第10話
事務所の下に、四人が集まった。雨は降っていなかった。
私と藍原と高岸とみずながそこで立っていた。
私と高岸はスーツを着て、藍原は同じ服装、みずなは腋が見えるほどの位置で切り落とされた、黒くぴっちりとした服とデニムを着ていた。ポニーテールを下ろし、髪の毛を黒に染めていた。肩より少し低い場所まで髪が下がっていたが、その燃えるような瞳は変わらなかった。白く細い腕が露出していた。
私は煙草を吸い、藍原はペンダントを触っていて、高岸は煙草を吸って、みずなは手を口に当てていた。高岸とみずなは目を合わせて、首をかしげている。
きっと私と藍原の空気の悪さを不思議がっているのだろう。
昔から、あまり味を感じられない舌だった。今もそうだ。
「行こうか」と、私は煙草を捨てて車へ向かった。
自分の相棒のエンジンをかけた。
高岸が助手席に乗って、女二人は後部座席へ乗った。
「渋谷の、なんという店だ」
「エル・パソだ。最近出来て、結構芸能人とかも出入りしてる。ダブステップとテクノを流しているんだったかな。柄の悪い連中もいるが、たぶん今日はいないだろう。水江の知り合いが多いはずだ」
「水江は柄が悪くないというのか?」
「いや、水江と加藤はいる。あの殺し屋も、もしかすると刑事もいるかもしれないな。そいつらが一番柄が悪いと言っても良いんじゃないか」
「そうだろうな」と言って、私は鼻で笑った。
水江と前に会った時も、敵対していた。しかしその時はそんな連中を引き連れてくることはなかった。今度は本気で敵対するつもりのようだ。
ガレージから出して、車を走らせた。
どこも同じような景色に見える。どこまでも続く、灰色のジャングルだ。
この辺りはビルが少ない。しかし、次第にビルや、ショップが視界に入り始めた。
カーナビには、自分の車と渋谷までの距離が表示されていた。もうすぐだった。
目を覆いたくなるほど眩しい光だ。新宿、渋谷。目が火傷しそうなほど、眩しかった。
「ナイトクラブに侵入する方法は考えた」と私は言った。
「高岸は藍原と一緒に、車の中で待っていてくれ。注意は絶対に怠らないでくれ。私とみずなでクラブへ行く」
「私が紛らわせばいいのね」と、みずなが口を挟んだ。
「ああ」と、言った。他に話すべき事は無かった。もしそれが駄目なら、裏口から行くつもりだったし、拳を使う事も辞さないつもりだった。
「従業員の服を奪って、それをみずなに着てもらう。靴につけたガムに盗聴器を仕込むから、それを水江がいる場所の近くに仕掛けてくれ」
「ええ、わかったわ」
渋谷、人類の繁栄の象徴の光が散乱している。人類は何でも作り出した。夜を忘れさせる光も、それを支える電気も、有り余るほどのカネも、どこまでも続くビル群も、ありったけの自動車も、油も、何もかも。
光の裏には影がある。ほんの少し、道を曲がったところにそれはある。夜の街は、危険な街だ。軽い気持ちで路地裏に踏みいれば、死体になっていてもおかしくはない。
私達はこれから影に入るのだ。
欲望が照らした光へ、それによって産み出された影へ。
エル・パソの駐車場へ入った。
私とみずなは降りた。
「気をつけてくれ。何かあったらこれを使うんだ」と言って、私は二人にスタンガンを持たせた。
「ああ、わかってる」と、高岸が答えた。藍原は私を見つめて、目線を切った。
歩いた。
沢山の人の列があった。その根元には二人のガードマンがいた。
最後尾に並んだ。後ろからも人が来て、すぐに最後尾ではなくなった。
そのうちに、私達の番になった。赤のネオンサインで、ELPASOと書いてあった。メキシコの象徴であるイヌワシが、緑と白と赤の三色のネオンで描かれていた。イヌワシ本来の勇猛さは失われていたが、ネオンサインなので仕方がないだろう。
二人のガードマンは、私に言った。
「招待券はありますか」
「ええ、持ってたんだけど、二人とも忘れちゃったのよ。入れてくださらない?色男さん」と、みずながガードマンに迫った。顔を近づけて、鼻が触れあいそうな距離だった。そこまで色男には見えなかったが、その世辞は彼には効いたようだ。
もともと入れるつもりだったのかもしれない。人の良さそうな顔を赤くしていた。
「ええ、どうぞ」と、彼は言った。
扉を開けて、中に入った。
ナイトクラブとは思えないほど静かだ。むしろ、音がしなかったと言ってもいい。暗かったのでよく見えなかったが、建物の内部は紫を基調としていると思われた。
二層構造になっていた。建物の両脇に大きな階段があって、二階にはテーブルや椅子が並んでいる。一階には酒を並べたカウンターがあった。
いつものクラブとは違うのだろう。皆フォーマルな格好をしていた。
正面には大きなホールがあった。普段、そこでダブステップやテクノを流すためのDJが飛び跳ねているのだろう。
しかし、そこにはDJはいない。
代わりに、蒼いドレスを着た黒髪、長髪の女が、マイクを握って立っていた。
辻だ。後ろには、ジャズの楽団がいた。バーと同じ面子に加えて、ドラムが加わっていた。
タイミングが悪い。今日彼女がここにいるのは都合が悪い。もし、顔を合わせて声を掛けられたら水江達が手下を派遣するだろう。
二階を見上げると、レザージャケットを着た三浦が手すりに身を乗り出していた。
辻を見つめている。三浦が顔を上げて、こちらを見たような気がした。顔を伏せた。
三浦は階段を下り始めた。私は尾行や潜入に向いていない。身長が高すぎる。気付かれたかと思ったが、三浦は一番前の席で、歌を聴こうとしていたようだ。彼は赤いソファーに座った。私は息をついた。
「なんで彼女がここにいるの。タイミング悪いわね」
「全くその通りだ。見つからないようにしよう。ところであの手すりの上にいた男を見たか?」
「ええ。あの革ジャンを着た男のことでしょ」
「あれが、私の足下にボウガンを撃ち込んできたり、アイスピックで藍原を刺した男だ。殺しが仕事の男だ。幸い今は歌を聴こうとしているらしい」
みずなは手を額に当てて、ゆがめた口の端から息を吐いて、勘弁してよ、と呟いた。
彼女が自分で作っているカクテルをこぼした時よりも、うんざりした表情だった。
辻が、マイクに向かって話し始めた。
白とも黄色ともつかない色のスポットライトが彼女を照らしている。
「本日は、水江社長の主催するパーティにお集まりいただきありがとうございます。今日は私が歌う事になりました。社長に、招待されたので」
ジャズの楽団が演奏を始めた。音楽を聴く暇はない。彼女がその美声をスピーカーに乗せた。観衆は息をのんで、彼女たちに耳を傾けていた。今がチャンスだろう。
スーツを着た男がいた。ドレスを着た女がいた。店員はどこにいるか、私は首を回して探した。グラスを運ぶ女がいた。黒髪、身長は160センチほど。スリーサイズも近いだろう。これならみずなに着せさせられる。
私達は彼女に近づいて、言った。
「お嬢さん、失礼だがスタッフルームはどこにあるのか教えて頂けないだろうか」
「なぜです?」と、彼女は高い声で答えた。
「連れの知り合いがいるんだ」と、私は言って、みずなに目を配った。
「ええ、そうなの。女の子なんだけど。あたしの知り合い」
「確か、そこに名簿欄があります。ついていきましょうか」と、スタッフが言った。
彼女に案内してもらった。彼女はこのクラブのガードマンのように、まともに見えた。
ガードマンがいない方の、人一人が通れる幅の扉を開けると、紫の絨毯が敷いてある廊下に出た。そのうちの一つの扉を開けて、彼女はどうぞ、と言った。
私とみずなはスタッフルームへ入った。灰色のロッカーが並んでいた。中心に灰色のデスクがあった。奥にスタッフの名前や今日の予定などが書き連ねてあるボードがあった。その上に監視カメラが一台、いぶかしげに私を見ていた。
「そこのボードに名前が載ってます」と、まともな女は私達に向かって言った。
私はスーツを脱いで、ボードへ向かって歩いた。監視カメラに、私のスーツをかぶせた。
みずなが扉にもたれかかり、扉が開かないようにしていた。
私はロッカーを開けて、服を探し始めた。
「ロッカーを勝手に開けないでください」と、女がわめいた。
やはり、合いそうな服はなかった。
私は、女に向かって歩を進めた。女は目を開き、後ろに一歩下がった。下がって、閉まった扉にぶつかった。女はみずなを見た。みずなは首を横に振った。
「すまないな、酒井さん。君の服を貸してもらいたい。彼女に着せたいんだ」と、私は言った。
「コスプレならよそでやって下さい」と、女は声を震わせた。
「頼む。もし頼めなければ、手荒な手段に出させてもらう事になってしまう」
私は彼女に、すまなさそうな顔をした。彼女は諦めたのか、力なく首を縦に振った。
「分かりましたよ。なんでそんな事をしたいのか理解する気もありませんが」
「君は、何も言わずに帰ってくれ。チップだ」
私は、自分の財布から一万円札を抜き取って、彼女に渡した。福沢諭吉が私にさよならと言った気がした。
彼女は喜んで、服を脱ぎ始めた。現金な奴だ。
「出てって貰えますか?」と、彼女が言った。
私は黙って、部屋を出た。
少しすると、私服になった酒井と、スタッフの服を着たみずなが出てきた。
「おおきに」と、女が言った。
「関西の生まれだったのか」と、私は聞いた。
「ええ。じゃ帰らせて貰いましょう」と、女は背を向けて、歩いていった。靴の音が聞こえた。遠ざかるまで、私は顎に手を当てて、考え事をしていた。
私は部屋に入って、スーツを取った。監視カメラにウィンクをしてみた。監視カメラは黙って私を見つめていた。カメラは堅実な仕事をしていた。誰よりも真面目だった。この街で真面目だったのは、カメラだけだ。私も含めての話だ。このカメラを動かしているのは電気で、この街を動かしているのはカネだ。私は部屋を後にした。
腕を組んで、壁にもたれかかっているみずなが、私に声を掛けた。
「それで、この後どうするの?」
「これを付けてくれ」
私はブルートゥース式の小型インカムと、盗聴器と小型カメラを取り出した。
みずなはそれを手にとって、インカムを耳に嵌めた。
「盗聴器はどうするの?」
「靴につけておいてくれ」と、私は言った。
「どうやって」
何も言わずにチューインガムを渡すと、無言で受け取って、口に含んで噛み始めた。
彼女はカメラを胸のポケットから少し出した。
「三浦は上の階からやってきた。きっとそこに水江がいるだろう」
唇に指を当てて、彼女は考え事をしていた。
映像と音声を確認した。問題ない。
私はみずなを送り出した。
「じゃあ、行ってくるわ」
「頼んだ」
扉を開けた。まだ歌は続いていた。時間を確認した。辻の歌が終わるにはまだ10分程度かかるだろう。三浦がどこにいるか、確認した。ソファーに座って、目を瞑っていた。満足そうな顔をしている。こちらには気付いていなかった。
私も、店の端のソファーに座った。
歌が終わるまでは、聞いていよう。
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