第11話
インプレッサを駐車場に止めた。
西新宿駅のあたりだった。色々な所を探す手間が省けたとはいえ、探すべき場所が多すぎる。人通りの多い場所から探していくべきか。
人にぶつかるか、後ろにぴったりついているか、それとも人の横で佇んでいる人間を探せばいい。しかし、理解しているのと実際に探すのとは別だ。
人の数が多すぎる上、ここは広い。
人の波が出来ていた。全ての人間達があてもなくさまよっているように見えた。私も、あてもなくさまよわなければいけない。野良犬のように。
空気が更に冷たくなっていて、街灯が輝いていた。
私は歩き続けた。白いパーカーを着ていたことがある、小柄で痩せた若い男。手の甲にナイフの傷跡がある。
これだけの特徴だけで人を探さなければならない。その男は定休日を作っているかもしれないし、複数人で仕事をしているかもしれない。
情報が少なすぎる上に、人が多すぎた。
一番可能性がある、レジャー施設やオフィスビル、銀行の近くから始めることにした。会社員は高価な腕時計をつけている。銀行から出たばかりの人間は、財布に金をたんまり持っている。レジャー施設から出てきた人間は、買い物や遊びに気を取られて無警戒だ。
熟練のスリ師の腕はほとんど芸術だ。体の反対側にぶつかって、その反対側の物を盗るというのを、ほとんど芸術のように行う。他にも、後ろや横からそっと抜いたり、鞄やズボンをカッターで切り取ってから盗むものもいる。箸で挟んで抜くものもいる。ほとんど強盗まがいのことをする連中もいる。
私は歩き続けた。
数時間ほど歩き続けたが、男は見つからなかった。休日だから、人が多い。スリの獲物も多いはずだが、人が多すぎた。
私はコンクリートの壁に背中を預けた。煙草を取り出して、ジッポーで火を点そうとした。ジッポーがポケットに入っていなかった。そういえば、あの売人の事務所で投げたままだったことを忘れていた。煙草をしまった。
あの娘が少しぐらい名前を漏らしてくれたなら、こんな手間はなかった。
これは私とあの娘の知恵比べなのだ。彼女は少しだけ、本音を私と親友に漏らした。私はその中の些細な情報から、この世界一の大都市たる東京に住む1500万人のうちから、たった一人を見つけ出さなければならないのだ。たった一日で見つかるなどとは、元から思っていない。
休日出勤の会社員達が、アルコールの匂いを漂わせて、私の前を歩いて行った。ジンの香りだった。
夫婦と息子と娘の4人組が、反対側の道路を歩いていた。学生達が、その後ろを歩いていた。5列に広がっていた。
ブランドショップから出てきた貴婦人が、どこかから現れて、どこかへ去っていった。沢山の人間が私の前を通り過ぎていった。社会人、家族、学生、主婦。スリどころか、犯罪の臭いがする人間すらいなかった。
この国では、裏に関わらなければ大変安全に暮らせる。裏の人間も、ある程度心得ているのだ。アメリカのように、すぐに銃を抜こうとする人間は少ない。代わりにナイフや鈍器を使う奴はありったけいる。
ある程度、というだけだが。数千円のために、犯罪者達の些細なプライドとやらのために、棍棒や金属バットで殴り殺される人間もいる。
今日の捜索は打ち切りにして、ダイナーに寄ったあと、事務所に帰って寝ようかと思った。今日はよく動いたから、沢山カロリーを取らなければいけない。
私は少し歩いて、ダイナー、ファミリーレストラン、呼称はなんでもいい。それを探し始めることにした。
道ばたで、若い女がバラードを歌っていた。アコースティックギターを持って、引きならしていた。切ない恋が破れたときの気持ちを、四季に例えていた。感傷的だった。
少し離れた場所で、若い男達がポップスを歌っていた。同じようにギターを持っていた。人生の夢について語った曲だった。こちらは、希望的な歌だった。
ほんの少しだけ、人だかりが出来ていた。
もう少しギターが上手かったのなら、もう少し人が増えるだろう。
音楽とは調和であり、チームプレイだ。私のような人間には向いていない。私はしょせん、ローン・ウルフだ。
私は耳を傾けながら、歩き去った。
私は歩みを止め、急に振り返った。人だかりだ。
遠くから、それをずっと見つめた。
人だかりの中に、箸を持っている人間がいた。
箸を持って、人のポケットに差し込んでいた。そして、財布を挟み込んで取り出した。他の男がそれを掴み取り、財布を後ろの男に渡した。後ろの男はポケットにそれを入れた。その三人の男はそのまま、どこかへ立ち去った。
私は後をつけた。スリだ。タイミングが良い。
昼は15メートルから20メートルの距離を開けて尾行するが、今は夜だ。13メートルほどの距離をえらんだ。
男達は早足で去って行く。私もそれに合わせた。曲がり角に当たりそうになった。少し立ち止まって、距離を開けた。また歩き出した。男達はちらちら後ろを見ている。犯行のすぐ後なら、警戒しても当たり前か。
私はそのまま後をつけた。気付かれても、気付かれなくても問題ない。どうせ質問をするときは、奴等はナイフを取り出すだろう。
そして、男達はまた歩いていった。そして、路地裏に入っていった。罠だ。しかし、私をそんな罠に掛けられると思う方が間違いだ。
私はゆっくりと歩いて、路地裏に入った。光は完全に届かない、暗い路地裏だった。ねずみがちゅう、と可愛く鳴いた。
目の前で、一人がナイフを抜いて、もう一人は金色に光るブラスナックルを拳に嵌めていて、最後の一人はスタンガンを持っていた。放電音が響いた。
三人がゆっくりと歩いてきて、私に近づいてきた。ナイフを持った男は、ナイフをゆらしながら、私の目の前で止まった。
ナイフを男が突きつけた。私の顔の前でちらつかせた。適当に握って、ぶらぶらさせていた。
「それで、どうするんだ?」
「それでって、こいつをなんとも思わねぇのか?」
男が突きつけていたナイフの腹と相手の手首を挟み込むように両方の手で叩いた。
ナイフがどこかへ飛んで行った。
「なんともなくなった」と、私は言って、5万円はするようなスマイルを見せた。
男はあっけにとられて、しばらく口を開けていた。我に返ったように、男は拳を振りかぶった。鼻にジャブをくれてやった。男は顔を押さえて、うずくまった。
メリケンサックを嵌めた男が、腕を振り下ろしてきた。少し腕を添えて、自分の太腿に振り下ろさせた。みぞおちに、右のボディブローを打ち込んだあと、顎を掌で打ち上げた。男は崩れ落ちた。
スタンガンを持った男が、後ろから手を伸ばしてきた。
思い切り振り返りながら、その手を弾き飛ばした。腕と服を掴んで引きつけながら腹に膝を打ち込んだ。
スタンガンが地面に落ちて、音が鳴った。
「どうしてお前達みたいな奴は人にすぐ殴りかかるんだ。まずは頭を使えよ。笑ったまま殴りかかることもできないのか。一々芸人みたいなリアクションをしてから騒ぎ立てて振りかぶってから殴るんだ。そんなんだからずっと下っ端なんだ、このちんぴらめ」
私は少し苛立っていた。普段なら、私はこんなことは言わなかった。
「聞きたいことだけ聞かせてもらう。そいつの場所の答えだけしか受け付けない」
私はナイフを持っていた男を掴み上げた。
「手の甲に傷のある、小柄で痩せたスリを捜してる。場所を知らないとは、言わせないぜ」
「俺がどこに属してると思ってる」
男は眉をしかめて、顎をつきだした。そして、うなり声を出した。
「軍隊上がりの韓国人がボスをやってるのか?そんなことはどうでもいい。質問しているのは私だ。言ったろ」
「嫌だね、仲間は売らんぞ」
「売らなくてもいい、聞くだけさ。私はお前の親族や友人、恋人の場所を知っている。知らなかったとしても、これから調べればわかることだ。全員東京湾のヘドロに沈めてもいいんだぜ」
本当はかけらも知らなかったが、そう言った。そして、男の後頭部を掴んで壁に叩き付けた。脳を揺らせば、意識がもうろうとして、痛みを感じにくくなる。
「早く言え。そう言ってるだろう」
「うるせえよ、この警察の犬め」
「私が警察の犬に見えるか?その目と耳は一体何で出来てるんだ?」
後ろで物音がした。ブラスナックルを持っていた男が立ち上がったのだ。後ろにかかとをくれてやって、また這いつくばらせた。
「じゃあ、警察に言ってやる。ここでお前達をつきだしたら、スリと暴行罪と脅迫罪の合わせ技で、数年は食らうぜ」
普通の犯罪者は、殴られることよりも警察を怖がる。死はもっと怖がる。ここはあの刑事のお膝元だ。期待はしていない。
「早く言え。時間を無駄にしたくないだろう」、私は言った。
私は、彼の目の前で拳を握った。
男は口を結んだまま、私を見つめていた。
「おい、俺のダチに手を出すな」
高い声が聞こえた。私はそちらを振り返った。
白いパーカーを着ている、小柄で痩せた男だった。手の甲に傷がある。女のような顔立ちをしていた。
手には短い棒が握られていた。ナイフじゃないらしい。
「お前を探してたんだ」と、私は言った。
「ナイフはもうやめたのか?」、私は続けた。
「もう血は流さないと、愛しい人と約束したからな」と、男は言った。
「じゃあ、人から盗むのもお終いにしろ。早く足を洗って、木村佳奈に顔向けできるようにしろ」
「なぜその名を知ってる?」
「さぁ、なぜだろうな」
男は棒を握り締めた。台詞を間違えた。怒りを増幅させてしまったらしい。私が刺客か何かとでも思っているのかもしれない。
「それが俺のダチを殴った奴が言う台詞かよ」
私は眉をしかめた。
「先にナイフを抜いたのは、私じゃないぜ。黙って刺されろというのか」
「それでもだ」
「話にならないな。だからちんぴらは嫌いなんだ」
「うるせえ、お前も同じだろう」
男は棒を振り出した。金属音が鳴り響いた。特殊警棒だった。26インチ、70cm近くの長さの警棒だ。私は掴んでいた男のみぞおちに拳を入れ、うつぶせにさせた。
男の顔と背丈をよく見ていると、気付いた。
この男は、藍原のポケットからスマートフォンをスった男だ。
「私の顔に覚えはないか?」
「そんなこと知った事かよ」
男はこちらに向かって歩き始めた。
私も、相手をしてやることにした。
私は左足を踏み出して、回転した。右足のかかとを、男の頭へ振った。男は警棒を両手で持って、私の蹴りを受け止めた。男が腕へ警棒を振り下ろしてきた。私は避けて、振り下ろした手を掴もうとした。手首を返して、顎を打ち上げようとしてきた。
私は頭を横にやって、振り上げを避けた。男は、くるりと振り返って、太腿へ振り下ろしてきた。足を上げて、カットした。男は腕を上げ側頭部に警棒を振って来た。腕を両腕で受け止めて、肘を決めて倒した。膝を背中に乗せて、手首をひねって、警棒を取り上げた。
「お前、藍原のスマートフォンをすった後、いかれた男に渡してたはずだ」
「うるせえ」、男は言った。
「誰に言われてやった」
男は黙って、何も言わなかった。
「言えよ。時間を無駄にさせるな」
「お前は、誰なんだよ」
「お前の愛しい人の父親に、お前の事を探るように頼まれたのさ。私立探偵だ。警察でも、犯罪稼業でもない。お前の対応いかんで、お前の恋路も怪しくなるぜ」
男は、あっさり抵抗するのをやめた。
「場所を変えよう。ここじゃ、話せない」
私達は、立ち上がって、この薄暗くて汚い路地裏を出ることにした。
デビューを夢見て歌う人間の姿を見るのはもうこりごりだった。
犯罪者達はそこに集まって、それらから汚い手段で巻き上げていた。
愛する人ともう血を流さないと約束した癖に、まだ犯罪稼業を続けている男。
その男は、義侠心が少しは残っている。
会社員達や子ども達、親たち、犯罪者達、人生が彼等の数の通りにあり、彼等は皆自分の人生の主人公なのだ。いかに、自分の人生が冴えないと自負していても。
色々な人間が新宿を歩いていた。
いつも、どこでも、沢山の種類の人間がいるのだ。
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