第12話
ナイトクラブから十分ほど車を走らせた所で、赤信号に捕まった。
後ろの曲がり角から隣の車線に、黒のバン、ハイエースが止まった。
運転席には知らない男が乗っていて、こちらを見つめていた。窓が開いて、声が聞こえた。
「よう、スイスチーズが食べたくなったんだ」
ハイエースの横のドアがスライドして開いた。
私はアクセルを踏んだ。
急発進でみずなと藍原がヘッドレストに額をぶつけ、高岸が指をうった。
「なんなのよ!」と真後ろから声が聞こえた。
スライドしたドアの向こうには三浦と加藤が座っていた。考え得る中で、最悪のタッグだった。手袋をして、巨大な自動式拳銃のようなものを持っていた。グリップ部分にはコードが繋がっている。手元にはこぶのように膨らんでいる部分があり、戦闘用にしては無駄がありすぎる形をしていた。ドラムマガジンが付いていて、そこからベルトが繋がっていた。
前部のマガジン部分を左手で、引き金があるグリップの方を右手で持っていた。
あれは釘打ち機だ。
反動も発射音も少ない。連射も可能だ。通常なら安全装置で、空中には飛んでいかないのだが、改造してあるのだろう。小型のドットサイトが釘打ち機の上に乗っていた。
そして、ストックのようなものが溶接してあり、二人はそれを肩に当てていた。
窓ガラスが割れた。
短く甲高い悲鳴が後ろから聞こえた。横から低い呻きが聞こえた。高岸の右手に小型の釘が浅く刺さっていた。自分も頭を下げながら、高岸の頭を横から押さえつけた。近くを釘が通り過ぎていって、壁に当たって跳ね返って高岸の首の皮を薄く切った。
「釘打ち機だ!頭を下げろ!」
「釘打ち機!?なんでアイスピックといいボウガンといい変な物ばっかり使うのよ!?」
「三浦に聞いてくれ!」
珍しい凶器を使う事で、個性を主張しているつもりだろうか。
アイスピック、ボウガン、メリケンサック、釘打ち機、まるで凶器のファッションショーだった。
連射力はなかなかの物だ。人指し指をせわしなく二人が動かしていた。金属製の雨がトタン板を打つようだった。釘はドアを貫通しなかった。耳鳴りがするほど甲高い音が連続で聞こえる。
私はインプレッサをハイエースにぶつけた。三浦が奥に吹っ飛んだ。しかし、加藤は動かなかった。ハイエースがそのまま押してきた。加藤がガラスに掌を叩き込んできた。釘で穴が開いたガラスが崩れ落ち、加藤は右腕を掴もうとしてきた。なんて奴だ。右腕を振り払った。
三浦が復讐に燃える顔を携え、起き上がり釘打ち機を構える。
一発車内に飛び込んできた。後ろのガラスが割れた。
膝の上のガラス片を拾い上げ、三浦に投げつけた。
三浦が左手で顔を覆った。その隙に車をぶつけ、ハイエースの前に出た。こちらの方が速度が速い。
このままスピードを上げて、振り切ろうとした。
しかし、急に氷の上で運転しているようなハンドリングになってしまった。右の後輪から空気が抜けている。サイドミラーで、三浦がバンから身を乗り出し、釘打ち機の銃口を上に向けてじっとこちらを見ているのが見えた。
どうやら三浦に釘を打ち込まれたらしい。加藤の言うとおり、武器の扱いは上手いようだ。ハンドルを保つことに集中した。揺れは収まったが、ハイエースが追いついてくる。これで速度は互角になってしまった。また釘が飛んできた。窓ガラスが割れた。
「ちょっと、どうすんのよ!」
「まだ死にたくないです!」
「くそっ手が痛いぞ」
三者三様の反応を見せた。
「今考えている」と、私はつとめて平静に振る舞った。
速度で振り切る。釘を打ち込まれた。出来ない。
車をぶつけて、コースアウトさせる。私のケガはどうでもいいが、至近距離に近づいた際に誰かがケガをするかもしれない。
釘が運転席のドアに当たった。
狭い道に入ろう。小回りはこちらのがきく。愛車のタイヤが悲鳴を上げるまでは、の話だった。
しかし私はハンドルを左に切った。狭い路地に入った。だが、車を左右に振ることはできない。釘を避けることは出来ないが、その代わり横付けで射撃されることは防げた。だからここで、奴等を巻く。
釘が本来の目的と外れ、空中を舞い続けていた。しかし、急に止んだ。
バックミラーを見た。ハイエースの上部が開き、バイク用のヘルメットを装着した三浦が身を乗り出した。車は改造されているのだろう、そこまでは思い至らなかった。そして、何かを取り出した。
次に車に撃ち込まれた物はもっと重い音がした。インプレッサに突き刺さった。
それは矢だった。
「弓矢!?」と、藍原が叫んだ。
ボウガンだ。ライフルのような形をしているボウガンだった。150ポンド以上の威力の物だろう。弓矢が戦争に使われていた時代があったが、そういう弓矢の三倍近くの威力がある。
これをドア越しに撃ち込まれたら貫通してしまうかもしれない。前部座席に当たっても、矢が貫通して、私か高岸が死んでしまうだろう。貫通しないことを祈った。
しかし、連射速度は速くないはずだ。堅い弓を引かなければならない。三浦はボウガンを車内へ下げた。
また左へ曲がった。まだ食らいついてきていた。
「撃ってきます!」
藍原が言った。
しかし、外れた。
「ぶつけるぞ!衝撃に耐えろ!」
私は叫んだ。ブレーキを踏んだ。バンに当たった。曲がったばかりだったので、両者共にスピードはそこまで出ていなかった。
ハイエースにぶつかった。轟音と共に、三浦の腹が開口部の縁に叩き付けられた。ボウガンを車の外に落とした。ハイエースの運転手は気絶していた。
私はまたアクセルを踏んだ。巻いた、と思った。しかし、重いものが上に乗る音が聞こえた。
「ちょっと、上!上!」
後ろを向くと、みずなが青白い顔をして叫んでいた。眉が上がりきっていた。
天井から金属が突き出した。二本の大きな鎌の刃のようなものが突き刺さっている。カランビット・ナイフだった。
「てめぇら、殺してやる!」
三浦の声だった。執念深い男だ。まるでホラーだ。サイコホラーに出てくる殺人鬼のような男だ。今度はナイフを使う気らしい。
三浦といい、加藤といい、菊知といい、三木といい、間が悪く、タフで、執念深かった。この稼業をしていたら、いかれた人間にしか出会えない日があるだろうと思っていた。今週はそういう日のバーゲンセールだった。
私はアクセルを踏みきった。
くそっ、という声が聞こえた。自称、両手で握力200キロ以上は簡単には離れなかった。
「また、車来てます!」
サイドミラーで後ろを確認した。運転手が加藤に変わっていた。運転手がどこにもいないあたり、引きずり下ろされたのだろう。加藤は酒を飲んだばかりだ。千鳥足のような運転だったが、しっかりとついてきている。
私は舌打ちをした。しかし、何かが変わるわけではなかった。
三浦がリアガラスに膝をぶつけ始めた。ガラスを割って、中に入ろうとしているらしい。
「なんとかしてよこいつを!」
左右に振って、落とそうとした。しかし、振り幅が少なかった。
大通りに向かってハンドルを切った。三浦は膝やブーツのつま先をリアガラスに打ちつけ続けている。割れるのも時間の問題だろう。もし割れたら、三浦は車内に飛び込んできて、一瞬にして藍原とみずなの首の骨をへし折り、殺すに違いない。その次は私と高岸だ。
大通りに出た。信号を守る気も、制限速度を守る気もさらさらなかった。
右に振って、すぐに左に振った。うめき声が上から聞こえた。
アクセルを踏んだ。また右に振った。後ろから加藤の車が近寄ってきた。加藤がバンで並走するように走ってきた。三浦がバンに飛び込み、ヘルメットをかなぐり捨てた。おぞましい表情をしていた。狩人の目だ。二本のカランビットが私の車に突き刺さったままだった。リアガラスにひびが入っていた。もう少しで割れていただろう。
三浦がエアーコンプレッサーと繋がれた釘打ち機を手に取った。
「頭を下げろ!」
狙いも付けず、滅茶苦茶に打ち込んできた。私達を建築材かなにかと勘違いしているようだった。
頭を下げた。そうすると、赤い筒状の物が助手席にあるのが見えた。これを使おうと最初から思っていた。今が使い時だろう。
「高岸!発炎筒を取って火を付けてくれ!」と、私は叫んだ。
「発炎筒!?何に使うんだ!?」
「いいから早くしてくれ!」
高岸が発炎筒を取り、点火した。私は右手でそれを受け取った。
ハンドルを右に切ってぶつけた。三浦が釘打ち機を持ったまま後ろに倒れ込んだ。
私はバンの中に発炎筒を投げ込んだ。
バンの中に火がついた。
「くそっ火をつけられたぞ!車を止めろ!」
三浦が叫んでいる。
バンはすぐにスピードを落とし、三浦と加藤が車から降りて、逃げた。
三浦はコードから外した釘打ち機とボウガンを抱えている。加藤はバーボン・ウィスキーのボトルを掴んでいた。
二人は立ち尽くし、こちらを見ている。
最後に矢がインプレッサの後部に突き刺さって、それからはもう何も起こらなかった。
遠くで爆発音がした。バックミラーで見ると、バンは燃え上がっていた。三浦がマンホールの中に凶器を捨てているのが見えた。ヒマワリを隠すハムスターのように見えた。二人の車はそのうちに爆発した。太陽のように燃えている。
顔を一目見てやりたかったが、車を止める気にはなれなかった。戦車砲を撃っても、走って追いかけてきそうな二人組だ。
「はぁあああああ、緊張したぁ。なんなのよあいつら。あの三浦とかいう奴、絶対イカれてるわ。あの目、寒気がする」
みずなが息をついた。
「全く、なんなんだあいつらは。悪魔の生まれ変わりか?」と、高岸が言った。
「私は二人をどこまで送ればいい?」
「私はシャンソンまで」
「僕もそこでいい」
二人はそう答えた。私は車を走らせた。
走っている車は私の車だけだった。孤独に走っている。
だんだんと色とりどりのネオンが少なくなって、白一色の電灯が目立つようになった。長い時間をかけて走っていると、シャンソンが見えた。シャンソンの近くには、トラックが一台止まっていた。
車を止めると、二人は車から降りた。
「じゃあ、気をつけて」
「そっちこそ」
別れの挨拶を交わした。今生の別れなんてものではなく、ただ普通の挨拶をした。
二人はバーに入った。
トラックから、運転手が降りてきた。
トラックのような顔をした、中年の男だった。青と白の横縞のシャツを着ている。
彼は私の車に視線を飛ばすと、私に言った。
「その車、だいぶボロボロだな。なんで矢や釘やなにかが刺さってるんだ?」
「私みたいだろう?」
彼は私の顔を見て、口を開いた。
「殴られたのか?大変だな」
「心配してくれてどうも」
男は近くの自販機へ向かって、缶コーヒーを二本買った。
私に一つ差し出した。
「あんたにやるよ。よくわからないが、大変だっただろう」
「ありがとう。恩に着る」
「いいってことよ。じゃあな」
トラックの運転手はトラックへ乗り込み、またトラックを走らせた。
それを飲んだ。傷口に染みた。しかし、それが心地よかった。
私はまた乗り込んで、アクセルを踏んだ。
走り続けた。
闇に溶け込んだ、瑠璃色のインプレッサ。車体はぼろぼろだ。私の体のように。
フランク・シナトラの力強いジャズが車内に響く。
バックミラーに映り込んだ彼女は、頬杖をついて夜の東京を見つめていた。窓の彼方で光が流れる。月が夜に浮かんでいた。
「私は完全に思い出せなかったわけじゃない」
「どういうことです」
「君の顔をどこかで見たことがあるような気がした」と言って、信号を見た。
アクセルを踏んだ。
「君はあの時、そこまで売れてなかっただろう。しかし、あの時の君とは表情が違いすぎた。テレビでよく見るようになってからは、君の表情にはどこか影が差していた」
藍原はバックミラーに映る私を見つめた。
「実は、もっと前からあの社長に最初から脅されていたんです。言うことを聞かなければ、私と寝なければ、テレビに出られなくしてやるって。正直最初からあの社長が噛んでいると思っていました」
「それで、寝たのか?」
「いいえ。でも襲われそうになりました。でもそれで男の人と共演するときに思い出すようになったんです。それで次の映画は大作なんですけど、うまく演じられなさそうで」
私は右眉を深く下げた。
煙草をくわえてジッポーで火を付ける。マルボロの赤い灯火が、私の口の前に現れた。
「私は探偵だ。探偵の仕事は、警察に行けないのっぴきならない事情を抱えている奴の荒事や人に言えないこと、公にしたくないことを担当する。つまり、この世に誰も頼れる人がいない時だけ、私が全てそいつの肩代わりをする、それが探偵だ。浮気調査で女から恨みを買われ刺されかけたこともある。ヤクザと取っ組み合ったこともある。時には命だって張るんだ、そういう仕事だ」
煙草を右手に持ち、ハンドルを握る。
「安月給で人助け。仕事がないときは、二ヶ月たってもルイ13世一本買えやしない。それでもこの仕事をやってるのはそういうどうしようもなくなった奴を救うためだ。私は二十代の後半になってもヒーロー気取りのただの馬鹿だ。持つ物はくたびれたスーツと、ヒーローになるためのトレンチとスコッチ・ウィスキーとこの車、家代わりの事務所、安物のデスクにベッドにソファー、長テーブル、煙草、型落ちのテレビ、音楽プレーヤー、調理器具、ダーツに護身用具。芸能界の社長様なんかに比べたら惨めで見てられないさ」
ハンドルの中の星を撫でる。
「寂しい稼ぎだ。金はない、物もない、未来もないかもしれない。上手い金の稼ぎ方も、まともな生き方も知らない。でも誇りと信念はある。それで金を稼げるわけじゃない。だが、100万ドル積まれても誰にも売り渡しはしない」
不器用を100万ドルで買うような物好きは、この地球に何人いるのか私は知らないが。
「だから私は奴を許さない。奴は女の夢を打ち砕いた。そして君の夢も人生も破壊しようとしている。私はそれを許せるほど心が広い男じゃない。この証拠で奴を牢獄に入れてやる」
私が言い終わった後、フライミートゥザムーンが流れ始めた。
シナトラの声とピアノ、トランペットの音が車内に響き渡る。
月からこの街を見下ろせば、きっと地上の星のように見えるだろう。
夜遅くまで仕事をし、家に帰る。遊ぶ人間もいる。明日を待ち望んでベッドに潜り込む人間や、憂鬱を抱えながら明日に恐怖する者。そういう数千万の人間達の生涯が、この光によって示されている。
皆自分の人生を一生懸命生きている。みずなも、もっとテレビに出るために頑張っていた。それを奴に潰された。藍原も、必死に仕事をしている。きっと芸能活動は、私の想像を超えるような苦労もしなければならないのだろう。それを奴が全てたたき壊そうとしている。
私にはそれがどうにも許せなかった。
煙草をくわえたまま、息を吸うと火に力強さが増した。
藍原は永遠にも思えるような長い間を置いて、曲が終わりかける頃言った。
「私をいつか、いつか月まで連れていってください」
「・・・・・・ああ、いつかな」
「歌も唄ってくださいね?」
彼女は微笑んだ。
こんな美人に微笑まれるなんて、探偵冥利に尽きる。
私はインプレッサを飛ばした。
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