第21話

 私はまた目覚めた。本日何度目かのおはようを、見えない空へ言った。

 あたりを見回した。ユンだけがいて、他の二人はどこかへ行ったようだ。奴は台所で背中を向けて水を飲んでいる。残念ながら、悪夢ではなくまだ囚われのお姫様だった。手首が痛む。バンドを爪でこすったり、力を入れる作業を再開した。もう少し切れ目が入れば、捻り千切れるはずだ。結束バンドの強度までには、頭が回らなかったらしい。

 机の上にはパイソンがあった。弾が抜いてある。ナイフはユンが持っていた。

 ユンがこちらを向いた。両方の白目がぞっとするほど赤くなっていた。

「目が醒めたらしいな」

「どうも。子守歌を歌って、寝かしつけてくれたらしい」と、私は言った。自分のジョークのできばえに感心した。

「ふざけやがって」

 ユンはまた後ろを向いて、水を飲んでいた。手に力を入れた。切れ目が広がっていくのを感じた。

 しかし、奴は大型のナイフを持っている。パイソンには弾がない。奴がナイフを手放すまで、待たなくてはならない。

「二人はどうしたんだ?」

「さぁな」

 もうこれで、後はいざというときに少し力を入れれば切れるようになった。ようやくゆっくりと辺りを見渡す暇が出来た。

 殺風景な場所だ。

 深い虚無に包まれた場所だ。ここで死ぬための訓練をする。絶望と復讐だけが残っている寂れた家だ。

 コンクリートの灰色ばかりが見えた。照明は寂しい裏路地のように薄暗い。

 街は色々な顔を持つ。私からは怒りと哀しみしか見えなかった。

「もうすぐお前を殺さなくちゃならない」、ユンが言った。

「お前が本当に殺したいと思っているのは、私じゃなくて自分のことじゃないのか?盛大な自殺に付き合わされる人間のことを考えたことがあるのか?」

「知ったことか。ウィスキーをやるか?響の30年だぜ」

「結構だ」

「おいおい、あと数十分でお前は死ぬんだぜ。今更頭の出来にこだわんのかよ」

 私は何も言わなかった。ユンがボトルから直で飲んだ。

 私は何故か急に面白くなってきて、大笑いをした。

「気でも狂ったか?」、ユンは眉をしかめた。

「もっと前から狂ってるさ」、私は言った。

 ユンが歩いて行って、部屋の開口部から誰かに呼びかけた。何も返事が返ってこなかった。

「おい、チン、おい?」、ユンが言った。チンの返事はない。

 銃声が四発聞こえた。違う銃声が一つ、同じ銃声で、二発は纏まって、一発はその少し後に。胸に二発撃った後、頭を撃ち抜く射撃ドリルのはずだ。モザンビーク射撃。拳銃を扱い慣れている人間の撃ち方だ。チンが一発撃ったはずだ。

「クソ、殺し屋か?」、ユンがパイソンを取って、スピードローダーでパイソンに弾薬を込めて、テーブルを蹴倒した。ユンが斜めに顔を出して、パイソンで狙いをつけていた。

 ドアから何が入ってきたかは、驚くべき物だった。

 頭から膝まで隠れるほどの大きさの防弾シールドを持った人間二人と、後ろから三人がついてきた。全員拳銃を持っている。

 前の一人がパイソンですねを撃ち抜かれて倒れた。もう一人も、すぐにすねを撃ち抜かれて、膝をついた。シールド持ちに躓いた後ろの人間をユンが二発使って撃ち抜いた。男は卒倒した。もう一人も、ユンに二発撃ち抜かれた。ユンはパイソンを置き、ナイフを出した。

 残りの一人は拳銃を構えて、少しずつ机に近づいていった。男はパイソンが弾切れだと言うことを知っている。ユンが飛び出した。

 男がユンに撃った。防弾チョッキに止められている。男がユンの腹を蹴り止めた。ユンが頭に向けられた拳銃をかわしながら、両手で挟み込むようにナイフを振った。指が切れて、拳銃が落ちる。ユンがフックのように首に向かって、突いた。男が突きをうけた。男がユンに向かって繰り出した右の掌を、ユンは左手で払った。すぐに男の両手首を薙ぐように切った。ユンが姿勢を低くして、男の膝の上の筋肉を滅多切りにして、膝の裏にナイフをかけて押し転ばせた。そして逆手に持ち替えて、両手を回すように胸を滅多刺しにした。男の腕と胸から血が噴き出している。

 ユンは拳銃を拾い、倒れた人間の頭を撃ち抜いて始末した。一人が拳銃を拾い上げ、ユンの肩を撃ち抜いた。ユンはすぐに拳銃を蹴り飛ばして、喉を踏みつぶした。

 私はユンの力にぞっとした。こんな奴と戦っていたのか。

 拳銃は、やくざや警察の貧弱な拳銃ではない。私が知らないだけで、そういう連中がいるのかもしれないが。全部、ベレッタ92で統一されている。9㎜弾が15発入る。

 そして敵の拳銃を二丁拾ってポケットに突っ込み、ナイフは持ったままで、そのまま出入り口の脇にいて次を待ち構えていた。

 殺し屋の銃を拾うには遠すぎた。その間に撃ち殺される。

 次の男達が足音を立ててやってきた。

 ユンが最初の一人が構えていた拳銃を、左手で下に押さえて、一人目の男の喉を水平にかっきった。そのまま最初の男を次の男にぶつけた。

 次の男が拳銃を手だけ出して撃とうとした。ユンが屈んで、二人目の男の股間を刺した。すぐに抜き、三人目に襲いかかった。三人目はナイフを抜いていた。

男がユンの首を狙って、斬りかかった。ユンは左手で腕を止めて、すぐに男の手首を切った。男がナイフを落とし、ユンは男の腕を抱きかかえて、首を切った。ユンがくるりとまわり、四人目にぶつけた。ユンが頭を振って拳銃を避けた。そして腕を掴み、手首を切った。拳銃が落ちる。ユンが喉をナイフで突いた。そして、腕を首に、脚を頭にかけ思い切り投げ倒して後頭部を叩き付けた。

 最後の一人がナイフを抜いた。

 鎌のようなナイフ、カランビットナイフだ。

 ユンが下がって、左で拳銃を抜いて、撃ちまくった。男は防弾チョッキをつけたまま、突っ込んできた。ユンが拳銃を捨てた。

 男が斜め下からユンの肘を狙って切り上げた。ユンが手にナイフを合わせた。男の前腕が切れる。男がユンの手をナイフの手で払って、左手で押さえつけた。男がパンチのようにカランビットを繰り出した。ユンが左手で手首を受けた。男がくるりとナイフを回して、ユンの前腕を切った。ユンが手首を掴んで、ナイフの手をずらした。そして頭突きをした。男の左のパンチをユンがナイフの手で受けて、すぐに首をかっきった。そして手首を切ってナイフを落とさせ、そのまま喉に肘を打ち込み足を掛けて、後頭部からたたき落とした。そして、両足で跳んで、頭を踏み砕いた。3回目で、男の頭蓋骨が砕け、脳味噌が飛び散った。

 ユンが残りの拳銃で1人1人の頭を丁寧に撃ち抜いた。ひとりが拳銃をユンに向けた。ユンが拳銃を蹴り飛ばして、頭を撃った。

 目の前で訓練された十人の、殺し屋が一瞬で消え去った。

「話にならん」、ユンが言った。

「こいつらKCIAじゃないな。マフィアの殺し屋だ。諜報部の連中はこんなやわじゃない」

 ユンはそこら中に散らばった拳銃と、そのマガジンをかき集めていた。

「おい、戦力は多い方がいいんじゃないのか」

「その手には乗らん」

 もう手の拘束バンドはちぎれていた。問題は、マフィアの殺し屋とユンの戦いを最前線で観戦しなければならないと言うことだ。出て行ったら、両方から蜂の巣にされる。

 そして、どちらが勝っても殺されるかもしれないと言うことだ。

 今は椅子に座って、ユンが拳銃を向けてきたら机を蹴り飛ばして、盾にはならないだろうが、机に隠れる。

 ユンが出入り口から一瞬だけ顔を出した。

 銃声、ユンが銃だけ出して撃ち返す。一人の悲鳴が聞こえた。

 奴は防弾シールドを拾って、全ての拳銃をかき集めた。百発近くは撃っていられるはずだ。拳銃をユンが撃ち続けた。防弾シールドに弾丸が弾かれ続ける音がする。悲鳴が聞こえる。撃ちきったら、捨てて別の拳銃に変えている。合計で五人分の悲鳴が聞こえた後、あたりが静寂に包まれた。

 ユンが防弾チョッキを着て、拳銃をリロードした。

 また敵の五人が突っ込んできた。全員ナイフを持っていた。

 一人がユンに向かってナイフで思い切り突いた。ユンが避けて、手首を切った。相手のナイフが落ちる。ユンが腕を抱きかかえた。他の一人が後ろから突っ込んだ。肘を決めながら、男を後ろの男にぶつけた。ナイフが男に刺さる。ユンが二人を蹴り飛ばした。次の一人がユンの腕を狙って切りつけた。ナイフでユンが相手の腕を流した。相手がナイフで突いてきた。ユンが避けて手首を切った。ユンは相手の脇に回り込み、脇を刺して、そこから後ろに回り込んだ。腎臓を刺した。男が力の限りの叫び声を上げて、気を失った。

 そのまま男を違う男に向かってぶつけた。立っている一人の肘を切りつけて、股間と肝臓と首を一瞬で刺して、崩れ落ちさせた。

 ぶつけられた二人が立ち上がった。二人がユンに向かって飛びかかった。ユンは横に避けて、最初の一人の頭に腕を巻き付けて一瞬で倒した。残りの一人が刺そうとした。ユンは避けて、胸にナイフを突き立てた。ナイフから手を離し、掌で顎をかちあげ、卒倒させた。そして、そのままにした。

 最後の一人が立ち上がって、ユンの股間を刺そうとした。ユンは手首を掴んだ。男の目に親指を突き立て、壁に後頭部を思い切りぶつけた。男が目から血を流して、崩れ落ちた。そして、喉をつま先で蹴り潰した。心臓に刺された男がゾンビのようにユンに飛びついた。首の裏に肘を落とし、男の頭を抱きかかえた。くるりとまわし、相手を仰向けにさせて、体を跳ねあげた。鈍い音がした。首の骨を折ったらしい。男はもう動かなくなった。

 20人の命の灯火が消え去ったのを見た。あたりが鉄のような臭いに包まれている。血の臭いが酷かった。次は私を狙いに来る。ユンはナイフを肉の鞘から抜いた。

「どうやら、お前の望みは絶たれたようだな」、ユンが血だらけの顔と体で言った。

 ユンがこちらに歩いてきた。拳銃を敵から奪ったホルスターに納めて、大きな血まみれのナイフを持っていた。ナイフを自分の腕で拭って、近づいてきた。

 机を蹴り飛ばした。ユンが倒れた机でよろける。私は立ち上がって、椅子を手に取った。

 ユンの目が驚愕で見開かれる。ユンの頭をどやしつけた。ユンがナイフで突いてきた。椅子の座る部分で受けて、椅子を捻った。椅子にナイフが刺さったまま、ユンの手からナイフが離れた。椅子を投げ捨てた。ユンが拳銃を抜こうとする。飛びついた。銃が至近距離で炸裂する。鼓膜が鳴った。腕を抱きかかえ、肘を決めて体重を掛けてそのまま押し倒した。ぼくっという音と共に、ユンの右肩が外れた。拳銃が落ちた。拳銃をはるか遠くまで蹴り飛ばす。左のきついパンチが股間に飛んできた。ぞっとする悪寒。うまく入りすぎてしまったらしい。

「くそ、バンドを切りやがったな」、ユンが呟いた。

 痛みにもだえていると、ユンは叫びながら、すぐ近くの壁に走って行って肩をぶつけた。ユンが椅子からナイフを逆手で抜いて、右肩を回した。

「ケーセッキ、ヨルパッタ!」、ユンが叫んだ。

 私も何とか立ち上がった。この殺人鬼の軍用大型ナイフを止められる気がしなかった。

 ユンがナイフを順手に持ち替えた。一番近い拳銃は私のはるか後ろにあった。

 ユンが飛んで、肘に斬りかかってきた。避けた。下から登ってくるナイフを腕で止めた。ユンが私の手を押さえてきて、喉に振り下ろすように斬りかかってきた。手首を掴んだ。右の指を揃えて、本気で右目を突いた。そのまま膝で腹を打ち上げて、靴で蹴り押した。もう奴は20人とやりあって手負いだ。

 ユンの右目から血と涙が流れていた。瞼の一部が千切れて、垂れ下がっていた。眼球が丸くではなく、少しへこんでいた。黒目が変色している。眼球が破裂したらしい。気分が悪くなった。

「お前、俺の右目を潰しやがったな」

 また向かい合った。

 そのとき、破裂する音が何発も聞こえた。一つは低く、大きな音だった。

 私は後ろに飛んで、その後そちらを見た。三人が銃を持って、入ってきた。前の一人はショットガンだった。後ろの二人は拳銃だ。全員腰に何か銃とは違う物をぶら下げている。大型の刃物だ。

 ユンがそちらを見た。

「Don't Move!Gook!」、ショットガンの男が日本語訛りで叫んだ。どこかで聞いた声だった。

 ショットガンのフォアエンドが引かれて、動作音と薬莢が落ちる音がした。銃と叫び声の後に作られた静寂の中で、その薬莢が落ちた音だけが響いた。

 先頭は佐野だった。後ろの二人は、菊知と山根だ。ショットガンは見た目で区別しづらいが、多分レミントンM870で、後ろの二人はベレッタ92を構えていた。菊知は片手で、山根は両手で。

 佐野は腰にマチェットを、菊知は胸に大型のナイフを、山根は小型の日本刀を下げている。全員防弾チョッキを着込んでいた。

「持ってろ」、菊知が拳銃を山根に渡した。

 山根は怪訝な顔をして、拳銃を二丁持ち、腕をクロスさせて片方の腕の上に拳銃をのせて、じっと狙いをつけていた。

 菊知が前に出て、そのナイフを抜いた。M9銃剣のような見た目だが、着剣装置も背の鋸刃もない、30cmはある大型の黒いナイフだ。

「俺が殺る。お前等は待ってろ」、菊知が言った。

「おい、こいつはつええぜ。とっとと撃ち殺した方がいいだろう。ポン刀持ってたってやり合う気はしねえよ」

「こいつをこの手で殺したくなった。ナイフで切り刻んでやる。銃は肉質が悪くなるからな」

「悪いですがね、人質に取られたら先輩ごとこのチョンを撃ち殺させてもらいますよ。借り物のショットガンですから、散弾リングがどう散るか知りません。二人とも頭が吹っ飛びます。頭がなくなるか、真後ろにぶっ倒れるまで撃ちますよ。あいつはやばい。見ましたでしょう、防弾チョッキと防弾シールドと軍用拳銃とナイフで武装した台湾軍上がりのプロの殺し屋20人を一瞬で殺しちまったんですよ。今だって、探偵とこいつがやりあってなけりゃ、こっちがやられてたかもしれない」

「構わんよ。もしそうなら、時が来ただけだ」

 菊知が前に出た。他の二人はずっとユンに銃を向けていた。

「おい、韓国人。構えろ。日本語は分かるか?」

「チョッパリ、お前を殺した後、そこの二人も殺してやる」、ユンが叫んだ。

 菊知は新宿で見たときと同じ構えをして、ユンはナイフを持った手を前に出した、フェンシングのような構えだった。左手で喉を防御している。二人がじりじりと近寄っていった。二人の動きが止まった。まるで時間が止まったようだった。長い時間がたった。

  互いに回り始めて、腕をゆらしている。

菊知が飛び込んで、ユンのナイフを持った腕の内側を切り上げた。ユンのナイフが落ちる。そして下から上に向かって刺した。ユンが菊知の腕を両手で掴んで止めた。菊知がナイフを持ち替えて左で脇に刺した。ユンは肘で手首を弾いて、腕を抱きかかえた。ごきりと音が鳴る。肘が多分外れたのだろう。ユンが親指を菊知の目にねじ込もうとする前に、菊知はユンの首に近づいた。

 次の瞬間鮮血が吹き上がった。噛みきったらしい。

 菊知はユンの左目を指で突いた。ユンが離れた。菊知は右手でナイフを抜き、みぞおちに体重を掛けてねじ込んだ。

「スーツはお買い換えだな」

 ユンの首から血が滝のように噴き出し、ユンが仰向けに倒れた。菊知はしばらく首から出るシャワーを飲み込んでいた。その後、それを飲み込んだ。そして首にかじりついて、穴を広げていた。菊知の顔とスーツが血で真っ赤になった。何もしなかったかのような顔で、血を拭き取った。そして、肘をはめた。

「この韓国人の肉、なかなか旨いじゃないか。こいつを捌いて食べよう」

 佐野が拍手をした。

「いやあ、素晴らしい。まるで侍みたいだ。これぞ武士道だ。俺もマチェットを使いたかったですね。ただし、食べるのは遠慮させてもらいます」、佐野が言った。

「もうちょっとマシな殺しかたはねえのかよ」、山根が呟いた。

 ユンの目は空洞のようになっていた。ぴくりとも動かなかった。

 二人は拳銃を納めていた。

 私は立ち尽くしていた。

「この男は死ぬ事が決まっていた。全ての勢力が死ぬ事を望んでいた。警察、諜報機関、マフィア、やくざ。わかるか?お前がこいつを助けてこいつが逃げ延びようと、こいつは死ぬんだよ。沢山の殺し屋に狙われて、死ぬ。持って10年だな。ま、人間なんてどう生きようと80年で死ぬんだがな。必死に死から逃れても、どうあがいても、人間は死ぬんだよ」

 くそ、と私は呟いた。

「しかし、よく殺せましたね」

「銃だったら、奴が手負いじゃなきゃ全員撃ち殺されてただろうな。だが、世の中は強い奴が勝つんじゃなくて勝つ奴が勝つように出来ている」

 菊知と佐野がユンを引きずりあげて、私の机の上に置いた。

「これから三分クッキングを魅せてやろう」、菊知が笑った。

 佐野が口笛を吹き始めた。

 マフィアの殺し屋の仲間が、フル装備で調理器具を持ってきた。もう合計で六人しかいない。

「心臓はわざと刺さなかったんだ。人間を食べるときに刺す時は心臓をやっちゃあいけない。血抜きもしづらいしな。人間の心臓は700カロリーもある。脳を食べると、プリオンがあるからおすすめしない。人間は長生きしているから、色々な毒物をため込んでいる。肺は、酒を呑んでる奴は肝臓はだめだ。消化器官も数十年分の体液が染みこんでいる。あまりおすすめしない」

 菊知がユンの口の中を見た。

「こいつ、煙草吸ってるな。歯がヤニの色をしている。頬と舌もダメだな。しょうがない、胸と腕と足と尻と心臓にしよう。おい、大鍋に火をかけろ。寒くなってきたし、鍋にでもしよう」

 山根が舌打ちをした。

「気分が悪い、俺は外に出る」、山根は立ち去った。

「医食同源と言う言葉は中国から来たんだが、中国での意味は肝臓を食べると肝臓にいいということだ。人肉まで行くのは稀だが、おかげで俺は至って健康だ。四千年だかしらんが、悪くない」

 マフィアの連中が中国語を喋った。何か歓声を上げている。

「大学で中国語を取ったから、ちょっとはわかる。奴さん達は喜んでいる」、菊知は皮を剥ぎながら言った。顔に表情はない。ただ赤いだけだ。

 胸の皮がべろりと剥がれた。

「こいつは死んだんだよ、お前に出来るのは、ただそのクソみたいな顔でおうちに無様に帰るだけだぜ、ははは」、佐野が眉をしかめ、酷薄な薄笑いをした。

 肉がえぐられて、肋骨がむきだしになった

 中国人か台湾人が、たどたどしい日本語で言った。

「ミスター、ボスは首を要求してイル。頭は残してくだサイ」

「頭が必要か?チャイニーズ」、佐野が言った。

「オレタチは台湾人だ」、マフィアが言った。

「だったらコミュニストにミサイルを売るなよ。ミサイルをシナや北に売るなんて気に食わんね。だがコイツの首はチョンコンに売ったクソ野郎か朝鮮人しか喜ばねえもんな。気に食わんぜ」

「ソレはワタシもそう思います。ワタシはコミュニストが嫌いです。しかしカネのためなのです」、台湾人が言った。

「カネが入るからな。まぁいいだろう」、菊知は解体を続けていた。もう肉を切り分けている。

 佐野はショットガンを机に立てかけ、60cmぐらいのマチェットを腰から抜いて、振り上げた。

「お前達は、昇進のためにこいつを追ってたんじゃなかったんだな。カネのためか」、私はようやく口を開いた。サイコホラー映画を目の前で見ている気分だった。吐き気がこみ上げてきた。

「昇進なんて確定してるからな。俺達はエリートだ、あとはカネだけだよ」、佐野が両手で思い切りマチェットを振り下ろした。二回目、三回目で首が落ちた。

 ユンの首がごろりと転がった。

 佐野がユンの首を拾って、台湾人に投げた。台湾人は重そうにそれを受け取った。

「アリガトウごじぇます。ワレワレはあなたがたニホンポリスの協力に感謝しています。タイワンとニホンの協力を祝して」

「日本を滅ぼすテロリストの除去を祝して。だがもう東京には出来るだけ来ないでくれよ。凶暴なのは御免だ」、佐野が鼻で笑った。

「ワレワレは90年代に日本を追い出されました。ニホンの警官二名を射殺してね。もうそこに中国人が入ってきて、ワレワレの入るスペースはありませんよ。しかもたった今最高のヒットマン20人を失いました。ワレワレまで死ぬ所でした。ワレワレはしばらくこの打撃から立ち直れないでしょう。それでは。約束のカネは現金で」

「ちゃんと円で耳を揃えて、だぜ」

「わかっています」

 台湾人のボスと二人が、ユンの首を持って部屋を後にした。残りの三人は部屋に残っていた。佐野がユンの腕を二本とも落とした。そして足首を切り落とし、足にマチェットを何度も叩き付けた。机にマチェットが食い込んだ。

「おい、机ごと解体する気か?」、菊知が首をかしげて佐野を睨み付けた。

 佐野はこちらを見た。

「何見てるんだ?ああ?」、血まみれの佐野がマチェットを手にしたまま、こちらに近づいてきた。台湾マフィアの人間が私にベレッタを一斉に向けてきた。

「こいつさえあれば、お前を殺せるな」

 佐野はマチェットを振り払った。血が飛んできた。そのあとバトン・トワリングのように手首だけでそれをくるりと回した。

「お前は俺達に助けられたんだ。感謝して欲しいもんだな」

 男が口を引き裂くように笑った。

「そうだ、ユンの肉をこいつに食ってもらおうぜ」

「それはいい考えだ」

 佐野がユンの切り落とされた腕を掴んだ。長袖にマチェットを入れて、服を切り裂いた。皮を入念に剥いで手首を落としていた。そのままマチェットを刺し、腕をコンロの火にくべて焼いていた。私はずっとそれを見ていた。三人の台湾人はずっと私に銃を向けていた。佐野は手首から指を切り落として、指を鍋に投げ込んだ。

 そのうちの親指を持って、「Hi,Sam!What'sup?」と裏声で言って、親指を動かした。

「Yung is dead! I'm so sad!HOHOHO」、佐野は泣き真似をした。台湾人達が笑った。

「This is real hand puppet.」、そして、親指を投げ捨てた。

 次に切り落とされた手首を持って、台湾人に投げつけた。一人が受け取って、噛みついた。台湾人は顔をしかめて、佐野に投げ返した。

佐野は手首を持って振った。大鍋に手首を投げ込んだ。

「不味いのか?」

 台湾人は頷いた。そして台湾人は腕を指さした。佐野はマチェットを取り、生焼けの腕を投げた。台湾人はかじりついて、何度か頷いた。

 台湾人は私に、その腕を渡してきた。そして、ベレッタのハンマーをかちりと上げて、私に向け直した。

 食べろ、ということらしい。私は台湾人を睨み付けた。台湾人が強烈な蹴りを私の腹に打ち込んできた。

 私がよろけると、他の台湾人が腕に組み付いてきた。つまり、三人に腕を取られて、膝裏を蹴り崩されて膝立ちにさせられた。

 佐野がにやりとして、腕を拾い上げた。ぐちゃりと音がして、佐野が後ろを向いた。向こうで菊知がどろどろとした大量の腸を引きずり出して、地面に捨てていた。

 佐野が大爆笑した後、「これ、使ってもいいすか」と言った。菊知は「好きにしろ。男の腸は食わん」と答えた。

 佐野は大腸を拾い上げ、一番太いところを適当な長さで切断し、肉がむきだしの腕を腸の中に入れた。残りの腸を踏み付けた。

「特製ボロニアソーセージだぜ、食えよ」

 焼かれた腕を生の腸で包んだ棍棒で私を殴りつけてきた。後ろで肝臓が掲げられていた。肝臓は調理台の上にのせられていた。前腕の骨がよく見えた。

「Hey,Taiwanese.Open his mouth.」、佐野が流暢な英語で言った。

 台湾人が口を開けさせてきた。すぐに佐野が私にその腕を突っ込んできた。

 消化液の臭いと味で吐き気がすぐに上がってきた。顎がぎりぎりで、吐き出そうにもはき出せない。

「こいつは傑作だぜ。男の腕と腸をフェラしてやがる」、佐野が笑ったあと、菊知もつられて笑った。

 台湾人の手を振り切って、腕を口から引きずり出した。

 私は咳き込んだ。台湾人が手を離していた。私の頭には血が上っていた。

 佐野にタックルをかました。佐野が仰向けに転んだ。ぐるぐると回りあって、私が上になった。佐野の顔に拳を叩き込んだ。しかし、発砲音がして、近くの床が削れた。佐野が私を押し飛ばした。

 菊知が撃ったらしい。

 二人とも立ち上がった。

「助けに来てやったのに殴り合いか。腕の肉だってうまいと思うが」、菊知は言った。

「なぜここがわかった。そしてなぜ助けたんだ」

「お前が殺されるとカジノで困る。場所はあのガキが伝えた。さぁ出てけ」

「人のことをなんだと思ってる。こんな風にして」

 床には胃から腸までの消化器官が転がり、机の上には首と手足を落とされ腹を割かれたユンが横たわっていた。腸で包まれた右腕が目の前に転がっていて、残りの手足は台の上にあった。血だまりがそこら中に散乱していた。頭と手足がなくなると、人間は小さく、無力なものだ。獣のようだった男が、今では出来損ないの人形のようだ。

「俺も含めて、生きる価値のないゴミだな。前も言ったろう。さぁ帰れ」

 私は台所まで行って、響の30年を取った。ボトルに口をつけず、ウィスキーを注いで、口をゆすいで吐き出した。そしてそれをそのまま取って、部屋を後にした。

後ろを見ると、心臓が掲げられていた。

 台湾人達の大量の死体と血だまりを越えた。彼等も処理される。皆処理され、ばらばらになる。証拠は残さない。

 呼吸の音は聞こえなかった。

 少し歩くと、チンの死体が仰向けに倒れていた。心臓に二発、眉間に一発を撃たれていた。モザンビーク、文句なしの殺しだ。ジェフ・クーパーも褒めてくれるだろう。チンの包丁を引き出して、開いた瞳孔に包丁で薄暗い中の一つの光を反射させて当てた。

 ぴくりとも動かない。瞼を閉じてやった。

 そしてまた歩いた。

 違う男の死体があった。これはバットの男だ。膝を畳んだまま後ろに倒れている。首に線状の痕があって、血がにじんでいた。後ろから膝の裏を踏まれて、膝立ちにさせられてから、ワイヤーで絞め殺されたのだろう。一番静かな殺しだ。

 また目に光を当てた。反応はない。脈もない。包丁を彼の胸元に置いた。

 台湾人達も手練れの殺し屋だったが、ユンの前では散った。

 私はそんな男と戦っていたのだ。しかし、ユンも菊知の前では一瞬で刺し殺された。

 この街には世界で最も危険な男達が集まっているらしい。

 私は外に出た。山と、沢山の木が見えた。木が沢山集まると、森と呼ばれる。

 そして、山根が小鳥遊に何か話しかけていた。山根の腰に日本刀がぶらさがっていた。煙草は雨で濡れて、彼はくわえていただけだった。

 小鳥遊は私に近寄ってきた。

「おい、大丈夫だったか、いやひどい顔だ」

「きついパンチをもらった。君のおかげで助かったよ。いつの間に逃げた?」

「皆が逃げた時に。それで、その後木村さんの車でユンの車を着けて、場所がわかった。車は二台用意してたからね。嫌だったけど菊知を呼んだんだ。普通の警察じゃあんたが捕まっちまうから」

「ユンは、死んだ」

「くそっ。あいつに頼んだとき、ユンがこうなることはわかってた。俺も人殺しだ」、小鳥遊が呟いた。小鳥遊は手に折りたたみナイフを持って、刃を閉じたり開いたりしていた。

「あいつは、千人以上の人間を殺し、世界大戦を引き起こそうとしていた、気に病むな。もしあいつがテロをしていたら、いつかは誰かに殺される。仕方の無いことだ」

怒りは哀しみを忘れさせる事が出来る。相手が悪人だと思うことは、哀しみを忘れさせるための一つの手段だ。

「もし、あいつがテロをしようとしてなかったら、俺に佳奈がいなかったら、あいつに着いていってもよかった」

「考えるのはよせ。消されるぞ。着いていった二人は殺された。チンも、知らない誰かも殺された」

「あいつは岡田圭一という名前だ。チンはチン・ハオユーと名乗っていた。ユンは最後まで本名を言わなかったな」、小鳥遊は喋った。そして、急に息をついた。

「今こそは振り払うべき面影の数々。何故に、心に浮かび、我が物にもあらぬ、過ぎし歓びの影。何故に、新しく胸によみがえる」

 どこかで聞いたことがある詩だった。それを彼はずっと呟いていた。

「我が希うは―――ただ忘却」

 小鳥遊はそれきり黙った。バイロン、と私は心の中で呟いた。

 山根が加えていた煙草をしまった。

「こういうもんさ、世の中ってのは。だから忘れろ。迎えの車はよこしてある。さぁとっとと家と女の所に帰れ。清掃屋が大勢やってくる。邪魔だ」と、山根は言った。

 クラクションが鳴った。黒いバンが目の前につけてきた。

 小鳥遊がドアを開けて先に乗り込んだ。私も乗り込もうとした。しかし、後ろから声をかけられた。

「お前、よく生きてたな。20人とあのユンを相手にしたんだろ」

「一応1回はユンもノックアウトしたんだが」

「とどめは刺せよ、甘ちゃんだな」

 私はそれには答えなかった。

「私のマカロフは岡田が持っている。絞め殺された奴だ。回収しておいてくれ。それとユン一人に18発も使った。もっとマガジンと弾が必要だ。それに2回もジャムを引き起こした。あいつは頭蓋骨で銃弾を弾いた」

「頭蓋骨で銃弾を?化け物かよ」、山根が目を見開いた。

「奴相手に18発で済んだのが驚きだな。マガジンと弾は増やしておこう。しかしジャムはどうにもできないな」

「あのカジノについてる白人は多分もっと銃が上手いぜ」

「冗談だろ、皆殺しにされちまう」

「ユンは武器庫に狙撃用のライフルとカスタムされたM16とそれ用の銃剣も持っている。役に立つぞ」

「M16?ライフル?戦争でもするのか?なんでそんなものが」

「それで最後の一花を咲かせようとしていたらしい。首相の頭を吹っ飛ばすつもりだったみたいだ」

「薔薇の花か。泣かせるねぇ」

 私は車に乗り込んだ。

 これで全てが終わったわけではないが、目標の半分は達成した。カジノのことは暫く考えないことにした。ユンはどちらにせよ死ぬ運命だった。彼は追い詰められていて、何をしても死んでしまう。それに、人を道連れにしようとしたり、世界大戦を起こそうとしていた。

 それら全てがわかっていても、人が目の前で死ぬのは良い気分ではなかった。

 小鳥遊を横目で見た。小鳥遊は俯いていた。車のエンジンがかかって、走り出した。

「なぁ、ユンはどう死んだ?」、鉛より重い声だった。

「奴は20人の殺し屋を殺した後、菊知に刺し殺された」

バラバラにされて食われたことは伏せておいた。

「岡田とチンは?」

「岡田はワイヤーで絞め殺された。チンは撃たれた」

「なぁ、人間ってそんな簡単に死ぬんだな。あれだけ強かった奴も、そんな風に死んでしまうのか」

「あぁ。誰にでも終わりは来る」

「あんたは、死なないでくれよ」

「そんなつもりはない。例えいつか命の火が消えようとも、ここで死ぬ気なんて無い」

 そして、長い沈黙と、雨の音と、車の音だけが場を支配していた。

「俺が余計な事言わなきゃ、誰も死ななかったのか?」

「余計な事を言わなければ、君が死んでいた。それに台湾人達が組織ごと皆殺しにしていたかもしれない。ユン以外にあの台湾人を殺すことは出来ない。軍隊上がりの腕利きだったし、皆優れた銃を持っていた」

「じゃあ、どうすればよかったんだ!」、声が震え始めていた。

「なにをしても一緒だ。そんなことは考えるな。次の事を考えろ。君のジュリエットは23人分の命の価値があるんだ。私も何度も死にかけた。ここで引いたら、全てが無駄になるんだ」

 手にマカロフのグリップと反動と閃光と銃声の感覚が戻ってきた。ユンと辻と台湾人の死んだ姿が浮かんできた。手を握って開いて、そして振った。

「カジノのことを言ってたよな?あれはどうするんだ?」

「数億円を稼ぐ。大損を出せば奴等は頭に来て、殺しにかかってくるだろう。50人とプロの軍人がいる」

「くそっ、いい加減にしてくれ!何人死ぬんだ!」

「君と君の麗しのお姫様のために、もう23人が死んだ!そして私もそのうちにはいるかもしれない!もうそんなことを考えるのはやめて、これからどうするかを考えてくれ」

 小鳥遊は頭を抱えて、押し黙った。

「これはユンの形見だ」、私はウィスキーを小鳥遊に渡した。

 小鳥遊はウィスキーを浴びるように飲んだ。未成年に見えるが、れっきとした成年だ。

 鬱蒼とした草木だけが窓から見えた。雨が降っていて、何も見えなくなり始めた。

 死が森のように私を包んでいた。

 岡田圭一、チン・ハオユー、ユン、それに台湾人20人が死んだ。私は23人の死を目の当たりにした。

 前は2人の死を見た。まだ私の前で人が死ななくてはならないらしい。

 本当の名前を知るのは、いつも心臓に灯された火が消えた後だった。

 私はこの世に毒づきながら、窓の外を眺めていただけだった。







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