第14話

 車を車庫に入れて、私は事務所の階段を昇った。

 事務所の中は明かりが灯っていた。その中に、黒いスーツを着た男がいた。刃物の傷がある、痩せた男だった。山根だ。山根は黒いスーツケースを私のデスクの上に置いていた。

 私のウィスキーのボトルを勝手に開けて、飲んでいた。机の上には30センチくらいのドスが置いてあった。ベージュ色をした鞘とグリップが机の上に投げ出されていた。

 山根は鞘から抜き、掌に刃の腹を当ててまたしまった。スーツの中に右手を入れて、左肩にかかっているであろうヒモを適当な位置にずらした。脇の下は膨らんでいる。ショルダーホルスターの中に拳銃。私は影からそれを覗いていた。敵意は見当たらない。どうやら殺しに来たわけではないようだ。私は警察やヤクザを信じない。私だけを信じる。

 私は扉を開けた。

「探偵、プレゼントだ」、山根は言って、すぐに出て行こうとした。

「ちょっと待て、カジノの仕事はいつやるんだ?」

「お前の好きなときにしろ。こっちとしては、別にいつでもいいからな。俺の電話番号のメモを置いてある。プレゼントはマカロフと、マガジン3つと、弾丸50発だ」

「銃撃戦が起こりそうなのか?」と、私は聞いた。さすがに鉄火場に素手では乗り込めない。殺したくなくても、銃を撃てば死ぬ。だが、やらなければこっちがやられる。

「さぁ、知らねえな。ただ、奴等は結構遠慮ないぜ。外人は派手にやるのが好きだからな。アフリカから出てきたやつらだから、マチェットやマスって連中は呼んでる釘バットが好みらしいが」

 鉈を使う連中か。タチが悪い。アフリカでの民族浄化や紛争、ギャングの抗争ではよく鉈や釘バットを使うと聞いたことがある。

「お前らの銃の腕はまともになったかな?」

「タイで練習したよ、ちゃんとな、それじゃあ俺は帰るぜ。あと、勝手にウィスキーをやらしてもらった」

 山根は人差し指と中指に、1万円札を挟んでいた。唇を釣り上げていたが、傷による段差がくっきりした。そして、金をデスクに置いて、ドスを懐に収めた。

「菊知に弁護士を突き落とさせたのは、お前のとこの組の上部団体だったんだな」

「こうなっちゃあ、しかたがねえ。その通りだ。その弁護士は俺と仲がよかった。だが俺を裏切った。だから菊知が殺ったんだ。だから菊知と組むのは気に食わん。やくざにだって情はある。それに、頬を切られたしな」

「裏切ったんじゃなくて、弁護士が、法に目覚めたというだけの話じゃないか?」

「ありえんな。あいつは正義なんぞ興味なかった。俺と同じく、くそったれさ」

「しかし、一夜明けるだけで、真逆になる人間だっている」

「アホくせえ。何が法だ。法は俺も、俺の家族も救っちゃくれなかった。この街四万五千人の警察官は、皆眠ってやがる」、山根は舌打ちをして、左の眉を下げた。嘲笑の意味合いを持つ、薄笑いを浮かべていた。

「警官が起きたら、お前は首を吊られる。お前は何人も無辜の人間を殺してきたはずだ。違うか?」

「俺が今更20年や無期や絞首刑を恐れると思ったか?こうなるまでは、無辜の人間って奴だった。父親はクソ企業のクソ上司に使い潰されて、鬱病で首を吊った。母親はパートをしすぎて肺をやって死んだ。俺に優しかった親戚の一人は、不況で首を吊った。俺はどうしようもないおやっさんに拾われて、どうしようもない極道になった」

「だからって、無実の人間を殺すのか」

「うるせえよ。それが犯罪者なんだ。あんなどうしようもないおやっさんでも、俺は命を助けられた。だから言うことを聞くんだ」、山根は舌打ちをした。

「良いことは二つだけあった。クソ上司を埋めてやって復讐を終えたことと、力と金が全てだって、知れたことさ」

 山根は首を振って、ウィスキーを飲んだ。

「どうしてお前に皆身の上話を語ると思う?お前は情にほだされやすいのさ。悲しがっている人間を見るとすぐにとびついて、助けようとする。もしくは手加減をしてやる。利用されてるんだよ、おまえは」

私は黙っていた。

「そうさ。それしかやることがないんだ。他に何かをやろうと思わない、でくのぼうさ」

「雨にも負けず、か。ここにでくのぼうと寄生虫がいる。どこで間違っちまったんだ、俺達は」、山根は笑った。頬の傷が痛んだのか、顔をゆがめて、指でなぞっていた。

「私は自分が間違っているとは思わない。どうしようもない人間だとは思っている」

「お前みたいな奴は、どっかでのたれ死ぬぜ。死体は道路か、建物か、山か海か、それとも下水道の中かもな」

 私はほんの少しだけ笑った。

「それはいいな。墓地は退屈でたまらない」

 山根は黙っていた。

「死ぬ場所にもこだわらないか、よくわからんよ」

「一億ドルの墓を買っても、死んだ後なら見る事も出来ない。墓石をやくざに崩されて売られても気付かないさ」

「切ないね。普通の人間は、死んだ後に幽霊だとか天国地獄だとか何かがあると思って、なんとか生き抜いている。そんな寂しいからっぽな心で死地に飛び込むのか、お前」

「そんなことで寂しがってるようなら、今頃自分で頭を撃ち抜いてるはずさ」

「信じるのは自分だけってか。俺と同じく、誰も信じられない可哀想そうな奴だ。それに、そんなことをしなくても、誰かがお前を撃ち抜いてくれるだろうな。それとも、撃たれる前に撃ち殺すか?俺が代わりにお前を撃ち殺してやってもいいんだぜ」

 山根は立ち上がって、ダーツ板のダーツを三本抜き取り、手に持った。そしてダーツボードに背をつけて、4歩歩いた。

 体を半身にして、山根はダーツボードに投げた。一本目は16のダブル32点、二本目は5のシングル、三本目はダブルブル、50点。合計87点。残り112点。

「アルコールを入れてる割にはよくやるじゃないか」

「20のトリプルを外しちまった。201点のゼロワンでどうだ」

 私はダーツを抜いて、同じ場所に立った。半身になって右手でダーツを持って、狙いをつけた。左目を閉じて、また開けた。力を抜いて、柔らかく投げた。

 20のトリプル。60点。

 山根はうめいた。

 私は二本目を投げた。16のトリプル。48点。

 三本目、シングルブル、25点。

 合計133点。残り68点。

 山根が投げた。20のシングル、16のダブル、19のトリプル。109点。残り3点。

 私の番だ。15のダブル、19のダブル。残りゼロ点。

「どうやら、私の勝ちのようだな」

「どうなってんだ、おかしいだろ。いかさましやがったのか?」

「最初の1回で終わらせなかっただけ感謝してほしいね」

 山根は首をかしげて、舌打ちをした。

「お前が苦手な物ってあるのか?」

「人を殺すことだ」

「そうか、俺は得意だ。何人も、チャカやドスで消した。殆どの場合、組織犯罪じゃ、証拠は残らん。綺麗さっぱり生きていた証も消える。つまり、酷い殺されかたをして、自殺扱いされるか、どこかに死体を埋められるか、捨てられる。死体が発見されなければ、ただの行方不明者さ。どこかをふらついて、そのままおさらばしちまっただけという話だよ。醜く太ったサツはそのでかい尻がついた腰を上げず、ただ眠っているだけだ」

 こいつにとっては、死とはささやかな悪夢程度のようだ。朝目が醒めて、少し冷や汗をかいた、と言うような。しかし、死ねば二度と目が醒めることなどない。

「いつかお前も同業者に、おさらばさせられるんじゃないか」と、私は言った。

 山根は白い鞘からドスを抜いた。波を打った波紋が刃の真ん中に走っていた。銀色の刃に少しだけ刃こぼれがあった。使い込んでいる。持ち手に古い返り血がついていた。

「最初からその覚悟だ」、山根は言った。

 山根はそれの刃で右目を隠して、私を見た。

「お前もいつかこいつに食われるかもしれないぜ」と、山根が笑った。

「今じゃないだろう」

「そうだ。だが、いつかその日が来るかもしれない。逆に、俺がこのドスに食われてるかもな」

 山根はウィスキーをあおって、ドスをおさめ、脇にしまった。

「しかし、話がうますぎるな」と、私は言った。

「話のまずい部分は、相当危険だってことだろうな。俺もドスとハジキを持ってついていくことになるだろう。お前も、チャカを持っていけ。銃撃戦になったら、素手じゃ無理だろう」

「そんなまずさは、死ぬほど経験してる。そのカジノの傭兵部隊は何人いる?」

「だろうな」、山根は苦笑した。

「よくはわからんが、50はいるんじゃないか?銃もマチェットも揃ってるはずだ」

 山根はデスクに1万円札を置いて、扉を開けて出ていった。

 窓から見下ろすと、山根は歩いて帰っていった。口笛を吹いていた。テレビを適当につけると、深夜アニメがやっていた。口笛とそのアニメのオープニングのメロディは同じだった。高岸が持っていたフィギアと同じ、金髪で緑目の女キャラが出ていた。山根と高岸は同じアニメを見ているらしい。暇をもてあましていたので最後まで見たが、どこが面白いのかよくわからなかった。

 高校生ぐらいの年齢の人物の生活が描かれたラブコメディのアニメだった。彼等は学校生活を楽しんでいて、私は死と隣り合わせのことばかりしていた。何度も人を殺したやくざが出てきたり、麻薬組織が出てきたり、汚職にまみれた警察が出てきたり、警官の皮を被った殺人鬼がいたり、いもしない毒の蝶を恐れる麻薬中毒者が私を殺そうとした。笑える話だ。

 私はテレビを切って、スーツケースを開けた。

 全ては布にくるまれていた。布を開けると、拳銃と、空のマガジン3つと、ケースに入った弾丸があった。

 マカロフを取って、スライドを引いた。動作はなめらかだ。薬室に弾は入っていない。トリガーを引いた。ハンマーが落ちた。マガジンレバーもちゃんと動作する。安全装置もしっかりかかった。

 分解して、スライドを見た。撃針も、排莢のためのものも、撃発機構も全てしっかりしている。銃身のライフリングもしっかりしていた。マガジンのばねを指で押した。堅さは充分だ。ペンチを机から取り出して、一発の銃弾から弾頭を引き抜いた。火薬も詰まっている。火薬をばらして、耳かきを持って、それを一杯だけすくって、薬莢に入れた。

 弾頭を元に戻した。2リットルのペットボトルの空を持ってきて、ティッシュをありったけ詰めた。ペットボトルの口をテープでマカロフの銃口に巻き付けた。

 もう一つのペットボトルには水を詰めた。

 マカロフのスライドを引いて、火薬を少なくした弾薬を押し込んだ。

 机の中から引き出した、爆竹に火をつけた。暇をもてあましたときに、一人で花火をしようと買った物だ。爆竹の連続した破裂音。

 トリガーを引いた。

 くぐもった音とともに、ペットボトルと壁に穴が開いた。水が噴き出していった。サプレッサー代わりのペットボトルは燃えた。ティッシュが燃えた。

 ちゃんと撃てる銃だった。シューティングレンジで撃ちたかった。だが、これを使う時は、人を撃つときだ。もし銃撃戦になったら、私は沢山の人間を殺してしまうことになるだろう。溜息をついた。その後ティッシュとサラダ油で掃除をした。

 私はネットを開いて、止血剤、気胸シール、米軍放出品のメディックキット、ショルダーホルスター、縫合糸や抗生剤、簡単な外科キットや折りたたみナイフ、マグポーチ、ガンオイル、グリスなどの使える物を注文した。

 戦闘を効率化できるし、その他は銃弾を喰らった時に役に立つ。前線治療の方法は 海兵隊員から教わった。

 SAFE-MARCHeと習った。

 出血、気道、呼吸、循環の安全を確保する。だいたいは放出品で治療できる。

 とりあえず、デスクに銃器弾薬など全てをしまっておいた。

 今やるべき事は、寝ることだ。

 栄養食品を食べて、私はベッドに倒れ込んで寝た。

 今日は気に入らない日だった。次々と気に入らないことばかりおきた。色々な人間が私を破滅へ導こうと画策している。時々会う、普通の人間が私の心の支えになった。泥水をすすった後の水は旨いのだ。

 明日は少しましになっているといいのだが。

 何度同じ事を言った?そしてその度に悪くなる。

 時計の針の音を聞きながら、眠りに落ちた。

 寝ている間に、どこかの殺し屋が来て、私の頭に銃弾を撃ち込むかも知れない。ナイフで刺しに来るかもしれない。こうしていたら、いつか拳銃を使う日が来るだろう。まるで破滅を待っているようだ。隕石が落ちてくるのをただ受け入れるだけしかない人類のようだ。時計の針の音が、死刑台への歩数を数えている音に聞こえた。

 しかし、それは今日ではない。

 黙ってただ殺される気も無い。

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