に現場に到着した警官から第一発見者もとい、

第一容疑者として事情聴取を受けていた。

次々と投げかけてくる質問に対して単調な口調で答えていると

警官は次第に怪訝な顔に変化していく様が見てとれた。

一通りの質問事項を終えたのか、警官は手に持っていたファイルを閉じたが

最後に質問事項には恐らく記載されていないであろう質問を投げかけてきた。

「あなたは遺体を見るのは初めてですか?」

私は質問に対して日常会話のように

「いいえ、今回が初めてです」

とだけ答えた。警官は驚きながら

「遺体を発見して冷静沈着なあなたの方のような人は初めて見ました」

とだけ言い残すとその場を去っていった。

私も一時間程度の事情聴取に疲労感を隠すことはできず、家へと自転車を走らせた。

家に帰ると、いつものように飯を食べて風呂に入り、

布団に入って普段通りの生活を送っていた。

だからと言って内心、驚いていないわけではないが

確かに人よりも感情の起伏は乏しいと感じたことはある。

人が騒いでいるのに自分だけ冷めていたり、

祖母の葬式に対してもあまり悲しいという感情が沸き上がってこなかった。


私は人の死に対してこれほどまでに無感情でいられるのには理由がある。

私が住んでいる地方は田舎なため、人通りは極端に少ない。

特に目の前にある道路は通勤ラッシュ時においても混雑という二文字は起きない。

その代わりといってはなのだが野生動物達の通り道として人よりも

利用していると言っても過言ではない。

そのせいもあってか、道端には時々、車に轢かれた動物の死骸が出没していた。

しかし、人々は何事もなかったかのように素通りしていく。

残された死骸は哀愁を漂わせ、通り過ぎていく風によって一層哀愁を漂わせていた。

私は幼かった頃に初めて動物の死骸を見たとき、動かない動物からピンクの内臓や

赤黒い液体が辺り一面に散乱していて衝撃を受けた。

その頃は家でペットを飼っていたせいもあって

私にとって動物は家族の一員という認識だった。

しかし、現実とは残酷で人は動物ひとつの命で驚くどころか、

誰一人として振り向こうともしない。

それほどまでに、無関心な世の中を見てしまった私はどこか心の中が冷めた気がして

自分もそんな人たちと同じように染まっていき、

今では目の前に転がっている動物の死骸にも驚かなくなってしまっていた。

私が自分の感情の起伏の薄さに気づいたきっかけは祖母の葬式だった。

悲しい出来事で家族が泣いているにも関わらず、

私は泣くどころか、悲しみの感情すら沸き上がってはこなかった。

このとき、私はなぜ、これほどまでに自分の感情の起伏さが薄いのかを考え、

前に同じような体験をしたことに気づかされた。

動物の死骸を見た時だった。

幼い頃は酷く悲しんでいたが繰り返し、動物の死骸をみていると

次第に当たり前の光景になっていき、

そうしているうちにもう死に対して驚いていない自分がいた。

そんな今の自分が動物の死骸対する感情の感覚に近いのだと気付いたのだ。


私にとって人は高い知能い優れているが動物は身体能力が優れていて

両者の違う点はそこだけで命の概念においては両者とも同価値である。

この定義を前提においた場合、私にはひとつの疑問が浮かび上がってきた。

人はなぜ、人の遺体に驚いてしまうのかという疑問である。

同じ命であるにも関わらず、人は人に対して優しく、動物に対しては無関心だ。

私はこの疑問を持ってしまった故に死に対して驚くが薄くなった。


このことが感情の起伏が乏しい理由である。

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