第16話

 夜が更けて、朝になった。またシャンソンに夜が来た。そして、非通知着信が入った。全く待ち望んでいない着信だった。人を嘲るような声が聞こえた。

 三浦の声だった。

「よぉだんなァ。複製されてるかもしれない証拠を盗ってこい、おまけに殺すななんて無理に決まってるだろうが。誰か一人でも生き残ってたらサツに言われてお終いなんだよ。全員やってよかったならガスで吹っ飛ばしてやった。あの野郎チキりやがって」

 いくらでも私だけを殺す機会はあった。だがあの社長は甘かったのだ。私は神に感謝した。

「で、なんだ?愚痴は私の事務所では受け付けてないんだがな」

「いやいや。俺はもうあんたらを狙わないってことを言おうとしてたんだ。安心して暮らすといいや」

「意外と親切だな殺し屋。足の傷は腐らなかったのか?下水道を通っても」

「灼いて塞いだよ。下水の梯子を降りたすぐ。アンタを待ち構えてたんだが、来なかったな。おたくはつくづく運が良い」

 やはり奴の罠だったのだ。

「そういやおたくが奪った俺のコルト・ディティクティブがあっただろう」

 きっとリボルバーの事を言っているのだろう。探偵モデルのリボルバーなんて、一々冗談が好きな奴だ。

「あんたの指紋がべったりだぜ。こいつを警察に届けて、海の中の、組の金を持ち逃げしたやくざの死体を引き上げたらどうなるかな?」

「最初からわざと私に拾わせたのか?」

「ああ、俺が撃った一発以外はダミーカートを込めてな。高いんだよ、モノホンのタマ」

 やろう。私は舌打ちをした。わざと事務所で戦って、負けたふりをして逃げて下水道で仕留めようとした、おまけに私が来なくても、私を嵌める事が出来るようにしていた。

「それで、どうする気だ?」

「そうだな、社長さんの事を黙ってて貰おうか。全ての話は無しだ。もうこっちから、俺や用心棒や社長はアンタや女優、あのバーテンやマネージャー、歌手には関わらないし、そっちからも関わらない。この一件は全て無かったことにするんだ」

「ふざけるな、そんな事出来るか」

「別にやってもいいが、アンタは殺人罪と銃刀法違反だ。無期懲役は確実だろうなぁ。最悪首を吊られる。社長はせいぜい強姦で十年。他で追加されても二十年行くか行かないか。こっちには有能な弁護士もいる。こりゃあアンタやばくないか?俺はタイにでも帰ったら、もう警察にもアンタにもどうしようもないぜ」

 たった一つのミスで全ての歯車が狂った。

「もしアンタがハジキをゴミ箱に捨てなくても、あのバーの姉ちゃんを人質に取れば済む話なんだ。別にあの女をやっちゃいけねえだなんて言われてねえからな」

 スピーカーから笑い声が響く。

「どうする?魅力的な提案だと思うんだが。かわいこちゃん三人は無事で、自分も無事だ。俺も無事だし社長も無事だ。天下太平の世だ」

私は右手の人差し指と中指を額に当てた。

「社長を出せ」

「あいよ、探偵さん。お前はずっと俺が考えた策略に踊らされてたんだ。法律は厳しいんでね。犯罪者にも善良な市民にも」

 彼は電話から少し離れたところでぼそぼそと喋ると、違う男の声が聞こえた。水江だった。

「探偵さんよ。気は変わったかな?」

「何がしたいんだ」

「何ってそりゃあ取引だよ。あんたとあんたの友達が俺をかぎまわってるのは知ってた。そこに俺が目をかけたとびっきりの美人があんたにすがっていった。ならやることはネズミを捕まえて、チーズを俺が食うことだ。でもあんたらにやられちまったからな、痛み分けだよ」

「取引か?」

 私は尋ねた。あまり尋ねたくはなかった。

「今日の夜の二時きっかり、東京港の大井コンテナ埠頭に来い。ヴェラザノ・ブリッジというコンテナ船の前で会おう。ブリッジは橋で、ヴェラザノはブイ、イー、アール、アール、エー、ゼット、エー、エヌ、オーだ。いいか?」

「わかった」

「メモを取らなくていいのか?」

「覚えている」

「そっちは藍原と高岸を連れてこい。みずなと辻はいらない。ペンダントと麻薬の証拠、スマートフォンを持ってこい。こっちは俺と加藤と三浦で行く。お前の拳銃を持っていく。望むなら目の前でテルミットを使って溶かしてやるが」

「あぁ。そうしてくれ」

 吐き気がするような選択だ。

「そういや探偵、お前加藤の散弾銃を知らないか?なくなっているんだ」

「そんな話は初耳だが」

「まぁいい、そういうことだ。警察にいってみろ。お前等全員を三浦がバラしにいく」

「医者は生きてるか」と、私は言った。

「ああ、生きてるよ。探偵、久しぶりに会ったのが、またこういう形とは残念だ。もし俺の味方になっていたなら、好きなだけカネもくれてやって、女も抱かせてやったのにな」

「結構だ。そんな物に価値はない」

「そんな物のために何人が命を落としてると思ってる。じゃあな、探偵」

 電話が切れた。

 私は白い受話器を持ったまま、数秒虚空を見つめていた。ウォルナットの壁に向かって挨拶をした。こんばんは、今日もいい天気ですね。何も帰ってこなかった。

 受話器を軽く置いて、どうしようかと考えた。しかし、思いつかなかった。

 高岸から分けてもらった煙草を胸ポケットから出して、加えた。火は付けず、そのまま加えていた。そのうちにそれに飽きて、煙草をカウンターへおいた。

 グラスの水を飲んだ。空になった。私は、この仕事を受けてから始めて、酒を頼むことにした。

「バーボンをくれ」と言った。

 みずなは目を開いた。目の大きさがいつもの二倍になるほど大きく開いた。

「そんなに危険が迫ってるの」と、彼女は震えた声で言った。

「水江に港の倉庫に誘われた。今日の夜二時。私と、高岸と、藍原が呼ばれた。あっちは水江と三浦と加藤が行くらしい。きっと菊知や三木も張っているはずだ」

「悪人大集合ってわけね」と、みずなは天を仰いだ。

「あと五時間後だ」

 私はバーボンを飲んだ。喉が灼ける。この感覚がたまらなかった。

 そのまま歩いて行って、ドアを開けた。外は大雨で、雷までもが鳴っていた。一メートル先も見えないかもしれないほどの大雨だ。

 店内を振り返った。

 高岸がピストル型のボウガンを整備していた。藍原は静かに酒を呑んでいた。みずなは藍原の正面に座って、酒をついでいた。

 このボウガンは、もしもの時のためだ。

 ボウガンは二丁。私と高岸が持つ。しかし、三浦は必ず銃を持ってくるはずだ。一発撃ったら、弦を引かなければならないし、矢の速度も弾丸の速度に比べれば大きく負けている。消音器付きの拳銃が相手でも、大きく負け越している。加藤の散弾銃は無くなっていると聞いた。それなら、何も持ってこないかもしれない。しかし、何か持ってくるかもしれない。

 水江はリスクを恐れて、何も持たないだろう。

 三浦を先に狙う。

 しかし、加藤の話が本当なら、三浦を撃ち殺すことは出来ない。むしろ私達が逆にやられる。

 藍原は大きな十字架のペンダントを両手で握って、見つめていた。

 彼女がカバーを外すと、複雑な模様が出ていた。鍵も高度になると、抽象画のように見える。中にICチップも仕込んであるのだろう。

 高岸にボウガンの使い方を教えた。ダーツ板にボウガンを撃ち込んでいると、そのうち高岸は全て真ん中に当てるようになった。中々センスがある。

 ウィスキーを飲んで、あり合わせで作られた、チキンのサンドイッチを食べた。

 私達は銃と、酒と、知恵と、勇気と、運を求めていた。銃はなかった。充分なのは酒だけだった。

 そのうちに時間がやってきた。

「気をつけて」と、みずなが言った。

 何回この言葉を聞いたか数えられる気がしない。

 ウォルナットの扉を開けて、駐車場まで歩いた。傘をさす気分ではなかった。下水道を通った後のドブネズミのように濡れた。

 私は店の前まで車を出して、二人を待った。

 藍原は駆け足で、高岸は歩いてインプレッサに乗った。

 エンジンをふかして、走り出した。

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