第13話(1)

 菊知はP230のデコッキングレバーを下げ、マニュアルセーフティを親指で押し下げた。そして脇の下の、ショルダーホルスターに拳銃を納めた。

 日本警察用モデルでは、マニュアルセーフティが追加されている。安全性を重視してのことだが、使う人間によって、そんなもの意味がなくなる。

 銃で人を脅す人間に持たせたなら、何をつけていようが変わらない。

 クラウンが、駐車場に止まった。

「おい、降りろ」、佐野が言った。

 私は何もしなかった。小鳥遊も、下を向いたままだった。

「降りろって言ってるんだ。わかんねえのか。一々銃を突きつけられなきゃ、歩く事も出来ないのか?」

 佐野と菊知が降りて、ドアを開けた。

 佐野が私の顎に、ライターを握りこんだ右の拳を食らわせてきた。食らった瞬間に顎を反対に引いて、衝撃を受け流した。右はぐっと効いたが、握りこんでいるわりには軽かった。佐野が私を掴んで引きずり出して、立たせた。

「目覚まし代わりに、俺のパンチを毎日食らいてえか?」、佐野は笑った。

「悪いが、あのお嬢さんの平手打ちのがよっぽど効きそうだよ」

「じゃあ、もう一発行っておくか?」、佐野は構えた。構えただけだった。

 後ろで小鳥遊が、菊知に100円ライターの底で殴りつけられていた。

 外は真っ暗だった。広い道路が広がっていた。片側だけで、三車線もある。

 その建物だけは、明かりがついていた。沢山の人間が残業しているのだろう。

 新宿署だ。600名以上が勤務している。枯れ木のような色をしている建物だ。

「あれが、俺達の署だ。来て貰おうか」

「何階だ?」、私はうんざりしていた。

「4階だな。刑事課に、顔を出して貰おう」

「辺獄か」、私は署についての感想を述べた。

「はぁ?とっとと歩け」

 どうやらうまく伝わらなかったらしい。

 呵責こそないが、人生についての希望を持てず、永遠に過ごす場所さ、と私は言った。

「探偵、頭をぶち抜かれたいか」、菊知が苛立った声で呟いた。

「くっせえ奴だぜ。気取った言い方をしないと死ぬ病気らしい」、佐野が嘲笑した。

 月が出ていたが、星は見えなかった。暗い夜だった。月は水晶のように、繊細に見えた。雲が流れていって、月に少しかかった。

 私と小鳥遊は背中を押されて、ガラス張りの玄関に入った。

「泣けば助けてくれる、愛は大事だ、恋は美しい、女は必ず必要だ、男は女を支えろ、刑事は早く結婚をしろ。くだらねえ。ラヴ・ソングの聞きすぎだぜ、皆揃って」、佐野は呟いた。

 中には沢山の人間がいた。皆疲れた顔をしていて、砕け散りそうな雰囲気を出していた。今はもう、12時を回っている。他人のことなど構う余裕もないのだろう。私達をちらりともみなかった。

「どうやら、噂にはなってないようだが」

「階を上がれば、お前の顔は知られてるんじゃねえかな」

 エレベーターに叩き込まれた。菊知が、小鳥遊の手錠の鍵を外した。

 エレベーターがゆっくりと上がっていって、4階についた。

 佐野に背中を押されて、前へ出た。

 コーヒーの匂いが漂ってきた。数人の男がコーヒーを入れた紙コップを持って、談笑していた。彼等は後ろの刑事二人に挨拶をして、そのあと私の顔を見つめた。

「こいつがあの探偵か」

「でかいな」

「はっ、どんなのでも撃てば死ぬさ」

「俺達は撃てないだろ。皆、銃に過剰反応しやがるからな」

「つれえ話だな。ナイフ野郎が飛び出してきたら、俺達は抜く前に刺されちまう。それか、警告射撃をしてる間にな」

「俺達、ナイフを持った方がマシかもしれないな。毎日格闘訓練はするのに、ほとんど、撃たせて貰えないしよ」

「ナイフ野郎より、始末書の方が怖いぜ」

「言えてるな」

「そういや、あのこっちを手伝ってたやくざが殺られた、殺しはどうなってる?」

「奴は最後に組の金を持ち逃げして、国外逃亡するはずだった。金を持ってから音信不通だ。証拠がない。プロの仕業だ。死体もない。音信不通だから、やられたと判断した。ばったり消えちまった。きっと東京湾の底か、黒潮と親潮の潮流の境目に沈んでるよ。あんまり首を突っ込むと、こっちが殺られるかもしれないな。もうお蔵入りだ。最近捜査班も解散した。奴の郵便受けに、赤く塗られたスペードのエースが入ってた。死っていう意味だ。アメリカの殺し屋かもしれない」

 三人は言い終わった後、コーヒーを飲み干し、紙コップをゴミ箱に捨てた。

「そういや、昨日港区の方で国会議員の秘書が車で事故って死んだらしいじゃないか。車のブレーキに細工がされてた。スイッチ一つで、アクセルだけ強制でかかって、ブレーキが効かなくなるようになってた。プロだな。どうせ殺し屋か何かに狙われたんだろう、かわいそうに。でも、事故として処理された。秘書は奴の腐敗を暴くと言っていた。さすがに、政治家にたてつくのはまずいぜ」

「三浦が殺った」と、私は呟いた。確信はなかったが、勘がそう告げていた。

 三人はこちらを向いた。

「三浦って?」

 菊知が私の背中を押して、「行くぞ」と叫んだ。

 三人は首をかしげた。私だけが知っていることだった。この世界中で、私だけが知っていた。

「バレると、まずいのか?」

「俺の立場は変わらんよ。あんまり言いふらしてると、三浦が殺しに来るぜ。今度は本気でな。お前が寝てる内にお前の脳に銃弾をぶち込んで、死体は湾の底だろうな」

「長い眠りか」、私は言った。

「おやすみと皆に泣かれながら言われて、腐っていくんだ。体は、海の泡に溶けていく。塩の街のように焼かれて、埋められる」

 私は何を言っている?何をしている?

 警官の服を着た殺人鬼に手を引かれて、署の暗い部屋に閉じ込められようとしている。私は溜息をついた。

 佐野が尻に膝を入れてきて、私を歩かせた。

「一体どこまでいけばいい?アフリカまでか?」

「いや、デカ長に会ってもらうよ」

 沢山の人間がいる部屋を通った。

 私は人気者のようで、私の顔を見て、嫌そうな顔をして話をする人間ばかりがいた。刑事課長室へと、通された。

 中には大きなデスクと、書類と、大きな椅子と、ウィスキーの瓶と、葉巻が置いてあった。古びたジャズが流れていた。テイク・ファイブだ。サックスの音が特徴的だった。

 大きな椅子の真ん中には、大きな体積の男が座っていた。

 西刑事課長という名前らしい。

 170センチ中盤で、脂肪がたっぷりと乗っている体だった。昔は一線を張っていただろうが、今はデスクワークだけをしているのだろう。耳が潰れていて、刃物で切れた跡があった。眉毛は濃く、太く、顔は浅黒い。濃い髭を生やしていた。鼻も脂肪がたっぷり乗っていた。挑戦的な目つきをしていて、口は線のように結ばれていた。

 菊知の身長は西より低く、佐野は西より高い。

 西は葉巻を手にとって、カッターで先端を切り、火を点けて、口に咥えた。手は机の上に置いている。

「課長。こいつが例の探偵です。用があったんでしょう」と、菊知が言った。

 西は眉をしかめて、手の甲を掻いてあくびをした。

「ああ」と、西は葉巻を咥えたまま頷いた。

「そうだとも。こいつに用があったんだ。ごくろう」

 低く、粗暴な雰囲気のする声だった。酒焼けもしている。この男の声に比べたら、ちんぴらの声も鈴虫みたいに聞こえるだろう。サックスの音が台無しだ。

 菊知は部屋の壁にもたれかかっている。佐野は反対側の壁に、小鳥遊は私の隣にいた。

 佐野の顔を見た。黒い短髪に、黒い瞳。眉毛は揃えられている。彫りが深く、鼻も高い。目の大きさと耳については特筆するべき所もない。薄い唇で引き締まった顔だった。パーツが同じでも、性格である程度顔つきは変わるものだ。性格はよくなさそうだし、実際にそうだ。粗暴さがありありと感じられる。西が近寄ってきた。私は西を見た。

 西は私の顔をじっくりと眺め回して、舌打ちをした。そして、口をゆがめて、鼻で笑った。焦げた樽のような匂いと、アルコールの臭いがした。ウィスキーを呑んでいるらしい。

「お前があの余計な事をしてくれた奴だな?」

「私はいつも余計な事をして回ってるようだな、お前にとっては。誠実に生きている人間にとっては、余計な事でもないはずなんだがな」

 西は頭を掻いて、左目の上下を細めて、菊知に苦い顔を向けた。

「俺に対してこんな失礼な奴は生まれて初めて見たぞ。なぁ菊知」と、呼びかけた。

「そうですね」と、菊知は流した。

「じゃあ、もっと失礼なことを言ってやろうか?私に怒って血管を破裂させる前に痩せた方がいいぞ」

 西はデスクに身を乗り出して、机を太った手で叩いた。立ち上がって、私の前に立った。

 そして、拳を振りかぶって、私にきついボディブローをくれた。

「まだ三浦や加藤のジャブのが私に効いたぞ。もっと力を入れろよ。その体は脂肪だけか?」、私は顔色を変えずに、うそぶいた。

 西が歯を食いしばって、大きく振りかぶった。

 私は腕を畳んだ。西の拳が私の肘に当たった。

 西が飛び上がり、右手を押さえて、唸りはじめた。

 拳よりも肘のが堅い。

「くそっ俺の指が折れたぞ。折れたんじゃないか?くそっ」

 菊知がにやりと笑った。どうやら仲はよくないようだ。

「よく考えもせず人を殴ろうとするからそうなるんだ。人を殴ろうと思うんだったら、その足りない頭でよく考えて、効果的に殴れよ。そんなんじゃ中学生のパンチのがましだ」

 西が目配せすると、菊知が蹴りを私に叩き込もうとしてきたので、スネに靴を当てて止めてやった。

 菊知は顔をしかめた。

 しかし、後ろからの佐野の蹴りはもらった。靴底が腎臓にめり込んで、私は前に吹っ飛んで、机にぶつかった。また佐野が引き起こして、立たせた。腎臓が痛む。次の日の尿は、色が変わっているに違いない。

「そんなに人を殴ったり蹴ったりしたいんだったら、警官になるなよ。警察の仕事は人を殴ることじゃない。いつもお決まりの無茶をふっかけて、連れ出して、殴ったり蹴ったりするなんてちんぴらと変わらないだろう。殺し屋でもやったらどうだ」

 西は指のダメージから回復したのか、大きな音を立てて椅子に座り直した。

 西はもう一度立ち上がった。立ち上がって、私を睨みつけて、目の前まで来た。思い切り、あごに額を叩き込んできた。顎を引いたおかげであまりきつくはなかった。私を掴んで、後ろを向いて、お辞儀するように投げてきた。腰投げだ。背中から叩き付けられた。大きな音がした。吐き気がした。私は立ち上がった。そして、西は椅子に座り込んだ。

「殴るのはコミュニケーションだよ。警察式のな。お前みたいな一般人のふりをしたちんぴらには、警察式の対応に限る。お前みたいな自分が高潔だと思ってるちんぴら、気取ったやくざみたいな奴にはな。お前が犯した罪がどれだけある?お前に令状を出して、ムショにぶち込んで、許可証を取り上げたっていいんだぞ。貴様は新宿署の顔に泥を塗った。おかげで三木は飛ばされた。警察の顔を傷付けることはこの世にあってはならんのだよ。探偵だろうと、やくざだろうと、政治家だろうと、金持ちだろうと、官僚だろうと、裁判所であろうと、マスコミであろうと、それは許されない」

 私はそろそろ我慢の限界になってきた。

「そんなコミュニケーションがあってたまるか。お前等だって法を犯している。菊知なんて10にも満たない女の子を拉致して犯して殺したんだぞ。やくざの証人も殺した。そんな人間を子飼いにしてるお前に法律の何が語れる。警察の顔に泥を塗ってるのはお前ら自身だろう。そんなんじゃあ、しまいに道を歩いているだけで撃ち殺されるようになるな」

 西は黙って聞いていた。そして面白い事を満員電車の中で思いついたように、にやついた。テイク・ファイヴが終わって、もの悲しいジャズが流れ始めた。

 聞いたことのあるジャズだ。私は目を瞑って、少しした後に開いた。この男達の声が邪魔だった。

「俺は新宿の長だ。新宿では俺と署長が法律を決める。現場に立ったこともないような背広共が、ドスやピストルを持った奴に殺されかけたこともないようなやわな軟弱者が使えもしないような法律を作る。そして菊知については、ネズミを取る黒猫はいい猫なんだ。あいつは結構成績がいい。表彰もされるような有能なデカだ。たかだか女三人とやくざの弁護士一人がこいつに殺されたのと、こいつが残した成績なら、こいつが残した成績のが人を救っている。女二人はともかく、あの散弾銃女とやくざお抱えの弁護士なんて殺した数には入らん。新宿に入ったら、俺の法律に従え、探偵」

「女を三人殺しただと?」

「あぁ、三人だ。9才の少女と11才の少女と、お前の大好きなショットガン女だ。清廉潔白な聖人なんてこの世にはいないんだよ。普通に生きているだけでも、誰かを犠牲にして生きている。アフリカ人やアラブ人の死や中国人の健康被害の上に、先進国の生活は成り立っている。人間は他の動物を犠牲にしながら生きている。何かを得るには、何かを犠牲にしなくちゃな」と、菊知が口を挟んだ。

「お前は一々感傷的すぎるんだよ、タフガイ。どうせ人間なんて世界で一秒に二人死んでる。一日で十七万近く死んでるっていうのに、一人一人にそんなに気を入れてりゃあすぐに死人の仲間入りだ」

 菊知は言い終わると、首に手を当てて、首を鳴らした。

 私は菊知を睨み付けた。少年をいさめるような柔らかい口調が、私にとっては気に入らなかった。

「藍原が今撮影をしているようだな。お前の女だろう。というより、誰がお前の女なんだ?全員、人生を滅茶苦茶にしてやりたいね。皆、死んじまえ。死ねばいいんだ、そうすりゃ、俺は世界で一人になって、何でも出来る」

「たった一人の世界に意味はあるのか?」

「それからが、本番さ。人間は嫌いだ。俺の前で喋るな、わめくな、泣くな、キレるな、笑うな。苦しめ、皆死んじまえ」

 菊知はキャメルの煙草を取り出して、口に咥えた。使い捨ての百円ライターで火をつけて、煙を漂わせていた。佐野は100円ライターを握り締めて、ファイティングポーズを取った。

「俺も早くこんな仕事を辞めたいよ。故郷の四国に帰るか、東京の郊外に住んでもいいな。とりあえず新宿は御免だ」と、空に向かって菊知が言った。

「お前等二人の言いたいことは終わったか?」と、私は言った。

「言いたいことが終わったなら、早くやりたいことをやれよ。時間は有限だぜ」

「こいつ、警察にいつまでたてつく気だ。菊知、こいつを取調室に連れて行け。警察を舐めているこの男に、たっぷり警察式の対応をしてやれ」

「はい」と、菊知が私の肩を掴んだ。私は動かなかった。菊知は押し続けた、だが私の方が力が強い。菊知が指先で私の目を突いてきた。爪が目に入ってきた。私はうめいた。目から涙が出てきた。

 佐野が私の横から腎臓にライターを握りこんだ左フックを打ち込んできた。どうしてこいつはさっきから腎臓ばかり狙うんだ、と私は心の中で毒づいた。次に、肩口に右肘を打ち込んできた。腕が痺れた。太腿の横に、右膝を打ってきた。流石に脚にきた。

「流石に、こいつは効いただろ」、佐野は笑った。

「私の腎臓に何か怒りでも感じているのか?」

「人工透析をさせてやりたいぐらいにはな」

 菊知と佐野は私を掴んで、部屋から引きずっていった。小鳥遊は部屋に残されたようだ。

 私は仕方がないので、そのまま歩いて行った。

 また沢山の警官が、私を見て何か言っていた。

「どうも私は殴られ屋だ。やくざに殴られ、今度は警官に殴られる。何度も殺されかけ、殴られ続けてる。今度も病院送りにされそうだ」、私は呟いた。

「よくそんなしょぼい稼ぎで、殴られ続けてるな。俺だったら、やめてる」、佐野が私に言った。

私は何も言わなかった。佐野が私に手錠をきつくかけた。

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