グラントの壺

昔々、東の果ての地に大都市が存在した。

農業や鉱業、漁業が盛んだけでなく、商売や娯楽といった

多様な産業で賑わっていた。

多くの人々が行き交う中で一人の青年が人の少ない公園で歌を歌っていた。

青年は名をシノといい、一年前の田舎から出稼ぎするために大都市にある

小規模な酒場で働いている。シノには夢があり、都市一番の歌い手にあることだ。

そのために日々、公園で歌を披露しているのだが現実とは厳しく、

シノの歌を立ち止まって聴いてくれる者は少ない。

それでも酒場の仲間やお客さんの支えもあって歌い続けていた。

公園で歌い続けて三年目になることにはシノは半ば諦めかけていた。

そんなある日のことだった。

夜遅くに公園から帰っている途中に茂みから何か一瞬だけ光る物体が現れた。

恐る恐る物体に近づくと光を発した物体の正体は全身が赤く、黒い模様をした壺だった。

汚れてはいるものの洗えば装飾品として使用できると考えたシノは家と持って帰った。

さっそく家に帰ると壺の外面を濡れた布で拭き、綺麗に磨いた。

公園で発見したときの泥まみれの状態と違って新品同様の姿に変化した壺を見て

シノは自慢げに腕を組み、小さく頷いていた。

シノは今日、公園で歌っていたときにもらった花束を生けるために

壺を花瓶代わりにしようと水を中に注いでいると、内側にかすかではあるが線が見えた。

何の線だが理解できなかったが何気なく線まで水を満たすと壺が急に光出した。

シノは目くらましにあって後ろに仰け反ってしまい、

自分以外誰もいない空間から声が聞こえてきた。

「私はグラント。契約召喚により貴様の願いをひとつだけ叶えよう」

シノは最初、驚いていたがすぐに声の主が壺だとすぐに理解し、恐る恐る壺に聞いた。

「契約召喚って?」

「この壺の中に書いてある線まで液体を注ぐことによって契約召喚が完了される」

シノは息を飲んで黙り込んでいたが壺が喋っていた最初の言葉を思い出した。

「ひとつだけ叶えてくれるのか?」

半信半疑な口調で聞いたが壺は無感情な口調で

「そうだ。私は契約召喚によって契約された者の願いを叶えるために創られた」

シノは言葉の真偽の確定はできないものの物は試しと思い切って願いを言った。

「じゃあ、俺を有名にしてくれ」

すると今まで光っていた壺の光が更に強く光った。

「承諾した」

その言葉を残して壺は光を失い、粉々に砕けた。

シノはしばらく様子を見ていたが

自身に変化はなく、周囲も何の変化も起こさなかったので

嘘だったのか、と少し期待していた分、落胆してしまった。


次の日、仕事は休みだったシノは朝から公園で歌っていると

不思議と今日は立ち止まる客が多かった。

徐々に人数は増えていき、夕方になる頃には公園は人で埋まっていた。

シノはこの時、初めて壺の真偽を確かめることができた。

人生で初めての観客の多さに歓喜して震えが止まらなかった。

歌い終わるとシノは『ありがとう』と言おうと口を開いたときだった。

おかしなことにその一言を喋ることができなかった。

今日の歌で喉を傷めてしまったのか、喋れないことに困惑していると

目の前の出来事にシノは目を疑ってしまった。

さっきまで歌を聴いていた人たちが何事もなかったかのように

その場を立ち去っていたのだ。

シノは目の前の出来事に驚愕して動くことができず、

ただその場を後にすることしか出来なかった。

喋ることのできなくなったシノは次の日、

何とか紙と筆で仕事を辞めることを伝えると途方に暮れ、

気がつくと公園の前に立っていた。

シノが歌を歌いだすと再び目の前に人々が集まり、公園は埋め尽くされていった。

しかし、歌が歌い終わると人々は何事もなかったかのようにシノから離れていった。

残ったものは目の前に散らばった金貨だけで

シノは拾っているうちに段々と虚しくなっていった。

自分の叶えたかった願いはこんなものなのだろうか?

それからというもの歌うことで名誉と富を得ることができたシノだったが

反面、歌うことでしか人々との接点が無くなった。

酒場で出逢った仲間やお客さんもシノの前から次々と姿を消していき、

完全に孤立してしまっていた。

ある日、家の掃除をしていた時だった。机の下から何か物音がして

ふと見てみると赤い欠片を拾った。その欠片はあの時、砕けた壺だとすぐに分かった。

砕けた時は気付かなかったが欠片には何やら文字が刻まれていた。

『ひとつの願いにひとつの代償』

シノはその言葉の意義にすぐに気がついた。

自分は喋ることを代償に歌うことで有名になった。

ただ言葉とは裏腹に現実は喋ることだけでなく、仲間や客を失い、

代わりに得たものはただ曲を聴いて金貨をくれる人々だけだった。

ひとつの願いにシノは多くのものを代償にしてしまった。

その後、富が裕福になるに比例し、孤独感の増していく人生に疲れた

シノは自ら命を絶ってしまった。



赤く黒い模様の壺は悪魔グラントが創った人間を堕落させるものだった。

人間は急な環境変化において弱い。

人間とは自らの手で徐々に願いを叶えていく段階で

環境変化に対応していくことができる生き物だが

他人の手で一気に環境変化してしまうと自らを滅ぼしかねない。

グラントの壺はそういった人間の弱い部分につけこんで堕落させる道具だった。

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