薔薇に棘ができた理由

 ずっと昔の人里離れた奥地に人知れぬ平原が存在した。

平原にはこの世のものとは思えぬ美しい薄紅の花が辺り一面咲いており、

香りに誘われて数十匹のリスの群れが住みついていた。

春一番を迎えた今日は半年ぶりにリスたちが訪れていた。

そんな中、一匹のリスが群れから離れると

そう遠くない場所で立ち止まり、誰かに話しかけた。

「こんにちは、花子さん」

目の前には無数の花が咲いているだけだったがその中から声が聞こえてきた。

「こんにちは、アリスさん」

目を凝らしてよく見てみると花の中に一輪だけ背の小さな花があった。

彼らは数年前の同じ日に生まれ、一緒に育ってきた唯一無二の親友だった。

「身体は大丈夫かい?」

「ええ、今回も無事。そっちも特に問題はないようね」

冬は動物や花にとって厳しい季節で下手をすれば命を落とすこともある。

だからこそ花子とアリスは半年ぶりの再会を無事に迎えたことに安堵していた。

それから毎日、花子とアリスは冬の空白の出来事を尽きることなく話し合っていた。

冬の空白が埋まろうとする頃には冬が訪れ、再び半年間の別れがやってきた。

花子とアリスはそれから半年後に再会し、

半年後には別れて再会してその繰り返しが何年も続いた。

ある年の春、リスたちは平原に戻ってきたが数が少ないことに花子は気付いた。

特にこの年、花子の元へと訪れるアリスは一度も姿を見せなかった。

花子は不安に思って他のリスに尋ねようとしたが花子のいる場所は群れと距離があり、

普段はアリス以外のリスが訪れることはなかったので安否を確認することなく

一年が過ぎてしまった。

翌年の春、群れは半分にまで減少して花子はアリスに会うことができないまま、

夏を迎えたときだった。いつもなら暖かな光に包まれる平原も曇天のおかげで暗く、

静まり返っていた。

静止した時間が流れていると突然、平原の隣にある茂みから物音がした。

徐々に近づいてくる物音に花たちはリスだと思っていた。

だが茂みをかき分けて正体を現した動物はリスではなかった。

背丈は花より何十倍も高く、二足で歩いていた。

後ろでは同じ姿をした動物が四,五匹現れて花には分からない言語で会話をしていた。

花子は遠くから見ていたがすぐに『人間』と呼ばれる動物だと分かった。

アリスの話に時々、出てくるからだ。

他の花たちは動物が人間と呼ばれていることも知らずに

目の前の出来事にただ唖然としていた。

「隊長、薄紅の珍しい花が咲いていますね」

「高値で売れるかもしれない。摘めるだけ摘むんだ」

話し合っていた人間は四方八方を向いてしゃがみこんだ。

花たちは緊張して見ていると人間の手が花の身体へと近づき、

花は握手だと思って葉を人間に向けて伸ばした。

しかし、人間は葉に触れず、身体を掴むと地面から引き千切ったのだ。

花は栄養を取るために根を枝分かれさせて地面に張り巡らせているが千切られた瞬間、

何本かの根も千切られていた。花は手足をもがれたような激痛が走り、悲鳴を上げた。

他の花たちは衝撃のあまり凍りつき、すぐに絶望の悲鳴へと変化した。

悲鳴は周りへと感染していき、平原は悲鳴のこだまする地獄絵図と化した。

それでも人間たちは聞こえないのか、黙々と花たちを引き千切っていた。

どのくらいの時がたっただろう?いつの間にか、

平原に響いていた悲鳴は泣き声に変わり、

辺り一面の花がほとんど引き千切られたときだった。

茂みから物音がしたのだ。

人間と花子は茂みへと目を向けると遅れてきた人間が姿を現したのだ。

上半身だけ見えていた人間の身体が茂みをかき分けて全身が姿を現したとき、

花子は人間が手に持っていたものに衝撃を受けた。リスの死体だ。

花子はこのとき、アリスが消えた理由が分かった。

アリスが消えたのは人間が殺したからだ。

花子の中で生まれて初めて悲しみと怒りという感情が渦巻いた。

そして人間が花子に近づくにつれて悲しみと怒りが増していき、

花子に触れようとした瞬間だった。

突然、花子の薄紅の花びらが紅に染まりだしたのだ。

人間は一瞬驚いたが引き千切ろうと触れたときだった。

手に痛みが走り、刃物で切られた様な傷ができていた。

花子を見てみると棘が生えていたのだ。

花子の悲しさが赤い涙を流して花びらを紅に染め、怒りが棘を生えさせたのだった。

気づくと周りの花たちも紅に染まり、棘が生えていた。

恐ろしくなった人間はこれ以上、花を引き千切ることを諦めて茂みの中へと去っていき、

二度と現れることはなかった。

それでも花子の悲しみと怒りは治まることを知らず、

美しい薄紅の花に戻ることはなかった。

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