第22話
車に乗って、何時間もたった。サングラスと黒スーツ、小指のない運転手に、大使館の近くで下ろしてもらうように言った。そして私は、「小指が無いと不便じゃないか?」と聞いた。
「うるせえ」、運転手は答えた。
そのあと運転手は黙って、そこまで車を飛ばして、私達をおろした。
霧のように酷い、横殴りの雨だった。体が浮くような強い風が吹いている。
車を降りて、歩き始めた。二人とも傘など持っていない。大使館の方を見ると、あの大きなイギリス人がこちらを睨んでいた。どの点を見ても、英国紳士とは到底言えないというわかりやすい特徴があるあの戦争犯罪人の大男だ。
雨に降られたままのイギリス人がこちらに向かって歩いてきた。
「おい、探偵。派手にやったらしいじゃないか」、イギリス人は日本語で言った。
「情報が早いな」
ねずみがいる、それを山根に伝え忘れていたことを思い出した。
「当然だとも。ニュースを見たか?殺し屋?」
「いや、見てないな」、ついに私も殺し屋と呼ばれるようになったらしい。
「港の方で火事があったってな。よかったな。ガンを撃ったことはばれてないらしい。俺としちゃ、お前が刑務所にぶち込まれた方が良かったんだが。ユンはお前が殺したのか?ナイフを持った奴を殺せる奴なんてそうそういない。ま、死んだところでどうでもいい。しょせん黄色だ」
イギリス人はコートの下の、小さなグロックをちらつかせた。というより、服がずれて見えた。ポケットにはクリップがなかった。
「違う。台湾人達と警察が殺した。ナイフは使うのをやめたのか?」、私は聞いた。
「黄色同士の殺し合いか。たまらんね。前は、抜く前に殴ればよかったな。お前みたいな、細い奴なんか一発でくたばらせてやる。だが飛ばされたのが悔しかったんでね。変えたよ。ケイバーの、TDIだ」
白人はコートを開けて、それを抜いた。奇妙な形をしていて、柄と直角に近い角度で刃がついていた。そして、それをまたしまった。
「いいか、俺はこれで二回目のNOを言ったぜ。でかいゴミを捨てに、海まで出るのは面倒だ。まさかイギリス人の俺より日本語が下手だなんて言わせないぞ、NIP」
「忠告どうも、Brits」
白人は背を向けて帰っていった。
私達も歩き出した。
深夜だった。人々は眠り、鳥達は雨を避けるためになにかの下で睡っている。月は、顔を雨で隠している。電灯の明かりだけが道にあった。
月の姫はその素顔を隠している。
月は言った、この街を見続けることはできないと。
私は頷いた。月はそんなことを言わないと知っている。
天使は羽根をもがれて、東京の雨に打たれ続けている。
コンクリートの黒に、電灯の白が反射していた。
背中が雨で冷たかった。雷がどこかで落ちた。
昔は、たった一人を殺したと悩んでいた。少し前は、二人が死んだことに心を深く痛めていた。今日は、二十四人が死んだのを見た。しかし、うまくそれを実感できなかった。
数人を超えてしまえば、そんなものなのかもしれない。
「もうすぐ、あいつの家だな」
「ああ」
「俺はいったいどうすればいい?」
「君には未来も、時間もある。よく考えることだな」
車のエンジンの音が聞こえた。2人とも振り向いた、ものすごい速度で近づいてくる。横に飛んで、2人とも、間一髪で避けた。車はヘッドライトを消していた。後ろ姿を見た。ナンバーにはなにかで覆いがしてあった。黒のプリウスだ。
「なんだありゃ?死ぬかと思った。げっ、またプリウスかよ。いつもプリウスばっかだな」
「轢き殺そうとしていたに違いない」
「誰だよ、今度は」
「私には敵が多い。誰がやってるのかはわからない」
普通に人を殺せば、20年刑務所に入ることになるが、車の事故として主張してそれが通れば7年で刑務所を出ることが出来る。
そのうちに、木村家に着いた。
小鳥遊がベルを押した。ドアが開くと、なだれ込むように2人の少女が出てきた。まだ二人は少女だった。浅井と木村佳奈がいた。
浅井は私のスーツを持ったままだった。
木村佳奈は小鳥遊に抱きついて、涙声を出して、「よかった」と、囁いていた。
「雨は体を冷やす。中に入ったほうがいい」、私は言った。
浅井はずっと泣いていて、言葉がつっかえていた。
「探偵さん、ひっぐ、もう死んじゃったかと思ってた」
ようやく彼女は言葉を絞り出した。
浅井の瞳が濡れた輝きを見せて、瞼を赤く腫らしていた。ずっと手で瞼をこすっていた。彼女の手を軽く指で押さえた。私は首を横に振った。
「まだ心臓はちゃんと動いてる」、私は人指し指と中指で自分の心臓を指した。
私は歩きだした。四人は玄関に入った。
私は濡れたスーツの上を脱いだ。左の前腕の部分の服が切れている。私は傷が残らないタイプだ。これも痕にはならないだろう。何個も服に穴が空いていた。357マグナムを食らって無事なときほど爽快なこともない。服は返り血だらけだ。
玄関の鏡を見た。顔にあざが出来ている。
「しばらく休業だな」と、私は呟いた。
「その穴は?」、木村佳奈が聞いた。
「拳銃の弾を食らった。防弾チョッキがなければ死んでたはずだ。マグナムさ」
「何人が死んだの?」
「私は一人も殺してないが、倉庫で1人、山奥のどこかでユンを含む23人が、合わせて24人が死んだ。ユンが倉庫の1人を、山奥で台湾の元軍人の殺し屋20人を殺した。ユンと仲間の二人は、警察に消された。大事になることはなく、処理されるだろう。警察も噛んでる」
「20?元軍人をたった一人で?」
「そうだ。拳銃とナイフだけでな」
「そう、そんなに沢山の人が死んだのね。でも、貴方達が無事ならそれでよかったのよ」、木村佳奈は感情を込めずに言った。
「ユンが死んだなら、当面の心配は無い訳ね」
「佳奈、そんな言い方ないだろ」
「ユンはあなたを殺そうとした犯罪者で、殺人鬼で、テロリストなのよ?なのに悼んであげるというの?優しすぎるのね。優しすぎては生きていけないわ」
「ああ、かもな。いまだにこの形見とやらを、大事に呑もうとしてる」
彼女はゆっくりと小鳥遊のウィスキーを見た。
「それが、魂なのね。あなたが全て飲むべきよ。私にはそんな権利はない」
そして、大きな溜息をついた。
「あなたが生きててよかった。心から、そう思う・・・・・・ほんとうに、よかった!」
涙声になりながら、木村佳奈は小鳥遊にもう一度熱い抱擁をかわした。
彼女は大人びて見えたが、まだ20だ。2人だけでゆっくりしていてもらおう。
私は先に中にあがることにした。
「あの、これ」、浅井が私についてきて、私が残したスーツを持っていた。
「今着たら服が濡れてしまう。どこかに置いておいてくれ」
「ねぇ、大丈夫だったの?ずっと心配してたんだよ?」
「撃たれても切られても殴られても蹴られても拷問されてもぴんしゃんしてる。気分が逆によくなったぐらいだ」
私はふざけて返した。しかし、それは間違いだったようだ。
「どんな気持ちでいたかなんて、わかんないよね」
浅井は俯いて、スーツを抱えていた。顔は髪で隠れて、見えなかった。そして、スーツをくしゃりと抱いた。
「いいか、私の事は忘れた方がいい。私の事は忘れて眠るんだ」
「忘れられるわけないじゃん!だって、もし私が頼んだからこんなことになって、それで探偵さんが死んだら、いったいどうしたらいいの?私、一生忘れられなくなっちゃうよ」
彼女は腕に力を込めて、震えている。
「君は君の人生を歩くんだ。私の事なんて関係ない。何があろうとただの事故だ。気にする必要なんてない」
「どうしてそうわけわかんないことばっかり言うの!?もっとわかりやすい言葉で喋ってよ」
「気にするな、忘れろってことさ。お嬢さん」
「また子供扱いして・・・っ、だいきらい」、浅井は声を震わせながら、呟いた。
浅井は私の顔に向かって、強くスーツを投げようとして、ためらい、やわらかく投げてきた。浅井はどこかへ、顔をうつむけながら消えていった。私のような半分裏稼業の人間に関わるべきではない。用が済んだら、知らない顔をするべきだ。
私はまだ歩こうとした。しかし床が濡れている。
「シャワーを借りてもいいか?」、私は聞いた。
「どうぞ、英雄さん」、木村佳奈が後ろで答えた。
「ありがとう」、私は言った。
またこれで、しばらくゆっくりできる。
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